secret nightmare【11】 ( No.31 )
日時: 2015/04/21 11:52
名前: 春樹咲良

caffeine


夏といえば,というほどのことでもないけれど,ここ最近よくアイスコーヒーを飲むようになった。
ただのアイスコーヒーではない。ハヤテ君の特製である。
ハヤテ君の作ってくれるアイスコーヒーが美味しくて,毎日のように飲んでしまう。
そう,彼の作ってくれるアイスコーヒーは,特別美味しい。
――特別,美味しいのだ。


今日も客足のまばらな喫茶どんぐりのカウンターで,アイスコーヒーを飲みながらハヤテ君と談笑する。
ホットでもアイスでも売られる缶コーヒーが広く流通する今となってはピンと来ない人がいるかも知れないが,アイスコーヒーというものは,単に普通のコーヒーを冷ましただけでは作れない。
いや,それでも「アイスコーヒー」にはなるのだろうけれど,ホットで淹れたときと比べて,風味が明らかに劣ってしまうのだ。
それを避けるためには氷のたくさん入ったグラスに注いで一気に冷やすのがいいとされているが,氷で薄まってしまう分を計算して,あらかじめ濃い目に抽出する必要がある。
そういう手順を見越して,アイスコーヒー用の焙煎をした豆も流通している。
意外と手間がかかるのだ。ハヤテ君に説明してもらうまでは,私もよく知らなかった。
聞いたところでは,アイスコーヒーはそもそも日本以外ではあまり馴染みのない飲み物らしい。
古き良き日本の喫茶店文化の中では,大きな位置を占めた飲み物の一つであったらしく,夏場に「アイス」という注文があれば普通,アイスコーヒーを指すと言われていたほどだという。
それこそピンと来ない話だ。

「関西人でも,『冷コー』とか言うのはかなり年のいった世代だと,咲夜さんが言ってました」
「ある意味,死語よね」
「レモンスカッシュを『レスカ』とか言って注文するお客さんもたまにいらっしゃいますけど,ほぼ年配の人だけですね」

喫茶店自体が減少傾向にある今となっては,よほどのこだわりがない限り,今説明したような手間をかけたアイスコーヒーを作ったりはしていない。
ここ喫茶どんぐりでも,普段は業務用のアイスコーヒーを仕入れて提供している。
いくらコーヒーが好きと言っても,真夏に熱いコーヒーを飲むほどではない私にとって,アイスコーヒーは夏場の飲み物の選択肢としては魅力的なのだが,いかんせんこの業務用アイスコーヒーというのが,私に言わせると全然美味しくない。

そんな愚痴をこぼしていたことを覚えていたのだろうか。
あるとき,私がハヤテ君にアイスコーヒーを注文すると,彼が気を利かせて,手間をかけた方のアイスコーヒーを用意してくれた。
何も知らずにそれを口にした私は,初めてコーヒーを飲んだ人みたいな顔をして,しばしの間固まってしまった。
今までに飲んだことのない味のコーヒーだ。
ふと顔を上げると,にっこりと笑うハヤテ君と目が合って,そこで我に返ってから,改めて感嘆の声を漏らした。

『なにこれ,おいしい』

それ以来のことである。
私がハヤテ君に注文したときだけは,ハヤテ君特製のアイスコーヒーが出てくるようになった。
それが恒例になり始めた頃に,裏メニューみたいなものかな,と何の気なしに言ってみると,ハヤテ君はこう答えた。

「まぁ,まかないというか,従業員割引というか,そんな感じですかね」
「同じ値段でお客さんに出すよりも上等な商品を飲むっていうのもどうなのかしら」
「業務用アイスコーヒーを割引で出すよりも,従業員の福利にかなっていると思いますよ」
「ふふ……そうね。まぁ悪い気はしないわ」

悪い気はしないどころか,本当は飛び上がりたくなるほど嬉しいのだけれど,それを表に出さないように抑えながら,私は今日もハヤテ君の作るアイスコーヒーを口にする。
そう,これは特別。ハヤテ君から私への,特別なのだ。
だから,あなたと居るときにはいつも,アイスコーヒーが飲みたくなる。
アパートに居るときでも,私がアイスコーヒーを頼むと,ハヤテ君は特別美味しい一杯を用意してくれる。

とくべつ――
いつだって,あなたの特別であり続けたい。
アイスコーヒーを口に含むたびに,融けた氷がカランと音を立てるたびに,水滴で覆われたグラスを触れるたびに思う。
これから私が飲むアイスコーヒーが全部,特別美味しければいいのに,なんて。
テーブル席に座った中年女性の二人連れに,フレンチトーストを運ぶ彼の背中を目で追いかけながら,そんなことまで考える。
ああ,そうだ。
この間は,これに近いことを言って,よく分からない勘違いと後悔に見舞われたんだったっけ。
相変わらず,恋が絡むとまるで自分が自分でなくなってしまったかのようになる。
思ったことが,適切なことが言えなくなってしまう。
ある意味で彼の鈍感に助けられているところはあるのだろうけれど,それにしても一体,いつまでこうしているつもりなのだろう。

