To Heart SideStory(まじかる☆リーフ 10万ヒット記念)  RSS2.0

アニバーサリィ

初出 1999年10月17日
written by 双剣士 (WebSite)
SSの広場へ

 長かった梅雨が終わり、夏休みまで秒読み段階に迫った初夏の季節。心地よい朝の光を浴びながら、藤田浩之と神岸あかりは高校への道を並んで歩いていた。起こしてくれる親の居ない浩之をあかりが起こしに来て、そして大急ぎで身支度を整え、校門までダッシュ・・・という普段の朝の光景を思えば、こんなに時間に余裕のある朝は珍しかった。
「おい、どうしたんだあかり。今日はなんか変だぞ」
 恋人と肩を並べる登校路‥少しでも時間が長い方がいいし、落ち着いた雰囲気の方がいい。もっと嬉しそうにして良いはずだった‥それなのに今朝のあかりは、ずっと俯いたままで浩之と顔を合わせようともしなかった。朝の挨拶をして以来ずっとこうだった。無愛想な浩之に楽しそうに話しかけるあかり、といういつもの図式が、今朝に限っては完全に逆転していた。
「あかり!」
「‥!!! あ、ごめん‥」
 はっと上を向いたあかりの眼の下には、うっすらと隈があった。そればかりか眼の色はうつろで、表情には作り笑いすら浮かんでいなかった。いつもうるさいくらいに付きまとってくる幼なじみとは、明らかに何かが違っていた。
「なにがあったんだよ、夕べ寝てないのか」
「‥なんでもないよ」
「嘘つけ‥ま、まさか、今日はテストかなんかある日だったのか? 水臭いぞあかり!」
「‥違うよ」
 わざとおちゃらけて見せても、あかりは暗い顔のまま。こりゃあ深刻だ‥と浩之は思った。あかりのことも心配だが、こんな顔のままで学校に行ったら志保のやつになんて言われるやら。
 仕方ない、今のうちだ‥浩之は覚悟を決めた。
「あかり‥何があったか知らないけどさ、話してくれよ俺に。お前がそんな顔してると、俺だって辛くなるだろ」
「‥浩之ちゃん」
「お前の力になりたいんだ。少しはカッコつけさせろよ‥彼氏としてさ」
 心の中で『キザなやつ〜』と頭を抱えながら、それでも精一杯優しく話し掛ける浩之。だがここで躊躇っていては、幼なじみから恋人に踏み込んだ意味がない。そんな彼の想いが届いたか、赤い髪の少女はゆっくりと顔を上げた。その眼が潤んで見えたのは、朝の日差しのせいだろうか?
「‥ねぇ、浩之ちゃん‥怒らない?」
 どきっ。
 ひときわ高い胸の鼓動を感じながら、浩之は言葉を返した。
「なんだよ、俺に関係あることなのか?」
 あかりはその場に立ち止まった。浩之もつられて、その場に立ち止まった。周囲の学生たちが彼らを追い抜き、ふたりの周りにぽっかりと空間が空いた‥そうしてしばらくして、あかりは小さな声でつぶやいた。
「‥ないの‥」
「えっ?」
「アレが、ないの‥3日前からずっと‥」

 なんだって?

