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Lucky Day

初出 2007年01月01日
written by 双剣士 (WebSite)

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 お正月。新しい年の始まり。気候も人同士のしがらみも昨日までと何一つ変わりはしないのに、冷たい空気がなぜか新鮮に感じられる1日。普段は日本古来の伝統など考えすらしない人たちも、この日ばかりは和服を身にまとったり神社に行ったりして厳かな気分に浸ろうとする。一年の計は元旦にありなどと言って大人たちは身を引き締め、子供たちはもっと現世利益的な理由から良い子の仮面をしっかりとかぶる、そんな不思議な数日間。
 そうした微妙な空気の漂う街中の喧騒を、1人の少女が歩いていた。周囲のお仕着せな和服姿とは違ってぴったりと板に付いた振袖姿、その背中を流れる絹糸のような黒髪。染みひとつない人形のような白い肌、そこに宝石のようにはめ込まれた深い深い静けさをたたえる黒い瞳。そして何者をも近寄らせない真摯でひたむきな険しい表情……周囲の人たちが感嘆の溜め息をつきながら彼女のために道を空けていく、その中央を少女は足早に進んでいくのだった。
「ナギのお屋敷はこっち……ナギのお屋敷はこっち……」
 前に差し出した人差し指を見つめながら、呪文のように同じ言葉をつぶやく少女。彼女は彼女なりに真剣だった。自分は日頃からしっかりしているはずなのに、ほんのちょっと運が無いだけで行き先に辿り着けず、友人たちに笑われる。13歳にもなって同じ失敗を繰り返しているわけには行かない。イノシシ年の2007年、今年こそは周囲に惑わされず自分本来の実力を発揮して、頼りがいのある存在だと周囲にも認めてもらわなくては。
 この指の向こうへとひたすら歩みを進めていれば、いつかは三千院家に辿り着く。そこには大切な親友がいる。あの優しい笑顔をたたえた少年執事がいる。
 それだけを心に固く念じて、和服の少女は自分の指先を追いかけ続けていた。しかし彼女が身を翻す度に指先はその指す方向を変え、彼女が別のものに注意を向ければ指先はまた別の方向を指す。そのことに少女が気づいたのは、交差点の中央に立っていた街路樹に指先をぶつけ、ふと周囲を見渡すと四方八方を自動車の波に囲まれているのを自覚した、そんな昼下がりの頃だった。
「ここ……どこ?」
 鷺ノ宮伊澄さぎのみや いすみ、2007年もエンジン全開である。


「お嬢さまを見失っただと?!」
「ただちに座標を連絡だ、周囲一帯を封鎖しろ! こっちからも応援をやる」
 その頃、鷺ノ宮家では黒服たちがあわただしく動き回っていた。鷺ノ宮家の年中行事、いや少女が1人で出かけるたびに巻き起こされる伊澄捜索隊の緊急編成と現地派遣。すっかり慣れっこになったはずの手順だが黒服たちに弛緩した様子はない。(伊澄の周囲が)大事に至る前に捜索隊の補足が間に合った確率は、いまだ2割を超えたことがないのだから。
「まぁまぁ、どうしたの?」
 ところがそんな緊張感に風穴を開けるかのように、1人の女性が歩み寄ってきた。捜索対象の少女と同じ顔を持つ女性の登場に黒服たちは一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、直ちに緊張感を取り戻して深々と一礼した。伊澄の母親、鷺ノ宮初穂さぎのみや はつほその人である。
「はっ、お嬢さまが街中で姿を消したと報告がありまして、ただちに捜索隊を編成し……いつもいつも我々の注意が至らず、まことに申し訳……」
「そういえば、ナギちゃんのお屋敷に遊びに行くと今朝の挨拶で言ってたわねぇ。あの子のおうちは朱雀の方角(南方)だから……」
「伊澄お嬢さまの行き先は東だ! すぐ人数を送れ!」
 三千院家が真東の方角にあることを知っている黒服は、初穂の言葉の後半を無視して無線で指示を飛ばした。助言を無視された格好になった初穂は不服そうに頬を膨らませると、すたすたと黒服たちの元から去って鷺ノ宮家当主の部屋に向かった。
「おばあさま、伊澄ちゃんは来ませんでしたか?」
「おやおや、伊澄ちゃんかい。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます。あれ? さっきここに、初穂お母さまが私を探しに来たはずなのですけど」
「初穂なら目の前にいるじゃないかね。面白い子だのう、お前さんは」
「まぁ知りませんでした、私が初穂お母さまだったなんて……」
 黒服たちが鷺ノ宮家の一族を無視して捜索隊を動かしているのは、まことに理にかなった行動といわざるを得ない。


《でも大丈夫、今年の私は今までとは違うの……なぜなら、じーぴーえす携帯を持っているから!》
 そのころ、地下鉄工事現場に迷い込んでいた伊澄は和服の袖から携帯電話を取り出していた。細かい操作は良く分からないので、あらかじめ黒服の人たちにGPS機能の時間無制限設定をしてもらっている。こうやって取り出して、画面を開くだけで鷺ノ宮家専用の通信衛星との回線がつながり、自分の位置と三千院家までのルートがたちどころに……。
 たちどころに……。
   たちどころに……。
     たちどころに……。
       たちどころに……。
         たちどころに……。
 ……………………。
「このケータイは、壊れている」
 伊澄はためらいなく最新鋭携帯を放り捨てると、電波の届かぬ地下構内をさらに奥へ奥へと進むのだった。


