ハヤテのごとく! SideStory  RSS2.0

regret

初出 2008年09月07日
written by 双剣士 (WebSite)
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 その声が聞こえてきたとき、私は自分の耳を疑った。

 ここはロイヤルガーデン、私を閉じ込める天空の王城。私のほかには誰もいない、誰も私のことを呼んだりしない。花の香りと私の嗚咽だけが風に乗って世界を駆け巡る、美しくも空虚、華麗にして残酷な花園の牢獄。
 子供のころ……1人の男の子が花園に迷い込んでくるまでは、それが当たり前だと思っていた。その子には名前を呼んでもらい、好きだと大声で言ってもらい、一緒に眠るベッドの温かさを教えてもらった。それなのにまだ幼くて馬鹿だった私は些細なことでその男の子と喧嘩をして、彼をこの王城から追い払ってしまった。失ったものの大きさに気づいたのは彼が去った後のことだった。
 心にぽっかりと空いた隙間を少しでも埋めたくて、私は必死の思いで魔法の鏡越しに彼のことを見つめ続けた。あのとき言ったとおりに彼は両親の元で苦労をし、望めばなんだって出来るくせに損な生き方ばかりを選びながら成長していった。すぐにでも手の届きそうな、でも決して会えないところにいる彼の姿。それは私の退屈を紛らわせてはくれたけど、同時に胸の痛みをこれでもかこれでもかと突き刺してくる残酷な映像でもあった。
「ハヤテ……」
 姿は見えるけど声は聞こえない。私の声を届かせることも出来ない。でも私には他にしがみつくものがなかった。月日とともにハヤテは徐々に大人になっていき、子供のころの思い出の姿を上書きしていく。声だけが子供のころのままだった。でも何年も経つうちに、覚えているのが本当に彼の声だったかどうか、自分でも自信がなくなってきた。
 あれから10年も経っている。だからすぐには信じられない、花園の向こうから彼の声が聞こえてくるだなんて……それが成長したハヤテの声だって、一瞬で分かってしまうだなんて。


「アーた〜ん!」
 花園をハヤテが駆けてくる。手足がすらりと伸びた大人の姿……でも私にとっては見慣れた姿そのもののハヤテが。魔法の鏡越しに見るのがもどかしくて、私は大急ぎで王城の屋上に登った。途中スカートを何度も踏みつけたけど痛いだなんて感じない。胸の痛みに比べれば、膝小僧の痛みなんて小さなものだもの。
「はぁっ、はぁっ」
 屋上で息をつきながら遠くを見下ろす。まるでスノーモービルのように周囲の花を撒き散らしながら一条の黒い影が轟音を上げてこちらに向かってきていた。まだ遠くて顔は見えないけど迷う余地なんてない。あの呼び方を知ってるのは彼しかいないんだから。
「ハヤテ〜〜!」
「アーた〜ん!」
「ハヤテ、ハヤテ〜!」
「アーたん、アーたぁ〜ん!」
 力いっぱい手を振りながら馬鹿みたいに名前だけを呼び合う。これが夢なら永遠に覚めないで欲しい。もしも幻覚ならこのまま気が狂ってしまったっていい。この声がまた聞けなくなったりしたら、私はもう1日だって生きていけない、そんな気がしたから。

              **

 そして、王城の入口で私とハヤテは10年ぶりに向かい合った。
「はぁ、はぁ……た、ただいま、アーたん」
「どうして……」
 夢なら覚めないでと願いつつも、彼がここにいることが信じられない。身体はすぐにでも彼に飛びつきたいと願っているのに、変に冷めた意識だけが邪魔をする。するとハヤテは左手の拳を突き出して、そっと手を開いた。
「やっと見つけたよ、約束の指輪……父さんたちが売り払ってから見つけて買い戻すまで、ずいぶん時間がかかっちゃったけど」
「…………」
 かつて私がハヤテに贈った、ロイヤルガーデンの象徴とも言うべき豪奢な指輪。花園への道が開く条件は私にも分からないけど、この指輪が本来の持ち主に戻ったのなら、そういうこともありなのかも。
「ごめん、何もかもアーたんの言うとおりだった……あのときの僕が馬鹿だったんだ。勝手に誤解して決め付けて、あんなひどいことまで言って……本当にごめん。この指輪を返すときに、どうしてもこれだけは言いたくて」
「馬鹿……馬鹿ですわ、今頃そんなこと……」
 会えて嬉しいとも懐かしいとも言わず、まず謝ってくるところが本当にハヤテらしくて。目の前にいるのが幻じゃなく本物のハヤテなんだって、ようやく実感の沸いてきた私はあふれる涙を止めるのも忘れて、しゃくりあげながら彼の瞳をじっと見つめた。そんなみっともない私に向かってハヤテは一言。
「アーたん……綺麗になったね」
「ハヤテ!」
 もう止まらない。力いっぱいハヤテに抱きついた私は子供みたいに泣きじゃくった。10年分の涙が彼の背中をびしょびしょに濡らした。胸越しに伝わってくる彼の温かみのお陰で、長いこと凍り付いていた時間がまた動き始めたような気がした。