「‥私、どうしたらいいか‥」
 両手で顔を覆うあかり。その傍らで、浩之の身体は硬直し、浩之の心はこれまでの回想シーンの中を超音速で駆け抜けていった。幼稚園の頃、小学生の頃、中学生の頃‥つい最近までおさげ髪でいて、子供っぽいって笑われてたあかりが‥あかりが‥。
「‥嘘だろ?」
「‥浩之ちゃんに嫌われたらって‥怖くて、言い出せなかったの‥ごめんなさい」
《ちょっと待て、おい‥そ、そりゃあ身に覚えがないとは言わないが、あんなことは、その、たったの1回で‥でも確か、あれは5月の連休の直前だったから‥あれからそろそろ3ヶ月‥》
「‥嘘だろ? 冗談だよな、あかり‥」
「‥こんなことで嘘は言わないよ‥浩之ちゃんとの、大切な‥」
 浩之の頭はミキサーのごとく混乱を極めていた。確かに、原因にも結果にも心当たりはある。あかりがどんな言葉を望んでいるかも、自分のいまの立場で何を言うべきかも、分かる。分かるが‥これ、現実なのか? 俺たちは三流ゴシップ誌の世界に迷い込んでしまったのか? 幼なじみの一線を越えるのにあんなに苦労したのに、そこからこういう事態になるまでが、こんなにあっさり行っちまっていいのか? 行っちまうものなのか?
「ヒィロォ‥」
 そして。今の浩之にとってもっとも恐るべき人物が、読者の期待通りに姿を現した。
「聞いたわよぉ‥あんた、あかりを泣かして只ですむと思ってんの‥」
「げっ!‥し、志保‥」
「あんたに悪気が無かったのは認めてあげるわ‥でもこうなったら、男として責任を取りなさいよぉ」
「ち、ちょっと待ってくれ、これは、その‥」
「何よ、今後に及んで男らしくない!」
 男らしくない。
 男らしくない。
 男らしくない。
 ただでさえ衝撃を受けている今、この言葉はきつかった。さすがの浩之もがっくりと膝を付いた‥だが現実は、彼の周囲の時間を止めておいてはくれない。
「ねぇ、お願い浩之ちゃん。放課後、私と一緒に来て!」
 開き直ると女は強い。赤い髪の少女は彼氏の前にひざまずくと、力いっぱい浩之の肩を揺さぶった。その光景を見下ろしながら、長岡志保はうんうんと首を縦に振った。
「それがいいわ‥迷う余地なんて無い。即、行動に移すべきよ」
「‥‥‥」
「あかり、お金のことなら任しといて。志保ちゃんネットワークをもってすれば、義援金なんてすぐに集まるわ。大丈夫、あんたとの友情に免じて、あんたとヒロのことは伏せといてあげるから」
「‥ありがとう、志保‥でもいいよ、お金の問題じゃないから‥」
「かぁ〜っ、聞いたヒロ? なんて健気なのよこの子は、あんたなんかには勿体ないわ」
 浩之は、自分を取り囲む網の目が狭まっていくのをはっきりと感じた。悪あがきと知りつつも、彼は気力を振り絞って声を荒らげざるを得なかった。
「か‥勝手に決めるな、志保! お前はなんの関係も無いだろうが!」
「あらぁ、だって、当事者の片方がまるで頼りにならないんだもの‥一肌脱ぐしかないでしょう、親友としては」
「浩之ちゃん‥嫌なの?」
 勝ち誇る悪友と、涙目で訴える恋人‥勝ち目が無いことを、浩之も認めざるを得なくなった。齢17にして1児の父親‥そういう未来絵図が一瞬頭に浮かんだが、浩之は慌ててそれを振り払った。そんなことができるわけがない。将来はともかく、今そんなことになっても俺はあかりを支えてやれない、あかりを不幸にするだけだ‥そうやって、浩之は自分の現在と今後に無理矢理つじつまを合わせた。
「‥そうだな、わかった。あかり、放課後一緒に病院に行こう」
「問題は、どこに行くかよねぇ‥口の堅い産婦人科って、この辺にあったかしら‥」
 苦渋の選択をした浩之と、早くも放課後の行程に思いを馳せる志保。そんな二人に挟まれながら、神岸あかりはきょとんと眼を丸くした。
「病院って‥どうして、そんなとこに行くの?」
「はあっ?」
「はあっ?」

 二人の声が重なった。

                 **

 そして、その日の放課後。藤田浩之は幼なじみの少女の部屋に足を踏み入れていた。ちょっと見ない間にくまグッズは増殖の一途を辿り、ベッドと机の上以外は全てがぬいぐるみに占領されていた。浩之はふかぁい溜め息と共にベッドに腰掛け、まもなく訪れるであろう人物を待ち受けた。
 とん、とん、とん。
 そしてまもなく、階段を誰かがのぼる軽快な音が彼の耳に響いた。そしてすっと扉が開き、元気な顔がひょっこりと現れた。
「お待たせ、浩之ちゃん」
 ふたつの紅茶カップとティーポットを持ったあかりは、嬉しそうな笑顔を浮かべながら浩之に歩み寄ってきた。その後ろで扉が静かに閉まり、部屋の中はぬいぐるみと若い高校生カップルだけになった。
「なんか今日、お母さんたち出掛けてるみたい‥でも、いいよね?」
「ああ、別に用はないからな」
 不機嫌そうに返事をする浩之にあかりは笑いかけると、ぬいぐるみをかき分けて座る場所を作り、浩之にぴたっと寄り添うように腰を下ろした。そして、はい、と入れたての紅茶を浩之に差し出した。
「‥‥‥」
 紅茶をすする間に訪れた、しばしの静寂。そして、
「なぁ、あかり」
「ねぇ、浩之ちゃん」
 ふたりは同時に口を開き、顔を見合わせた。あかりはちょっと驚いたように口に手を当てると、少しだけ俯きながら上目遣いに浩之を見つめた‥だが今の浩之は、そんな恋人の仕草を可愛いと思える心境には無かった。
「なんで俺が、お前のくまを探してやらなきゃなんないんだ?」
「‥‥え? でも浩之ちゃん、一緒に探してくれるって言ったじゃない」
「あのな、お前が深刻そうに『放課後、一緒に来て』なんていうから、俺はてっきり‥」
「だ、だって、大切なぬいぐるみなんだよ? 子供の頃に浩之ちゃんがクレーンゲームで取ってくれた、初めてのプレゼント‥私と浩之ちゃんの大切な思い出だし、私にとって初めてのくまグッズだったし‥」
「‥‥‥」
「あれから沢山ぬいぐるみを集めたけど、あれずっと一番大切にしてたんだよ。それが3日前の模様替えで無くなっちゃって‥どこ探しても出てこないし。どうしようかと思って‥」
 あかりの表情がみるみる翳っていった。
「‥それで、夕べ徹夜か」
「だって、せっかく浩之ちゃんにもらったぬいぐるみが‥浩之ちゃん、きっと怒るだろうし‥」
「‥ガキじゃねーんだから。つまんねーことで心配させやがって‥」
 ちなみに事の顛末を聞いた志保が、『あほくさ』と言い捨てて去ったことは言うまでもなかろう。
「ねぇ、お願い浩之ちゃん。あれ無いと気になって眠れないんだよ。一緒に探して」
「だから、なんで俺が‥」
「言ってくれたじゃない、一緒に来てくれるって‥なにと勘違いしたか知らないけど、私にとっては一番重要なことなんだよ」
「‥やれやれ‥」
「それとも何? 浩之ちゃんと志保が大騒ぎするような大変な事情にならないと、私のために動いてくれないの?」
 口調は詰問だが、あかりの眼は笑っていた。こいつ、分かって言ってるな‥そう思いつつも今朝あれだけ覚悟を決めた手前、掌を返したようにあしらうわけにも行かないのが惚れた弱みというものだった。
「‥まったく、しょーがねーなぁ」
 浩之の敗北宣言を聞いて、あかりはくすっと笑った。

