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この作品のあらすじ
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聖母、健在 (感想受付停止中)
日時: 2022/01/29 18:01
名前: 双剣士

まえがき

 「ハヤテのごとく!」第1話から登場する人気キャラでありながら、その姓名や出生や能力の底が明かされることなく、
単行本の背表紙にも完結直前まで登場することが無かったマリアさん。ハヤテやナギが表の主人公なら彼女こそが裏設定の鍵を
握る人物であり、畑健二郎先生が作っているというExcel日程表にはきっと彼女の謎明かしがマイルストーンとして組み込まれて
いるはずだ、学園編で出番がないと僻んだり同人編でお色気担当化していたのは終盤の急展開に備えたフェイクなのだろう、
間違いなく終盤に重要な役割を彼女が果たすことになるに違いない・・・そう予想していた読者は少なくないと思います。
私などは某所に投稿した原作感想でマリアさんラスボス説を唱えるほどでした。

 それらすべてが的外れ、というか原作に採用されない夢で終わったことを2017年の原作完結と大反省会で我々は知ったわけ
ですけれども、すべての謎や伏線が回収されて大団円になったかというと必ずしもそうは言えないと私は考えています。そもそも
終盤で「進展率0%だったナギとハヤテの仲を1%にするためだけにマリアさんが舞台から降りる」なんて、平和ボケ過ぎて
彼女らしくないと思いませんか? マリアさんは幼いころフリギア語解読班の一員だったのだから王族の庭城にかける三千院帝や
姫神の思いは当然知ってたはずですし、ナギより4歳年上の彼女は生前の三千院紫子(ナギの母)のこともよく知っている間柄
だったはずですしね。

 これから執筆する2次創作はそうした背景を踏まえ、マリアさんが終盤まで活躍してラスボス化するとしたらこうなるのでは
ないか、というのを私なりに想像して組み立てたものです。主人公はマリアさんと姫神葵、キーパーソンは三千院紫子という
キャストでお届けします。

(注意事項1)
 この作品では綾崎ハヤテは主人公ではありません。そのため彼と同じか近い年代として原作に登場する多くの女性キャラは、
この作品にはほとんど登場しません。ラブコメ的な面白さを、この作品に対しては期待しないでください。

(注意事項2)
 畑健二郎先生が原作で示唆した『王族の庭城に関する設定と、原作第1話に当たる2004/12/24以前に起こった出来事』の多くを
本作品では前提として採用していますが、それゆえにある程度行ったら先の展開を読者は予想できてしまうでしょうし、執筆側と
してもその予想を大きく外す展開へは乗り換えることが出来ません(それをやったら原作者の二の舞!)。先の展開予想や
キャラ登場要望や「〜となるのを楽しみにしています」といった感想を執筆途中に悪意なき読者からいただくのは、この作品に
とっては致命傷になる恐れがあります。
 ですのでこの作品では、区切りのいいところに来るまで読者からの感想は受け付けないことにします。具体的にはスレッドを
ロックして感想欄が表示されないようにしながら、私のみが投稿していく形をとりたいと思います。悪しからずご了承ください。

(謝辞)
 この作品を構想するに際し、当サイトBLOGでご意見いただいた日向さんに深く感謝の意を表します。
http://soukensi.net/perch/diary/hbg.cgi?number=222
 ただしあそこに書かれたご意見を、本作品で100%そのまま採用しているわけではありません。


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聖母、健在 プロローグ1 ( No.1 )
日時: 2022/01/29 22:13
名前: 双剣士

プロローグ

 三千院家当主・三千院帝(さんぜんいん みかど)にとって、その日は痛恨の厄日であった。
 世界を手に入れることも可能といわれる古代の神の力、それを引き出す9個の王玉。25年前に一人娘の紫子が見つけた
それを手にして以来、帝はその力の解明に夢中になった。無論それは容易い道ではない。既に文献や専門家の話は調べ尽くした。
フリギア語の古代文献を解読するために優秀な子供たちを集めることもした。その1人が解読に成功し、父親の死を代償に
王族の庭城への道を一度開いたこともあったが、彼女自身も大きな代償を支払うことになった。二度と同じ過ちは犯せぬ。
三千院帝は戻ってきたその少女を物心両面で支えつつ、慎重に庭城の力の取り出し方の研究を重ねていたのだった。
 なのに……ああ、それなのに!
「宮村優子、2度目の結婚!(2004年)」
 衝撃の一報を耳にした帝は驚きのあまり、手にしていた王玉の1つを床に落とし、あろうことかそれを踏みつけて割って
しまったのだった。その事実に気づいたとき、彼の心に吹き荒れていた暴風は鮮血混じりのブリザードと化して寂寥感に浸る
帝の頭を地面へと叩きつけたのであった。

  * *

 そして。とぼとぼと地下の研究室から自室に戻ってきた帝の前に、その日3度目の衝撃が待っていた。
「やぁ爺さん、久しぶりだな」
「……!! お、おぬし……姫神、か?」
 孫娘ナギの専属執事、姫神葵(ひめがみ あおい)。ナギの住む別宅にいるはずの少年執事が帝の部屋で佇んでいた。
だがマリアと同じ16歳だったはずの姫神の姿と声は、30歳前後の青年のものへと様変わりしていた。彼の右手に備わった
特徴的なアレがなければ、帝にも誰だか分からなかったくらいに。
「そうさ。なぜか知らないが、今日急に年齢と昔の記憶を取り戻せてね。ナギたちを驚かせる前に、『共犯』のあんたに挨拶に来たわけさ」
「…………」
「あぁ大丈夫、記憶をなくしてた間のことはちゃんと覚えてるから。身寄りのない僕のことを引き取って育ててくれたことには
 感謝してる。でもこうなった以上、執事ごっこはもう終わりにしないと」
 快活にほほ笑む姫神とは対照的に、帝の背筋に寒気が走った。共犯……それは10年ほど前に帝とアテネと姫神の間で結んだ、
神の力を求める重罪人3人の関係。姫神が幼児化し、アテネが亡き父に代わり天王州家の当主として忙殺される日々に入ったことで
自然消滅したはずの罪人同盟。そのときの記憶を姫神は取り戻したと言っている……そういえば当時22歳だった彼が本来の年齢を
取り戻したとすれば、目の前の青年はちょうどそれくらいだと帝は気づいた。
「それで? 僕がいない間の進捗を聞かせてもらおうかな。ナギのところにいるとその辺の情報に疎くてね」
「……し、進捗とは何の話じゃ?」
「とぼけなさんなって。王族の力を引き出して、紫子(ゆかりこ)を復活させる件さ。それも亡くなる前の紫子じゃない、
 あの変な外人のコソ泥と結婚する前の紫子を、ね」
「…………」
「そのためなんだろ? ナギを三千院家の後継者に指名せず、今まで中途半端にしてきた理由はさ」
 帝がすでに諦めた計画を平然と口にする姫神は、まさしく10年前からやってきた亡霊であった。

(続く)
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聖母、健在 プロローグ2 ( No.2 )
日時: 2022/01/30 09:08
名前: 双剣士

 姫神がいきなり姿を消した。お屋敷の中も学校も普段の行先も全部探したけど見つからない。もしや、もしや、夕べ私が癇癪を
起こして怒鳴ったことで愛想を尽かされたのではないか? 姫神はもう、私のところに戻ってくる気は無いんじゃないか……?
 ちいさな主人がそう思い悩んで落ち込んでいるのをマリアは見ていられなかった。黒服たちの捜索に引っ掛からないんだとしたら、
おそらく姫神君の行き先は……驚異的な洞察力で捜索先を絞りこんだマリアは泣きじゃくるナギの面倒を咲夜と伊澄に任せ、
雨と嵐の吹きすさぶその場所へと身を投じたのだった。

