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蝶々(一話完結)
日時: 2013/03/28 08:31
名前:
ピアノフォルテ
「――もしもし、僕だ。
ああ、そうだ。この件についてだ。
ふむ。……ふむ。そうか、ならば仕方がない。
まあ、上手くやるさ。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」
僕はケータイに向かって、ぼそぼそと語りかけていた。
ケータイのスピーカーは、ひたすらに無言を返している。それもその筈。なにせ発信そのものをしていなのだ。……イエス。ディス・イズ・ザ・厨二秒。
首を巡らせて、現状を確認した。
フゥーハハハハハ。と笑いだしたかった。けれど漏れてくるのは、乾いた吐息ばかり。
僕は女性の前に立っていた。あどけなさの残るその人は、憔悴しきった顔で呼吸を荒げながらしかし、満足げに微笑んでいる。
――僕はこの人を知っている。
彼女の腕には小さな命。母の頬の赤みを奪ったかのように真っ赤な顔をしていた。すうすうと寝息を立てている、余りにも脆い姿。けれど、僕はその子を愛らしいとは思えなかった。
――僕はこの子を知っている。
「ありがとう、君が居てくれたおかげで無事この子は生まれることができた」
僕の隣にいた男が、目に涙をためながら何度も、何度も頭を下げた。
人懐っこい笑み。貧相な顔は、僕が良く知る人物によく似ている。
――僕はこの男を知っている。
男が握手を求めて手を伸ばしてきた。
ざわり。と肌が泡立つのを感じた。
「この子の名は?」
僕は男の手に気付かないふりをして、視線を赤子に固定し続ける。
男は行き場を無くした腕を宙に彷徨わせ、それから諦めたのか腕を引っ込めて人懐っこい、しかし僕にはどうしても薄っぺらく映る笑みを僕に向けた。
「ハヤテ――と」
僕は、ああ。と呻いて目を手で覆った。
そう。僕は過去にタイムスリップしていたのだ。
◆
何故。という問いを掛けるべき相手も居ない。僕はただ途方に暮れていた。
ここに来る前の記憶すらなかった。1.21ジゴワットの電力を利用して車を走らせたわけでも、電話と電子レンジを合体させた奇天烈家電を起動させてメールを送ったわけでも、人工衛星じみた機械に乗り込んだわけでも、子供の頃に書いた日記を見つめていたわけでも、四次元に繋がる引き出しを開けてタヌキ型のロボットに出逢ったわけでもない。
なのに、僕はいきなりまだ昭和の臭いの残る東京に現れて、そこで道端に倒れ伏している女性を助けてしまったのだ。
まあ、それくらいの余裕があったという事だ。過去に飛んだ経験はこれが初めてではないので、そこまで混乱してはいないのである。どうせ、放っておいても僕は未来に帰れるのだろう。変な話、僕はこういう状況に慣れてしまっていた。
「それで、君の名前はなんと?」
男――つまり僕の父である――綾崎瞬は、相変わらずの笑みを浮かべている。
「この子と同じですよ」
僕は身震いをこらえながら言った。もしかしたらかなり冷たい言い方になってしまったかもしれない。
「そうか、じゃあ命の恩人と同じ名前なんだね。それでは余りにも恐れ多い」
父さんはそう呟いた。
――暗転――
「雪、はやくしなさい。御飯よ」
女性の声と、料理の良い臭いで僕は目を覚ました。
僕は今に戻ってきていた。ただ、場所の見当だけがつかない。
狭い四畳半のスペースに、寝っ転がって薄暗くなった蛍光灯を見上げていた。
「……知らない天井だ」
さて、ここはどこだろうと体を起こして、自分が学生服に身を包んでいることに気付いた。白皇学園の制服では無い。前に通っていた都立高校のものだ。
「雪ー?」
また、女性の声がした。盆を持って僕のいる居間にやってきたその人の姿に、言葉を失った。母さんだ。母さんが手作りと思しき料理を手に持っている。
失礼かもしれないが、ある意味タイムトラベルよりファンタジーだった。
「雪解(ゆきげ)。起きてるのなら、返事くらいしなさいよ」
母さんが小さなテーブルに皿を置いていく。
「それ、誰」
半ば答えを察しつつ、僕が訊ねると、母さんは愛らしく小首を傾げた。こういう年に見合わぬ幼い所は、記憶にある母の姿と合致している。
「寝ぼけてるの?私と瞬君の大事な大事な息子である、貴方意外に誰が居ると言うの?」
「ハヤテじゃなくて?」
母さんはぽかんと口を開けた。驚いているらしい。
「その名前……瞬君にでも聞いたのかしら」
僕は苦笑した。そうか。今の僕は雪解と言う名なのか。
「うん。面白い冗談だったでしょ」
はぐらかすと、母さんはかんらかんらと笑った。
「うんうん、雪も少しくらいはジョークを覚えなきゃならない年頃よねえ。
実は部屋にはエッチな本とかもあったりして」
「無いよ」
即答すると、母さんは笑みをいやらしいものに変えた。
「ほっほう。ならばベッドの下のいかがわしい雑誌は処分しよう」
なにやってんだよ。僕。
「母さん、雪を苛めるのはそれくらいにして、飯にしようぜ。父さんはどうせ残業で遅れるんだろ」
キッチンから残りの皿を持って現れたのは、顔に大きな傷のある青年だった。
「イクサ兄さん」
「お、なんだなんだ。その顔は、そんなに兄の顔は恰好良いか。そうかそうか」
がはは。と兄さんは豪放に笑った。この人は、本当に変わらない。
それより待て、兄さんは何と言った。父さんが……残業?
