secret nightmare【8】 ( No.21 )
日時: 2013/07/29 18:50
名前: 春樹咲良

tear


それは,とても不思議な感覚だった。
真っ暗で,何も見えない。誰かの声が,頭の中で反響している。身体はふわふわとした浮遊感に包まれ,そのままぐるぐると回り始めるようだ。頭の中の記憶までも撹拌されていくようで,それは私からひどく現実感を奪っていった。
そう,そんな,まるで現実感のない世界の中で,私は一人ぼっちになっていた。
今も鳴り止まない頭の中の声は,誰かが私を呼ぶ声なのか,私が誰かを呼ぶ声なのか。それさえもわからない――聞き取れない。

私は,胎児のように身体を丸めて横になっている自分を上から見下ろしていた。
誰かの手が,私の頭を撫でている。誰だろう,この優しさは,とても大切な――
ふと離れた手を,私は強く掴んだ。行かないで……行かないで! 
私から,離れないでよ……!
泣きじゃくる私を,その手は優しく撫で続けてくれた。私は何かを言おうとするけれど,その口からは言葉にならない嗚咽しか漏れ出さなかった。そのまま,ひとしきり泣き続けた。時間の感覚は,はじめから無かった。
なぜだろう,安心するの。決して離したくない。

誰かが私を呼んでいる。頭の中に反響する声は,遠く,近く――でも確かに,私を呼んでいる。
優しい声。私は,この声を知っている――。
でも,私はその人の名前を――今,私のそばに居てほしい人の名前を,呼べなかった。
口に出したら,今度こそ離れてしまいそうな気がした。黙っている私を,優しい手の安心感が包んでくれていた。
その安心感をくれる人が誰なのか,私はきっと分かっているのだけど――
次第に戻りつつある現実感と入れ違いに,意識は深い眠りの底へと沈んでいこうとしていた。

次に気づいた時には,もう朝になっていた。
「……夢?」
まるで現実感がなかった割に,妙に記憶に残る夢だった。誰かがそばに居てくれた安心感など,ありありと思い出せそうな気がしたが――やはり,曖昧になっていた。もう一度思い出そうとしても,記憶に靄がかかったみたいで,うまく行かなかった。

ジョギングに出るために玄関先でシューズを履いていると,ハヤテ君に行き会った。
「おはようございます,ヒナギクさん」
「……おはよう。じゃ,行ってくるわ」
「はい,行ってらっしゃい。お気をつけて」
いつも通りだ。そう,いつも通り。

ジョギングを終えてアパートに戻って,シャワーを浴びようと入った脱衣所でふと鏡を見て,自分の顔のひどさに驚いた。目が真っ赤に腫れている。いかにも昨夜泣いていましたというような顔だ。こんな顔で外を走っていたなんて,いくらなんでもひどすぎる。
どうしてさっき会った時にハヤテ君は言ってくれなかったのだろう――いや,ひどい顔になっていることをハヤテ君に指摘されることを考えると,それはそれで複雑な気持ちになるけれど。
シャワーを浴びてキッチンに入ると,テーブルの上に氷水を入れたビニール袋とタオルが置いてあった。ハヤテ君が用意してくれていたものなのだろう――やっぱり,分かっていて言わなかったのか,ハヤテ君は。
タオルで包んだ氷水の袋を目の上に乗せながら,夢のことを再び思い返していた。
――どうして私は泣いていたのだろう。そう自分に問いかけてみるけれど,やはり答えの出そうな問いでは無かった。いつでも,自分のことが一番わからない。

「あ,大分腫れが引きましたね」
「……うん,これ,ありがとね」
いえいえ,と笑顔で返してくるハヤテ君は,何があったのかについては一切聞いて来なかった。
相変わらず不意打ちのように察しがよく,気配り上手な人だ……何だか悔しくなってくる。
でも,今日のハヤテ君の察しのよさには,いつもと違う理由も含まれているように,何となく感じていた。それはもしかして……と思うことはあったけれど,深く考えるのはやめておいた。

いつも通りの一日が,始まる。まるで何もなかったように。


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流石にマンネリ気味だったので,少し変化をつけてみようと思った結果。
夢と現実がごっちゃになると,わけがわからなくなりますね。
気づけば連載を始めてから1ヶ月ほどが経ちました。何となく,一段落ついた感じもしています。

泣いたりして腫れた目は,血行を良くすることで腫れが引くらしいです。
冷やすだけでも割といいみたいですが,温かいタオルと冷たいタオルを交互に当てるとかが効果的なんだとか。

企画の方は,ぼちぼち開始しようと思っています。