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幼き日に君を見て、今日もまた君に会う(1話完結)
日時: 2013/06/01 17:46
名前: ピアノフォルテ

 『僕には、貴方を幸せにできるだけの甲斐性が無いから』

 あの日、少女は少年に哀しげな頬笑みを向けられた。
 それは否定の言葉であったが、少年の優しさ故のもの。そうと察してしまったから少女は彼を厭わず、むしろその思いを募らせた。幼き恋心を、真に愛と呼ぶべきものに昇華させたのが失恋だと言うのは、何とも皮肉な話である。


 「本当に、しようがないなあ」
 そう呟き、女は頬を吊り上げた。
 日本有数の電機メーカー。その社長の一人娘、瀬川泉は海の泡を彷彿とさせる白いドレスを身に纏い、上機嫌に歩を進めている。しかし彼女を取り囲んでいるのは、その華やかさに相反する鈍色の、コンクリートの壁に囲まれた細長い通路だ。どうやら地下らしく、窓の一つも無い。
 最小限の灯の下に映し出されているのは、さながら深淵へ向かう為に用意されたかのような階段。その底を目指して一歩一歩と潜るという作業は、普通ならば鬱屈とした気分になる所である。
 ――だが、彼女は知っている。
 このミミズの寝床の先にある物こそが、愛した少年を救う為の唯一の手段なのだと。
 不可能を可能にする絶対の力。巨万の富や、世界を屈服させる程の武力が有ったとしても、きっとこの前には全て霞んでしまう――或いは文字通り消え去ってしまうかもしれない――それほどの力を手にしようとしているのに、彼女の目的は唯一つ。
 愛した男の幸せであった。幸少ない彼の人生に、少しでも救いがあれば。それだけで彼女はここまで来た。
 最後の一段を降り、鋼鉄で作られた頑強な扉の前に立つ。
 そのすぐ右隣にあるIDカードリーダーにカードを提示。次にそのすぐ上にあるタッチパネルに暗証番号を入力、全14桁にも上る英数字の羅列を打ち込むと、ようやく扉にキーが差し込めるようになる。
 セキュリティ解錠の手続きを終えて、ノブを握ると、重そうな扉を『持ち上げ』た。
 扉上部に取り付けられたスプリングとワイヤーの機構により、実際はそれほど力は必要無い。
 ――扉と見せかけてのシャッター。
 この設計も、一応はセキュリティ向上の効果があるそうだが、泉にはどう考えても無駄なこだわりにしか思えなかった。
 「やっぱりここの臭いって嫌いだなあ、寒いし」
 靴の音だけが木霊していた静謐な通路から一変、扉の先の地下室ではぶうんという音がそこかしこから聴こえてくる。
 その正体はPCファンの駆動音である。騒音一歩手前の大音響になってしまっているのは筺体の数が一つや二つではなく、二桁を超えているからだ。スペック不足で増設を繰り返し、たしか総数は現在352。
 所謂スーパーコンピューターに該当するのだが、これから行われる実験内容を鑑みれば多すぎるどころか、むしろ心もとない程だ。
 配線を踏まないように奥に進む。
 「相変わらずシュールだねえ」
 図書館の本のように並べられたPC達の間で、それは一際異彩を放っていた。
 シボ○ー社製、1962年式C1型コル○ット。どうしてビンテージスポーツカーが在るのかと言えば、共同開発を行ったジェネ○ル・エレクト○ック社の技術者曰く『浪漫』だそうだ。
 最新エレクトロニクスの結晶たるコンピュータと、何十年も前の骨董品が配線で繋がれているのは、泉の感覚からすると奇妙以外の何物でもない。
 古びて建てつけの悪くなったドアをきいと開き、固いシートに深々と座る。
 ふう、と息を吐いて計器類を一瞥。本来なら在るべきハンドルは無く、タコメーターや速度計が備え付けられている場所には変わりに原子時計が二つ組み込まれている。
 唯一本来とほぼ同じ意味を表示しているのは、燃料計くらいのものだった。その他にも、原型が無くなるまでに内装は改造が施されており、むしろ似ている所を探す方が難しい。
 『Bonjour。――こちらは準備完了。そっちは』
 備え付けのヘッドセットを装着して呼び掛けると、すぐに女性の声が返ってきた。
 極太の光ファイバーで接続された通信は、遥か海の向こうだと言うのに殆ど遅延が感じられない。
 『まだこっちはBonsoirね。眠くて仕方ないわ』
 気だるげな声は、しかし彼女なりの気遣いだろう。隠しているのだろうが、生憎付き合いは長い。声音では解らずとも、眉根を寄せて泉の心配をしてくれている親友の顔が目に浮かぶ。
 『延期なんて言わないでね?』
 泉がおどけて見せると、女性は声を厳しくした。
 『やっぱり、行くのね』
 『その為に、私達は今まで頑張ってきたんじゃない』
 『……今のところ、LHCは安定してる。けれど、いつ暴走するか。それに、2034年にはまだ早過ぎる。これが成功したら、タイターが正しかったとするなら、それこそその時点でパラドックスが起きるかもしれない』
 『大丈夫、信じてるよ。それにその人って、結構嘘も言ってたんでしょ?』
 震えそうになる声を意志の力で抑えつけ、泉は嘯いた。
 信じている――それは、類稀な才能を持った親友への当然の言葉であり、同時に自らを鼓舞するための言葉でもあった。
 『……座標は?』
 沈黙の後、女性は諦めたように問うてきた。
 『うん――私が行くのは……』
 忘れてしまっていたキスの思い出。またあの日に戻れたなら、きっと――
 『じゃあ、始めるね』
 『うん……お願い』
 バチバチと火花が散り、体が見えない力に抑えつけられる。
 高圧のGに歯を食いしばり、時計を凝視していると、その針が動きを徐々に遅くし、やがては制止し、遂には逆転を始めた。