 ……そして、その甲斐あってマリアは三千院家本宅の正門前で、探していた少年執事と再会する。その姿は彼女の知るものとは
大きく異なっていたけれど。
「姫神君……ですよね?」
「人違いですよ、綺麗なお嬢さん」
 とぼけて目の前を通り過ぎようとする青年をマリアは呼び止める。
「嘘です。ずっと一緒に暮らしてきた私にはわかります。それに……そんな右手を持つ人なんて、他には」
「……かなわないな、マリアさんには」
 自分の右手に宿るロケットパンチ……遠い過去の過ちの証を目にして嘆息した姫神は、昨日までの少年執事の口調に戻して
ずぶ濡れの少女へと向き直った。

「ちょ、ずぶ濡れじゃないですか。そんな格好だと風邪をひいてナギにうつしてしまいますよ。話は後です、一度中に入って
 お風呂に入ってから……」
「ナギが必死で探しています。戻ってきてくれますよね、姫神君」
 青年のごまかしに耳を貸さず、マリアは一番大事なところで言質を取ろうと詰め寄った。その一直線な彼女の視線を受けて
姫神は作戦失敗を悟った。この人には逃げ口上は通じない、と。
「すみません、もうあのお屋敷には戻れません。こんな姿に変わったことには目をつぶってもらうとしても、ね……ナギには
 適当に言っておいてください」
「そんな勝手な。あの子は自分のせいで貴方が出ていったと思ってるんですよ、誤解を解く責任があるでしょう?」
「ついさっき、お爺さんと仲違いしてしまいましてね。もうこの家の世話になるわけにはいかないんです」
 一瞬絶句したマリアだったが、その隙に目の前を通り過ぎようとする青年の左腕を咄嗟に固くつかんだ。
「お……お爺さまは私が何とかします! そんなのいいから、今すぐナギのところへ!」
「どの面下げて? 僕はお爺さんの前で、シン・ハイエックの娘なんてどうなっても構わないって言ったんですよ!?」
 それはナギのもとで楽しく暮らしていた少年執事の口から出たとは到底思えない、痛烈で残酷な言葉であった。

(続く)
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聖母、健在 プロローグ3 ( No.3 )
日時: 2022/01/31 00:05
名前: 双剣士

 ナギがどんなに泣き叫ぼうとも、決して耳に入れてはならない言葉がある。姫神の吐いた一言はまさにそれだとマリアは思った。
割れた器は二度と元には戻らない。たとえ言葉の弾みでも、ナギの目の前で彼がさっきの言葉を万が一にも口にしたら……。
 この時点でマリアは姫神を連れ戻すことを断念していた。あとはナギが極力傷つかない理由を考えて口裏を合わせないと……
そんな思索の沼に踏み込みかけた彼女に、目の前の青年はとんでもない企てを囁きかけた。
「ところでマリアさん、紫子にもう一度会いたくはありませんか?」
「……紫子さんに、ですか?」
 三千院紫子、帝の一人娘でありナギの母親である女性の名前がなぜここに出てくるのかマリアにはわからなかった。紫子さんは
とっくの昔に亡くなっているはずだし、自分と同時期にナギつきの執事になった姫神君は生前の紫子さんと面識がなかったはず。
「そりゃ、会えるものなら会いたいですけど……」
「ですよね! それならそう遠くないうちに吉報をお届けできると思いますよ。その日までナギのこと、よろしくお願いします」
「え、えぇ……姫神君、いったい何をするつもり……」
 そう問い返しかけたマリアの脳裏に電撃が走った。何をするつもりかは分からないけれど、それならお爺さまと仲違いするわけがない。
さっきの言葉ともつながらない……マリアの脳細胞は大賢者も顔負けの速度でフル回転し、世にも恐ろしい結論をひとつ導き出した。
「大丈夫です、僕に任せてください。マリアさんの悪いようにはしないつもり……」
「……そのために、ナギを犠牲にするつもりなんでしょう?」
「……っ!!……恐ろしい勘の冴えだな、いつもながら」
 青年の口から紡ぎだされる軽薄なリップサービスが一瞬にして停止した。それはすなわち、マリアの言葉を否定できないということでもある。
「姫神君、いったい何を企んでいるんですか?」
「企むだなんて人聞きの悪い。間違いを正して、あるべき未来を取り戻すだけですよ。紫子のいない、この世界の方が間違っているんだ」
「あなたは……」
「心配しないでください、ナギの命までは求めません。ただ一時でいいから、あの子に絶望を味わってもらいたいだけです」
「……させません! そんなことさせるもんですか!」
 怒気をあらわにしたマリアは全身全霊で拒絶する。そしてそんな彼女に対し、姫神は名残を惜しみつつも寂しげな表情で短くこう返したのだった。
「あなたなら、きっとそう言うと思っていましたよ。マリアさん」

 マリアと姫神葵。昨日まで共通の主の傍で笑い合っていた2人の男女は、この瞬間を境に決別して別々の道を歩くことになるのだった。

(プロローグ終了)
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聖母、健在 第1章1話 ( No.4 )
日時: 2022/02/01 21:45
名前: 双剣士

 姫神の失踪からしばらくした、その年のクリスマスイブ。東京の迎賓館では三千院家主催のささやかなパーティーが催された。
 本家の一人娘と孫娘の誕生日が近いこともあり、本来ならもっと親戚や来賓を集めた盛大なパーティーになるはずであった。
先日の件で気落ちしたままの孫娘を気遣って例年より規模を小さくはしたものの、そういうときだからこそ派手に盛り上げて
彼女を慰めるべきだと軽薄に振る舞うお調子者はどこにでもいる。当の孫娘・三千院ナギは言い寄る輩を不機嫌そうに追い払い
ながら、ちびちびと壁際でジュースを飲んでいた。

 そしてそんな彼女を、メイド服に身を包んだマリアはチラチラと心配そうに見守っていた。
 姫神を失ったナギの傷はまだ癒えてはいない。あの夜ナギの元に戻って詰問されたとき、姫神はもう戻らないと思うと答えて
しまったのは我ながら失敗だった。ナギにとって最後の希望を壊してしまったようにも思えた。
 マリアとしては今の姫神にナギが無防備に近づいていってしまう未来図の方を恐れるあまり、多少なりともナギの中にわだかまりを
残したままの別れ方にしたいと考えたうえでの行動だったのだが、かえってナギの傷を深くしてしまったらしい。ナギを傷つけるなんて
許さない? 偉そうによく言えたものですね、とマリアは内心で自分を責めていた。

 ことの次第は当日のうちにクラウスにも相談している。マリアとナギを幼い頃から支えてきた老執事は短く首肯すると、
マリアには普段通りにしていろと言い、自分はお見合い婆に転職したかのように姫神の後任になる年若い少年を毎日のように
ナギの前に連れて来るようになった。気難しいナギがその全てを拒絶すると、少しでも彼女を笑わせようと変態じみた道化役を
演じたり、怒るナギのパンチや罵詈雑言をわざと受けたりもした。マリアはその真意に気づいてクラウスに深く頭を下げたが、
ナギ当人にとってのクラウス株は連日下がりっぱなしであった。

 気乗りしない主人を無理にでもクリスマスパーティーに連れ出したのは、他の人たちと他愛ない話をすることで少しでも
ナギの気持ちが和らげば、というクラウスの親心からであった。しかし招待されたお調子者の方は、そんな事情など知る由もない。
「メリークリスマス! そしてお誕生日おめでとうございます、マリアさん」
「……え、えぇ、ありがとうございます」
 メイドの一人として振る舞ってはいるものの、マリアが現当主・三千院帝のお気に入りであり将来を嘱望される才女であることを
知らない者はいない。このクリスマスイブが彼女の17歳の誕生日であることも周知の事実であった。こうして自覚のないマリアを
中心に、あっという間に花束やブレゼントを持つ青年たちの輪ができてしまうのだった。
 ここでナギと同じく愛想のない対応をしたら、クラウスの努力とナギの顔を潰すことになる。こんなことをしている場合ではと
内心で嘆きつつも、マリアは社交向けの笑顔を浮かべながら艶やかに彼らに応対し、押し寄せる青年たちを舞う蝶のようにヒラヒラと
かわして行った。その様子がますます青年たちの意欲をそそり、皮肉にも主役でないはずの美少女を中心にパーティーは大いに
盛り上がるのだった。
 ……そしてマリアが最後の青年を捌ききったころ、パーティー会場からナギの姿は消えていた。

