二本立てその1。居眠り泉と悪戯っ子理沙ちん。 ( No.58 ) |
- 日時: 2013/07/11 18:23
- 名前: 餅ぬ。
忘れ物をしたことを思い出して教室に戻ってくると、夕日の差し込む教室で泉が眠りこけていた。 観察しようと近づいてみる。どうやら日誌を書いていた途中で睡魔に襲われたらしく『今日は』とだけ書かれた真っ白の日誌が、泉の腕の下に広げられていた。 規則正しく響く寝息を聞いているうちに悪戯心が芽生えてきた。何かしてやろうと企んで泉の顔を覗き込むと、そこには想像以上に幸せそうな寝顔があった。 やんわりと微かに開かれた口からは、はしたないけれどちょっとだけ涎が垂れている。日誌に少し垂れているのは、まあご愛嬌だ。 そのあんまりにもあんまりなリラックスした寝顔に、私の悪戯心の黒さが少しばかり薄れた。顔に落書きは勘弁しておいてやろう。
「……いーずみー」
静かに声をかけてみるが、泉はすやすやと夢の中。もー食べられないー、と今時アニメでも言わない寝言を舌足らずに言った後、にへへと幸せそうに顔を綻ばせた。 何を食べているのか定かではないが、その表情から察するにきっとそれはそれは美味しいものなのだろう。それじゃあ、涎が垂れても仕方がない。
しばらく泉の寝顔を眺めていると、僅かに桜と若草の香りを含んだ風が私と泉の間を通り抜けた。 今まで爆睡している泉に気を取られて気づいていなかったが、教室の窓はすべて開け放たれていた。カーテンが風を受けて膨らんでいる。 まさかと思い床を見渡せば、そこらじゅうに桜の花弁がちらほらと落ちていた。一目見た限りでは、結構な量である。泉め、掃除が大変だぞ。 しかし教室が花弁でいっぱいになっていることなど泉本人は知る由もなく、相変わらず気持ちよさそうに小さな寝息を立てている。
「お」
もう一度吹き込んできた風に乗せられて、桜の花びらが一枚こちらに向かってひらひらと舞って来た。私はそれを見上げる。 ゆらゆらと空中で漂った後、その花弁はまるで狙ったかのように泉の頭に着地した。花弁を頭に乗っけて眠る泉の姿は、なんとも間抜けで可愛らしい。 鞄の中からカメラを取り出して、ぱしゃりとフィルムに収める。明日あたり美希にでも見せてやろう。きっとノリノリで恥ずかしがる泉を私と共に弄ってくれるだろう。
カメラを鞄に片付けて、私は再び眠る泉と向き合った。そして耐え切れずに吹き出した。ほんの僅かな時間目を離した隙に、何故か泉の鼻頭に花弁が一枚乗っていた。 ピンク色の花弁で鼻を飾った泉。可愛いけれど、なんともまあ間抜けな姿である。誰もいない教室で一人、私はささやかな幸せに浸りながらくすくすと笑っていた。 さすがの泉も鼻に何かが乗っている違和感には気付いたようで、少し眉を潜めて迷惑そうな顔を浮かべている。ああ、カメラ仕舞わなければよかった。
唸る泉を堪能した後、そろそろ起こしてやるかなと彼女の肩に手を伸ばした。けれど私の手は本能を優先したようで、肩ではなく花弁の乗る鼻へと伸びていく。 親指と人差し指で泉に気付かれないようにゆっくりと花弁を摘まむ。花弁を退かしてやると、泉は少しすっきりしたのか皺の寄っていた眉間を綻ばせた。 再び幸せそうに眠り始めた泉。その寝顔は、陽だまりの中で眠る猫とよく似ていた。すなわち猫好きとしては、手を伸ばさすにはいられない寝顔というわけで。 「……えい」
小さな掛け声と共に、私は泉の小さな鼻を摘まんだ。
「……むー……」
泉の口から不服そうな寝言が漏れた。思わず口元がにやける。ふにふにとした泉の鼻の柔らかさが心地良かった。 しかしここで予想もしていなかった悲劇が起きた。寝苦しそうに眉を潜めた泉は顔を少し上げて私の指から逃れ、何故か私の指に狙いを定めて大きく口を開いた。 ヤバいと察した瞬間と泉の口が閉じたのはほぼ同時で、私は泉の奇襲を避けきれず、そのまま思いっきり、ガブリと人差し指を噛まれた。
「いたたたっ!! ちょ、泉! 痛い痛い痛い!!」
悲鳴を上げると、その騒がしさでやっと泉は目を覚ました。噛みつく力が緩んだ隙に、指を泉の口から引き抜いた。 そんな悲劇が起こっていたとは知らない泉は、のんびりと寝ボケ眼を擦りながら、私を見て緩く微笑んだ。
「んあ……おはよー、理沙ちんー……」
口の端に涎の跡を残しながら、泉は呑気に挨拶をする。春の陽気によく似合う微睡んだ声に、私も痛む指先を摩りながらも思わず微笑んでしまった。
「あれ? 理沙ちん、指どしたの?」