 『ありがとう……ヒナちゃん』


 ◆


 白くなった視界が、再び正しく光情報を処理し始める。
 腕を動かそうとして、泉はもどかしさを覚えた。
 脳の送る信号と、それをアウトプットする四肢の情報が一致していない。
 なんとか手を目の前に持ってくると、まるで紅葉のような小さな掌がぐーぱーを繰り返していた。
 「どうしたの、だいじょうぶ?」
 泉の顔を、幼い少年が心配そうに覗きこんできた。
 ふふ。と思わず笑ってしまう。どうしてこの顔を高校生になるまで忘れていたのだろうか。こんなにお人好しで、優しい人など他にいるはずが無いのに。
 「大丈夫。ちょっと特殊相対性理論について考えたくなっただけだから」
 「そう……?」
 「うん。しってる?Eって必ずm掛けるcの2乗になるんだよ」
 実のところ、開発は他人任せだったので相変わらず物理は苦手分野なのだが、これくらいは自慢してもいいだろうとお茶目心が言ったのである。
 なおも小首を傾げ続けているハヤテの手を、泉は引いた。
 不意を突かれたハヤテはバランスを崩して、泉に覆いかぶさる形になる。
 「わっ……!?」
 慌てて離れようとするハヤテの腰に腕を回し、背中と頭を撫でた。
 「ねえ、本当にどうしちゃったの。へんだよ」
 「嫌?」
 「そうじゃないけど……なんだか」
 母親にもされない抱擁に、ハヤテはただただ戸惑うばかり。
 しかしどうしてか安心してしまっている自分に気付いてしまって、振り払うことも出来ずに少女の愛撫に身を委ねていた。
 この時のハヤテは、本来親に甘えたい盛りだ。それが両親に裏切られたせいで適わなくなっていたせいもあり、むくむくと甘い誘惑が首を擡げて来る。
 その時――ハヤテの脳裏に金色の髪の少女の姿が過る。
 「帰らなくっちゃ」
 ハヤテの呟きには、強さがあった。
 これがあの孤独な少女に出会う前だったら、きっとこのままだっただろうが、今はそれより優先すべきものがあった。孤独を知るが故に孤独を見捨てられない。
 年に見合わぬ価値観は、この時すでに芽生えていたのである。
 す、と泉の腕から力が抜ける。
 「君ならきっと、そう言うと思った」
 今にも泣きだしそうで、なのに嬉しそうで。感情と表情がまだ二極化している年頃のハヤテにとって、その表情は不思議な物だった。
 ふわり、とハヤテの頬に柔らかい物が触れる。
 どうしてか、それは初めて唇にされたキスよりじんと心に染みた。
 「この時間座標は、これからはいつまで経っても私のお気に入り。明日も、明後日も――また大人になっても、ずっと」
 未来は変わらない。そもそも未来を大きく変える行動は出来ない。
 だからタイムパラドックスが起きない。たからタイムトラベルは実現されるのだとは、ヒナギクから訊いた話だ。
 「一つだけ約束して、これからもずっと私のことを覚えていて――貴方はいつだって独りじゃない。困ったことがあったら……私はいつも傍にいる事は出来ないけれど、私は貴方を想い、案じているから」
 「うん」
 泉は知っている。この約束の後も、きっとハヤテは泉の事を忘れてしまう。それでも……
 「……良かった」


