Re: 群青(紅クロス) 第四話『白皇学院』更新 ( No.6 )
日時: 2015/03/17 23:50
名前: S●NY

「ハヤテぇ!!何処に居るのだ!!ハヤテぇぇぇぇぇっ!!」

 ナギは激怒していた。
 目を覚ますと男臭い布団を引っ剥がし、首が痛いことに気がついた。
 なんと薄い枕だろう。ついでに布団も薄く、なにか臭う。
 よくこんな場所で寝ていられたものだ。昨日の自分はそれほど疲れていたのか。
 辺りを見回すと、昨晩使用人になった少年の姿はない。食事の準備もされていないようだ。
 こんなこと、ナギの人生で一度としてなかった。ハヤテを探すため部屋を出る。

「ハヤテぇ!ハヤテぇっ!!……おのれぇ、私が呼んでいるというのに、ハヤテっハヤもぐぅ!?」

 ハヤテの名前を呼びながら廊下を闊歩していたナギは、突然口元を押さえられ黙らされる。
 なにものだっ!!眉間に皺を寄せ、口元を押さえつけられた手を噛み千切ってやろうとした途端、それを察したように手は離れる。
 変わりに身体を抱きしめられた。

「なにこのこぉ鬼かわいいぃいいい、お肌すべすべだぁああああ」

 なんなんのだこいつは。仮にも三千院である自分にべた付いて来る奴などナギは初めてみる。
 どうやら敵意はなさそうだが、その口はアルコールの臭いが充満している。酔っているのか。

「お嬢ちゃん、お名前は?」
「三千院ナギである」
「わぁぁぁ声も話し方もかわいいいいいいいい」
「は、離すのだっ!お前は誰だっ」
「白皇学院の先生やってます雪路でぇっす。二日酔いで午後から出勤でぇす。……うぷ」

 おええええええっと近くにあったバケツに覆いかぶさってなにやらやっている。
 離れてくれたのでナギにとっては一安心だが、目の前の光景はあまり見たいものではなかった。
 ひどく苦しそうなので背中を撫でてやる。ありがとぉとか細い声がバケツを通して聞こえてきた。

「お前はここの住人か。私はハヤテを探しているのだ、見なかったか」
「あー、ハヤテくん?」
「そうなのだ」
「うーん、学校じゃない?」
「……学校?それは同年代のものが集まり学問を学ぶ場所か?」
「そうよ。ナギちゃんは学校行かなくていいの?」

 その言葉を聞いたナギは雪路の目を覗き込む。
 雪路の心の奥底に潜り込むように。

「行っていない。学校とは学問を学ぶと同時に社会に出る下準備を整える場所だろう?」
「まぁ、そうね」
「ならば私には必要ないのだ」
「なるほどねぇ。……ふむ、じゃあ行ってみない?学校」

 雪路は午後から学校へ向かうという。そこにはもちろんハヤテもいる。
 ハヤテの午後からの授業は丁度雪路が担当するらしい。ハヤテの隣に席を並べることもできるという。

「いかないのだ」

 ナギはきっぱりとそう言う。
 しかし、その表情には微かな未練が見えた。

「ただ、食事が……」
「なんだ、もう起きたのか」

 突然かけられた声にナギと雪路は身体をびくりと硬直させた。
 ナギは自分のお腹に手を当てて、雪路は口を膨らませている。

「うぷっ、くぷ」
「口を開くんじゃない。どうしても話したいなら口の中のものをバケツに出してからにしたまえよ」

 ぐぅええええええええええっと雪路はバケツに再び覆いかぶさる。
 ナギは突然表れた黒ずくめの女性から目を離さない。

「お前は何者なのだ?」
「私は黒須だ。どうぞよろしく、少女」
「うむ、よろしく。私は三千院ナギなのだ」

 堅苦しい挨拶をすませた後、ナギは黒須をしげしげと眺めた。
 全身真っ黒の服装に、腰まで届きそうなほど伸びた髪も真っ黒だ。そこに艶はなく、絵の具の黒をべたりと塗りたくったような色。

