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大丈夫だよ、たぶん

初出 2003年03月10日
written by 双剣士 (WebSite)
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第1章

 ひとつ違いの兄と妹、そしていつでも傍にいた幼なじみの少女。いつまでも続くことを誰もが望んでいた幸福な日々。だが3人が大人に近づくにつれ、互いに対する彼らの感情は微妙な変化を遂げていた。
 最初に勇気を振り絞ったのは血のつながらない妹のほうであった。彼女はそのことを恥じ入り、妹としての立場を何度も何度も自分に言い聞かせた。胸の中のもやもやを押さえつけようとするあまり、わざとらしい仕草で幼なじみの少女と兄との仲を取り持とうとすらした。
 そんな彼女の気持ちは、他の2人にもすぐに伝わった。いつでも一緒にいた2人に分からないわけがなかった。2人はそれぞれのやり方で彼女に応えた。少年は自分の気持ちを言葉にすることで。そして少女の方は、それとは正反対のやり方で。
「うん、納得」
「ひ、日和お姉ちゃん……」
「雪希ちゃん。その指輪に飽きたら……ちょうだいね?」
「え? そ、それは……」
 幼なじみの少女はそういって笑ってみせた。呼びかけられた妹は泣きそうな顔で、本来彼女のものだったはずの指輪を譲ってくれた幼なじみの少女を見つめた。小さなころに犯したささやかな裏切り。その頃から彼女の心を縛り続け、それでいて兄への思慕をいっそう募らせて来たおもちゃの指輪。幼なじみの少女はそのことを一言も責めなかった。兄に対する妹の恋慕の情が小さい頃からの“協定”を踏み越えてしまうほどに高まったとき、妹は自分の想いを封じ込めようとし……そして幼なじみの少女は、そんな妹の元に少年を送り返したのだ。自分の気持ちを一言も少年に告げることなく。
「えへへ〜、えへへ……えへっ……うっ、ううっ」
「お、お姉ちゃん……」
「うっ、うわーんっ……」
 いつも笑顔の『日和お姉ちゃん』の仮面は、あふれ出る涙の前にあっさりと崩れ落ちた。しがみついて泣き声をあげる幼なじみの少女を抱きしめながら、妹は泣きたくなるのを必死でこらえていた。この涙を無駄にしないためにも、彼女は幸せにならなければならなかった……そしてそれは、この光景を数歩離れてみていた少年にとっても同様であった。


 3人は2人と1人になったが、表向きの関係はそれまでと変わらなかった。健二と雪希は仲の良すぎる兄妹として一つ屋根の下に暮らしていたし、日和はこれまで同様、1日おきに朝食を作りに片瀬家を訪れていた。寝坊すけの健二を起こす役目と登校時に健二の横に並ぶ役目はさすがに交代制ではなくなったが、それでも子犬のように健二を慕ってくる日和の笑顔は以前と変わらなかった。
 日和にしてみれば、それは傷つきやすい雪希に失ったものの大きさを気づかせないための心遣いだったのだろう。日和自身も、これから健二たちにどう接していいかが分からなかったのかもしれない。だが日和の気持ちに気づいている健二にとっては、それはあまりに痛々しい行為に感じられた。
《日和、なぜお前はそうやって笑えるんだ……どうして何もなかったように、今までどおりに振舞えるんだ》
 だが『もう家には来るなよ』なんて健二の口から言えるわけもない。それは雪希にとっても同様であった。贖罪意識のとりわけ強い雪希は、日和を邪魔者扱いする資格など自分にはないと考えていたし、『私はいつだってお兄ちゃんと一緒にいられるんだから、日和お姉ちゃんが来たときくらい』と遠慮するそぶりすら見せていた。


 仲の良かった3人は、もはや無邪気に笑いあえる3人ではなくなっていた。三者三様の重苦しさを胸に抱えた幼なじみ3人組は、相も変わらず楽しそうに登校と下校を繰り返し……そして新しい春を迎えた。

