一次創作で書いたやつの使い回し。 ( No.42 )
日時: 2013/05/06 15:58
名前: 餅ぬ。




 そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのものを全て処分した。



【きっと明日死ぬ】



 余命を宣告されたわけではない。私は幼い頃より、健康だけが取り柄であった。
 自殺を思いだったわけでもない。私は幼い頃より、前向きだけが取り柄であった。
 ただただ何となしに、近々死ぬような気がしたのである。それは漠然とした感覚で、真実性や信憑性など何処にもない。
 その気配に理由などない。けれど漠然としながらも確固たる確信はあった。私は、そろそろ死ぬのだ。

 使い古した勉強机と中身の入っていない箪笥だけを残した部屋の真ん中で、私はぼんやりと天井を見上げていた。
 天井には人の顔によく似た染みがある。鼻も口もないけれど、はっきりとした輪郭と落ち窪んだ眼窩はまさに人間のそれである。
 三日ほど前に浮かび上がったその染みは、いやらしくにたりにたりと笑っている。それに釣られて、私も口の端を吊り上げた。
 にやりにやりと一人笑いながら、私は一体いつ死ぬのかと考えた。

「一週間後だったら困るなぁ」

 だろう? と天井の染みに語りかける。染みは目だけで私を見下し笑いかけてくる。計画性のないやつめ、と嘲笑っているのだろう。
 行き当たりばったりな行動は私の悪い癖だ。泉は面白がってくれるけれど、美希にはよくため息を吐かれたものだ。
 これからどうするんだ、と呆れたように問う美希の声が、私の空っぽの頭の中で反響する。酷く懐かしい声のように感じた。

「笑うなよ」

 苦笑いで語りかけると、染みは一層笑みを増した。よくよく見れば、薄らと鼻筋が通って弧を描く口が僅かに浮かび上がっている。
 時期にこの染みは完全な人の顔になる。きっとその時、私は死ぬのだろう。死なないかもしれないけれど。
 遺書でも書こうかと思ったが、生憎この部屋には紙の一枚も鉛筆一本すらありはしない。あるのは空っぽの机と箪笥、そして私だけ。

 天井から視線を逸らして窓の外をちらり。外はまさに黄昏時だ。我が家のだだっ広い裏庭が、鳥肌が立つような赤に染まっている。
 少し強めの風に吹かれてザザと葉擦れの音を響かせる木々も、雑草がちらほらと生えている地面も、全てが赤い。気が狂いそうになった。
 ああ、と小さなため息が漏れる。らしくもなく、センチメンタルな気分に浸って、私は部屋の真ん中で頭を抱えて蹲った。

 瞼の裏で、歪な幾何学模様が踊る。チラチラと忙しく蠢くそれらはまた赤い。
 酷く嫌な気分になった。




「理沙ぁ、友達来てるわよー」


 

 母の呼ぶ声で、私は我に返って顔を上げた。胸の奥に潜むどす黒いもやもやを飲み込んで、私は今日一番の大声で母に返事を返す。

「わかった! でも今手が離せないから、部屋まで来てもらってー!」

 そう言って私は再び膝を抱えて目を閉じた。目を開けるのも、立ち上がるのも、酷く億劫だ。感じたことのない倦怠感は、多分死期が近い兆しだろう。
 遠くの方から足音が近づいてくる。しっかりとしたその足取りは、生命力に溢れてるように感じた。少しだけ羨ましかった。
 足音の主はどんどん私の部屋に近づいてくる。そして私の部屋の前でその歩みを止め、二回ドアを軽く叩いた。

「理沙、入るわよ」

 その凛とした声の主は、私の返事を待つことなくドアを開けた。私は膝を抱えたまま、彼女を出迎えた。

「お、いらっしゃい。ヒナ」
「いらっしゃいって……何してるのよ、あなた」
「何もー。ただボーっとしてた」

 笑いながらそう返すと、ヒナは少し呆れたようにため息を吐いた。私を叱るようにじとりと伏せられたその目は、少しばかり美希に似ていた。
 私から目を逸らしたヒナが、部屋の中を見回した。そして驚いたような顔をして、私を再び見つめながら軽く首を傾げた。

「大掃除でもしてたの?」
「んー。まあ、そんなとこだな」
「ああ、それで今は一休み中ってこと?」
「まあ、な」

 曖昧な返事だったけれどヒナは納得したようだった。でも少し片付けすぎじゃない? と、困ったように微笑む顔はそこはかとなく泉に似ていた。

「それで、ヒナが私の家に来るなんて珍しいな。何か用事か?」

 そう問いかけると、ヒナはまた深々とため息を吐いた。今度は呆れというより若干怒りを含んでいるようだ。
 ヒナが怒ると非常に恐ろしいことは、彼女に怒られた者なら誰でも知る常識である。高校時代に嫌というほど彼女に怒られた私は、条件反射で身構えた。
 しかし高校のころより幾分彼女も大人しくなったようで、怯える私を嗜めるように話し始めた。口調が少々荒いのは、まあ仕方がないだろう。 

「まさか忘れてたの? 生徒会のメンバーで同窓会したいねって、前に話してたでしょ?
 あなたその時、泉と美希と三人で何か企画するからまた決まったら連絡するって言ってたじゃない。
 それでいつまでたっても連絡が来ないから、企画するって言い出したあなたに直接聞いてみようと思って」
「それでわざわざ家まで来たのか? 電話やメールじゃなくて?」

 質問をしてから、しまったと思った。
 もしヒナが私にメールや電話をして来ても、気付くわけがない。私の携帯は、一昨日から土の中にある。
 まずいと思った矢先、ヒナは少しばかり不機嫌そうな表情を浮かべて私を軽く睨んだ。しかしその不機嫌さの中に、微かな心配の色が浮かんでいる。

