ハヤテのごとく! SideStory
Lost Garden
初出 2009年01月07日
written by
双剣士
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新年恒例の初詣。日頃は神頼みなどしない平凡な人々も、このときばかりは開運や健康や幸せを祈願して人だかりで賑わう近所の神社にお参りに出かける。拝殿正面の賽銭箱へと向かう人たちは長蛇の列をなし、思い思いの小銭を握りしめながら自分の順番を待つ。それぞれに神様への願い事を心に秘めながら。
そうして時間とともに入れ替わっていく参拝客の先頭に、一組の家族連れが姿を見せた。5歳くらいの兄妹2人と、鋭く尖ったヒゲを蓄えた少壮の男性の3人組。幼い兄は小さな鉄道模型を宙に走らせながら、小さなおさげ髪の妹は終始ニコニコと笑いながら父親と手をつないで順番を待っていた。そして賽銭箱の前に立った2人は、ちゃりーんと10円玉を放り投げて可愛らしい仕草で手をパンパンと叩いた。
「可愛いわが子よ、今年はどんな願い事をしたのかね?」
「うんとね、35mmゲージのレアな模型がヤフオクにたくさん出品されますようにって」
「お前なんぞには聞いとらんわい、虎鉄。どうかな泉、今年もパパと一緒に楽しく過ごせますようにって、お祈りしてくれたんだろう?」
即答する男の子をすげなく振り払い、可愛い愛娘の方に視線を向ける父親。ところが愛してやまない小さな娘の口からは、予想もしない無邪気な爆弾発言が飛び出したのだった。
「ううん、今年はパパじゃなくて、将来おヨメさんになってあげる男の子のことをお祈りしたの♪(にぱー)」
「な、な、なんじゃとぉ?!」
蒼白になって卒倒しかける父親に背を向けたまま、小さな女の子はもう一度神様に向かって手を合わせた。
「神様、どうかあのときの男の子にまた会えますように、お願いしちゃいますのだ♪」
「……ふっ」
小さなため息をつきながら、天王州アテネはお正月の境内の様子を映す天球の鏡から目をそらした。姿は見えども声の届かない魔法の鏡。ロイヤルガーデンには存在しない“人々の喧騒”というものを彼女に突きつけてくる残酷な魔法具。それはあたかも、独りぼっちで天空の檻に閉じ込められたアテネをあざ笑うかのよう。
《願い事を聞いてくれる都合のいい神様なんて……いませんわ》
永遠の花園に包まれたロイヤルガーデンにおいて、アテネの最初の願いは『ここから出ること』だった。それが叶わぬと分かってからは『誰かが来てくれること』に変わった。そして現在……『誰か』が顔と名前を持つ少年の姿へと結実した現時点において、彼女の願いはまた別の言葉へと変わっていた。
『ハヤテに会いたい』
つい先日までは確かに手の中にあったはずの幸せだった。しかし彼女自身の言葉で幸福を手放してしまって以降、その言葉は麻薬のように彼女の心を蝕みつつあった。1人きりの食卓で、がらんどうの剣闘場で、そして隣に誰もいない寝室のベッドの上で……神様などいないと承知しつつもアテネはその言葉を繰り返しつぶやいていた。
「もし神様が居るのなら……お願いです、1日も早くハヤテをここに連れ戻してきてください。他には何も要りません」
半死人になりかけた父親を引きずるように、神社の境内から鳥居へと戻ろうとする虎鉄と泉。そんな少女の瞳に、見覚えのある少年の姿が映った。小さな身体を鳥居の柱に隠すようにしながらちらちらと様子をうかがう少年。それは誰かを探しているようでもあり、かつ逆に誰にも見つからないよう様子をうかがってる風でもある。
「あ、ハヤ太君だ♪ やっほぉー」
「あ、待てよ泉!」
「な、なに、ハヤ太君だと?!」
父親の手を離してニコニコしながら駆け出す少女とそれを声で制止する少年、そして忌まわしいキーワードを耳にして意識を取り戻すヒゲ親父。呼びかけられた少年は驚きの表情を浮かべると、逃げ出すように背を向ける。そこに小さな少女のタックルが炸裂した。
「わーいわーい、いきなりハヤ太君に会えたよ〜♪ 神様さんきゅーなのだ♪」
「や、やぁ君は……こないだのぬいぐるみの……」
「きゃはは♪ 今年もよろしくね、ハヤ太君」
困惑の表情を浮かべる少年を太陽のような笑顔で照らしつける小さな少女。幼年期特有の開けっぴろげな好意を向けられて、少年の表情にも徐々に明るさが浮かんできた。こんな無邪気な笑顔に抵抗できる人間なんて居やしない。
「ハヤ太君もお参りに来たの?」
「う〜ん、お参りに来たというか、なんと言うか……」
「ん〜ん?」
「いつもだったら父さんたちが賽銭箱の中身を抜き取る隙を作るために、甘酒に酔っ払った振りをして拝殿の床の間に上がりこんで暴れまくることになってるんだよ。でも今年は父さんたち居ないから、どうしたらいいのかなって」