                 **

 片瀬健二が高校3年生に進級した1学期の初日。クラス分け発表の後で始業式、そしてショートHRと時間割配布をして解散……午前中だけで終わる楽な1日である。すっかりリラックスした気分の片瀬健二は、始業式から教室に戻るや否や爆睡モードに突入していた。
「起きなさい、健二!」
「……もっと優しく、ご主人様と呼んでくれ……」
「ふざけんじゃないわよ!」
 脳天から雷が落ちる。そのパンチの感触に健二は覚えがあった。むっくりと顔を上げた先には、小野崎清香……チビッコでオカルトオタクな健二の幼なじみ第2号が、無い胸の前に拳を固めた姿勢で青筋を立てながら仁王立ちしていた。
「今日から最上級生だぞ、清香。少しは自覚ってもんを……」
「その言葉、そっくりあんたにお返しするわ。もうHR終わってみんな帰り始めてるってのに、この男ときたら……」
 あきれたように溜め息をつく清香。清香と健二が知り合ったのは日和より少し後になるのだが、のんびりポケポケな日和に対して、清香のほうは熱血直情、口より先に手を出してくる乱暴者。もっともその拳は健二以外のものには向けられなかったし、健二から見れば真っ赤になって怒る清香は絶好のからかい相手だったりもするのだが。
「これが俺のライフスタイルだ。朝昼夕の食事の前に起き上がり、食事を終えたら寝る。百獣の王にふさわしい生き様じゃないか」
「だったらそのライフスタイル、今日から直すことね……あんたを起こしてくれる日和は、もういないんだから」
「日和?」
 健二は教室内を見渡した。3年生になってクラス替えをしたため、見慣れない連中が教室の中にたむろしている。小学校の頃から常に一緒のクラスにいたポンコツ幼なじみの姿は……そこには無い。
「……そうだった。受験を控えたこの時期に俺専用の目覚まし時計が使えなくなってしまうとは、片瀬健二、一生の不覚……」
「……本気で言ってるんじゃ、ないわよね?」
 一転して真面目な口調になって、小野崎清香は健二の顔を覗き込んだ。いつものように軽口で返そうとした健二は、清香の表情を見て……心配そうに曇る彼女の表情を見て、喉まで出しかけた言葉を飲み込んだ。清香もまた子供の頃から一緒にいる幼なじみである。日和が健二に向ける視線が何であったか、気づいていないはずはない。
「……あいつ、どうしてるかな」
「日和と離れ離れのクラスになったの、小学校以来初めてなんでしょう? 私、日和の代わりにあんたの面倒見るの、嫌だからね」
「心配なのはあいつのほうだ。何もないところで転ぶのが特技のあいつが、無事に学園生活を送れるとは思えん」
「……わかってんじゃない」
 思わず日和を心配する言葉を吐いてしまった健二を、清香はどこか嬉しそうに見下ろした。そして決まり悪そうに視線をそらす健二の首根っこをつかむと、清香はチビッコとは思えぬ強力で教室の外に引っ張り出した。
「さっ、そうと決まればC組に行くわよ」
「C組?」
「決まってんでしょ、日和の様子を見に行くのよ!」

                 **

「……で、そのまま日和のいる3年C組に行ったわけなんだが」
「日和お姉ちゃん、元気にやってた? 泣いてなかった?」
 その日の夜、片瀬家の食卓。いつものように父親のいない夕食の席で、雪希の作った食事をほおばりながら健二は日中の出来事を話していた。雪希は楽しそうに兄の話を聞いていた……日和には聞かせられない失礼な言葉も平気で口に出せるのは、健二と2人きりという気安さゆえだろうか。
「ああ、俺たちが教室を覗き込んだら……日和のやつ、新しい友達と話しこんでたよ。楽しそうに」
「ふぅん、良かったね」
「あの分なら、きっとあいつも大丈夫だな。まともに学園生活を送ってる日和なんて、この目で見るまでは想像も出来なかったんだが」
「そんなこと言っちゃ、日和お姉ちゃん可哀想だよ……」
 苦笑しながら相づちを打つ雪希。健二の居ないところで楽しそうに笑っている日和……複雑な想いが雪希の胸にも去来する。だがそれを表情に出すことは許されなかった。日和をそういう状況に追いやったのは、他ならぬ自分なのだから。
「あぁ……」
 健二はそのまま言葉を途切れさせて食事に没頭し始めた。彼としても言葉ほど単純には喜べないに違いない。
「ねぇ、お兄ちゃん……」
「ん?」
 これで、いいんだよね?
 雪希の言葉は喉元を通ることが出来なかった。大好きな兄と2人きりの生活、自分が望んでやまなかった日々が今ここにある。居心地の良かった子供の頃にはもう戻ることは出来ないけれど、それで日和との仲が壊れたわけではない。まして日和が別の人と笑い合えるようになったというなら、なんの問題があるだろうか。
 しかし……。
「どうした、急に黙りこくって」
「…………」
「ははーん、あれだな……そうかそうか、お前の口からは言いづらいんだな。任せろ、俺が雪希好みのやつをレンタルしてきてやるから」
「……えっ、ええっ?!」
「たしか、ロマンチックなのが好みだったよなぁ〜」
「お、お兄ちゃん!」
 冗談めかして2人で見るビデオのタイトルの物色を始める健二を、雪希はあわてて制止した。食卓にわだかまっていた一抹の寂しさにピリオドを打ってくれたことを、心の中で感謝しながら。