(続く)
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聖母、健在 第1章2話 ( No.5 )
日時: 2022/02/02 00:16
名前: 双剣士

「黒服第1班は迎賓館の北側を、第2班は東側を、第3班と4班は南西側一帯を手分けして捜索してください」
「はっ! お任せください、マリアさま」
「もしナギを見つけても危ないことになっていないなら、直接の接触はしなくていいです。こんな夜中に黒服の大人数人が
 女の子を取り囲んだとなると事案になりますから……ナギを見失わないよう注意しながら、すぐ私のiPhoneまで連絡をください。
 私がすぐ向かいますので」
「……マリアさま、“あいふぉーん”とは何でしょう? 未来のデバイスか何かですか?」(←この作品の舞台は2004年、初代iPhoneの登場は2007年)
「……こほん、失礼しました、私のケータイまで連絡をお願いします。話し中でしたらキャリアメッセージでも構いませんので」
《……なぁ、マリアさまってなんで俺たちの知らないデバイスの名前をご存じなんだ?》
《こういうの1度や2度じゃないよな、やっぱりああ見えて実際の年齢は……》
「ジャンクにしますよ?」
「ひぃっ!! い、行って参ります、うら若きマリアさま!」

 ナギを探すよう黒服たちに指示を出したマリアは、自身もコートを羽織って自転車に飛び乗った。黒服たちにはああ言ったが、
実のところナギが行きそうなところは限られている。あの怖がりのナギが人気のない森の中や湖の方角に向かうとは思えない、
おそらくは混みすぎない程度に人が通りかかる場所……公園や商店街があるあたりではないかと。
 とは言えそれはナギが一人で居ればの話である。警備の厳しい迎賓館の中から連れ出されたとは思えないが、退屈して自分で
フラフラと外に出たところを誰かに誘拐される状況は大いにありうる。なにせ彼女は石油王の直系に当たる孫娘、誘拐されかけた
ことは1度や2度ではないのだ。これまでは頼もしい執事が一緒にいたおかげで毎回事なきを得てきたのだが……。
「ナギだけじゃなく私も、姫神君に頼り切っていたということですわね。早く後任を見つけないと」
 小さな声で自嘲したマリアは次の瞬間に表情を引き締めると、粉雪の舞う夜の街へと自転車のペダルを踏みこんだのだった。

 そして、黒服からの連絡を受けて『負け犬公園』という場所の入口へと自転車を走らせたマリアの前に、雪道に横たわる少年の姿が現れる。
「ああ!! だめです!! そんなとこに寝てたら〜!!」
「え?」
 さすがのマリアも雪道の上では避け切れず、豪快に少年の頭の上を自転車のタイヤで轢いてしまう。マリアはすぐさま自転車を降りて少年に駆け寄った。
「あの……だ……大丈夫ですか?」
「ててて……」
「あの……お医者さん呼びましょうか?」
 身を起こした少年は最初は痛そうにしていたが、マリアと顔を合わせた途端に表情を凍らせ……やがてゼンマイ細工のように勢いよく立ち上がった。
「あの……体は?」
「体がどうかしましたか?(キリッ)」
「……えっと……」
「ご心配なく。頑丈なだけが取り柄ですから」

 姫神の後継者とマリアとの出会いは、このように訳のわからない形で始まった。

(続く)
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聖母、健在 第1章3話 ( No.6 )
日時: 2022/02/03 19:49
名前: 双剣士

「そういえば、姫神の後任ってまだ決めてなかったな」
「ええ。それが何か?」
「こいつにしよう」
「は!?」
「礼をすると約束した。新しい仕事を見つけてくれと頼まれもした。だからこいつを……この三千院ナギの新しい執事にする」

 クリスマスの夜にマリアが出会った少年は、ナギを乗せた誘拐犯の車に向かってものすごい勢いでママチャリを駆って後を追い始めた。
そして時速80km/hを越える車に追い付くと、血まみれになりながらナギを救出して、そのまま意識を失ってしまった。
 彼が三千院家の恩人なのは確かだし非凡な才を持つことも間違いない。なので助け出されたナギが彼を執事として雇うと主張すること
自体には、驚きはすれど反対する理由はなかった。しかし続くナギの言葉を聞いて、マリアは思わず大声をあげてしまった。
「ま……命の恩人の頼みというのもあるが……なんと言うか、その……告白されたんだ、さっき公園で……とても情熱的に……
 『君をさらいたい』とかなんとか……」
「はぁ!?」

 お屋敷に帰ってからも楽しそうに『運命の出会い』をナギは語り続ける。彼女のいうことが事実であれば、それは確かにクリスマスイブに
ふさわしいラブロマンスと言えた……そう、事実であれば。
「確かにナギの命の恩人でいい人みたいだけど……あの時、ナギを知らないといったあの言葉は明らかに嘘なわけで……」
 マリアは短い間ではあるがカーチェイスに飛び出す前の少年と会話しており、そのときナギの特徴を彼に話している。
寂しそうに顔を背けた彼と、ナギに告白したという彼がどうしても結び付かない。まして彼が『君をさらいたい』とナギに告げ、
目の前でナギが誘拐された途端に猛然と誘拐犯たちを追いかけたとなると……誘拐犯同士の仲間割れ、という可能性を
マリアとしては考えざるを得ないのだった。もしこの洞察が当たっていれば、彼をお屋敷に雇い入れるなど論外である。
「やはり少し、問いただしてみないと……あ、でもその前に……」
 とはいえ問いただそうにも肝心の相手は意識を無くして眠ってしまっている。まぁ一刻を争うことでもないでしょう、と一時保留する
ことにしたマリアは、雪の街で冷えきった身体を暖めるため大浴場へと向かったのだった。

 そして。浴槽に浸かっていたマリアは一糸まとわぬ姿で、彼と2度目の邂逅をする。これが商業誌であれば、間違いなく挿絵が入る場面である。
「ウフフ……ちょっと夢を見てもらっただけよぉ……」

 ……さて、記憶を永遠に封印したい暗黒の数分間を経て、マリアは少年の名前と彼の身に降りかかった事情を理解するに至った。
やがて目を覚ました少年に自己紹介をしたマリアは、気になっていた質問を彼に投げ掛ける。
「ところで、お嬢さまが来る前に少しお話したいことがあるのですが……その……先程のお嬢さまとの公園での一件について…
 …さらうとかどうとか言ったという……」
 これに対する少年の反応は、半分はマリアの予想通り、半分は完全に想定外だった。まさかこんなにあっさりとボロを出すとは
思わなかったという意味で。
「スミマセン!! スミマセン!! 誘拐なんてもう2度と――!!」
「……え? 誘拐?」
「――!!」
「ええっと……少し話を聞かせてもらえますか?」
「は、はい……」

 その後。30分以上も続く被告側の弁明を聞きながら、マリアは内心で溜め息をついていた。
《はぁ……紫子さんといい、あの子といい……未遂に終わった犯罪者を好きになっちゃうのは血筋なんですかねぇ……》

(続く)
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聖母、健在 第1章4話 ( No.7 )
日時: 2022/02/06 00:36
名前: 双剣士

