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紅い爪(一話完結・旧作)
日時: 2015/04/07 23:40
名前: 明日の明後日

気まぐれに旧作投下、その2。こんばんわ、明日の明後日です。

病みヒナです。これもそこそこ書けてるとは思う、かつては某作家さんからパンチ不足なる評価をいただきましたが(苦笑
手直ししてよくなるか分からないので、これもほぼ原文のままです。


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 嫌な音がした。何かが軋む様な、割れる様な。不安を煽る音が。

「ねぇ」

 続いて感じたのは、鈍い痛みと、生臭い鉄の匂い。掌を伝い落ちる、温かな滴り。

「ねぇってば」

 歯牙にも掛けず、彼女は力を強める。ピリピリした痛みが、指先を包む。

「聴いてるの?」

 鈍痛の元へ一瞥をくれると、赤黒い体液を垂れ流す肉の裂け目とそれを抉る彼女の爪が目に映った。





                〜 紅 い 爪 〜





 思うに彼女には、自傷癖というか、それに類する特殊な性癖があるのかもしれない。

 どこがどういう風に、と具体的に指し示せる訳ではないが、これまでの恋人としての付き合いの中で、確かにその片鱗を覗かせていた様に思う。

 その憶測が確信めいた物へと姿を変えたのは、彼女との交際も二年目に突入しようとする、高校三年の冬だった。





 期末試験最終日における午後の校舎というものは、日常のそれとはまるで別物の様に静かになるもので、その静けさは終電を終えた地方の駅の停留所を彷彿とさせる。

 そんな静まり返った空間に乾いた靴音を響かせているのは、他でもない僕自身な訳だが、どうして試験を終えた直後であるにも拘わらず未だ校舎の中を徘徊しているのかと言うと、

 主がロッカーの中に忘れた折り畳み型携帯ゲーム機を取りに戻ったからだ。

 「どうして試験の日にゲームなど持ってくるのか」などと愚痴を零しながら廊下を歩いていると、件の教室もといロッカーのある階へと辿り着いた。

 さっさと回収してとっとと帰ろうと足を速める。



 と、その一個手前の教室、三年D組を通り過ぎる際、窓際の席に見知った背中が一つ、突っ伏しているのが見えた。

 仮眠でも取っているのだろうか、なんとなしに近くまで寄ってみると、すぅすぅ、という規則正しい呼吸音とそれに連動する様にして肩が上下しているのが分かった。

 起きるまで隣にいて驚かしてやろう、という悪戯心が湧かないこともなかったが、それを決行するか否かを天秤に掛ける間もなく、彼女はその身を持ち上げた。

「ん、んぅ」

 寝起き特有のくぐもった声を漏らしながら、伸びをする彼女。それが一段落付くのを待ってから、僕は声を掛ける。

「おはようございます」

「ん、おはよ」

「生徒会の仕事でもあるんですか?」

「うん。でもちょっと疲れも溜まってたから仮眠でも取っておこうと思って」

「大変ですね」

「そうでもな…ってハヤテくんっ」

 二言三言会話を続けてからようやく僕の存在に気付いた彼女は、椅子を倒す勢いで立ち上がり、寝癖がどうだの寝顔がどうだのと頭部をくしゃくしゃと掻きむしる。

 どうやら図らずも、先程の“悪戯”は成功してしまったらしい。慌てふためく姿が、実に愛らしい。

 呑気に笑って―――後で怒られるので声には出さず―――見ていると、制服の袖口が少し目くれて両腕の一部が露になる。それだけなら別段構わないのだが。

 その、彼女の両腕に、引っ掻き傷の様な痕が何本か走っているのが見えた。瘡蓋をつけているものもある様だった。

 僕の視線に気付いたのか、彼女は慌ててその傷を隠すみたいにして袖を引っ張り、両手を後ろに回す。

「えへへ」

 愛想笑い。

 誤魔化す様な素振りが少々気に掛かったが、別に痛々しい風でもなかったし、彼女にはどことなく少年じみたところがあるため、藪か何かで引っ掛けたのだろうという結論に帰着し、特に言及する様なことはせず、適当な世間話をいくらかして、その場は別れた。



