CLANNAD SideStory
親子のはじまり
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この作品は、CLANNADの渚ルート・渚Afterおよび汐ルートのネタバレを含みます。ゲーム未プレイの方はご注意ください。
「とても暑かったですね」
「ええ、汗で気持ち悪いっす」
「朋也さんは、この夏まとまった休み取れるんですか?」
「取ろうと思えば取れますよ、盆休み」
暑い暑い、初夏のある日。わたしの誘いに快く応じてファミリーレストランに来てくれた朋也さんは、日焼けした腕をさすりながら他人事のようにつぶやきました。今の朋也さんは、日々の流れに逆らわずに暮らしているだけ。渚と一緒にいた頃の、小さなことで大げさに喜んだり落胆したりしていた朋也さんは、もうここには居ません。
「でも、休んだってやること無いですから、仕事してたいっすよ」
あぁ、やっぱり。仕事で毎日を埋め尽くすことで、それ以外のことを考えないようにしているのでしょう。その気持ちはわたしにも分からないでもありません。でも……。
「じゃあ、どこかへ出かけませんか?」
「ふたりでですか? それはかなりドキドキするっス」
「違います。わたしと秋生(さんと朋也さんと……そして汐(とです」
汐の名前を聞いた途端、朋也さんの表情が固まりました。5年前に亡くなった渚の忘れ形見、いままで見ないふりをしてきた辛い現実の象徴。
「汐……ですか。やっぱり考えてたんですね、そういうこと」
「考えてたとか、そういうのではありません。思いつきです」
とっさにわたしは嘘をつきました。思いつきな訳がありません、わたしも今日までは、意識して朋也さんにこの話はしないようにしてきたつもりですから。朋也さんの人生はまだまだこれからです、辛い記憶を思い出さないことで生きるのが少しでも楽になるのなら、それを責めることはできません。朋也さんはわたしたちの娘に、精一杯の幸せをくれた人なのですから。
でも。渚はともかく、あなたの娘の汐は今も生きているんです。こうしている間にも、だんだん大きくなっているんです。思い出さないようにしていても、昔のままでいることは出来ないんです。
「どうしましたか? あまり気乗りしないですか」
「ええ、だって……俺は子育てとか、そういうこと放棄して……ぜんぶ早苗さんやオッサンに押しつけちゃって……そんな夏休みの思い出に入る資格なんて無いっすよ……」
「資格じゃないです。義務ですよ、親としての」
ちょっときつい口調で諭してみましたが、朋也さんは肩を落としたまま俯くばかり。親としての義務だなんて、わたしも偉そうに言えたものです。そんなに簡単に身に付く物でないことは、わたしも秋生さんもよく知っているくせに。
「……それに、あいつだって、俺なんて居ない方がいいんですよ……俺なんかに懐いてないっすから」
「いえ、汐は、ずっと寂しがっているんですよ。ずっとお父さんがそばにいなくて」
だけど。汐のために、朋也さんには前を向いてもらわなくてはなりません。汐にはやっぱりお父さんが必要なんです。わたしたちでは所詮、代わりになることは出来ないんですから。
「……そんなことないです。ずっと居なかったんだから……」
「じゃあ、この夏休みに取り戻せばいいじゃないですかっ」
「いまさら、そんなこと出来ないっすよ……」
すっかり自信をなくしている朋也さん。5年間ずっと逃げ続けてきたことに向き合うのが怖いのは、わたしにもよく分かります。それでもわたしはお節介な役を演じ続けなければなりません。今のままでは汐が……いえ、朋也さん自身が可哀相ですから。
「できます。朋也さんは優しい人ですから」
「早苗さんは俺を買いかぶりすぎです。俺は格好良くもないし、優しくもないし、卑屈で、弱虫で早苗さんの嫌いなタイプのはずです」
「そんなことないです。わたしは、朋也さんのこと大好きですよ」
娘によく似ていると言われる微笑みをわざと作って、わたしは朋也さんを励ましてみました。渚のことを思い出させるのは朋也さんにとっては酷なことだと分かっています。でもここで元気を出してもらわないと、また昨日までの繰り返し。ごめんなさい渚、わたしはずるいことをしています。
「……もう少し、考えさせてください」
「はいっ」
しばらく経ってから、朋也さんはようやく前向きな返事をしてくれました。せっかくの気持ちが変わらないうちにと、わたしはにっこり微笑んで大きな声で答えました。ほんのわずかな1歩。いまはそれで十分です。1歩だけですませるつもりはありませんけれどね。