「……なるほど。おおむねハヤテ君の方の事情は理解しました」
「その……お嬢さまのことを知らないとか、嘘をついたことも謝りますから……どうか……この件についてはどうか見逃して
 ほしいというか……」
 通報されることを恐れてペコペコと手を合わせる少年……綾崎ハヤテに対して、マリアはそれほど怒ってはいなかった。
誘拐未遂ではあっても彼が隠し事の出来ない性格なのはよく分かったし、自身の行動をもって汚名返上したといってもいい
状況である。そんなことより重大な問題が目の前にある。
「というか実は……ハヤテ君の『さらう』とかどうとかいうセリフをあの子がですね〜」
「おぉなんだ、もう起きていたのか」
「あ……」
 ところが、ようやく本題に入りかけたマリアの言葉は、この事態をもっとも知られたくない人物によって中断を余儀なくされる。
「どうだ? 体の具合は?」
「うん、もう平気……ありがとう。でもさっきはゴメン。公園で……あんなこと……」
「ん……いやその……驚いたけど嫌ではなかったし……ただ私たちはお互いのことをよく知らないから……やっぱりすぐにってのは
 良くないというか……」
「うん……そうだね」
 再会した2人の間で交わされる、一見噛み合っているようで双方の思惑がすれ違ったままの会話。マリアだけの知る2人の
豪快な勘違いが、いま新たな局面に入ろうとしている。
「で……私もあれから考えたのだが……お前、住み込みの仕事を探していただろう?」
「え? うん……」
「だったらこの家で……私の執事をやらないか?」
 好意と期待を込めた表情で誘拐未遂犯を見つめる小さな主人を、さすがにマリアは止めに入る。とはいえ少年から聞いた事情を
ここで明かせないのが辛いところ。
「あの、お嬢さま……そういうのはよく事情を聞いてからの方が……」
「でも姫神の後任は必要だぞ。姫神の後任がいないから誘拐とかされるわけだし……」
「でもハヤテ君は……執事ってどんな仕事かもわからな――」
 しかしそんなマリアの気持ちを知る由もない少年は、マリアの心遣いを一言の元に粉砕して見せた。
「やります!!」
《……あ〜〜》
「お任せくださいお嬢さま!! 何があろうとこの僕が命をかけて、あなたをお守りいたします!!」
「ば……ばか……マリアの前で照れるようなことを言うな……」
 こうしてクリスマスイブに出会った謎の打たれ強さをもつ少年が、姫神の後任としてナギの傍に仕えることになった。待望の少年執事が、
気難しい女主人からの全面的賛同を受けて選ばれる。大いに喜んでいい場面のはずなのだが……マリアの脳裏に浮かぶのは今後の不安
ばかりであった。
《ど……どうしましょ……どうしましょ……この天然さんたちは、もう……》

 そしてその後。すぐにも炸裂すると思っていた爆弾のような2人の関係は、意外なことに破綻する様子を一向に見せず……その間に
次から次へと繰り出される、借金取り、クラウス、タマ、介護ロボ・エイトに咲夜や伊澄たちによる数々の試練を綾崎ハヤテは乗り越えて
いき、その度にナギからの信頼を摩天楼のように高々と積み重ねていくのだった。
 そう、全ての事情を知るマリアでさえも、今更それを言い出すことができないほどに……。

(第1章終了)
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聖母、健在 第2章1話 ( No.8 )
日時: 2022/02/06 10:00
名前: 双剣士

「他の後継者候補の人にも伝えなさい……三千院家の遺産が欲しいなら、お嬢さまに手を出す前に僕を倒せと!!」
「ハヤテ!!」
「ナギお嬢さまが継ぐべき遺産は、この三千院ナギお嬢さまの執事……綾崎ハヤテが守っているから、遺産が欲しいならまず
 その執事を亡き者にしろと!!」

 三千院家の遺産を狙うギルバートとの戦いで、綾崎ハヤテは高らかにこう宣言した。ナギからの信頼はこれによって確固たる
ものになったのだが……雇われ執事に過ぎないハヤテの言葉が遺産継承条件を左右するなどありえないことだし、これから倒す
相手に向かって宣言したところで何の意味もない。彼の宣言に効力を持たせるには、当主である三千院帝の了解を取る必要がある。
「あのお爺さんはマリアさんには弱いので、マリアさんに頼んで変更してもらいます」
 ハヤテ本人はそう簡単に言い放つのだが、勝手に頼りにされたマリアとしては天を仰ぎたい気分であった。

「遺産継承の条件を変えろ? ふざけたことを言うでないわ」
「で、ですよね〜」
 ダメもとで三千院家本宅を訪れたナギ・マリア・ハヤテの3人に対し、帝の返答は取り付く島もなかった。だが拒絶の理由は、
マリアたちの想像とは少し違っていた。
「そもそも、ナギを泣かせて謝らせれば遺産を継げるなど、本気にする方がおかしいんじゃ」
「え、でも、その条件はお爺さまが直接……」
「だから信じる方がバカだと言っておる。嘘は嘘であると見抜ける眼力のない者など、最初から論外じゃ」
《あなたがそれを言いますか……》
 心の中でツッコむマリア。それに対し、ナギのために戦ったばかりの少年執事は強気に切り込んだ。
「でもその嘘のお陰で、お嬢さまが危険な目にあったんですよ? 泣かすだけならともかく殺されそうになったんです!
 どうせ嘘の条件なら変えてくれたっていいじゃないですか、標的を僕に変更してください」
「ハヤテ……」
 顔を赤くして見つめる孫娘とは対照的に、苦々しそうに帝は吐き捨てた。
「それで貴様が倒されれば、そいつに遺産を譲れというのか?」
「僕は死にましぇん!」
「なんでオヌシの歳でそのネタを知っとるんじゃ……じゃがまぁ、覚悟はわかった。ただ断るだけでは引き下がりそうにないの」
 そして帝は、三千院家の遺産を継ぐための『真の条件』について語りだした。

  ・三千院家の地下に、帝の遺言書がある。そこに後継者の名前を書き込むことが遺産継承の条件
  ・遺言書に書き込むためには鍵を手に入れる必要がある
  ・その鍵は代々ある箱に納められ、遺産継承のときに先代が隠し次の継承者が見つけるという習わしになっている
  ・鍵なしで遺言書の箱を無理矢理開けようとすると、遺書の間の入口が閉まり水が注入され、中の者は死ぬ

「ここでいきなり原作の第49巻に飛びますか……」
 意味不明なマリアの独白をよそに、ハヤテはいきり立った。
「そうだったんですね! だったらその鍵を手に入れればいいんだ、そうすれば名実ともにお嬢さまが後継者に……」
「しかし先日この箱の、恐るべき秘密が発覚した!!」
「え? それは……?」
「それはこれじゃ――!!」
 パカッと開いた箱の中には、一枚の紙片だけが入っていた。

  『カギはいただいた!! ゆかり子参上(はぁと)』

(続く)
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聖母、健在 第2章2話 ( No.9 )
日時: 2022/02/07 00:01
名前: 双剣士

「ええ!? ちょっ……なんですかそれ!」
「まさか子供に盗られたんですか!?」
「そうみたいです……」
「も――! 大事なものはちゃんとしまっておきなさいとあれほど―!!」
 背を丸めて項垂れる帝を、マリアはおかん属性丸出しで叱責する。立場も年齢も逆のはずなのに妙にしっくりとくる光景であった。
だが事情を知らないハヤテは、ナギ以外の者に遺産を奪われたと思って激しく焦る。
「お嬢さま! 大変です、遺産を継ぐ鍵は『ゆかり子』という人に持ってかれたみたいですよ! 急いでその人を探して取り戻さないと」
「大丈夫だ、ハヤテ。ゆかり子ってのは母のことだから」
「へ?」
「三千院紫子(さんぜんいん ゆかりこ)。私の母で、ジジイの一人娘だよ。この字もイラストも見覚えある。あの母だったらやりそうなことだ」
「あ、そ、そうなんですか。お嬢さまのお母さまが持ってるんだったら安心ですね。本来あるべきところに収まったって感じで……」
「もうこの世にいないけどな」
 ぽそっと漏らしたナギの一言にハヤテの唇は硬直した。聞いてはいけないことだったかと彼の瞳が一瞬哀しみの色を帯びる。
だが重くなりかけた空気を振り払ったのは、その娘本人であった。
「まぁ、私はジジイの遺産に興味なんてないし、別にどうでもいいんだけどな」
「ちょ、待ってくださいお嬢さま。お母さまが鍵を持ち出したってんなら、今もきっとお屋敷のどこかに……」
「そんなわけないだろ。娘の私が言うのも何だが、性格はトンチキで性能はポンコツ、なんの意味もなくこういうことしそうな
 母だったんだから。昔遊びに行ったグランドキャニオンに鍵をポーンと放り投げたのかも知れないぞ、案外」
「お嬢さま……」
「心配するな。私のことはお前が守ってくれるんだろ? それに遺産なんか無くたって構わないさ。私は将来、一兆部を超える
 メガメガヒット作を生み出す大漫画家になるんだからな!」

