Re: ハヤテのごとくへ向けて ( No.1 ) |
- 日時: 2023/01/23 17:56
- 名前: 蒼紫
- さて、お久しぶりです。あおしと申します。
少しだけ後書きを書ければと思います。
昨日、オタクビルを徘徊していたら、偶然ハヤテのごとく!一期の収録された新品のDVDと邂逅しました。 これは、もう。と衝動買いしてしまいました。 Twitterに上げた画像にかなりいいねがついており、未だ愛されている作品なんだなと思いました。
さて、今回の小説というか文章は、「僕とハヤテのごとくについて」について書きたいと思い、書き始めました。 僕にとってハヤテのごとくとの出会いは中学生で、ひなゆめに参加したのも中1の冬とかだったんじゃないかと記憶しています。 僕は中学校に行けなかった人間で、かなりこのインターネットでの人間関係に救われたんだろうなって思います。 だから、ハヤテのごとくに触れることは、僕のこの時期に触れることと不可分であって、無意識に避けたい思いもあったんだろうと思います。 しかし、止まり木は十年。僕がひなゆめに出会ってから、約14年ほどです。 最近思うのですが、14年ぐらいも自分のことばかりに戸惑っているんだから、そろそろ考えなくても、どうでもいいんじゃないかと思っています笑
僕が中学一年生の頃に書けた文章と、今とでは大きく違います。 それだけの年月が過ぎたということです。 これはハヤテのごとく!のキャラにおいても同じじゃないかと思いました。
本当に書き始める時は、テーマだけ持って漠然と書きながら考えて、思いつくままに書いてみました。 本当はプロットとか作ってからとは欲張ってみたんですが、いちいち乗らなかったので、購入したアニメ一期DVDを見ながら書きました。
正直、原作はもう手元にないし、細かい設定は忘れました。 でも、書いた後に思うのは、このキャラだったら、こういう人生を歩いてそうだなと思いました。
ハヤテくんなら、まずナギから離れることは考えにくいんじゃないかと思いました。 その関係性が主人であろうと恋人であろうと、関わるスタンスは変えない男だと思います。 また、マリアさんは姉だったと記憶しているんですが、僕がハヤテくんならマリアさんと一緒に住みたいです。 つまり、ハヤテくんは強熱なネグレクト傾向にある両親に育てられており、家庭の安心感というものを経験していないからです。 こんな生育歴でよくこんな素直な子で…と思わざるを得ません。 やはり、血のつながっている人間と家庭を、安心できる暮らしをしてみたい。 こういう欲求は満たしてあげるほうが、きっと幸せです。 ハヤテくんは男女の恋愛の前に、こういった愛着的な問題を解消した方が生きやすそうに思えます。
次にナギちゃんですが、彼女は意図的に夢を追うか、どうするかというところで燻っている様子にしました。 人生においてこういう時期も大切です。 原作の最後の方で、彼女なりに一歩づつ自立をしていく様子が描かれました。 これは素晴らしいことです。しかし、また同時に人生は時に思うように行きません。 ストレートにプロ漫画家で、1兆部売れましただと、もちろんかっこいいですけれどね。 仮に24歳ぐらいだとしてみれば、そんな時期じゃないでしょうか。 しかし、ナギが1兆部売れる漫画家になったとして、その夢を果たすことが彼女の幸せなのか。ここは難しいです。 もしかしたら、漫画界の神になって、周囲の人間からは讃えられ、欲しいものはなんでも手に入る。そんな生活もあるでしょう。 でもそれは、ナギが嫌っていた、金持ちの大人の社交界と何が違うんでしょうか? 政治の対象が金銭から、他の何かに変わっただけです。 しかし、彼女は能力があるから、燻るだろうなと思います。 何か芸術的な、自分が生きているという、表現を証をしたいタイプだと思います。 でも、その能力に長けていうかというと、また怪しいところもある。 イメージですが、金融商品で利益を出すのは、すごく上手そうです。元金もありますし。 彼女が莫大な資金を持っていることを忘れれば、彼女は基本的に大人に社会に不信を持ち、育ってきた女性なのです。