「え、あの父さんが働いてるの?」
「おいおい、ソレは酷すぎるぞ。少ない稼ぎとは言え、我が家の大黒柱を卑下するんじゃない」
皿を置き終えた兄さんは、僕の頭を軽く叩いた。
母さんがまた笑っていた。ここにあるのは世間一般的な家庭の姿。綾崎ハヤテの求めた幸せの形。
がちゃり。と玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
父さんが帰ってきたようだ。
「お帰りなさい。今日は遅くなるんじゃなかったの」
母さんが慌てて駆けて行った。
「思ったより早く終わったよ。たまには皆と食卓を囲みたいからね」
幸せだった。僕が知る僕の人生は、こんなに暖かいものでは無かったのに。
僕はこの安らかな世界で一週間を過ごした。
普通に学校へ行き、友達と談笑した。真面目に勉強して、僕が所属していた陸上部でも頑張った。楽しかった。この上ないほどに。綾崎雪解の人生は、充実していた。世界には良い人しか居なかった。
けれど、そこには……綾崎ハヤテという不幸な少年だけが存在していなかった。
――暗転。
僕は僕が生まれる日の母の前に立っていた。
出産が近いと言うのに、どうして誰もいない道端で倒れているのか。
理由は定かではない。どうでも良い。
僕は、地に伏して呻く女を――
救わずに歩み去った。
すぐ後に、父が母の下に駈けつけてきた。
慌てて僕は狭い路地に逃げ込む。
――父は叫んでいた。
「おお、どうして、どうして天は僕達にこうも厳しく当たるのか。何故人は、こうも優しくないのか。理不尽だ。理不尽だ」
恨み文句を並べる父の姿を、僕は心に焼き付けた。
「ならば、俺は世界を利用しよう。潔白な人間が馬鹿を見るなら、俺は全ての人間を馬鹿にしてやる。この世でもっとも醜い道化に、クソ野郎に成り果ててやる」
それは無理だ。と僕は思った。この人より、自己中心的理由で自分の母さえ見捨てた男の方が余程醜いのだから。
――暗転。
「はは。知ってる天井だ」
僕は、最も見慣れた場所に返ってきた。
ベッドから飛び起きて、机の上に置いてある教科書を裏返す。
そこには「綾崎ハヤテ」と僕の字で描いてあった。
僕は、くつくつと笑いに肩を振るわせた。
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バタフライ効果。
蝶の羽ばたきで起きた風が要因となって、海の向こうで竜巻が起きるように、些細な違いが、重大な結果を招くことになることを指した言葉です。
元はタイムトラベルでは無く、カオス理論の用語です。まさしくその名を冠した実写映画が作られ、それを元ネタの一つとしてかの有名な「シュタインズ・○ート」が出来ました。(どちらも、タイムトラベルを題材にした作品の中でも非常に面白い作品です)
いつか、この作品群並に密に時間軸を計算してタイムトラベル作品を書いてみたいと思っているので、その実験として作ってみました。
……正直、上に挙げた二つの作品が素晴らしすぎて同じベクトルでは長編を作り難いんですよねえ。
でも、私にとってタイムトラベルは、恋愛物の最高峰として崇めているロバート・F・ヤング作「たんぽぽ娘」から憧れている分野なので、多分いずれやらかすと思います。
既に執筆のはじまっている次回作(いつ発表するかは、まだ不明です)も、時間を遡ったりはしないものの、時間をテーマの一つにしていますし。
私は時と言う言葉自体にロマンを感じてしまう(特殊な性癖過ぎるw)人間なのです(笑)
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