 ナギはかえってスッキリした表情で部屋を飛び出していき、ハヤテが慌ててそれを追いかける。残されたマリアはやれやれと息をつくと、
真面目な表情に切り替えて三千院家当主に向き直った。
「本当によろしいんですか、鍵の持ち主に全財産を渡すなんて。しっかり管理できているならまだしも、お爺さまですら
 どこに行ったか分からないのに」
「……代々の習わしなんじゃから仕方あるまい。それにこの条件は他の者に口外しておらんから、大々的に鍵探しが始まることも
 当分なかろう。それまでの時間稼ぎとして、さっきの借金執事の申し出に乗っておくのもアリかも知れん」
「そういうことではなくて……さっきの条件が本当なら、後継者はお爺さまと血のつながりが無くてもいいってことですよね?
 生前の紫子さんの行動が想像できて、紫子さんの立ち寄った先を探すだけの行動力がある人なら……例えば私とかでも」
「おぉ、可愛いお前が継いでくれるならワシは文句は言わんよ。ナギも恐らく異存はあるまい。オーナーと経営者を分離するのは
 今どき珍しくもないしのぉ」
「……例えば、姫神君とかでも」
 好々爺となりかけた帝の表情がマリアの一言で凍りつく。
「……マリア、おぬしどこまで知っておる?」
「詳しいことは何も。ただお屋敷の方から、お爺さまと姫神君が喧嘩別れしたとだけ」
 あの日の夕方に姫神と交わした会話のことを、マリアはあえて口に出さなかった。隠しておきたいわけではない。あの日に見せた、
紫子に対する姫神の執着……それを明らかにするためには、帝に先にしゃべらせた方が良いと思ったから。
「確かに姫神なら……今の姫神なら、やりかねんの。遺産目当てというより紫子目当てで、先に鍵に辿り着くことがあるかも知れん」
「どういうことでしょうか?」
「……ナギと借金執事には内緒じゃぞ」
 使用人たちに扉を閉めさせたマリアが小さく頷くと、三千院帝は重々しい表情で口を開いた。
「どこから話したものかの……そうじゃな。まず姫神は……お前の知っている同い年の姫神は、やつの本当の姿ではない。紫子があいつを
 ワシの前につれてきたのは、お前やナギが生まれるより前のことなんじゃ……」

(続く)

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聖母、健在 第2章3話 ( No.10 )
日時: 2022/02/11 12:04
名前: 双剣士

  * *

 紫子がまだ小さかったころじゃが、あいつが持っとった不動産のひとつに、木造2階建ての質素な建屋があっての。
使い道もないから潰してタワーマンションにでもしようかという計画もあったんじゃが、そこに住み着いた野良猫のことを
紫子が気に入って、しばらく遊びに通ってた頃があったんじゃ。
 その建屋にある日、子供が1人やってきて紫子と言い争いになった。ここは僕のものだ、先祖代々受け継いできたものを
置いてある部屋があるんだと言い出して譲らなかったそうでの。権利書だなんだと大人げない反論はしたくないとクラウスから
連絡があって、紫子の保護者としてそいつに会いに行ったんじゃ。そのときが姫神との出会いじゃよ。たしか紫子より3〜4歳下
じゃったかの。
 まぁ相手が紫子じゃから、『猫ちゃんと君とわたしとで仲良く使いましょ』という話で一応はまとまっての。その日は
もう遅かったし身寄りもないというからワシの屋敷で1泊させて、翌朝には紫子と手をつないで例の建屋に向かっていったんじゃ。
 紫子はその後『あの子の手にロケットパンチがついたんだよ、すごく格好いいの』とか言っておったが当時のワシは
本気にせんかったし、子供のころの姫神と顔を合わせることも2度となかった。まぁ橘んとこの円京からの手紙に
『正義を貫く世界の旅路に、ロケットパンチの少年が加わったぞ』と自慢げに書いてあったから、ワシの知らんところで
元気にやっとるだろうなとは思っとったがの。

 姫神と再会したのはそれから十年ほど後、ミコノス島の地下迷宮の奥でのことじゃった。紫子の言うロケットパンチとやらが
子供の妄想でなかったことをワシはそのとき初めて知った。再会した姫神は自分もキング・ミダスの秘宝の謎を追ってここに
辿り着いたという、いっぱしのトレジャーハンターの青年に成長しておったわい。もっとも円京んとこのハウスメイドの影響か、
奇妙なマスクとマントをかぶるようになっておったがの。
 姫神はしきりに紫子に会いたがっておったがワシは止めた。当時の紫子は身籠って、出産までの間ミコノス島から日本に帰って
おったからの。距離のこともあるが……ワシは心配だったんじゃ。あいつの知らぬ間に他の男との間の子を身籠った紫子とあいつを
会わせたらどうなるか、がの。
 その後、ワシと姫神は一緒にあることを研究しておったんじゃが……いつごろじゃったかの、何年かした後にあいつは突然
幼子に変わった。すべての記憶をなくし、紫子と初めて会った頃の子供の姿に戻ったんじゃ。何がきっかけだったかは
今でも分からぬが……身寄りのない子供1人を放り出せるほど非情にもなれんかったからの、執事見習の1人として
本宅で引き取ることにした。あいつと紫子を会わせることにはまだ抵抗があったが、さいわい姫神は紫子のことを覚えておらなんだし、
当時の紫子はナギやお前と一緒にミコノス島で暮らしていたからの。本宅におるあいつと顔を合わせることもなかった。
 ところがそれからしばらくして紫子はあの世に行ってしまい、お前とナギは日本に帰ってくることになった。その後の姫神の扱いを
どうするか迷いはあったんじゃが、本宅で偶然会ったときにナギがあのロケットパンチを気に入ったみたいだったのでの、
そのままナギ付きの執事として暮らさせることになった。そこから先は、お前も知っておる通りじゃ。

 その姫神が、去年の暮れにワシのところにやってきた。子供の姿ではなく本来の姿で……紫子の3〜4つ下なら今頃こうなったで
あろうという、少壮の青年の姿になっての。そして案の定、紫子に会いたい、そのために力を貸せと言ってきた。紫子はもうこの世に
居ないとワシは止めたんじゃが、昔研究したアレの力を使えば出来るはずだ、神様の力を使えば叶えられない願いなど無い、とな。

  * *

(続く)

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聖母、健在 第2章4話 ( No.11 )
日時: 2022/02/11 13:47
名前: 双剣士

