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ヒーローが来てくれる

初出 2008年01月01日
written by 双剣士 (WebSite)

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 孤高の迷子クイーン、鷺ノ宮伊澄。親友のお屋敷にひとりで向かった彼女は、例によって例のごとく迷子になっていた。ヒナ祭り祭りの会場で1コマ持たずに迷子になった例はあったが、冒頭の1行目にして迷子シーンから始まるというのは史上最短記録であろう。
 しかし2008年元旦の初迷子シーンは、これまでとは若干様相が違っていた。少女の黒い瞳にはイカレタ風貌の見知らぬ男たちが映っていた。白い繊手は和服の帯の背中側で乱暴に縛り付けられ、揺れ動く後部座席の上であちこちに頭をぶつける度に猿轡から小さな苦鳴が漏れていた。お正月用に新調した振袖の足元の裾がしどけなくめくり上がり、下卑た男たちの視線が白いくるぶしに集中していた。窓の外では見知らぬ景色がぎゅんぎゅんと流れ去っていき、彼女の住む世界との距離を広げていった。
 そう、伊澄は誘拐されてしまったのである。


「おいアニキ、やったぜ俺たち、やっと本物のお金持ちのお嬢さまをゲットできたぜ!」
「まったくだ、去年はサブプライムローンで首も回らねぇ最悪の1年だったが、ようやく運が回ってきたみてぇだな!」
 本人たちも分かってるか定かでない時事用語を吐きながら誘拐犯の兄弟は喝采を上げていた。公園でツインテール少女を誘拐したときには流血の自転車少年に追い立てられた。ビデオ屋で大人しそうなメイドさんを誘拐したときには丸眼鏡のシスターに業火の地獄絵図をプレゼントされた。いずれもトラウマになっておかしくない恐怖体験であったが、それでも一攫千金を狙う彼らに出来ることはこれしかない。キャラに幅のない脇役の悲しさである。
「よぉしそれじゃ、さっそくその子の服の中をさぐれ!」
「ふ、服を? アニキ、こんな車の中で初体験なんて、俺まだ心の準備が……」
「なに想像してやがる! いまどきの女の子だったら携帯ぐらい持ってるだろ、取り上げてその子の実家の番号を見つけるんだ」
「な、なんだそういうことか……それじゃ、ま、慎重に念入りにじっくりと……」
 後部座席で見張り役をしていた弟は、思わぬ役得に目を輝かせながら伊澄の胸元に手を差し入れた。
「和服はどこにポケットがあるか分からねぇからな……」
 遠慮のない男の指が細い身体をまさぐる。鳥肌を立てながら伊澄は身をよじった。そして少女が身じろぎをするたびに、小さな護符が1枚また1枚と懐中から床へと抜け落ちていった。


 お天気のいい元旦の朝。広大な鷺ノ宮家の庭を眺めながら、伊澄の母である初穂と祖母の九重は縁側でお茶を飲んでいた。
「今日もいいお天気ですね、おばあさま」
「おや、昨日もいい天気だったけどね。お屋敷は騒がしかったみたいだけど」
「まぁ大変、今日は昨日だったのですね。お正月の準備をしなくちゃ」
「なに言ってるの、お正月は去年終わったでしょ。忘れっぽい子だねぇ初穂は」
「そうだったかしら? それじゃ今度はお花見の用意を」
 この2人以外には理解できない、いや当人たちですら分かってるか疑わしいボケ属性同士の微笑ましい会話が繰り広げられる。周囲も心得たものでいちいち訂正を加えたりはしない。不毛ながら無害な2人の会話はますます混迷の度を深めていったのだが……近づいてきた執事から差し出された電話器がその腰を折った。
「私に電話? 誰から?」
「先方は名乗っていませんが、伊澄お嬢さまのことで大切な話があるとのことで」
「まぁ、何かしら」
 たおやかな指で受話器を受け取った初穂は、緊張感に欠ける表情で電話を耳に当てた。
「はい、もしもし……もしもし? あら、なんだか声が遠いわ」
「奥さま、受話器が反対でございます」
「えっ?」
 受話器の上下を逆にして持ち直した初穂は、改めて電話の相手との話を始めた。
「はい……まぁ、うちの子を預かってくださってるのですか。ありがとうございます……えぇ、お夕食までには帰るように伝えてあげてくださいね……えっ……はい、交通費でしたらこちらでお支払いさせていただきますから、ご心配なく……はい、ごめんください」
 電話を切った初穂に九重が問いかける。
「伊澄がどうかしたかい?」
「なんだか、知らない方のお宅にお邪魔してるんですって。帰るには3億円ほどかかるって言ってました」
「仕方ない子だねぇ、今度は火星にでも行っちゃったのかね」
「本当に困った子。うふふ」
 相変わらず緊張感のない母と娘の会話であった。