「仕方がないわ。こうなったら私の占いで、伊澄ちゃんの居場所を見つけてあげましょ」
 おばあさまとのボケ会話をようやく終えた初穂は、得意の占いで娘の居場所を見つけ出していた。だが空間把握能力が皆無に近い初穂のこと、見つけたい場所を黒服たちに伝える言葉が分からない。娘の近くに工事現場や建物のあることが透視できても、世間知らずの初穂には目印の呼び方が分からない。こんな感じ、と絵を描いても「雲なんかじゃ目印にならないですよ」と一笑される。あっちのほう、と指を差すと黒服たちはその逆へと探索の手を伸ばす。黒服たちに無視され続けてすっかりしょぼくれた初穂は、ふと素晴らしいことを思いついて手を叩いた。
「そうだわ、私が自分で伊澄ちゃんを探しに行けばいいのよ。方角が分からなくても、とにかく伊澄ちゃんに近づいてく方向に歩いていけばいい訳だし」
 こうして鷺ノ宮家の一族から、2人目の失踪者が生まれた。


「やっと出られた……」
 どこをどう辿ったか分からぬまま、とにかく地下構内から太陽の元へと帰還できた伊澄。今度こそGPS携帯の出番であるはずなのだが、既にそれは物理的にも意識的にも彼女の手を離れている。伊澄はこれまでのように、指先を立てて親友のお屋敷への道を辿ろうとして……ふと素晴らしい思い付きに膝を打った。
「そうだわ、ナギのお屋敷は青竜の方角(東)にあるのだから、お日様を追いかけていけば良かったのよ」
 満足げな表情を浮かべた伊澄は、昼下がりの太陽の光を身体いっぱいに浴びながら“南へ南へ”と歩き始めたのだった。


「ええっと……」
 歩いても歩いても、周囲の景色が変わらない。娘を探しに出た初穂は、自分の家である鷺ノ宮家の広大なお屋敷の周囲をひたすらぐるぐると周回していた。別に意図してそうしているわけではなく、とにかく占いに出て来る伊澄との距離が近づいている限りは前に進み、変化しなくなったら横に進む、単純極まりない行動原理の賜物である。伊澄のほうが移動していて距離が変わっているという可能性は、初穂の頭にはこれっぽっちも浮かばない。
「ふっふっふっ、母の愛は時として、科学捜査や人海戦術を超えるのだよ、ワトソン君」
 徘徊する自分の存在が伊澄捜索隊から人数を割いていることを知らない初穂は、ひたすら上機嫌で歩き続けたのだった。


 そして……日がすっかり沈み、東→南→西へと無意識のうちに歩く方向を変えていた伊澄は、ふと見知った顔に出会った。
「お母さま……」
「伊澄ちゃん!」
 ひしっと抱き合う母と娘。やや当惑気味な娘に対し、母親の方は地獄で仏に会ったかのような安堵の表情を浮かべていた。
「お母さま、どうしてここに……?」
「伊澄ちゃんを探しに来たの! 良かった、見つかって良かったわ……もう大丈夫ですからね」
「大丈夫って……初穂お母さま、ここがどこかご存知なのですか?」
 見つめあう母娘の脇を、冷たい北風がピューピューと吹き抜けた。初穂の優しげな表情はみるみる不安の色に染まり、娘の手を握る力がぐいぐいと強くなっていった。
「い……伊澄ちゃんと一緒なら、きっと大丈夫……」
「とにかく帰りましょう。お母さまがいらっしゃるのなら、きっとご本家からそう遠くはない場所でしょうし」
 心の中で深々と溜め息をつきながら、伊澄は泣き顔になった母親の手を引いて歩き出した。彼女とて進む方向に見当がつくわけではない。しかし情けない母親の表情を見ていると、やっぱり自分がしっかりしなきゃ、という思いが胸の奥にわいてくるのだった。
「伊澄ちゃん、伊澄ちゃん」
「はい?」
「えいっ」
 呼びかけられて振り向こうとした娘の背中を、嬉しそうな表情で抱きかかえる初穂ママ。
「お正月早々、運がいいわね、私たち」
「……そうでしょうか?」
「そうよぉ。迷子になったもの同士が、その日のうちに偶然出会えるなんて。やっぱり親子の絆って偉大よねっ」
「……私は結局、ナギのところに行けなかったんですけど」
「私は伊澄ちゃんに会えたもん♪」
 屈託のない母親の笑顔に美しい眉をひそめた伊澄は、やがて小さな微笑を返した。北風に一日中さらされていた伊澄の背中は、母親に抱きつかれたお陰でちょっとずつ暖かくなっていった。


 ……そして。鷺ノ宮家の塀の外を徘徊する母娘の姿を黒服たちが発見するまでには、それから3時間を要したのだった。


Fin.

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