「どうしてそこで、姫神君の誘いに乗らなかったんですか?」
 一言も口を挟まずに帝の独白を聞いていたマリアは、ここで核心にかかわる質問を投げかけた。育ての親の言葉を遮るなど、
彼女は普段ならこんな無作法なことはしないのだが……この時ふと、あることに気づいてしまったので。
「紫子さんが戻ってくるなら、お爺さまが反対する理由なんてないでしょう? ナギだって私だって、話を聞いたら諸手を挙げて
 賛成したでしょうし」
「紫子が亡くなった直後じゃったら、ワシとて迷いはしなかったじゃろうよ」
 辛そうに苦しそうに、三千院帝は逡巡した理由とその先の結論をぽつりぽつりと吐き出した。
「じゃがあれから8年の時が経ってしまった……母を亡くした寂しさにナギが必死で耐えてきたこと、お前や幼馴染たちが
 それを支えてきたこと、そしてクソ生意気な孫娘がマンガやらゲームやらでようやく笑えるようになったことなどを、
 ワシはずっと見てきたんじゃ……死者を蘇えらせるというのは何千年にもわたる人類の願いであり、それでいて一度も果たされた
 ことのない神への反逆行為であろう? ワシも紫子のためなら躊躇わないつもりではあったが……ギラギラ光る姫神の目を見て、
 ふと怖くなったんじゃ。お前たちが積み上げてきたものがそれによって全て崩れるかもしれぬ、ちいさなあの娘の身に降りかかった
 絶望の引き金を今度は自分で引くことになるのか、とな」
「……ですって。聞いてましたか? ナギ」
「むふっ」
 驚愕した帝が首を振った先には、扉の陰から顔だけ出した孫娘の姿があった。その表情はこれまで見たことがないくらい
ニンマリとしていた。
「そうかそうか、クソジジイはそんなに私のことが大事だったのか。まったくしょうがない奴だな、ツンデレジジイときたら」
「な……な……」
「クソジジイがそこまで言うなら仕方ない。遺産なんて要らないけど、精一杯守らせてやろうじゃないか。姫神がいなくなった理由も
 わかったし、今では姫神より頼りになる執事がそばにいるわけだしな。そうだろ、ハヤテ?」
「もちろんです。お任せください、お嬢さま」
「こ……この……調子に乗るな、このクソガキがぁっ! お前になんぞ一銭たりとも遺産はやらんからな! 遺産目当ての奴らが
 次から次へと襲ってくるように大々的に宣伝してやるから、覚悟するがいいわぁっ!」
「望むところだぁっ!!」
 口汚くはあっても本気さはまるで感じられない、祖父と孫との罵り合いをマリアは優しい瞳で見つめていた。お爺さまの言う通り、
この幸せを守ることが何よりも大事であり、それこそが自分の責務だとマリアは思った。しかしその満足感の裏で、マリアは帝に
聞くつもりだったもうひとつの質問のことをけろっと忘れてしまっていた。
 ……『紫子さんを取り戻すのにナギの絶望が必要になるって、どういうことなんですか』という、あの日の姫神の言葉でどうしても
引っかかる部分に関する質問のことを。

(第2章終了)
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次回の第3章から、姫神パートが始まります。
ちょうど区切りもいいので、明日からの感想キャンペーンを契機に、2/14(月)まで感想の受付を行います。
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聖母、健在 第3章1話 ( No.12 )
日時: 2022/02/15 00:02
名前: 双剣士

本日より連載を再開します。
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《おかしなものね……これだけのチップを積んでいるのに、ちっとも心が燃えてこないなんて》
 手元の5枚のカードを繰りながら、ラスベガスの魔女・橘美琴(たちばな みこと)は内心でため息をついていた。目の前にいる
初老の男は必死の形相で2枚のカードを場に捨て、祈るように力を込めて山札を2枚引いてくる。その2枚が束の間の夢を演出する
ための毒入りの果実であることも知らずに。
「よしきた、レイズ! これで勝負だ、オールイン!」
「やめた方がいいわ、ミスター愛沢。もう貴方は終わっているのよ」
「怖気づいたか、ラスベガスの魔女よ。親のあんたは降りられないんだ、ここは限界一杯まで張らせてもらう。
 どうだ、エースのフォーカード!」
「土壇場でそんな手が入る時点でツキは枯れているのよ。はい、ストレートフラッシュ。今夜はここまでね」
「ぐはっ!!」
 泡を吹いてのたうち回る初老の男の前から美琴は素早く立ち上がった。普段の相手ならこのまま借金させてでも地獄の沼に引きずり
込む所だけれど、さすがに自分の息子と仲良くしている姉弟たちの父親を破滅させてるのは気が引ける。引き際をわきまえないのが
この人の悪いところだけれど、幸いまだ屋敷や会社を担保にするところまでは行っていない。ここで終えておけば娘たちを売りに
出すこともないでしょう。
「待て、待ってくれ、カードは来てるんだ、もう一度、もう一勝負……!」
「御機嫌よう、ミスター愛沢」
 一瞥もなく立ち去る妙齢の美女の背中へと伸ばされた手は、彼女の専属執事……一条二郎三郎(いちじょう じろうさぶろう)に
よって完璧にガードされるのであった。

 こうして不完全燃焼のままラスベガスのカジノを出る美琴だったが……冷えた外の外気に触れた途端、寒さとはあべこべに胸の中が
かっと熱くなるのを感じた。隣を歩く一条執事と軽く目配せする。今夜の本当の勝負は、どうやらカジノを出てから始まるようだと
痺れる肌が告げている。
「どこに隠れているの? 出てらっしゃい」
「……元気そうだな、ミコにゃー」
 物陰から現れたフードの男は美琴のことをそう呼んだ。その呼び方を知る者は限られている、異国の地ではなおさらだ。だが美琴の
記憶にあるその少年は、今は自力で日本から出られない境遇だったはず。
「姫神君……なの? それともその親戚か何かかしら」
「本人だよ。十年前に君と一緒に、紫子の夫になったやつが気に食わんと一晩中飲み明かしたのを覚えてるだろ? あの時の僕さ」
「でもあなたは、あのあと歳と記憶を失ってたはずじゃあ……」
 美琴の前に立った姫神はこれ見よがしに右手のロケットパンチを掲げると、ゆっくりと仮面を外した。橘美琴とそう歳の変わらない、
三十代過ぎの青年の顔を……それを見た美琴は両手で口元を覆うと、感極まったかのように彼に向って駆け出した。
「姫神君!!」
「ミコにゃー」
 距離を縮めた2人の男女は、次の瞬間に熱い抱擁……とは似ても似つかない豪快なファーストコンタクトを交わした。
雷光のように伸びあがる美琴の左ハイキックを姫神がロケットパンチでブロックするという形で。
「勝ち逃げなんて許さないんだから! 今すぐカジノに来なさい、あの時の借りを返してもらうわ」
「ありがたいね、また一杯おごってもらえると」
「相変わらずの減らず口ね、その口を針で縫い付けてあげるんだから!」
 恐ろしいことを口にしながらカジノに舞い戻る女主人を追いながら、姫神は傍らに立つ執事に軽く目配せした。姫神と同い年の
一条執事は普段あまり見せないようなウインクでそれに応じた……それは自分の主であるラスベガスの魔女がこれから翻弄されることを
半ば見越したうえでの微笑みであった。

(続く)
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聖母、健在 第3章2話 ( No.13 )
日時: 2022/02/16 22:11
名前: 双剣士

 大きな勝負を終えた後、一人でベッドに横たわってウジウジする習慣が橘美琴にはある。この日の夜も例外ではなかった。
傷心の魔女を高級ホテルのスイートルームに送り届けた2人の男は、その地下のラウンジでグラスを重ねた。
「ラスベガスの魔女の健闘に」
「完膚なきまでの玉砕に」
 カチン、と氷が軽やかな音を立てる。姫神にとっては2度の少年時代をまたぐ、実に11年ぶりのアルコールの味である。
「いいのか、お前のお姫さまを放っといて乾杯なんかして」
「いいさ。あの人はまだ子供なんだ。理想と現実が食い違ったとき、気持ちを現実に合わせるのに時間がかかる。私がそばにいても
 同じことだ。今はその冷徹な現実をもたらした元凶を、彼女から引き離すのが先決さ」
「久々に会った親友を元凶呼ばわりか。まぁ好きなように言わせてやるさ、こっちは稼がせてもらったしな」
 一条の憎まれ口を姫神はグラスの輝きで弾き返す。この2人はそれぞれが自分の主人に出会う前から、橘グループ総帥・橘円京の元で
世界を股に暴れまわった同い年の悪友同士であった。姫神の真の少年時代を知り、かつ成長した姫神が三千院家と手を結んだ時期が
あることを知る一条と美琴だからこそ、姫神が姿を消した数年後に『姫神』を名乗るロケットパンチの少年がナギの執事になったと
聞いた時に、その少年の正体をほぼ正確に推察することができたのである。もちろん本人が記憶をなくしていることに気づいて以降は、
余計な差し出口はせずに海外生活を謳歌していたわけだが。
「お前がちびすけになったと聞いたときには驚いたんだぜ。美琴さまは若返りの秘訣を真剣に知りたがったくらいだ。
 いったいどんな魔法を使ったんだ?」
「さぁな。こっちは魔法をかけられた側だから理屈なんて分かる訳ない。この姿に戻ったのもつい先日のことだよ」
「なにかきっかけは?」
「わからんね。明日にはまた子供に戻ってるかもしれない。そうなる前にお前たちの顔を見に来たってわけさ」
「光栄だね」
 男たちは2度目の乾杯を交わし、近況を交換し合った。