 しかし、日を追うごとにその傷痕は数を増し、流石に訝しんだ僕がそれについて訊ねると、彼女は

「昨夜、ちょっとね」

 と言葉を濁すだけで、それ以上の返答はなかった。以来、彼女の腕の傷についてはなんとなく触れることができないまま卒業式を迎え、その一月後には僕は社会人へと、彼女は大学生へとその駒を進めるのであった。





 社会人になって、というか高校を卒業して大きく変わったことと言えば、仕事のことでも生活リズムのことでもなく、彼女と会う機会が大幅に減ったことだった。

 と言うのも、彼女が進学した大学は都内ではなく地方の国立大学で、恙無く大学生活を送るためにはどうしても一人暮らしをする必要があったからである。

 地方での一人暮らし、という言葉に彼女は激しく拒否反応を示し、あまつさえ「浪人する」とまで言い出したが、その大学の偏差値は決して低くはないし「元生徒会長であり学年トップの成績を持つ彼女を浪人させる訳にはいかない」という学校側の面子もあって、

 いつになく駄々を捏ねる彼女を必死に宥め、説得し、渋々ながらも了承させたことはちょっとした本になってもおかしくはない。

 今思えば、彼女との関係はそこで切っておくべきだったのである。





 桜の樹が花を散らし、青々とした若葉を茂らせ始めた五月初頭。連休に休暇を貰った僕は、見慣れぬ街の人いきれの中で盛大に迷子になっていた。

 彼女を驚かしてやろうと、一切連絡を入れずこっそり会いに来た訳だが、どうやらそれが裏目に出てしまったらしい。

 とは言え、ここまで来て彼女に迎えを乞うのもなんだかバツが悪いし、意固地になっていた部分もあって、結局自力で街中を歩き回った挙句、

 彼女の下宿先に辿り着いたのはもう日付も変わろうかという夜中だった。ベランダの窓を見てみると、カーテンの隙間から灯りが漏れ出していて、

 まだ起きてはいるんだろうということは予想できたけれど、いくらなんでもこんな時間に何の連絡もなく部屋を訪ねるのは不躾極まりない。

 あれこれ考えあぐねた結果、今日はもう諦めて明日、時間を見計らって出直そうと決め、踵を返し掛けたときのこと。

 背後から、深夜には似つかわしくない途轍もない破壊音が聞こえた。二度三度と続いたそれは一旦鳴りを潜め、数秒の後、再び街外れの団地に木霊した。

 どうやら音源は彼女の部屋らしいのだが、彼女がこんな傍迷惑な行為をするとは思えないし、むしろ取り締まる側の人間だろう。

 となると、強盗か何かだろうか。その線が一番濃密なのだが、それと確定してはどうしても辻褄のあわない要素が一つある。

 人がいないのだ。僕がこのアパートに辿り着いてからというもの、不審人物どころか、人っ子一人見かけていないし、気配を感じたりもしていない。

 それなのに、誰かが部屋の中に忍びこんでいるなどとは到底考えられない。

 けれども彼女の部屋から大きな音が立っているのは事実な訳で、某かの異常事態が発生していると見て間違いないだろう。

 ここでじっと思考を捏ねまわしているよりも、実際に、この目で何が起きているか確かめた方が早いと考え直し、彼女の部屋の前に立つ。

 ノブに手を掛け、思いがけず簡単に開いてしまった扉の向こう。紅い飛沫と裂帛された繊維が散乱する部屋の真っ只中で、長い長い、桃色の髪が乱れ舞う。

 凄惨なその光景に目眩と吐き気を覚え、思わず卒倒しそうになる。扉を開けたまま、玄関先で佇んでいると、やがて凛と澄んだ声が耳に届く。

「ハヤテくん?」










「ハヤテくんったら」

 前に向き直り、適当な相槌を打ちながら歩を進める。

「今日は家に、泊っていかない?」

 あれから幾年かが過ぎて彼女は大学を無事卒業し、東京都内に視点を構える企業へと就職した。

「大丈夫、ご主人様には私から言っとくから」

 あのとき取り付けた、一つの約束事を彼女は今も律儀に守っている。

「え、親?」

 寂しくなったら。会いたくなったら。泣きたくなったら。

「大丈夫」

 彼女は笑う。

「今週は二人で旅行にいってるから」

 紅い滴を爪から滴らせて。

「家には誰もいないの」

 そう言って笑う彼女の表情が、何故だか酷く艶めかしく見えた。





〜 f i n 〜


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