 そして夜も更けた頃。片瀬家の電話が突然に鳴り響いた。
「あっ、電話みたい、私でてくるね!」
「お、おい雪希、そんなの放っといて……」
 ビデオの前に引き戻そうとする兄の手をすり抜けて、片瀬雪希は電話のある廊下へと走り出た。彼女にとっては天の助けに等しかった。いつものように兄に騙されてHなビデオを見させられたお陰で、彼女の頬は紅潮し心臓は早鐘のように打ち鳴らされ……あのままいけば、お決まりの展開になだれ込むことは火を見るより明らかだったから。
「はい、片瀬です」
「あっ、雪希ちゃん、こんばんは〜♪」
「日和お姉ちゃん?」
 電話に出た雪希の耳には、聞き慣れた少女の声が飛び込んできた。そのお気楽そうな響きを聞いて、高まった雪希の鼓動は速やかに収まっていった。
「ごめんねぇ〜、夜遅くに。雪希ちゃん息荒いけど、何かしてたの?」
「う、ううん、なんでもないよ日和お姉ちゃん……急いで電話に出たものだから」
 ぎこちなく誤魔化しながら雪希は電話口で返事をした。そして幼なじみの少女の話を聞いていた彼女であったが……会話が終わろうとする頃には、雪希の表情は最初とは様変わりしていた。
「それじゃ、けんちゃんによろしくね〜♪」
「うん……お休みなさい」
 そう言って電話を置く雪希。居間から顔を覗かせていた健二にもその様子は伺い知れた。とぼとぼと居間に戻ってきた雪希に対して問いかける。
「今の電話、日和からか?」
「うん……あのね、お兄ちゃん」
 雪希は言いにくそうに押し黙った。夕食のときの重苦しい雰囲気にそれは似ていたが、さすがの健二も今回ばかりは冗談に紛らわせることは出来なかった。寒々しい空気が流れる中、雪希はぽつりぽつりと口を開いた。
「日和お姉ちゃんね、明日の朝……朝ご飯を作りに、来られないんだって」
「…………」
「それでね、色々と忙しいから、明日だけじゃなくて当分は……朝、こっちに来られないと思うって」
「……そうか」
 健二は静かに現実を噛みしめていた。日和の言いたいことは2人には良く分かる。3人を2人にするため、日和の方から自分たちと距離を置き始めた……あの日以来いつかは来ると思っていた変革の日が、とうとう訪れたのだ。
「お兄ちゃん、私……」
「そうかそうか、日和もようやく朝寝坊の素晴らしさを理解するようになったか」
 暗い思索に沈みそうになる妹の肩を抱きながら、片瀬健二はわざと軽い口調で楽観的な推測を言葉に乗せた。
「なんたって春だもんな。自分の家でぎりぎりまで寝ていたいよな、あいつだって」
「ちがうよ……」
「そうなんだよ、きっと。そう言うことにしとけ……あいつはあいつで、新しい友達との付き合いだってあるんだろうしさ」
 健二は妹の肩を励ますようにぎゅっと抱きしめた。
「心配ないさ、日和は俺たちが思ってるより、ずっと強いみたいだし」
「でも……」
「大丈夫。あいつなら、きっと大丈夫だよ……たぶん、な」

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