 そして小一時間後。何度目かの笑い声を眼鏡の奥に収納した一条は、真面目な表情で本題に入った。
「それで? 今度は何を企んでるんだ、姫神」
「企むとは失礼だな。僕たちの友情に乾杯したばかりだろう」
「あいにくとそれを真に受けるほど子供じゃない、お互いにな……お前が帝じいさんと何やら悪巧みをしてたことは知っている。
 もしそれに美琴さまを巻き込みに来たというなら、私はお前を殴らなきゃならない」
 ついに来たか、と姫神は思った。橘美琴が幼い頃から紫子を崇拝していた一方で、結婚後の紫子から距離を取るように暮らして
きたことは周知の事実である。幼い頃からの友誼とは別の次元で、三千院家に関わりたくない気持ちは確実にあるだろう。口先三寸で
言い逃れることも出来なくはないが……姫神はあえて直球勝負に出ることにした。
「若返りの秘訣のこと、さっきは自分でも分からないと言ったが……今度はそれを突き止めたいと思っている。やられるばかりじゃ
 性に合わないからな」
「……ほう」
「実はその件で帝じいさんとは喧嘩別れしていてね。すっかり保守的になっちまってたな、あの爺さんも……だが僕は独りでも探すつもりだ」
「不老不死にでもなりたいのか?」
「まさか。記憶をなくして若さだけ手に入れたって意味なんてない。だけど記憶をなくしてでも、神の摂理に逆らってでも
 取り戻したい相手がいる。その点だけは、お前のお姫さまとも意見が合うんじゃないかと思ってな」
「……貴様、まさか!」
「三千院、紫子を、黄泉の国から連れ戻す」
 ある気配に気づいた姫神は、あえてゆっくりとそう宣言した。それを聞いた一条は反射的に席を立って拳を振り上げたが、
すぐに同じ気配に気づいて背後を振り向く。そこにはボサボサの髪をした黒いドレスの女が立っていた。
「紫子、姉さまを、連れ戻す、ですって?」
「……美琴さま、いつの間に」
「いいわ、やるわよ。その安い挑発に乗ってあげる……嘘でも夢でも構わない。紫子姉さまにもう一度会えるんなら、
 この魂を賭けたって惜しくはないわ」

(続く)
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聖母、健在 第3章3話 ( No.14 )
日時: 2022/02/18 22:26
名前: 双剣士

 一夜明けて眠気と酔いを醒ました3人は、美琴のスイートルームに集まって作戦会議を開始した。神様の力を使えば叶えられない
願いなど無い、と帝の元を飛び出した姫神ではあったが、無為無策のまま思い込みだけを武器に突っ走るほど愚かでもない。
たとえ人外の力を使うにしろ、段取りと勝算は立てておかなくてはならないのだ。
「どうやって紫子を取り戻すかを話す前に、彼女が今どこにいるのか、について認識を揃えておきたい」
 美琴と一条の同意を受けて姫神は昔話を始めた。25年前に猫屋敷で紫子と出会ったこと、彼女の持つ王玉を借りてロケットパンチを
手に入れたこと、それによって王族の力は庭城に帰り猫屋敷の棺桶は消滅したこと。そして一度王族の力を使ってしまった姫神は、
二度とその力を使えないよう、光を持つ王玉に触れることが出来なくなったことを。
「その時はそれでもいいと思ったんだ。子供の僕は世界最強の力を得たと思っていたし、紫子にも格好いいところを見せたかったからね。
 だけどそのとき、紫子が興味を持ったのは僕じゃなくて庭城の神様の方だった。僕じゃない誰かに向かって彼女は言ったんだ。
 『私があなたを助けてあげる。まかせて、オルムズト・ナジャさん』とね」
「その話なら紫子姉さまから聞いたことがあるわ。小さい頃に神様と会ったことがあるって」
 それから十数年後、紫子の父親が神様の力を手に入れようとしていることを知った姫神は彼に協力を申し出る。ロケットパンチごときで
世界を変えられないことを知った姫神にとって、王族の力の管理者という先祖代々のアイデンティティーを取り戻すためには、
複数の王玉を持つ帝と手を組むことが唯一の手段だった。そして研究の結果、王玉を持つ者が大きな願いとその挫折に直面することで
王族の庭城への道を開くことができることを知り、一度はそれに成功する。

「まだ小さかったアテネちゃんの父親の死をきっかけに庭城への道を開くことには成功したんだけど、それは庭城に巣くっていた
 亡霊・キングミダスとの戦いの火蓋でもあった。結局僕と帝じいさんは追い返され、アテネちゃんはさらわれた……僕が実際に見聞き
 したのはここまでだ」
「ちょっと、ここからが肝心な所じゃないの。紫子姉さまの居場所にどう関係するのよ」
「まぁ聞いてくれ。僕はこのとき年齢と記憶を戻されたらしいので続きは伝聞になるんだが……それからしばらくしてアテネちゃんが
 現世に戻ってきたころに、何者かが王族の力を現世に持ち出したらしいんだ。そしてこのころから、紫子の不審な行動が始まる」
 リゾートのために年数回行くだけだったミコノス島の屋敷に紫子はこもりきりになり、娘のナギと養女のマリアと共に暮らす
ようになる。日本に戻ってきたのはそれから実に3年後で、親友だった鷺ノ宮初穂の娘である伊澄と顔を合わせたのはこれが最初。
そして伊澄がナギの初めての親友になったのを見届けて安心したかのように、そのままこの世を去ってしまう。
「そうね、まるで死期を悟ったみたいな行動だったなと今では思うわ。でも紫子姉さまのお葬式には私も参加したのよ? あれが
 茶番だったとでも言うの?」
「そうだ。たぶんナギを含めて全員が騙されてる……実は紫子に初めて会ったとき、伊澄ちゃんは『神様かと思った』とつぶやいた
 らしいんだ。歴代最強の光の巫女と言われているあの子がだぜ? この言葉と直前の紫子の行動、そして25年前の出来事から
 僕はある仮説を立てた……亡くなる3年前に紫子は王族の庭城に入り、そこで神様と入れ替わったんじゃないかって。
 もしこの仮説が正しければ、紫子はいま王族の庭城の中にいることになる」

(続く)


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聖母、健在 第3章4話 ( No.15 )
日時: 2022/02/19 15:17
名前: 双剣士