「電話もメールも散々してるわよ! 泉にも美希にも! でも誰からも返事帰ってこないし……。それで、ちょっと心配にもなって……」
「何だ、ヒナ。心配してくれたのか?」
「だってあなた達、返事はいつも律儀に返してくれるじゃない。それなのに連絡してから二日たっても返事が返ってこないなんて、流石に心配になるでしょ……。
 でも理沙は元気そうで安心したわ」

 そう言ってヒナは柔らかく目を細めた。その優しげな微笑みに照らされて、今日初めて心が暖かくなった気がした。
 それと同時に、僅かばかりの罪悪感。

「それで……理沙は、美希と泉と連絡取れてるの?」
「あー……私も最近二人に連絡してないからなぁ……」
「え? そうなの?」

 ヒナは心底意外そうに目を丸くした。

「うん。だって、学校も同じだしな。大抵のことは会って話しちゃうんだよ」
「ああ、そっか。あなた達、同じ大学だったわね」

 なんだか羨ましい、とぽつりと呟いたヒナは少しだけ寂しそうだった。幼馴染という存在がいない彼女にとって、私たちの関係は憧れるものがあるとかつて語っていた。
 幼馴染で親友。自分で言うのも何だが、それは確かに他人に誇れる大切な存在である。唯一無二の、大切な大切な。
 何よりも大事な、私の宝物だ。
 

 だから。


「だったら、美希と泉にも聞いておいてもらっていい? 同窓会どうするのかって。
 ハル子たちも楽しみにしているみたいだから、できるだ早く連絡欲しいんだけど、大丈夫かしら?」
「うん、大丈夫。聞いておくよ」
「ええ、お願いするわ。また連絡頂戴ね」
「ああ」

 多分また待ちぼうけを食らうだろうけど。ごめんな、ヒナ。

「じゃあ、私はそろそろお暇するわね。大掃除の邪魔しちゃ悪いし……」
「ああ。わざわざありがとう、ヒナ」
「ふふっ、あなたが素直にお礼を言うなんて、なんだか珍しいわね。
 それじゃ、また今度ね」
「うん、さよなら」

 手を軽く振った後、相変わらずの颯爽たる足取りで去っていくヒナの背を眺めていた。なびく桜色の髪が、一瞬天使の羽に見えて、一人でくすりと笑った。

 ヒナの足音が聞こえなくなって暫く経ったころ、私はやっと重い腰を上げた。ついでに天井も見上げてみた。染みが濃くなっている。
 三日月形に歪んだ目元、歪に弧を描く不気味な唇。もうそろそろだよ、と語りかけられたような気がした。気がしただけ。
 人間味を増した染みを一瞥して、私はドアに手をかけた。今日初めて部屋を出る。何故だか、ドアを開けるのが怖かった。
 卑下た笑みを頭上と背に受けながら、私はゆっくりドアを開ける。そしてヒナとは比べ物にならない重たい足取りで、廊下を歩み始めた。
 ずりずりと足を引きずる音が、嫌に耳についた。




 部屋を出た私はそのまま外へ。
 泉と美希に、ヒナの伝言を伝えなくてはいけない。




 だだっ広い裏庭の片隅。家族さえも寄り付かない、枯れかけた小さな一本松の下。そこに二か所、土の色の違う部分がある。
 一つは昨日と今日、私の服とかどうでもいい品を埋めた新しい穴。
 もう一つは三日前、大事なモノを埋めた古い穴。
 私は古い穴の隣にしゃがみ込んで、いつもの調子で話しかける。


「ヒナがさぁ、同窓会どうするんだって」


 穴の中から返事はなかった。





 ――そろそろ死ぬような気がしたので、身の回りのモノを全て埋めた。





 二人に用事を伝え終えて部屋に戻った私は、再び部屋の真ん中にしゃがみ込んだ。
 天井を見上げれば、人の形となった染みがこちらを見て笑っている。死ねよと笑う。

「笑うな」

 一言そう言うと、染みは一層いやらしく笑った。苛立ちから、下唇を強く噛みしめた。
 天井から目を逸らして部屋の中を見渡す。勉強机、空っぽの箪笥、そして私。何もないこの部屋に、この場所に、何の未練もありはしない。
 外がすっかり暗くなっており、電気一つ付けていない私の部屋は真っ暗だ。家族も何処かへ出かけたようで、廊下も暗い。
 明りのない真っ暗な部屋の中で、にたりと笑う染みだけは嫌にはっきり見えた。誰かに似ているような気がした。

 暗い部屋の中で私は小さく蹲る。確か、あの二人もこんな恰好をしているなぁと他人事のように思い出す。
 二人の顔を思い出した瞬間、どこからともなく漂ってくる土と鉄の香り。何故だか酷く懐かしかった。
 真っ暗な部屋の片隅に、影より暗い何かが二つ。私と同じ格好でしゃがみ込んでこちらを見ている。

 ああ、美希と泉が私を見ている。
 
 きっとここは穴の底なのだ。美希と泉がいる、大切なものが詰まったあの穴の底。
 そして頭上からいやらしい笑みを向けてくるあの染みは、多分私だ。二人が最後に見た、私の姿だ。


「泉、美希」


 黒いモノに向かって名前を呼んだ。ずるずると何かを引きずる音が耳に着く。少しずつ、二人が私に近づいてくる。
 この深い穴の底、私たちは三人きり。
 大切なものだけに包まれて、私は酷く幸せな気分だった。
 頭上で笑う不気味な私は、見ないふり。


 一層濃くなる土と鉄の香り。天井の不気味な笑み。
 ずりずりと這いよってくる二人の足音を聞きながら、私は確かに得た確信と共に、一つため息を吐いた。 




 ――ああ、私はきっと、明日にでも死ぬ。