                 **

 そして、ふたりのくま探しが始まった。とは言っても部屋の中はくまだらけだったし、問題のぬいぐるみがどんなのかを浩之はとっくに忘れていたから、作業は遅々として進まなかった。
「おーいあかり、これかぁ?」
 唯一の手掛かりは、クレーンゲームの景品ということ。手ごろな大きさのぬいぐるみを見つけるたびに、声を張り上げる浩之であったが‥肝心のあかりといったら‥。
「うわぁ、懐かし〜い。これ中学に入ってすぐの頃に、浩之ちゃんに取ってもらったんだよ。あのときは志保と知り合ったばっかりで、子供っぽいって笑われて‥浩之ちゃん憶えてる?」
「‥これじゃないんだな」
「あぁっ、乱暴にしちゃだめだよ。今度は綺麗に並べ直すんだから」
 ひしっ! とぬいぐるみを抱きしめるあかり。続いて‥。
「ねぇねぇ浩之ちゃん、ちょっと休憩しない? 紅茶入れてきたよ」
「‥そんなことしてる場合じゃないだろ。気になって眠れないんじゃなかったのかよ」
「‥うん。でも私、自分で3日間探しても駄目だったし‥浩之ちゃんのお手伝いくらいしかできないから」
 そして、紅茶を飲む浩之に汗拭きタオルを差し出しつつ、にこにこしながら浩之の顔を注視するあかり。
「‥なんだよ」
「‥ううん、一生懸命な浩之ちゃんって素敵だなって‥」
「よ、よせやい」
「うふふ‥」
 こんな調子だから、あかりが一人でやった方がましだとすら思えてくる。若い男女が一つ部屋の中に居るわけだから、こういう展開になるのはある意味で当然とも言えるのだが‥恋人に眠れぬ夜を続けさせたくない浩之は、心に箍をはめて自分の役割を貫いた。ここで“だぁ〜っ”と欲望に身を任せてしまえば、今朝の誤解が誤解にならなくなってしまう‥そんな思いが、今日の浩之を修道士さながらの心境にさせていた。
 だが結局、彼の努力は報われることは無かった。