「アニキ、うまくいったぜ。3億円払うって言ってる」
「なに、本当か?」
「あぁ、この娘を家の前まで送り届ければ気前よく支払うって……」
「このバカ! んなことしたら一発で捕まっちまうだろ!」
 薄汚れた湾岸倉庫の片隅で、誘拐犯の兄は使えない弟を怒鳴りつけた。今回のために用意したプリペイド携帯をひったくるとリダイヤルボタンを押す。そして数分……電話を切った年長者は、また声を荒らげて若造を一喝した。
「このバカ! 関係ない家に掛けやがって、話が通じなくて当然だろ、カス!」
「えっ、あの子の家じゃなかったのか? 俺はてっきり」
「娘をさらわれて、あんな呑気にしてられる母親がいるか! 常識で考えろ!」
 その常識が通用しない一族を相手にしていることを、誘拐犯たちはまだ知らない。
「だいたいお前、あの子の携帯を取り上げたんだろ! なんで自宅の番号が分からねぇんだ、情けない失敗しやがって!」
「で、でもよぉアニキ、あいつアドレス帳に1件も登録してなかったんだぜ。番号見ただけじゃ相手先の区別なんて無理っしょ」
「登録ゼロ?! いまどき珍しい子だな……でもそれじゃ、さっきかけた番号は何だ?」
「着信履歴を見たんだよ。あいつ1件も応答してなかったみたいだけど」


 そのころ、倉庫奥の監禁部屋では……とっくに縄脱けを果たした伊澄がポツンと中央に正座していた。不意さえ付かれなければ、巨大クマをも一撃でひれ伏させる伊澄にとって今の状況はピンチでもなんでもない。その彼女がここに留まっているのは反撃のチャンスを待ってるからではなく、単にここからの帰り道が分からないから。
《とりあえず、あの人たちと話をしてナギの家まで送ってもらいましょう》
 母親ゆずりの天然理論で誘拐犯たちの来訪を待つ伊澄。しかしこの季節に何もない倉庫の床に座り続けるのは日本家屋に慣れた彼女にとっては寒すぎた。自分の肩を抱きながら小さく身震いをする少女。せめて座布団でもないのかしら、そんな場違いなことを思った瞬間、眼前の扉がぱっと開いた。
「おぅお嬢ちゃん、着信に3件入ってるけど家の番号はどれだ? 一番新しい0×−×××−××××は違うみたいだけどよ、2番目の0△−△△△−△△△△がそうか、それともその前の0▼−▼▼▼−▼▼▼▼がそうなのか? なぁ素直に教えてくれよ、でねぇとお嬢ちゃんも帰れねぇんだぜ?」
 肩をすくめた伊澄を縛られたままの姿と思い込んだか、無遠慮に問いただしてくる誘拐犯の弟。しかし早口でそんなことを聞かれても伊澄はまるっきり理解できない。
「えっと、あのぉ……」
「なんだ、聞きそびれたか? 0△−△△△−△△△△と0▼−▼▼▼−▼▼▼▼だよ。自分ちの番号くらい分かるんだろ?」
「そのぉ……」
 分かるわけない。自分で髪を洗ったことすらないお嬢さま育ちの伊澄は、電話を受けたことはあっても掛けたことなどないのだから。だが若者の話を聞いてるうちに、どうやら自分の携帯にかけてきた相手のことを言ってるらしいと彼女はぼんやりと理解し始めた。そうなると選択肢は限られてくる。咲夜たちは自分が携帯を扱えないことを知ってるから除外するとして、それでもダメ元で電話してきそうな人といえば……。
《あとは大おばあさまと、ナギと……ハヤテさま》
 どっきん。心の中で名前を唱えただけで胸が高鳴った。ひょっとしたらハヤテさまが助けに来てくれるかもしれない。出会った時の『僕が君を守るから』という約束を果たしに来てくれるかもしれない。親友のヒーローだからと1度は諦めた想い人が、自分のために駆けつけてくれるかも……。
「おい、どっちなんだよお嬢ちゃん!!」
 伊澄は夢遊病者のように瞳をとろんとさせて、誘拐犯が差し出す番号のうちの片方を指差した。ハヤテ直通でもナギ経由でも同じこと、どちらにしてもハヤテさまが助けに来てくれるはず……こうなったら早く電話してもらわなくちゃ。
「そっか、ありがとよ、お嬢ちゃん」
「あの……」
「ん?」
「お茶を、いただけませんか」
「おぅそうだな、いいぜ待ってな」
 上機嫌で部屋を出ていく若者を見送ってから、伊澄は部屋の中央でほっと息をついた。あとは黙ってここでハヤテさまを待っていればいい、ハヤテさまはきっと来てくれる……もはや彼女には自力脱出の意志など微塵もなかった。