続いて、ヒナギクさんですが、今になって彼女の性格や良さがよくわかります。 中学校の頃は本当に、ヒナギクというキャラクターがわからなかった。 基本的には男性脳的な考え方をすると思います。 論理的で、決断力があり、言語で説明し、グイグイ行動する。 まさに生徒会長を務めていたのは、適材適所でしょう。 きっと彼女は、社会でもうまく立ち回れるし、仕事もめちゃくちゃできるだろうなと思います。 だから、自己コントロールも徹底的にするし、ランニング、瞑想、栄養管理。そういうことめっちゃやってそうです。 だから、ヒナギクは目標を決めたらとことんやり抜くし、強いタフネスで困難を切り開いていきます。 彼女の中で恋愛は考えないと決めたら、徹底的に仕事をやりそうです。 でも、仕事ばかりしていると疲れるので、泉・美希・理沙あたりが、何気ない時にどうでもいいラインを送ってきて、案外それに救われいるタイプだと思います。 また、親との確執があるため、そう言ったことにどう向き合っていくか。 そのタイミングが恋愛をする時なのかもしれませんね。
最後に歩ちゃんことハムスターですが、彼女はとことん普通であって欲しいなと思います笑 いや、本当に普通でいることって難しいですよ…。 彼女は自分がどうしようもなく普通の高校生、人間だっていうことを痛感していると思います。 そりゃ、ヒナギクやナギが周りにいたら、誰だって思います。 むしろ、劣等感に悩まないで、バイトも恋愛も前向きにしている素敵な女性だなと思います。 日々の生活が淡々と進んでいく。こういうことに意味があると思います。
あと、マリアさんは、全然変わらないでマリアさんだと思います。
これらの4人は高校生活において、強烈な日々を過ごしました。 だけれども、高校を卒業すれば、別々な道を歩いていく。 ふとした時、あの人はどうしているかしら?ということを思い返す。
松任谷由実で言う「あなたは私の青春そのもの」ということに近いでしょうか。 きっと十年もあれば、色々あります。 でも、日常ってそう言うことは全部語らないじゃないですか。 どこか影はあるかもしれない。傷があるかもしれない。 それでも、この日々に向かい合っていく。そういう姿に僕は魅力を覚えます。
さて、ここまで書かせるハヤテのごとく!はやはり素晴らしい作品だったということでしょう。 改めて、この作品に出会えて本当に良かったと思います。
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Re: ハヤテのごとくへ向けて ( No.2 ) |
- 日時: 2023/01/24 00:46
- 名前: 双剣士◆gm38TCsOzW.
- この作品をどう評すべきか、拝読後に結構悩みました。ハヤテのごとく!キャラの完結後の姿が描かれてはいるけれど、その合間合間に
出てくる「僕」の回想とリンクしているわけではないし、両者を並立することで生まれる意味や効果もよく感じ取れなかったからです。 あとで後書きを拝見して、蒼紫さんが16年ぶりにアニメ1期DVDを眺めたときに頭に浮かんだ様々なことを書き散らしたものだと分かりました。 感想の名に値しないかもしれませんが、私も感じたことを書いてみます。こういう独白はスルーされるときっと辛いと思うので。
ハヤテやナギたちが完結後にどんな暮らしをしているかはファンの皆さんの数だけイメージがあると思うので、そこはノーコメントとして……
この作品とひなたのゆめを介したネットでの人間関係に救われたと、なるほど。 当時のひなゆめは何と言うか、上手な人ばかりとは必ずしも言えなかったけれど、熱気あふれるパワフルな人が集っていましたね。 小説を書くことに興味なんかなかったけれど、拙い形でも参加せずには居られない、当時の蒼紫さんはそんな熱に当てられた1人だったのかなと 勝手ながらイメージしました。今から振り返るとそれは逃避の一環だったのかもしれませんが、ネガティブな印象が歳とともに薄れてきてこうして 文章にできるところまで昇華できたことに、当時を知る1人として拍手を送りたいです。