**
その日の夜。何度か電話で催促を繰り返して朋也さんから承諾の返事を引き出したわたしは、居間に汐を呼びました。早くも寝ぼけまなこになっていた汐は、小さな手で目をこすりながらトコトコと歩み寄ってきました。
「汐、喜んでください。夏休みに旅行に行けることになりましたよ」
「……りょこう?」
実感がなさそうに言葉を返す汐。無理もありません、この歳まで家族でどこかに遊びに行ったりなんて、したことがない子なんですから。
「そう。どこか遠くに行って遊びましょうね。わたしも秋生さんも行きますし、それに……お父さんも来てくれますよ」
「あっきー、と、さなえさん、と……ぱぱ……」
初めてお父さんに会える。もっと大げさに喜んでくれるかと期待していたのに、汐は少しも嬉しそうな表情を見せませんでした。旅行の意味さえ分からないのに、いきなりお父さんが来ると言っても実感がわかないのかもしれません。
「おーそうか、あの小僧も来るのか! 良かったなぁ汐、お前を生んでくれたパパにようやく会えるぞ! ま、格好良さでは俺様の足元にも及ばないけどなっ」
隣で話を聞いていた秋生さんが新聞を放り出して、汐のことを抱きしめて頬ずりしてくれました。なにかにつけて大げさに喜んだり悲しんだりして、汐に真似させようとしてくれてる秋生さん。汐の顔にだんだんと生気が満ちてきましたが、その口から出てきたのは予想外の言葉でした。
「ぱぱ、来るの?」
「そうですよっ」
「……じゃ、ままは?」
「…………」
「……そう」
思わず黙りこくってしまったわたしたちの顔を見て、汐はさっさと質問を引っ込めてしまいました。自分がどんなに残酷なことをしていたのかをわたしたちは初めて悟りました。汐にとってはお父さんもお母さんも、写真と話の中だけに出てくる現実感のない人たちなのです。遠いところに行っていて今は会えないけど、いつか会える日が来る……そう誤魔化してきた報いが今になって回ってきたのです。
「……おといれ、いってくる」
そう言い残して汐は居間から去っていきました。わたしと秋生さんは笑顔を作ることも出来ずに、黙ったまま汐を見送りました。泣いていいのはおトイレかパパの胸、と厳しく汐にしつけてきたことが、改めて胸に突き刺さりました。少しでも朋也さんに懐いてくれたらと思って教え込んでいたことでしたが……そのせいで汐は、こういうときにわたしたちの前で泣いてはいけない、と思いこむ子になってしまったのです。
《ごめんなさい、朋也さん》
わたしは心の中で謝りました。お父さんに会えなくて汐が寂しがってるなんて、嘘です。泣き方も甘え方も知らずに育ってきた汐が、お父さんの温かさを恋しがるわけがありません。みんなわたしたちの責任です。渚と朋也さんに遠慮して、汐を子供らしく甘えさせてこなかったせいです。
「……小僧、本当に来るのか」
「はい」
「そうか。あいつにはこの際、たっぷり借りを返してもらわねぇとな」
秋生さんも同じことを考えているみたいでした。わたしは心の中で祈りました。朋也さん、早く汐に会ってあげてください、と。
**
旅行の日の朝。わたしは朋也さんに向けた書き置きをテーブルの上に残すと、汐を起こさないよう注意しながら秋生さんと一緒に家を抜け出し、お隣の磯貝さんの家に入りました。事情を話しておいた磯貝さんは快く迎えてくれ、古河パンの出入り口を監視できる道路沿いの部屋を空けておいてくれました。さっさと窓際に陣取った秋生さんは、ものも言わずに古河パンの玄関をにらみつけました。
「すみません、ご無理をお願いして」
「いえいえ、汐ちゃんのためですもんね。私たちに出来ることでしたら、何でもおっしゃってくださいな」
「ありがとうございます」
磯貝さんにお礼を言ってから、わたしも秋生さんの隣に座りました。考えてみれば危ないことをしているものです。いくら朋也さんが訪ねてくるためとはいえ、鍵も掛けない家に汐を独りぼっちで置き去りにしてきたのですから。もし朋也さんが来なかったり、朋也さんより前に強盗が押し入ってきたら、と思うと生きた心地がしません。
「小僧は、来る」
そう断言してくれる秋生さん。その言葉にすがるように家を抜け出してきたわたしたちでした。心配ですがこれしか方法はありません。もし汐が起きたときに家にわたしたちがいて、朋也さんが来た途端に2人とも姿を消したと知ったら……汐と朋也さんは旅行のことなど後回しにして、まずわたしたちを捜そうとするでしょう。それではこの計画の意味がないんです。
「来たぞ」
朝の9時過ぎ。なにごともなく朝を迎えた古河パンに、約束通り朋也さんが姿を現しました。秋生さんにとってはほぼ5年ぶりの再会ですが、一目見ただけで朋也さんと分かったようです。朋也さんの方も「ちぃーすっ」と、昔のままの挨拶をしながら店の中に入っていきます。