                 **

 ‥それからしばらくして。商店街のゲームセンターで、藤田浩之は自らの威信を賭けてクレーンゲームに取り組んでいた。
「よしっ、行けっ・・・くっそー、また駄目か‥」
 あかりが指差したくま人形をゲットすべく、浩之はもう30分以上もゲームに挑戦していた。そんな彼を微笑みながら見守るあかり‥しかしコインの束が次々と投入口に消えていくにつれ、その笑顔は徐々にこわばっていった。
「あ、あのぉ‥浩之ちゃん、もういいよ、悪いよ‥」
「あかりは黙ってろ! このまま手ぶらで帰ったら漢がすたる!」
「で、でも‥ねぇ浩之ちゃん、これなんかどうかな? このイルカさん、掴みやすいと思うんだけど‥」
「もう金額の問題じゃない! くまでないと駄目なんだろお前は。この俺を信じろ、あかり!」
「‥‥‥うん」
 あかりに背を向けて動くクレーンを睨み付ける浩之。彼は彼なりに必死だった。ここで諦めてしまえば、自分はただあかりの部屋を荒らしただけで終わってしまう。志保に散々にからかわれ、あかりの部屋で煩悩を堪えてぬいぐるみと格闘し‥そのうえ3000円以上もの浪費をして、まるっきり収穫無し。そんな無様な結末を認めるわけにはいかなかった。
 そして、そんな彼を見つめるあかりの眼に、いつしか優しい光が宿った。
《もう、しょうがないなぁ‥》
 何度となくつぶやいたその言葉。だが言葉とは裏腹に、あかりはそういう浩之を見ているのが好きだった。一心不乱に何かに打ち込んでいる浩之のことが好きだった。まして今日は、自分のために頑張ってくれている‥胸の前で両手を握り締めながら、あかりは胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「え〜いっ! ‥くそっ、また空振りか‥」
 歯ぎしりして悔しがる浩之。そのとき、
「‥これが欲しいんか?」
 突然、眼前にくまのぬいぐるみがすっと差し出された。
「えっ?!」
 驚いて顔を上げる浩之とあかり。するとそこには、はにかんだ表情を浮かべるクラスメートの姿があった。
「保科、さん‥」
「あほやな、あんたらも‥このマシンでくまを狙うなんて無謀もええとこや」
 鋼鉄の委員長の異名を取る少女は、照れくさそうに笑った。
「委員長、それ、いったいどこに‥」
「向こうのマシンでな、象と河童を3頭ずつ取ったら、その下に埋もれとった。うちはどうせ暇つぶしやったんやし、あんたらにやるよ」
 右腕いっぱいに象と河童を抱えながら、左手でくまを差し出す委員長。それは浩之がさっきから狙っていたぬいぐるみと寸分違わぬものだった。世の中捨てたもんじゃない、と浩之は幸運を噛み締めた。あかりが求めていたぬいぐるみが、いま眼の前にある。手を伸ばせば手に入る。
 しかし‥。
「‥サンキュー、委員長。気持ちだけもらっとくよ」
「なんでや。何千円つぎ込んでも、あれは取られへんで」
「‥あかりが欲しいのはあれなんだ。俺があれを取るのをずっと待ってるんだ」
 精一杯の虚勢を張りながら、浩之は笑ってみせた。そう、あかりだってきっとそう思ってくれてるはず‥そんな確信が、いまの浩之にはあった。やせ我慢と知りつつも、安易な救いの手を振り払う自分を、浩之はなんとなく誇らしく感じた。
「‥そうか。邪魔したな」
 保科智子はあっさりと手を引っ込め、浩之の脇を通りぬけた。そしてあかりの傍を通るとき、抱えていた象のぬいぐるみのひとつをあかりの胸に押し付けた。
「‥えっ?‥」
「スペアや」
 そっけなく言い捨てて、ゲームセンターを後にする智子。あかりはそんな智子の背中を、見えなくなるまでずっと見つめていた‥そして、あかりの視線が浩之からそれた間に、奇跡が起こった。
「よしっ! 今度は行けるぞ、そのまま、そのまま‥もうちょい、落ちるなぁっ!」

                 **

 その夜。
 自分の部屋のベッドにうつ伏せになりながら、あかりは枕元の戦利品を嬉しそうに見つめていた。得意満面で浩之が差し出したくまのぬいぐるみ。照れくさそうに智子が差し出した象のぬいぐるみ。
「‥いらっしゃい‥」
 ぬいぐるみのおでこを指先で突つきながら、あかりは眼を細めた。今日は本当に楽しかった。自分はこのぬいぐるみたちを大切にして、今日のことをずっと忘れないで居よう。
「‥そうだ」
 神岸あかりは起き上がると、とんとんと部屋から駆け出していった。そして台所の食器棚の裏を覗き込み、“それ”を手にして、軽快なステップで自室へと戻った。
「ほら、新しいお友達だよ。仲良くしようね」
 2体のぬいぐるみに向かい合う形で、あかり一番のお気に入りのぬいぐるみが座った。9年前の今日、あかりの大好きな幼なじみが取ってくれた、初めてのくまのぬいぐるみが。これまでも、そしてこれからも彼女の宝物でありつづけるであろう、彼女の大好きな少年の分身が。
「うふふ‥」
 あかりには、3体のぬいぐるみの交わす会話が聞こえるような気がした。よかった、みんな嬉しそう‥あかりは飽きもせずに、その光景をずいぶん長いこと眺めていた。それからそぉっとベッドから抜けると、受話器を手にとって番号をプッシュした。
「‥あ、浩之ちゃん? ねぇ聞いて、あのぬいぐるみ、見つかったんだよ‥」

Fin.

SSの広場へ