当時のメンバーも今ではkeiさんを含めてバラバラになり、ブログやSNSで近況を知ることも少なくなりました。ナギたちと同様に非日常から 日常に復帰した元ひなゆめ民がかつての賑わいを取り戻すことはもうないかもしれません。しかしそれは喪失ではなく卒業であり新天地への挑戦である、 人間の歴史の中で何度も繰り返されてきた当たり前の出来事に過ぎない。今は届かぬ間柄になっても、同じ星空の下で元気にやっているに違いない… …作品のラストに込められた蒼紫さんの思いを自分はこのように受け止めました。
「止まり木」は元々、突然のひなゆめ消失に戸惑った当時のひなゆめ民の方々への一時的な避難所として提供したものでした。 今ではかつてのような熱気は無くとも、各方面で活躍している皆さんがふと懐かしく思ったときに立ち寄れる場であってほしい、蒼紫さんの文章を見て そんなことを思った次第です。
投稿ありがとうございました。
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Re: ハヤテのごとくへ向けて ( No.3 ) |
- 日時: 2023/01/24 05:41
- 名前: 蒼紫
- 『書くという欲求は生きることの拒否に包まれている。』
これはフランスの哲学者ジャンポール・サルトルの言葉です。 まあ、文学論とかおいておけば、「わかる」という感想を抱きます。
双剣士さん、感想いただきありがとうございます。 また、お気遣いいただいてありがとうございます。
「僕」との回想とリンクさせるか、それは少し頭によぎりつつ、無視しながら書きました。 なぜなら、それは「美しくないから」です。 何となく言いたかったのは、語れなくても日常で淡々と・もがいて・丁寧に生きている人々って素敵だよねということかもしれません。書いている僕ですらわかりません。
だから、まあ、基本的には「僕」というのは作品を見るという人であって、「執事」たちというのは見られる人でありつつ、僕から干渉されない人たちだろうなと思います。 例えば、この執事たちが見る人になって、僕が見られる人になるという、そういう構造で文章を書くこともできるだろうな、と思います。 だけど、それは無粋だし、何より美しくない。もっとも、僕の審美眼が何かなんて言うのは言語化できていませんが。
文章を書く時に何となく頭にあったのは、サルトルのような、同時の時間軸の人を描くことによって、直接性というものを描くということ。 それをニーチェのツァラトゥストラのような詩的な散文的な要素を入れて、はっきりと明言しないこと。 そこに尾崎豊の「街」のような舞台を入れて、ハヤテたちを動かしたのかもしれません。
どこかハヤテたちの独白にあるのも、いつかの僕の姿を語らせただけかもしれないし、でも同時にこの人たちならこういう人生を歩いてほしいなという願望もあります。 だから、もしかしたら全てにおいて僕のことしか書いてない文章なのかもしれませんね。
さて、基本的に僕は文章は書いたら「手放す」ようにしています。 つまり、書くということに意味があって、書いたもの、書いたものに対する評価というのは僕にコントロールができないので、放っておきます。 だから、どこかの思想家が言っていたように、テキストは僕の手を離れて好きに読んでもらって構わないということを受け入れています。
そういう観点で考えてみれば、たしかに当時のひなゆめの方々という文脈でも、読めるなあと思ってしまうわけです 笑 正直、そういうことはあまり考えていませんでしたが、確かにそう読める。 一番上の文章を書いてから、ハヤテのごとくの主題歌を聴きながら、1時間ほど散歩をしました。 人の記憶というのは不思議なもので、だんだんと全く考えていなかったことを思い出していくわけです。 ああ、数字の人おったなとか、チョコレートの人おったな、夏の花の名前の人、冬の果物の人、難しい漢字4文字の人とか、肉の人とか、いやもうバンバン出てくるわけです 笑
特に終着点を見据えて文章を書いているわけではないのですけれど、 私も双剣士さんと同様に、この止まり木というサイトが、「あんなことあったよな」というときに少しだけでも戻れる場所であれるなら、それはすごく素敵なことだと思います。
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