「早苗さーん! オッサーーン!」
「いよいよだな」
「はい」
手に汗を握りながらわたしたちは朋也さんの次の行動を見守りました。この部屋からは店の中は見えませんが、いまごろ朋也さんはテーブルの書き置きを目にしているはずです。
……朋也さんへ
急用ができてしまい、秋生さんとしばらく出かけることになってしまいました。ですので、旅行のほう、汐とふたりでよろしくお願いします。
……古河早苗
……P.S. 交通手段やルートは、裏面に書いておきました。
あれを読んだ朋也さんはどうするでしょうか。まさか汐をおいて店を出てきたりはしないでしょう。汐に会って、自分の娘だと気づかないこともないはずです。でもこちらの思惑通りに汐とふたりで旅行に出てくれるかというと、そうすんなりとは行かない気がします。なんといっても朋也さんは、若い頃の秋生さんにそっくりな変わり者ですから。
「……なんか失礼なこと、考えてないか?」
「いいえ?」
軽口で気を紛らわす秋生さんとわたし。家の中で何が起こっているのか、見えないだけに期待と不安が募ります。いっそ2人の傍に行って、ああしろこうしろと指示を出している方が気は楽かも知れません。もちろんそんなことをするわけには行きませんが。
「無理だって言ってるだろ、馬鹿っ」
「…………」
「何度も言わせるな」
突然、家の中から朋也さんの大声が聞こえてきました。反射的に立ち上がろうとする秋生さんの膝をわたしは両手で押さえました。家の中に2人しか居ない以上、朋也さんが怒鳴っている相手は汐以外に考えられません。出会ったばかりのお父さんに大声で怒鳴りつけられて汐はどう思ったか、想像するだけで胸が痛みます……でもここでわたしたちが出ていってしまったら、何もかも台無しになってしまうのです。
朋也さんたちは結局、買い物で2度ほど外に出た他はずっと家の中で過ごしたようでした。
「こうなりゃ根比べだ」
秋生さんは夜になっても古河パンの玄関をにらみつけています。じっと窓際に座ったまま、昼食も夕食も食べようとせずに。磯貝さんの奥さんはしきりに心配してくれました。わたしは磯貝さんに謝り通し、形だけでもと夕食のお盆を受け取って秋生さんに勧めました。
「秋生さん、なにか食べないと身体に毒ですよ」
「俺はいい。お前こそ食っとけ」
「いえ、わたしは……」
さっき磯貝さんを安心させるために口を付けようとしましたが、1口も喉を通らなかったわたし。お前のことはお見通し、とばかりに秋生さんは口元をゆがめました。わたしは静かに夕食のお盆を脇にどけると、秋生さんの隣に座って身体をもたれかけました。
隣の家からはこうこうと明かりが漏れてきます。汐はとっくに寝ている時間ですから、起きているのは朋也さんだけのはずです。渚やわたしたちの思い出に満ちた家にじっと籠もっているのは、朋也さんにとっても辛いでしょう。昼間の様子からして、汐の寝顔を見ながら子守歌を歌って気を紛らわす、といったことも出来なさそうですし。
いずれにしても、いまのわたしたちに出来るのは待つことだけです。
「……待つって、辛いですね」
「ああ。でもこのくらい、なんでもない」
しばらく窓越しに家を見ながらそんなことを考えていて、ついわたしは愚痴を漏らしてしまいました。でも秋生さんはあらかじめ答えを用意していたかのように、すぐに返事をしてくれました。
「小さいころの渚は俺たちを振り向かせるまで、文句も言わずに待ってた。あの寒い雪の中で立ちつくしたまま、じっと俺たちが帰るのを待ってた……それを思えば1晩くらい、俺たちが待てないわけがない」
「……そうですね」
「あんな青臭い小僧に、そう簡単に父親になられてたまるか。あがけあがけ、苦しめ小僧。5年分のツケを、この際きっちり払ってこい」
いつもの軽口をたたきながらも、秋生さんの目は笑っていませんでした。
**
翌日。朋也さんと汐が店の外に出てきて、誰かを捜すように辺りを見渡し始めました。わたしと秋生さんは2人に見つからないようカーテンに隠れながら、隣の家の窓から食い入るように2人を見つめ続けました。そしてしばらく経った頃、朋也さんの口から待ちに待った言葉が飛び出してきました。
「なぁ……」
「……うん」
「いくか、ふたりで……旅行」
「……うん」
「いいのか、俺なんかで」
「……うん」
「オッサンも早苗さんもいないんだぞ」
「……だって……こないもん」
「そうだな。来ないもんな」
「……うん」
「じゃ、行くか、ふたりで」
「……うんっ」