「……お前は魔女か?」
「いや、私は悪女さ」

 突然のナギの言葉に、気分を害したふうもなく黒須は答える。

「悪女?」
「男を手玉に取り、金を貢がせ優雅に生きる、女として最上の生き物だよ」
「それはすごいのだ」

 黒須の言葉にナギは本気で感心する。
 尊敬の眼差しを向けられる黒須は、眉を少し曲げると少女の未来が不安になった。

「ところでお腹は空いていないかね」
「腹ペコだ」
「少年からお金をもらった。私は料理ができないが、コンビ二弁当くらいは用意できる」
「おおっ」

 ナギは目を輝かせる。が、すぐに頭を疑問符で埋め尽くされた。

「コンビ二弁当とはなんなのだ?」
「ついてきたまえ」

 人差し指と中指の間に野口英世をひらつかせながら、黒須は背を向ける。
 ナギはとてとてとその背中を追った。

「しかし黒須はすごいのだな。ハヤテを手玉にとっているのか」
「……正確には私じゃないがね」

 そんな会話をバケツの中で聞きながら、雪路は自分の義弟の将来を真剣に案じたのだった。





「ぶわっくしょい」
「うわっ、汚ねぇなぁ」

 ごめん。とハヤテは鼻を押さえた。
 昼間はそれほど寒くはなかったが、やはり日が暮れると冷えてくる。
 ハヤテは学校からの帰り道、親友の宗谷と会っていた。

「まったくこれで口まわり拭けよ」
「ありがとう。あれ?これ……」

 差し出されたのは水色のハンカチ。以前自分が使っていたのと同じものだ。

「歩から預かった。あとこれも」
「あ、お金」

 渡されたのは茶封筒。中身は1万円札が5枚。

「いらないっていったのに」
「そういうなっての。歩の親御さんまで家に来て渡してきたんだ。本当はもっと寄こそうとしてきたんだぜ」

 そういう宗谷は不機嫌そうだ。悪いことをしたなとハヤテは反省する。

「お前なぁ、お金受け取らないのはまだしもハンカチとか渡すんじゃねーよ」
「ごめん」
「お前に会わせろってすげーうるさかったんだ。学校でもお前のことが噂になってる。勘弁してくれよ」
「ごめん」
「嫌なことはなるべく早く忘れたほうがいい。特に俺達みたいなのが関わらなくちゃならない事はな」
「うん」

 確かにそうだ。あれは単なる事故だ。避けようのないことだったのだ。彼女がなぜあんな目に遭ってしまったのか、それさえ覚えていてくれれば。もう、自分から飛び込んでくることはないだろう。
 自分と関わったことは、彼女の受けた仕打ちは、忘れてしまったほうがいい。
 忘れなければ、自分のようになってしまうから。

「ありがとう。実は急な出費が増えて困ってたんだ」
「出費……新しい仕事か?」
「よく分かったね」
「分かるさ。お前は神か仏かってくらい物欲のないやつだからな。それとも女でもできたのか?」
「ち、ちがうよっ」

 否定はするが、女性が絡んでいることには違いない。
 宗谷は慌てるハヤテをみて、ふーんと意地悪そうな顔をするがそれ以上は追求してこなかった。
 再び真剣な顔になる。

「俺の力はまだいらない?」
「……多分、まだ」
「そうか、情報がほしくなったら何時でも言えよ。俺もがんばってしらべるから」

 宗谷はそういって右腕をぱしぱしと叩いた。自分の力を誇るように。
 南野宗谷の祖父は、裏世界では名の通った腕利きの情報屋だった。
 戦前戦後の混乱期、そして高度経済成長期に暗躍した凄腕の情報屋であり、その人脈はすべて孫の宗谷に受け継がれている。
 本来ならば宗谷の父の代で廃業するはずだった情報屋だったが、ハヤテが揉め事処理屋をすると聞いた宗谷は半ば無理やり後を継いだのだ。
 宗谷はハヤテにとって、唯一無二といってもいい親友だった。
 情報屋ともなればそれだけ命を狙われる。そんな世界に自分のために踏み込んでくれた親友。
 三千院という権力の巣窟を覗き込ませる危険は、できれば避けたかった。

「ずいぶん遅くまでしゃべっちゃったなぁ。じゃ俺は帰るわ」
「うん。またね」

 じゃあなー、と手を大きく振る宗谷を見送って、ハヤテは帰路につく。
 日は地平の彼方に沈みかけ、傍を通る車もライトを付けて走っている。
 冷たい風がぴりぴりと頬を叩き僅かな光を背中に浴びながら、ハヤテは暗闇に向かって歩き始めた。




 部屋に帰ってきたハヤテを待っていたのは、腹減ったーの大合唱だった。
 おもに叫んでいるのは食器を箸でチンチンたたいている雪路だが。

「おそいぞー。先生そんな非行少年に育てた覚えは無いぞー!!」
「なんで義姉さんが部屋にいるんですか。黒須さんまで……」
「少年、それがこんな時間まで子供2人を見ていたものに言う態度かね」
「ハヤテェ!遅いではないかっ!お腹がすいたのだっ!!」

 帰って早々この大惨事に頭を抱えたハヤテだったが、ふと部屋が暖かいことに気づいた。
 部屋の隅を見てみると、電気ストーブが置いてある。

「これナギちゃんの入居祝い。部室から持ってきたわ!」
「……『持ち出し厳禁』って書いてありますけど」
「いーのいーの」

 今日の帰り際、動画研究部の部室の前を通ったとき、雪路ちゃんおうぼうだよー、だの、くぉおおおおおポーカーでしょうぶじゃぁああ、だの五月蝿かったのはこれが原因か。
 ハヤテとしては部屋が暖かくなるのは大歓迎ではある。