 呟くのと、ぶつり、と視界が切れるのが同時だった。


 ◆


 『結局、なんでだったんだろうね』
 『さあね。世界の強制力ってのも、案外本当にあるのかもしれない』
 『つまり、記憶を持った私が過去にいる事で、パラドックスが生じるから戻された。ってこと?それって矛盾してるような』
 本来、泉のタイムトラベルは過去への一方的な物の筈だった
 それが気付けば彼女は再びシボ○ーの中にいて、原子時計もタイムトラベル前の表示となっていた。その後ニ度目のタイムトラベルを実践しようともしたが、出来なかった。
 結局、ヒナギクらの視点からは実験の成功は確認できず、泉の証言は高圧Gが見せた幻なのかも判別できないとの事で、失敗の烙印を押されてしまった。
 東京の雑踏の中で、泉は空を見上げた。
 今となっては、泉本人にもあれが夢だったのか怪しい。
 けれど夢でも、孤独だった少年に本当に欲していた愛をあげられた。きっとただの自己満足。それでも今は良しとするしかない。
 『じゃあ、切るわね』
 『うん、またねヒナちゃん』
 ケータイをポケットにしまう。と、見計らったかのように再びケータイが振動を始めた。
 液晶に表示された名前に、心臓がどくんと脈打った。
 『もしもし、……久しぶりだね』
 『ええ……そうですね』
 告白以来疎遠になっていた男の声に、また少女時代に戻ったかのように泉は緊張してしまう。
 『今はどこに?』
 『お嬢様と一緒に、フランスです。何でもアニメの影響でCE○Nを見に行きたいとか言いだして』
 『変わらないねえ、ナギちゃんは』
 ごめん、そこガチでタイムマシン作ってるから。とは泉は言えなかった。
 『泉さんも、お変わりないようで』
 『うん』
 話題が途絶え、居心地の悪い沈黙が流れる。
 何か言うべきなのだろうが、喉が渇いて声が出ない。
 永遠とも感じる時間が流れて、やがて沈黙を破ったのはハヤテだった。
 『本当に、変わらない……本当に、久しぶりですね』
 ハヤテの言葉は要領を得ていない。言葉の意味を咀嚼するのに、泉はまた時間を要した。
 やがて理解に至り、より一層心臓が激しく脈打った。
 空が青い。薄い雲は、丁度泉のドレスと同じ色だった。
 『ねえ、アナタの人生は幸せ?』
 『ええ、とても。僕は、確かに愛されていた。そして、今も』
 空が滲んでいる。観測された過去は変えられない。しかし無限の可能性を持つ未来ならば、ハヤテが思い出したとしても不思議はないのだ。
 『けれど、やはり僕は泉さんの想いには答えられない』
 『うん、解ってる。今のアナタにも、大切な人は居るものね。そうだから、私はアナタが好きだったんだよ』
 『……すみません』
 ケータイの向こうで、我儘そうな女性の声がした。
 『大丈夫だって。ほら、奥さんが呼んでるよ。こんな電話訊かれたらまずいでしょ。早く行かなきゃ』
 言って、返事を待たずに泉は通話を切った。