私の異変に気付いた泉が首を小さく傾げる。一瞬お前のせいだ! と怒鳴ってやろうかと思ったが口を噤んだ。泉に悪気はないのだ。というか、私が十割方悪い。 ジンジンと痛む歯形のついた指を隠しながら、私は出来るだけ穏やかに言葉を返した。
「あー、ちょっと猫に噛まれてな」 「え? 猫さん?」 「うん、寝てる猫に悪戯したら噛まれた」
更に首を傾げる泉だったが、私は別に嘘はついていない。
「猫さんが居たの?」 「ああ。さっきまでな」 「えー! 見たかったなぁ。もう、起こしてよ理沙ちん!」
怒ったふりをしながら笑う泉は、その猫の正体が自分だとは全く気付いていないようで。 私もそれに合わせて笑いながら、あえて今まで一言も触れていなかった教室の惨状を泉に伝えてみた。
「で、泉。この教室を見てどう思う?」 「ん?」
私の問いかけに、泉が教室を見渡す。泉の目に飛び込んでくるのは、桜の花びらが一面に広がる美しい光景……もとい、花弁がそこら中に散らばる荒れ果てた教室。 泉の顔が一瞬引き攣った。そしてゆっくりと私に視線を戻しながら、少し歪んだ口元でこう返した。
「……すごく、ピンク色です……」 「だろ?」
にこりと笑ってやるや否や、泉は私の腕にしがみ付いた。そして懇願するような瞳で私を見上げる。
「……理沙ちーん」 「私は窓全開で昼寝してた泉が悪いと思う」
わざと冷たく返事を返すと、泉の瞳がうるりと揺れた。私の心の中に潜むサディスティックな部分と、友達思いでハートフルな部分が葛藤を始める。 噛まれた仕返しに何も手伝わず帰ってしまうのもありだが、それではさすがに友達甲斐が無さすぎる。窓が開いているのに気づきつつ、閉めなかった私にも非があるわけだし。 手伝ってくださいと目で訴える泉に折れて、私は一つため息を漏らした。
「仕方ない。優しい朝風さんがお掃除を手伝ってあげよう」 「ホント!? ありがと理沙ちーん!」
一気に顔を輝かせる泉。本当に単純な奴だと思う。そこが何とも子供っぽくて可愛らしいのだけれど。
「あ、そうだ! 手伝ってくれる理沙ちんにお礼の品を……」
私の手を握って喜びに任せてぶんぶんと振っていたかと思うと、泉は何かを思い出したかのようにいきなり鞄の中を漁り始めた。 しばらくもそもそと鞄を漁った後、あった! の声と共に泉は顔を上げた。そして私の前に嬉々として差し出されたのは、可愛らしいクマさんが描かれた絆創膏だった。 先ほどの猫に噛まれたという話を本気で信じているようだ。やっぱり単純な奴だなぁ、なんて顔をほころばせた瞬間、泉は言った。
「さっき思わず噛んじゃったからねー」 「……ん?」
まさかの泉の発言に、私は笑顔のまま固まる。当の泉も相変わらずの笑顔のまま、私の手に絆創膏を握らせて言葉を続けた。
「にははー、実は気付いていたのだ☆」
わざとらしいほど語尾が明るい。
「……泉、お手伝いの話はなかったことに」 「ダメだよー。女に二言はないのだ!」 「それは私が決めることだろ!」 「もう報酬は支払ったもーん。お手伝いよろしく! 理沙ちん!」
そう言って泉は一際良い笑顔で親指をグッと立てた後、箒を取りに席から立ち上がった。その背中を見送りながら、もう泉も子供じゃないんだなぁなんて感慨に耽った。 やっぱり私たちと付き合っている以上、人並みの悪知恵はつくということか。それはそれでなんだか切ない。子供の成長を垣間見た親の気分である。 小さなため息をつきながら歯形が残る人差し指に絆創膏を巻く。泉のやつ、結構本気で噛みついたようだ。少しばかり腹が立ったが、クマさんの笑顔で緩和された。
絆創膏を貼り終えて視線を上げれば、私を騙せたという達成感からかルンルンと箒を抱えてこちらに戻ってくる泉が見えた。 その姿を見ながら、とりあえず仕返しとして涎の跡は言わないでおこうとひっそりと心に誓った。
【陽だまりの猫と放課後】
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二本立てその2。一途な花菱さん。 ( No.59 ) |
- 日時: 2013/07/11 18:24
- 名前: 餅ぬ。