「ありえない! そんなことがあったらナギちゃんやマリアちゃんが気付かないはずがないし、私だって亡くなる前の紫子姉さまに
 直接会っているのよ? 一度だけラスベガスに遊びに来たときにね、この私が見間違える訳ないわ」
 この話を聞いた美琴が激高するのは予想の範囲内。姫神は慎重に言葉を継いだ。
「落ち着け、ミコにゃー。入れ替わったとは言ったが、まったくの別人と入れ替わる訳じゃない。神様が作った紫子そっくりの器を
 現世に送り返して、庭城にいる紫子がそれをリモートコントロールしてたとしたらどうだ? それなら姿形も性格も同じ、
 もう一人の紫子が戻ることになるから誰にも気づかれない」
「なんでそんな面倒なことをしなきゃならないのよ……」
「子供のときの約束を守るためさ。神様を庭城から助け出すつもりだったけど、何らかの事情で完全な形でのそれが出来なかったんだろう。
 ならば自分が身代わりになるから自分の振りをしてここから出て、と神様に言ったんじゃないかな。どうせ神様には現世での肉体なんて
 残ってないんだろうし」
「……そういえば最後に会ったとき姉さまは言ってたわね。神様との約束を守るには時間が足りなかったって……」
 独り言を思わずつぶやいた美琴は慌てて口をふさぐ。生前の紫子から聞いていた庭城の話をここでするつもりはなかった、
 現時点で信用しきれない姫神にはまだ聞かせるつもりはなかったのだ。動揺する美琴の盾になるように一条が割って入る。
「だけど姫神、だったらなんで3年なんだ? 神様に作らせた器なら、その気になれば不老不死だって可能だったろう。
 紫子さまが今でも生きているのなら、なんで可愛い娘を残したまま3年後に死んだふりをしなきゃいけなかったんだ?」
「推測に推測を重ねることになるが、それが不完全な形で現世に来た神様の力の限界だったんじゃないかな。あるいは
 神様の力を限界ギリギリまで搾り取るような出来事が3年後に起こったのかもしれない。例えば当時住んでたミコノス島で
 娘が迷子になったうえに現地のマフィアに襲われそうになって、助けを呼ぶには時空を超えるほどの大きな力が必要だったとか」
 姫神は冗談交じりに話したが、笑う者は一人もいなかった。

「そういうわけで、紫子は王族の庭城にいると僕は睨んでいる。たった一人で8年間もと思うかもしれないが、帝じいさんと
 一緒に調べた古文書によれば庭城の中で力を使う分には寿命は減らない。代わりに出たくても出られなくなるらしいけどな。
 きっと紫子は今でも、神様の目を通じてナギたちを見守っているんじゃないかな」
 彼らしくもなくロマンティックな想像で話を締める姫神。いささか根拠薄弱・誇大妄想の気配はあったが、美琴と一条は
それ以上反論しなかった。ここで議論を重ねたところで証拠が出てくるわけではないし、姫神の仮説を否定することは紫子の死を
認めるに等しい。どんなに確率が低くても構わない、紫子生存の可能性に賭けると昨夜二人は断言したのだから。
 それに、ここまでの話は単なる前提に過ぎない。この作戦会議の主題は、紫子救出の方法を見つけることである。
「紫子を連れ戻すに際しての障害は3つある。1つ目は庭城までの道を開くこと、2つ目はキングミダスの妨害をかいくぐること。
 この2つは曲がりなりにも過去に実績があるから、容易ではないが方法はあると思っている。問題は3つ目の……」
「紫子姉さま自身が帰りたがらないかもしれない、ってことよね。あの人は頑固なところがあるし、一人遊びも苦にしない
 タイプだったから」
 美琴の割り込みに姫神は頷いた。成人後の紫子とほとんど顔を合わせていない彼としては、紫子の親友だった美琴の意見は
貴重である。この方面で知恵を借りるためにラスベガスに足を運んだといっても過言でない。しかしラスベガスの魔女は小さく
頭を振った。
「ナギちゃんを置き去りにしてまで神様との約束に殉じた姉さまを翻意させる方法か……ちょっと思いつかないわね、悪いけど」
「すぐに方法が見つかるとは思ってない。じっくり考えてみてくれないか?」
「考えてはみるけど、あの人の気持ちはイマイチ読み切れないところがあるのよ……結婚相手を決めた時もそうだったものね。
 当時の姉さまの歳を追い越した今でも、あんなチャラい男を選んだ理由は分からないわ」
「…………」
 紫子の結婚相手。姫神にとっては意識の片隅にすら置きたくない男である。自然と2人の口数が減り、重苦しい空気がスイート
ルームを支配した……だがここで3人目の共謀者が別の視点からの意見を出してくる。
「だったら、不完全な神様に手を貸して完全復活してもらうというのはどうだ? そうすれば紫子さまが庭城に残る理由は
 なくなるんじゃないだろうか」

(続く)
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聖母、健在 第3章5話 ( No.16 )
日時: 2022/02/20 21:28
名前: 双剣士

 神様の復活を助ける。一条執事の提案は口にするだけなら簡単だが、過去の権力者たちが試みた『神様の力を利用する』とは
比較にならない難事であろうことは想像に難くない。そんなことをやろうとするのは歴史に名を残せるほどの天才か、さもなければ
何も考えてない子供くらいだろう。ましてや勝算の見込める方法を見つけるとなると……再び思索の沼に沈んだ女主人に、一条は
耳元でささやいた。
「美琴さま、紫子さまと最後にお会いしたときの会話、ここで詳しく話してはいただけませんか」
「……っ!! 一条君、それは……」
「あのときの紫子さまが本物であれどうであれ、ご自分がもう長くないことを悟って、ナギさまと一緒に生前親しくしていた方々の
 もとを巡っていた所までは確かなようです。日本にいる初穂さまと伊澄さまに娘のナギさまを託された所までは親心として理解できます。
 しかし美琴さまに対しては、なぜか紫子さま主演のドリーム小説としか思えない奇妙なおとぎ話を残していかれた……私は断片しか
 伺っておりませんが、もしあれが庭城の神様の話だったとしたら、その意味が全く変わってきます」
「…………」
「紫子さまは自分には果たせなかった神様救出を、美琴さまに継いで欲しかったんじゃないでしょうか。あるいは継いでくれる誰かに、
 美琴さまから伝えて欲しかったんじゃないでしょうか……おそらく今がそのときかと」
「……でも……」
 視線を伏せた橘美琴は、そのまま視線を伏せるとしばらく沈黙し……迷った末にこうつぶやいた。
「姫神君、あなた昨夜、帝おじいさんとは切れたって言ってたわよね。証明できる?」
「これまでがこれまでだし、疑われるのも無理はないな。こっちとしては晒せる札はすべて晒した。あとはそっちで判断して欲しい」
「ごめんなさいね。この話を聞いたら強欲な人たちはきっと、紫子姉さまの願いとは反対のことをしようとするだろうから……今まで
 誰にも話したことなかったのよ」
 迷うそぶりを見せつつもこういう話をすること自体、美琴の心のカギが外れかかっている証に他ならない。ここで焦って
手を伸ばすほど姫神は愚かではなかった。
「いいさ。素面(しらふ)で話せないことは僕にだってある。しばらくこの街で遊んでるから、気が向いたらこの番号に連絡をくれ」
 あっさりそう言って席を立った姫神は、一条に電話番号を伝えてスイートルームを後にした。ここで時間を空けることで
貴重な手掛かりを失う可能性も無くはない。だが開きかけた扉は彼女の傍にいる悪友がきっとこじ開けてくれるだろう、そう姫神は
確信していた。


 そして翌日の夜。一条に呼び出された姫神は、会う前から酒の入っていた美琴から貴重な情報を聞き出すことに成功した。
絡まれながら聞き出した酔っ払いの言葉を要約すると以下のようになる。

  ・王族の庭城に住んでいる神様は、好きでそこにいるのではなく、大昔の悪い王様に閉じ込められている
  ・その王様は神様の力を奪い、城の棺に封印し、王玉を使ってそれを取り出せるようにした
  ・王様の死後、幾多の権力者が王玉を使って神様の力を利用しようとしてきた
  ・そのことを知った三千院紫子は、神様の力を神様に返そうとしたが、時間が無くて果たせなかった

 王族の力の管理者一族だった姫神にとっては周知の部分も多かったが、彼の推測でしかなかった『紫子は神様を助け出そうと
したが果たせなかった』を裏付ける証言が得られたことは大きい。だが続く美琴の言葉を聞いて彼は頭を抱えることになった。

  ・神様の力を神様に返す方法は、悪い王様の作った災いの元凶を取り除くこと。つまり庭城の破壊

「待ってくれ、じゃ庭城に残った紫子は、自分ごと庭城を壊してくれと言っていたのか? 本当にそれしか方法はないのか?」
「知らないわよ! 昨日あなたと話すまで、本物の紫子姉さまが庭城に残ってるなんて想像もしてなかったんですもの」

(第3章終了)
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