「今準備するから待っていてください」

 そう言って、四人が囲むちゃぶ台の上にガスコンロと鍋が置かれた。
 思わぬ臨時収入が入ったので奮発してみたが、やはり正解だったようだ。
 鍋の中身は湯豆腐。
 黒須も雪路も料理はそれほど上手くないので、必然的に鍋の管理はハヤテになる。
 鍋物は初めてなのか、ナギは興味深そうに煮え立つ鍋を見ていた。
 ハヤテが器に豆腐と白菜を入れて渡すと、ナギはフーフーと冷ましながら食べ、少し笑う。気に入ったらしい。
 その間に雪路は缶ビールを10本もあけ、黒須もちびちびとやっていた。

「そんでぇ、ヒナとはどこまでいったの?」

 酔いが回ってきた雪路がハヤテの首に腕をまわすと、強引に引き寄せる。
 赤ら顔で据わった目をした姿は、酔ったおっさんと変わらない。

「別に、なんにもないですけど」
「じゃあ、いいんちょさんか!!こぉのスケコマシ!!」
「変なとこ触らないでください」
「いいじゃんかぁ、ケチ、ケチ、ケチー。私にも潤いをくれぇぇ」
「苦しいです」
「ああぁん、うれしいくせにぃー」
「……息、臭いですよ」

 ひでぇ!と叫んで雪路の身体が離れる。そのまま、乙女心が傷ついたぁとボヤきながら今度はナギの傍に。

「ナギちゃんこいつどう思う?酷いよね!?酷いよね!?」
「ハヤテ、あまり雪路をいじめるなっ」

 自分がいなかった間にどれだけ仲良くなったのか。
 もともと女性ばかりで肩身が狭かったところに依頼主まで懐柔されては、ハヤテも天を仰ぐしかない。

「いつの間にそんなに仲良くなったんですか」
「一緒に買い物に行ったもんねー」
「そうだぞ!!アイスクリームは美味しかった」
「あ、ハヤテくん。あとで500円貰うわよ」

 目の前に暴君がいた。
 しかし文句を言っても仕方がない。姉とはそういうものだと、桂家で過ごしてハヤテは分かっている。
 ため息をひとつ吐いて、自分の皿の豆腐をつつく。
 ちらりと目をナギのほうに向けると、雪路の股の間に座り楽しそうにご飯を食べていた。
 ハヤテは雪路とナギの関係を見て少し羨ましく思う。どうやらナギは自分に心を開いてくれていないらしい。
 自分の笑顔を気持ち悪いと言って跳ね除けられてしまった。しかし、ナギの傍にいる雪路は顔を弛ませて笑っている。
 それに呼び方も。

(……お嬢様って言わなくてもいいのかよ)

 自分とは何が違うのだろうか。
 ハヤテは真剣に考える。自分の役目はこの子を守ること、でも依頼主が心を開いてくれなければ仕事にも支障が出る。
 そもそもナギが誰から狙われているのか、それすらも自分は分かっていない。

「……あの、お嬢様」
「ん、なんだ?」

 さっきまで雪路と楽しそうに話していたのに、ハヤテの方を向くと眉間に皺が寄っていた。
 ハヤテは気にせず続ける。

「どんな奴に狙われているのか、大和さんから聞いていませんか?」
「雪路、この白菜はうまいな。気に入ったぞ」

 無視された。

「楽しい食事の席で仕事の話とは感心しないな、少年」
「そうだそうだー」

 大ブーイングだ。

「んー、でもさナギちゃん私も気になるわ。こんないたいけな処女を誰が狙っているのか」
「おい酔っ払い、やめてください」

 雪路のあまりの言動に慌ててハヤテもストップをかける。
 釘を刺さなければ、エロ親父と化した雪路は何処までいくか分かったものではない。

「……ふむ。誰に狙われているか、か」

 雪路の言動を意にもかけず、ナギは自分の皿を見つめて黙り込んだ。
 その顔には困惑の表情が見える。ハヤテは静かにナギの言葉を待っていた。

「ハヤテ、お前の知りたいことに私は答えられない」
「どうしてですか」
「なにも語るな、と大和から言われている」
「そんな……」
「よくは分からないが、そういうことは言わぬが花らしい」

 わけがわからない。
 それもまた、大和の直感とかいうものなのか。
 それとも自分を試しているのか。
 ハヤテが何処までできるのか、それを計るのが大和の目的という可能性。それにしても、ナギの護衛というのはリスクが高すぎると思った。
 悩むハヤテをナギはしばらく見つめていたが、やがて雪路に湯豆腐を取ってくれるようにお願いする。
 そして、熱々の湯豆腐から昇る煙を顔に浴びながら、呟いた。

「……本当にお前で大丈夫なのだろうか」
「え?」
「なんでもないのだ」

 そう言うと、ナギは再び雪路との会話に花を咲かせたのだった。