珍しく用事が重なった理沙と泉が私を置いて先に帰ってしまったのは、もう十分ほど前のこと。一人きりの自由な放課後はとても貴重な時間なのだけれど、如何せん暇である。 困ったことにすることがない。本当は宿題とか補習の課題とかあるんだけれど、提出期限はまだまだ先だし、貴重な自由時間を裂いてまでやることはないだろう。 しばらく教室でぼんやりと時間を無駄にした後、私は本能の赴くまま歩き出した。足は自然とあの人へと向かって行く。暇を持て余す私とは対照的に、今も仕事に追われているであろう、彼女の元へと。
生徒会室へと辿り着くと、私は何をするでもなくソファに座って仕事をテキパキとこなすヒナを眺めていた。文字を書いたり、判子を押したり、時折書類を睨みつけながら悩んでみたり。観察していて飽きることはない。 見ているだけなら何か手伝いなさいと、言われる覚悟はしていたけれど、どれだけ待ってもヒナの口からそんな言葉は出てこない。多分、見た目ほど忙しくはないのだろう。それか私に任せるには少し不安な難しい仕事をしているのか。 仕事をしろと言われないのは嬉しいけれど、構ってくれないとなると少し寂しい。ヒナが私を見たのは、生徒会室に入ってきた瞬間、その一度だけである。 とりあえず存在感をアピールしてみようと、ヒナの真正面に立ってみる。しかしヒナは一向に顔を上げないので、彼女と視線を合わせるべく私はしゃがみ込んで机に顎を乗せて生首状態になってみた。 上目づかいにヒナの表情を覗き込んでみると、少しだけ彼女の唇が弧を描いたのが見えた。あ、私を見て笑ってる。そう思うだけで、私の寂しさは一気に紛れた。我ながら単純である。
「待ってるの?」
書類から目を離さずに、ヒナが言う。人の目を見て話しなさいと小さい頃に習っただろうに。
「待ってるの」
ヒナが私を見ないから、私も彼女の手元に視線を置いたまま返事をする。くすりとヒナの口から小さな笑い声が漏れた。
「暇でしょ、待ってなくてもいいのよ」 「やだ。待ってる」
駄々をこねる子供みたいにそう言うと、ヒナはやっと私の方を見てくれた。少し困ったように笑っている。この困り顔が、私は大好きだ。
「理沙と泉は?」 「用事があるからって、先帰った」
不貞腐れたように言ってみる。実際のところ、別に不貞腐れてなどいない。けれど、こう言った方が彼女がちょっと困ってくれると知っているから、わざと子供じみた行動をしてみるのだ。 案の定私が置いて行かれて寂しがっていると勘違いしたヒナは、また困り顔の中に笑みを浮かべた。けれどヒナは笑っただけで何も言わず、再び書類に視線を戻した。
「……ヒナ、終わりそう?」 「うん。もう少し」
心なしか文字を書くヒナの手つきが、少しばかり速くなった気がした。私を待たせているという焦りからだろうか、と思うだけで何とも言えない幸福感に包まれる。ついでに、ヒナを独り占めしている書類の山に対して優越感も抱いた。 きっとヒナは私が退屈していると思っているのだろう。しかしそれは大きな間違いで、私はこうしてヒナを時折困らせつつ眺めているだけで、十分に楽しかったりする。 私のために早く仕事を終わらせてくれるのは嬉しいけれど、(私だけが)のんびりとした二人きりの時間が終わってしまうのは少し名残惜しい。構ってほしいくせにこの時間が続いて欲しいだなんて、我ながらワガママである。
「ね、美希」 「んぁ?」 「これ終わったら、どこか行こっか」 「え? どこか連れてってくれるの?」 「時間も時間だから、遠くまでは無理だけどね」
まだ明るいし、美希の行きたいところに連れてってあげる。 そう言ってヒナは私をしっかり見据えて笑った。思わず机に乗せていた顔を引っ込めて、ヒナに見えないように両手で頬を包み込む。じんわりと熱い。仕方ない、これはヒナが悪い。
「さて、と。そろそろ終わりそうね」
そう言ったヒナはラストスパートと言わんばかりに、ペンの動きを速めた。再び訪れた静寂の中で、私は未だに熱を帯びている頬を懸命に手の甲で冷やしながら、この後どこへ連れて行ってもらおうかと思案する。 この前駅前の少し入り組んだところで発見した小さなカフェにでも行こうか。泉たちとよく行くジェラート屋さんにでも行こうか。それとも、ヒナに全て任せてみようか。 言ってしまえば、どこでもいいのだ。結局は彼女が居れば私はもうどこだって。こうして考えを巡らせるだけ無駄なのだ。それでも一応考え込むふりをする。迷う私を見て、ヒナが楽しそうに笑うのを知っているから。 彼女の前で、私はどこまでも健気だった。気付かれないように、こっそりと。
【空が青い日の放課後】
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