 どれくらい時間が経ったろう。ようやく泣き止んだ私に、ハヤテは申し訳なさそうな声で話しかけてきた。
「本当にごめん。許してくれるんだったら、僕、何でもするから」
「だったら……」
 両手でハヤテの顔を挟んで唇を奪う。子供のころのキスとはまるで別物。舌を伸ばして彼の舌を求め、口裏をねぶりながら感触を確かめ合う大人のキス。ハヤテがいない間に1人で何度も思い描いていた、10年分の思いを込めた熱烈なキスが私からの返答だった。ぴちゃぴちゃ、もぐもぐと鈍い音が互いの口腔に響きあい、全身の感覚がどんどん舌の先に集まってくる。このまま全身がとろけてしまいそう。
「あ、アーたん……?」
「まだですわ……待たされ続けた私の思いは、こんなものではありませんわ!」
 上気した頬と潤んだ瞳で戸惑ったような声を出すハヤテ。嗜虐心をくすぐられた私は唇を放すと、今度は彼の頬、耳、のどへとキスの狙いを移していった。押し倒されたハヤテはされるがまま、抵抗もせずに私の唇を受けいれ続けている。
「あなたが悪いのよ……小さい頃あんなに沢山キスしてくれたのに、長いこと放ったらかしにするから……気が変になりそうなくらい、こうなるのを待っていたんだから……」
 私を好きだといってくれたハヤテが目の前にいる。すぐ手の届くところにいる。我慢なんて出来るわけなかった。はしたないと言われたって構わない。甘いキスの味を知ってから長い間お預けさせられてきた、私の燃える思いをありったけ受け止めてもらわなくちゃ。
「アーたん……そ、そこ……」
「今更なにを恥ずかしがってますの、こうなるのを期待してたくせに」
 ハヤテを言葉でいじめるたびに背筋がぞくぞくする。私は熱病にかかってしまったのかもしれない。それでもいい、ハヤテが私のものになるんだったら、もうそれだけで。


 やがて、ことを終えた私たちはべとべとになった身体を洗うために浴室に入った。もう互いに何にも隠すものなんてない。年月が経って大人になったハヤテの身体は、息を呑むばかりの筋肉に覆われていた。今頃になって羞恥心を取り戻してきた私に対し、両手を伸ばしたハヤテは私の腕をつかんで左右に払いのける。
「アーたん……」
「ハヤテ……」
 彼の手が触れるたびに身体に電流が走る。彼の唇に触れた箇所が燃えるように熱を帯びる。1人で想像していたのとはまるで違う新鮮な感覚。子供のころの延長とは明らかに異なる身体の洗いっこだったけど、何故だろう、ぜんぜん嫌じゃない。
「ハヤテ……もう私を置いてどこかに行ったりなんて、しませんわよね……?」
「しないよ。僕はアーたんの執事なんだから」
 私が一番欲しかった言葉を言ってくれるハヤテ。ああ、もうこのまま死んだっていい。
「きて……私をあなたのものにして」

              **

 ハヤテとの絆の確かめ合いは、その夜を越えて翌日の朝まで続いた。気持ちよさそうに隣で眠る彼の前髪を整えてあげてから、少し喉の渇いた私はベッドを抜け出して厨房へと向かった。その帰り道のこと。
「まさか……」
 今日もあの鏡が起動している。ハヤテはもうここにいるんだから、あの世界に覗ける相手なんていないはず……そう思って駆け寄った私の目に、メイド服を着た同い年くらいの女性が年下の金髪少女を慰めている様子が飛び込んできた。この10年ハヤテのことばかり追っていたからすっかり忘れていたけど、そういえばあの子……マリアもあそこにいるんだったっけ。
「ん……どうしたの、アーたん」
「……!! ハ、ハヤテ!」
 とっさに声をかけられて驚いた私は、思わず水を入れたコップを手から落としてしまう。ガラスのコップは身体の反転につられて斜めに飛び出し、下界を映し出す天球の鏡の中心へとスローモーションのように向かっていって……そして鏡の割れる甲高い音が王城に響き渡った。
「た、大変だ、アーたん、それ……大事な鏡だったんじゃ」
「ああ、いいのよハヤテ。あなたがここに来てくれたんだもの、もう魔法の鏡なんて必要ないわ」
 内心の動揺を押し隠して私は微笑んだ。大切な鏡を割ってしまった後悔よりもマリアの姿をハヤテに見られずに済んだ安堵のほうが、このときの私の心の大部分を占めていた。


Fin.
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