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ポチ袋は突然に

初出 2007年01月09日
written by 双剣士 (WebSite)

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「花菱先生、あけましておめでとうございます」
「やぁ、おめでとう」
「お嬢さまも一段とお美しく。これ、些少ではございますがお年玉でございます」
「……どうも」
「今年もどうか私どもの会社をよろしくお願いいたします。いやぁ、先生には昨年も何かとお引き立ていただきまして……」
「なに、持ちつ持たれつですからな。積もる話もありましょうが今日は他にもお客がいらしてますので、続きはまた改めて」
「はい、次の方どうぞ〜」
「花菱先生、おめでとうございます。今日はお嬢さまにお年玉を……」


 毎年毎年繰り返される、面白くもないお正月の儀式。振袖を着て父親の隣に正座した私は、入れ替わり立ち代り訪れる年配のお客さんたちに向かってコメツキバッタのように頭を上げ下げしていた。
 うちは政治家の一族。一応は名門と呼ばれる部類に属しているらしい。祖父や父親に年頭の挨拶をしようと、お正月を数日過ぎた今の時期になってもひっきりなしにお客さんがやってくる。どのお客さんも一人娘の私のことを誉めそやし、お年玉と称して分厚い紙袋を置いていく。お礼を言いながらそれを受け取って、背後にいる秘書の人に手渡すのが私の役目。もちろんお年玉というのは単なる名目で、中身は父親たち向けの政治献金。
 子供の頃から毎年やっていれば、手に取っただけで百万円の束がいくつあるかピンと来る。自分名目のお年玉が別室に積み上げられていくことに昔は複雑な思いを抱いたものだが今では慣れてしまった。父親たちの役に立とうと作り笑いの練習をした頃もあったが、自分が窓口としての役目だけを果たしていればいいことに気づいてからは柄にもないことをするのは止めた。壁の向こうで成人後の私の身の振り方についてあれこれ勝手な会話が交わされるのも、すっかり聞き飽きてしまった。
 これは単なる恒例行事。私は花菱家の娘という、自分以外に演じる者のいない役割をこなしているだけ。お礼の言葉も表情も、毎年同じことの繰り返し。笑顔だろうが仏頂面だろうが周囲の反応は変わらない。とにかくこの場にいればいい。
《泉や理沙も、いまごろは同じことをやってるのかな》
 かたや超有名電器メーカーの創業者一族の孫娘、かたや有名神社に生まれた巫女さん。立場こそ違え自分と同様に面倒くさいお正月を迎えてそうな2人の親友たちのことを、空虚な時間を過ごしながら私は考えた。友人たちと一緒に過ごす楽しいお正月など、私たちには生まれ変わるまで縁のない出来事のように思えた。


「……菱さん、花菱さん」
「……あ、はい、あけましておめでとうございます。今年もよろしく……」
 ふと話しかけられて我に返った私は、型どおりの挨拶をしようとして……目を丸くして固まってしまった。目の前にいるのは年配のおじさまではなく、私と同年代の男の子。周囲からの奇異な視線を柔らかい笑顔で受け流しながら、執事の正装をしたその少年はじっと私の瞳を見つめて、もう一度丁寧な挨拶を投げかけてきた。
「あけましておめでとうございます、花菱さん」
「……あ、ああ、おはよう」
 政治家令嬢モードからいきなりクラスメートモードに引っ張り込まれて、トンチンカンな挨拶を返す私。しかしハヤ太君はそんな私のことを笑ったりはしなかった。近くまで来たものですから、と女の子みたいな笑顔で語ったハヤ太君は、それから恐る恐る小さなポチ袋を差し出した。
「花菱さんにはお世話になりましたから、これ、お年玉です……少なくて申し訳ないんですけど」
「……ありがとう」
 ハヤ太君が差し出してくれた袋を両手で受け取る私。小さなポチ袋の手触りは、受け取り慣れた札束の感触とは明らかに違っていた。この感触は500円玉、おそらく中身はそれ1枚。無理もないことだった、彼は1億5千万の借金もちなのだから。
「なんだ、あれ……」
「恥ずかしくないのかしら、あれっぽっちの袋なんか持ってきて……」
 勝手なことを言ってる周囲の声が耳に飛び込んでくる。でもこれはハヤ太君が私にくれたお年玉だった。父親に渡す献金の窓口としてじゃない、クラスメート花菱美希に対してのお年玉に違いなかった。震える手でお年玉を受け取った私に、ハヤ太君は安心したように息をつくと深々と一礼した。
「それじゃ、僕はこれで」
「ま、待った!」
 とっさに手を伸ばして私はハヤ太君の袖をつかんだ。泉も理沙も、他の誰もしてくれなかった贈り物をくれた相手を、このまま帰すわけには行かなかった。空いた手であたりを手探りした私は、ふと手に触れたものをハヤ太君に差し出した。
「こ、これ! 受け取ってくれ!」
「え、えぇっ! 花菱さん……」
 左手でハヤ太君の袖をつかみ、右手でお礼の品を差し出しながら私は顔を伏せたままで一気に言葉を吐き出した。
「か、勘違いするな! 同級生のハヤ太君から、お、お年玉をもらいっ放しにするわけには行かないんだ! 突然、突然だったから何も用意してないけど、とりあえずこれ、持ってってくれ!」
 顔が熱くなっていくのが自分でも分かる。恥ずかしくてハヤ太君の顔なんか見られない。さっさと受け取って帰ってくれ、頼むから。
「本当にいいんですか……?」
「くどい! あ、あの、言っとくけど、ハヤ太君にはこの程度で十分だろうとか、そういうんじゃないからな! 花菱家はケチだとか、そういう訳じゃないんだ! これはその、花菱の家としてじゃなくて、その、私からの、あくまで個人としての、お礼だ! 気を悪くしないでくれると嬉しい」
 周囲のざわめきが一層大きくなる。早く終わってくれ、こんな恥ずかしいシーン。
「そ、それじゃ、遠慮なく……」
 そんな言葉と共に、ようやくお礼の品を受け取ってくれるハヤ太君。それが指先から離れた感触がしたとき、私はじっと顔を伏せた姿勢のままで心の底から安堵の溜め息を漏らしたのだった。


 あのときもらった500円玉は、今でも袋に入れたまま机の引き出しに仕舞ってある。
 ちなみにあのとき私がハヤ太君に差し出したのは、近くの花瓶に刺さっていた桃の花をあしらった造花だったらしい。桃の花言葉は『恋の奴隷』『あなたに心を奪われた』……それを後から聞いたとき、私はベッドでゴロゴロともがき転がりながら考えた。このまま登校拒否してしまおうか、そうしたら泉や理沙はハヤ太君を連れてお見舞いに来てくれるかな、と。


Fin.

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