「あはは、泉も甘酒だ〜い好きだよっ♪」
泥棒家族の偽装テクニックもイノセントな笑顔にはかなわない。しかしこんなほんわか空間を引き裂くように、鬼の形相をした少女の父親が割り込んできたのだった。
「お、お、お前かぁっ、うちの泉にちょっかいをだしたハヤ太君というのは!!」
「えっ、えっ、あ、あのぉ……」
「だめぇーっ、お父さん、ハヤ太君をいじめちゃダメッ!!」
少年をガードするように男の子の隣に並んで腕を抱え込む愛娘の姿を見たヒゲ親父の目尻は、より一層鋭く吊りあがったのだった。
《このお城、こんなに広かったかしら……?》
彼と過ごしたのはほんのわずかな期間のはずだった。独りぼっちで過ごした時間のほうがはるかに長いはずだった。それなのにロイヤルガーデンのそこかしこにハヤテの匂いがする。どこに居ても何を目にしても、幻のように彼との思い出が去来する。そしてそれらは心温まる記憶としてではなく、
錐
(
キリ
)
を突き通すような喪失感となってアテネの胸を切り裂いていく。
《ハヤテを行かせてしまった私がバカだった。こうなることは分かっていたのに》
何度目かの夜を迎えて、アテネの精神は擦り切れそうになった。自分がこんなに弱いだなんて思いもしなかった。不甲斐ないハヤテのことを鍛え導くというのが自分の務めのはずだったのに、いつのまにか彼の存在にこんなにも頼りきっていたなんて。まるで半身をもぎ取られたかのように、心の一部を彼の身に委ねてしまっていたなんて。
《なんだか、もう……気が変になってしまいそう》
じっとしていたら魂が干からびてしまいそうだった。どこにも逃げ場がないのなら、せめて彼との思い出が少ない場所へ……アテネはふらふらと暗闇に包まれた屋外へと歩き出したのだった。
「えへへ、美味しいね、ハヤ太君」
「うん、こんな美味しいお菓子、僕初めてだよ」
ハヤテと泉は綿アメを頬張りながら、仲良く手をつないで境内の出店や屋台を見て回っていた。そのすぐ後ろには視線で射抜き殺さんばかりに少年の背中を睨みつけながら2人についてくるヒゲ親父と、父親に手を引かれながら妹たちのことなど放ったらかしで鉄道模型で遊んでいる不肖の兄の姿がある。結局のところ娘に甘い瀬川父は、ハヤテの同行をしぶしぶ認めざるを得なかったのである。
「ねーねー、今度は金魚すくいやろーよ♪」
「え、でも僕、お金ぜんぜん持ってないし……」
「きゃはは、泉ちゃんにまかせたまえ♪ おとーさーん、お小遣いちょーだい」
「おぉよしよし、金魚すくい1回分だな……ふん、お前の分なんか払ってやらんからな」
「お父さん……」
「……じょ、冗談だよ泉。ほぉら男の子にもな、ちゃあんとお小遣いを分けてやるから……ちっ」
泣き出しそうな娘の瞳にほだされて、嫌々ながら小銭をハヤテの手に渡す瀬川父。ハヤテは申し訳なさそうな表情で受け取ったが、泉に誘われて金魚すくいの水槽の脇にしゃがみこむと子供らしく表情を輝かせた。
「よぉし、じゃお礼に、一番でっかい金魚を取ってあげるね」
「本当に? わーい、頑張ってハヤ太君……わ、うわわ、すごいすごーい、ハヤ太君って天才だぁっ!」
「298、299、300……っと。さぁこれで完成、お次は……」
枯れることのないロイヤルガーデンの花を摘み、花の王冠を作る遊び。ここにきて間もない頃に覚えた1人遊びにアテネは久々に取り組んでいた。別に楽しいからではない。ハヤテとの思い出が多すぎる城の中に居るよりは、ハヤテが来る前に1人でやっていたこと……男の子と一緒にするような類ではない遊び方……をしているほうが気が紛れると考えたのである。
小さな花300本で作った花の輪が、アテネの右脇に次々と重ねられていく。花輪など作ったところで飾る場所もないし褒めてくれる相手もいない、ただ一心に作り続けることだけを目的とした独りぼっちの暇つぶし。畳のイグサの目を数え続ける行為にも似た、不毛だが何も考えずに済む単調な行為の繰り返し。
これをやってる間だけは、ハヤテのことを思い出さずにすむ。
冷たい夜風にさらされ、夜露に濡れた花の茎に指先を滑らしながらもアテネは一心不乱に花輪を作り続けた。花園の中を徐々に前進しながら、アテネは目の前の草花を摘んで花輪に変えていく。アテネの通った後には花を摘まれた緑の草で出来た幅広い道と、それに並行する形で作られる花輪に敷き詰められた細い道とが続いていった。その道は王族の庭城からだんだん遠ざかっていくように、ハヤテが去っていった方向へと一直線に伸びていくのだった。
そして夕方。ハヤテと泉にも別れの時刻がやってきた。
「今日はすっごく楽しかった♪ また遊ぼうね、ハヤ太君」
「うん、そうだね」
「これ、金魚を取ってくれたお礼だよ(ちゅっ)」