 ふと時計を見る。短いつもりだった時間は実に分針が180度反転するほどに経過していた。
 「あーあ。これが相対性理論かあ」


 泉は空に向かってぐん、と背伸びをした。

                                   fin
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Re: 幼き日に君を見て、今日もまた君に会う(1話完結) ( No.1 )
日時: 2013/06/06 00:32
名前: 原宿の神


 ピアノフォルテさん、こんにちは。いつぞやは小説の書き方掲示板でお世話になりました。

・・・お世話になっておきながら、未だなんの議題も提出できていないのが心苦しいばかりですが・・・(汗)


・・・えっと、それでは、お初に感想を書かせていただこうと思います。


タイムマシンによる時間逆行を題材とし、泉によるハヤテ救済の物語。・・・とてもユニークな発想だと思います。

こういった学問の絡む題材というのは、ある程度教養と知識のある人でなければ書きづらく、また読みづらいものだと

思っていたのですが、物理の知識が皆無な自分でもさほど苦もなく読み進めることができました。

・・・まあ、「相対性理論ってなんぞ?」みたいにところどころ単語でつまづいたりもしたのですが・・・(笑)

・・・教養なくてすみません・・・

それに、地の文の流れがすごく綺麗で、自分の書く素人小説のようなコテコテの心理描写があるわけでもないのに、

泉の必死さ、真剣さがよく伝わってきました。こういった心情から何からすべてをしつこく説明するのではなく、

最低限の記述の中で読者の想像を駆り立てるような言い回しというのは、読んでいてすごく勉強になります。

・・・どれ、とはあえて申しませんが、いくつか思わずハッとなるような言い回しを見つけたので、ちょくちょく盗ませていただこうと

思っております(笑)


この小説だけでは、泉やヒナがタイムマシンによる時間逆行を目指すことになったきっかけや、現在のハヤテの生活など、

謎の部分が多く、そこがまた想像力を掻き立てられていいと思います。


・・・ただ、一つ気になってしょうがないのが・・・ハヤテの奥さん誰なんでしょう・・・?

なんか文章のなかだとナギっぽいですが・・・まさかアテネってことはないですよね・・・?


と、まあそこだけがちょっと気になりまして・・・そこ以外は想像で勝手に捏造させてもらうことにします笑



それでは、長々と語ってしまいましたが、それだけすばらしい小説だったと思います。

これからも楽しみにしておりますので、執筆がんばってください!


この作者は、誤字脱字の連絡を歓迎しています。連絡は→[チェック]/修正は→[メンテ]
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Re: 幼き日に君を見て、今日もまた君に会う(1話完結) ( No.2 )
日時: 2013/06/07 12:42
名前: ピアノフォルテ

 >原宿の神さん

 こんにちは、感想有難うございます。


 >未だなんの議題も提出できていないのが心苦しいばかりですが・・・(汗)

 あくまであちらは、「ツール」の一つですのでお気になさらず。何かあった時に使って頂ければそれで充分ですよ。


 >学問の絡む題材というのは、ある程度教養と知識のある人でなければ書きづらく、また読みづらいものだと思っていたのですが、物理の知識が皆無な自分でもさほど苦もなく読み進めることができました。

 大丈夫です。私も物理学は詳しくないですからw
 あくまで知識は「ソレっぽさ」さえ出せれば良いかな程度で使ってます。
 タイムマシンのネタ元は「ジョン・タイター」という、ネット上に実在した(自称)タイムトラベラーによる書き込みです。形状なんかはほぼそのまんまw


 >この小説だけでは、泉やヒナがタイムマシンによる時間逆行を目指すことになったきっかけや、現在のハヤテの生活など、謎の部分が多く、そこがまた想像力を掻き立てられていいと思います。
 
 ここまで事細かに書いてしまうと一話完結じゃ無理になるんですよね。
 抽象的になったのは、狙ったのが半分、実力不足が半分。
 しかし、好意的に捕えてもらえてよかった……(ホッ)
 奥さんに関しては、別に誰でもいいかなあと思っていたり。
 原作の流れからして、ナギかアテネが最もスムーズな結末かなと思っているので、そのどちらともとれる文にしました。お好きな方でどうぞ。

 
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