「このアイスコーヒーだったら,何杯でも飲めそうな気がするのよね」
「ダメですよ。カフェインは体を冷やしちゃいますからね。飲み過ぎはよくないので,一日一杯までにしましょうね」

これから飲むアイスコーヒーが全部美味しければいいのに――
難しいことではない。ハヤテ君の作るもの以外のアイスコーヒーを飲まなければよいのだ。
――そんなこと,無理じゃないかって?
じゃあ,ハヤテ君のそばにずっと居るのと,どちらが難しいかしら?
そんな,答えの出ない問いを何処へともなく投げて,お茶を濁してばかりだ。
いや,これはコーヒーなのだったか。
茶色く澄んだ液体と氷で満たされたグラスを覗き込みながら,顔を上げずにつぶやく。

「ちぇ。こんなに好きだって言ってるのにな」

こんなに,好きだと。
あなたの作るアイスコーヒーが好きだ。
つまり,アイスコーヒーが好きだ。いや――
いやいや,違う違う。もちろんそうだけど,そうではなくて。
つまるところ,私が好きなのは――

「……分かっていますよ」

……いいえ,あなたは,分かっていないわ。
頭の上に降ってきたハヤテ君の答えを受け止めながら,言えない言葉を飲み込む。
言いたくても言えないままでいる私は,いつまでこのままなのだろう。
でも,言わなくても分かって欲しい,なんて都合のいいことを思ってしまうから。
だから私はいつまでも,あなたとの距離を変えられない。

「言ってくれれば毎日でも,一日一杯までは用意しますから」
「……冬になってもアイスコーヒーが飲みたいって言うかしら」

――冬になっても,あなたとの距離は縮まらないままだろうか。
私がそう言えば,コーヒーを作ってくれるような。
私がそう言えば,毎日,私に特別を用意してくれるだろうか。
私がそう言えば――
――私はあなたの特別でいられるだろうか。

「もちろん,アイスコーヒー以外でも用意しますよ」
「……そんなことを,今まで何人の女の子に言って来たの?」
「いやだなぁ,ヒナギクさんってば」

ニコニコと笑うハヤテ君は,そう答えただけでこの話を切り上げてしまう。
何だか,どうしてもうまくかわされてしまうように感じるのは,気のせいなのだろうか。
恋愛が絡むと信じられない鈍感を発揮する,と勝手に思っていたけれど,最近はどうも,その評価にも違和感を覚えるようになってきた。
いや,恋の駆け引き,なんて器用な真似ができないことが明らかである私には,そんな違和感を自分の振る舞いに反映させることもままならないのだけれど。
つかみどころのない人だ。

それでも,離れられないままでいる。
いつの間に,こんなに深みにはまってしまっていたのだろう。

グラスに目をやると,残り少なくなったコーヒーが,融けた氷で薄まっていた。
ハヤテ君に「一日一杯まで」と釘を刺されてしまっては仕方がない。

「さて,と」

名残惜しい気持ちと一緒にそれを飲み干してしまってから,私は席を立った。


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またしてもお久しぶりです。なんと,こちらの更新はほぼ1年ぶりになります。
1年全く更新がない,ということにならないようにとは思っていたのですが…。
掲示板の1ページ目に作品が残っている間に更新出来てよかったと思うことにします。

さて,1年越しで書くほど大した話でも無いのですが,今回は何となく前回の「アイスコーヒー」から話を繋げてみました。
書いている当人が基本的にコーヒー飲みすぎということもあって(このあとがきもコーヒー飲みながら書いている),私の書く話の中では登場人物に特に意味もなくコーヒーを飲ませてきたのですが,その辺りから話を作れないかという試行錯誤の結果がこれ。
皆さんもカフェイン依存症には気をつけましょう。私は手遅れです。
今回は少し,改行の方法を変えてみました。長く間が空いたので,多少のスタイル変更くらいは許容できるかなと考えました。

ハヤテとヒナギクの会話以外の要素を削り落としているこの作品の性質上,どうしても舞台がマンネリ化しがちなので,何か打開策を考えたいなと思っているところです。
本編もナギ達が屋敷に戻ったり,2学期が始まったりしていますから,その辺をうまく取り入れられるといいなぁ,などと。

それでは,次がいつになるかはわかりませんが,今後ともよろしくお願いいたします。