慌てふためく瀬川父の背中を押しながら、何度も振り返ってバイバイと手を振る泉。ハヤテは神社の鳥居の脇に立ったまま手を振って泉たちを見送った。そして姿が見えなくなった頃を見計らい、そっとポケットに手を当てて中身を確かめた。瀬川父からもらった百円玉の余り1枚。射的やどじょうすくいを無駄なくクリアしていくことによって、どうにか捻出した軍資金。ハヤテはその百円玉を握って屋台のほうに走った。
「すみません、綿アメの残り、まだありますか?」
いったい何百個目の花輪を作った時だったろう。夜が終わり陽が昇り、天頂を横切って西の地平線に沈もうとする時分になった頃、遠くからカサカサと草木の揺れる音が聞こえてきた。手を止めて顔を上げたアテネの瞳に、こっちに向かって駆けてくる愛しい少年の姿が映った。
「ハ、ハヤテ……」
「アーたぁ〜ん、ただいまぁ〜」
「ハヤテェエェ――――!!」
声が震えて涙があふれてくる。いますぐにでも彼に抱きついてしまいたい。だが涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまったことに気づいたアテネは、叫ぶのをやめると花園に座ったまま顔を伏せて彼を待った。そんな彼女の前に駆け寄ってきた少年は、はぁはぁと荒い息をつきながら座り込んだ少女に向かって白い綿菓子を差し出した。
「はいこれ、お土産の綿アメ。美味しいよ、アーたん」
こんなに寂しい思いをした自分の気持ちも知らず、能天気に綿菓子を差し出してくるハヤテ。ちょっとだけカチンときたアテネは、顔を伏せたまま極力冷静に少年の不実を責めた。
「…………ず、ずいぶんと遅かったですわね」
「ご、ごめん。ちょっと知り合いの子に会っちゃって」
「ふ〜ん、私を置き去りにしてその子と楽しくやってきたわけですの」
そう、確かに自分はハヤテの下界への一時帰還を許した。お正月なのに何の変化もないロイヤルガーデンに退屈したハヤテが天球の鏡越しに初詣の様子を眺めていたのを見かねて、ほんの数十分だけ下界に送り出してあげたのだ。それなのにハヤテときたら数十分どころか、自分以外の女とイチャイチャ遊びまわって数時間を過ごしてきたのである。嫌味のひとつも言いたくなるというもの。
「ね、ねぇ……アーたん、ひょっとして怒ってる?」
「あ〜ら、私に怒られるような心当たりがありますの、ハヤテ?」
「ほら、やっぱり怒ってるよ!!」
座り込んだ自分の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねながらご機嫌伺いをするハヤテ。本当は怒ってなどいない、それより早く抱きしめて欲しかった。下界での数時間はロイヤルガーデンの数日間に相当する。予想以上に長引いた空虚な日々で傷ついた自分の心を彼に癒して欲しかった。ずっと一緒にいるってささやいて欲しかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、アーたん。これから気をつけるから、僕が好きなのはアーたんだけだから!」
それなのに肝心の少年は、てっきり浮気がばれて怒られてると思い込んでいる。そうやって先に土下座されてしまうと、怒ってないから自分を慰めてくれとは言えなくなるのが天王州アテネという少女であった。素直じゃない自分の性格に歯噛みしながら、アテネは顔を伏せたまま西の空を指差した。
「本当に反省してるなら、もっと大きな声で言いなさい! さっきの言葉を!」
「えっ?」
「悪かったって! ずっと私のそばにいるって! 2度と寂しい思いなんかさせないって! さぁ言いなさい!」
「う、うん……
ごめんねアーたん、僕はずっとアーたんのそばに居るから! アーたんのことが好きだから!」
「もっと大きな声で!」
「アーたん、アーたん、アーたん! そばに居るから! ずっと一緒にいるから!」
ハヤテの叫びがロイヤルガーデンの夕焼けに木霊する。モノクロームに見えた風景に色がつき、冷たく映っていた王城が少しずつ輝きを取り戻してきたかのようにアテネには見えた。独りぼっちの世界が2人の世界に戻っていく。2人のうち1人が欠けて不完全だった天空の花園が、みるみるうちに本来の姿に帰っていく。それは独りぼっちでいる間、アテネがずっとずっと待ち望んでいた光景だった。
「……もう、いいですわ」
「はぁ、はぁ、はぁ……ほ、本当、アーたん? これで許してくれる?」
「ええ。さぁ帰りましょう、今夜は久しぶりのご馳走を作ってもらいますわよ」
涙が乾いて気分も良くなったアテネは、ハヤテの手を握ると小走りで王城へと戻り始めた。歓喜、歓迎、期待、そして少年への愛情と感謝……胸に渦巻くさまざまな感情を、少年の手に絡めた指先に込めながら。
Fin.
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