汐が初めて、朋也さんの方を見上げて笑いました。朋也さんはそれに優しく微笑み返し、汐の手を引いて店の中に戻っていきました。そして2人の姿が消えた瞬間、わたしたちも喜びを爆発させました。
「秋生さんっ!!」
「やったぞ汐、でかした小僧! まずは第1段階、クリアだ!」
手に手を取って踊り始めたわたしたちを、呆れ顔で眺める磯貝さんの奥さん。そして間もなく旅支度を調えた朋也さんと汐が表に出てきたのを見かけて、わたしたちは再び窓際に張り付きました。若葉マーク親子の2人は店の前で、元気そうに腕を振り上げました。
「じゃ、しゅっぱーつ」
「おー」
そのときの汐の表情は、いままでわたしたちが見たこともないようなものでした。
**
そして2日後。朋也さんと汐が旅行から帰ってきました。もう隠れる必要のなくなったわたしは、古河パンの店内で2人を迎えました。
「おかえりなさい」
意識しなくても笑みがこぼれる。朋也さんとしっかり手をつないで店に入ってきた汐は、ただいまと言いながら店の奥に上がっていきました。朋也さんの方はわたしの前で、はにかんだように立ち止まりました。笑顔ではありませんでしたが、どこかすっきりした表情をしていました。
「楽しかったですか?」
「早苗さん」
「はい」
「今度、デートしてくださいね」
「はい?」
「だって、約束が違ったじゃないですか……いきなり急用で行けないだなんて。俺、早苗さんと旅行できるの楽しみにしてたんですから」
「はいはい、埋め合わせはいくらでもしますよ」
なんて朋也さんらしい言葉。子供のように文句を言う朋也さんにわたしは気持ちよく返事をしました。どうなることかと心配した今回の計画でしたが、うまくいったことは2人の顔を見ていれば分かります。デートの1回や2回くらい、ご褒美としてはお安いものです。
「お願いしますよ、ったく……あ、それと」
「はい」
朋也さんはあくまでついでにといった風情で、重大な決断をわたしに教えてくれました。それはわたしが心から待ち望んでいたものでした。
「今日から汐は俺と一緒にアパートで暮らしますから」
「はいっ」
その後。渚の生前そのままの姿で残してある部屋に、朋也さんは5年ぶりに足を踏み入れてくれました。渚が好きだった、だんご大家族のぬいぐるみをアパートに持っていきたい、という朋也さんの申し出をわたしは喜んで受け入れました。これで渚も、汐のそばで暮らしていけます。
「早苗さん……」
「はい」
ところが。わたしが喜んだのとは対照的に、朋也さんは急に沈んだ様子で話しかけてきました。これですべてうまくいく、と思った矢先の出来事だっただけに思わずわたしは眉をひそめました。
「すみませんでした、長い間……」
「はい?」
「俺が不甲斐ないばっかりに……汐を……ずっと押しつけたままにして……俺が父親として、自覚を持てるようになったのも……結局、早苗さんのおかげで……本当に……早苗さんには一生、頭が上がらないっす」
朋也さんの口から出てきたのは、感謝と謝罪と後悔を一緒にしたような痛切な独白でした。深々と頭を下げる朋也さん。でもわたしは、こんな朋也さんは見たくありませんでした。たとえそれが5年間の凍り付いた時間から朋也さんを解き放つ鍵だったとしても。
「いえ……わたしは何も」
わたしはなんにもしていない。渚を育てることも汐を育てることにも失敗して、みんな朋也さんに後を任せてしまって。今回のことだって、ひとつ間違えれば朋也さんと汐の心に取り返しの付かない傷を付けてしまったかもしれないのに。
朋也さんは謝ることなんて、ないんです。わたしたちの大切な渚を、朋也さんは十分に幸せにしてくれました。感謝も謝罪も要りません。これからはあなた自身の人生を、汐と一緒に歩いていってください。
「何か……何でもいいですから、俺にできることがあればやりますから」
「はい?」
「一生かけて、恩返ししたいです」
あくまで負い目を背負おうとしている朋也さん。そんなことないです、と言いかけた言葉をわたしは飲み込みました。朋也さんの口から『一生』という言葉が出てくれたから。毎日を仕事で埋め尽くそうとしていた朋也さんが、将来の生き方について考えてくれるまでに立ち直ってくれたのだから。
だったら、わたしが望むことは1つしかありません。わたしは精一杯の笑みを浮かべながら、はなむけのつもりで朋也さんに言葉を返しました。過去ばかりを振り返りがちな朋也さんが汐と一緒に前へと歩いていくための、一筋の光明になることを祈って。
「なら、幸せになってください」
Fin.
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