「はい、もしもし……え、お嬢さまを預かってる、ですって……?」
 三千院家で電話を受けたのはメイドのマリア。素早く視線を走らせてナギたちがゲームで遊んでるのを確認した彼女は、片手の指だけを動かしてSPたちに指示を送ると、いかにも慌てたように電話の応対を始めた。
「あ、あなたどなたですか? お嬢さまは無事なんですか、声を聞かせてください……そ、そんなお金なんて……いえ、旦那様は今は外出中で……お願いです、声を聞かせてください。お嬢さまの声を!」
 まさしく迫真の演技といえよう。ナギがお屋敷にいる以上、この電話は悪戯かドッキリに違いない。常識に基づいてそう判断したマリアはSPたちが電話を逆探知するまでの時間を稼ぐため、半狂乱を装いながら会話の引き延ばしを図った。もちろん発信元が分かれば即行でジャンクにする気満々である。


《ハヤテさま、ああハヤテさま、ハヤテさま》
 女の子なら誰もが一度は憧れる、窮地に陥ったヒロインをヒーローが救出に来るシチュエーション。鷺ノ宮伊澄はうっとりと自分の境遇に酔っていた。なまじテレビでは変身ヒーロー大好きっ娘だったりするせいもあってか、かよわいヒロインへの憧れは人一倍強い。今回ばかりは最強の魔物ハンターも形無しである。
「すまねぇな、お嬢ちゃん。もうすぐ家に帰してやるからよ」
「…………」
「いやな、俺も今度ばかりはまっとうに働いて借金を返そうって言ったんだけどよ、アニキはどうにも、最終回の逆転満塁ホームランを夢みてるタイプでさ」
 少女が思いのほか協力的なことに気を許したか、お茶を持ってきてくれた若い誘拐犯は見張りと称して少女と世間話をしていた。拘束していたはずの縄がいつのまにか切られて、少女が両手でお茶の缶を握っていることにも気付かない。兄の監視と誘導がなければ、そもそも悪だくみのできるタイプではないのだ。
《るんるんるん、ららるんるんるん、太陽の下で〜君と踊る〜》
 一方の伊澄の脳内はお花畑状態で、誘拐犯の話など聞いちゃいない。しかし相手も誘拐された少女がペラペラしゃべることなど期待していなかった。初穂たちが見上げている青空につながる湾岸沿いの倉庫で、互いにかみ合うことのない別次元の天然会話が延々と繰り広げられていた……だがそんな空気も、誘拐犯の兄が駆け込んできたことで一変する。
「やばい、ずらかるぞ! 支度しろ!」
「あ、アニキ、いったいどうしたんで?」
「調子に乗って20分も長話させられちまった! もうここが嗅ぎつけられるのも時間の問題だ、その子を連れて移動するぞ」
 どんどん緊迫の度を増す誘拐犯たちの会話。伊澄の思い描いた美しい救出絵図にひびが入ろうとしていた。そうはさせません……伊澄は顔を伏せたままでゆらりと立ち上がった。
「そらさっさと……って、おい、こいついつのまに縄抜けしてやがったんだ?」
「あっ、そういえば」
「ダメです……私はここで、ハヤテさまが来るのを待つんです……」
 覚醒した光の巫女の周囲から冷たい冷気が立ち上り、周囲の空気を巻き込んで渦を作る。荒れ狂う疾風に目を覆いながら誘拐犯たちは1つのことわざを思い出していた。二度あることは三度ある、と。


 そして。三千院家SP部隊を引き連れたハヤテが現場に到着したときには、既にすべてが終わっていた。
「……な、なにがあったんですか、これ……」
 壁ごと天井の吹きとんだ倉庫。散乱する荷物に巻き込まれて目を回している2人の男。その中央に空いた直径3メートルほどの空間に目指す少女はいた。きちんと正座してお茶をすすっている落ち着いた姿は、周囲の状況とはアンバランスすぎて明らかに浮いている。
「だ、大丈夫ですか、伊澄さん」
 それでも救出に来た以上、一応この言葉は言っておかなくてはならない。激しく違和感を感じながらハヤテは和服の少女に声をかけた。鷺ノ宮伊澄はゆっくりと目を開くと、期待していた通りの少年が目の前にいるのを認めて瞳を潤ませた。
「ハヤテさま!」
「あっ……伊澄さん」
「ありがとうございます、わざわざ助けに来てくださって……お待ちしていました、信じておりました」
「……なんか僕の助けなんて要らなかったみたいですけどね」
 少女に抱きつかれて照れたように頭をかく少年の言葉を、伊澄は右から左へとスルーした。伊澄にとってはまだ何も終わってはいない。むしろこれからが、ロマンスでメルヘンなクライマックスシーンの始まりなのだから。


Fin.

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