昔書いた作品のリメイク。ほんのりホラー ( No.40 ) |
- 日時: 2013/04/18 03:50
- 名前: 餅ぬ。
- 「え……?」
教室に入った瞬間、その異様な光景に私は言葉を失った。 窓際の後ろから三番目の席。その机の上に当たり前のように置かれている、白い菊の花。葬式なんかでよく見かける縁起でもない美しさを纏う、真っ白な菊が、ちょこんと。 不吉な花が教室の片隅で鎮座する異様さに、背筋が震えた。背骨を伝うようにじわじわと這い上がってくるこの寒気は、多分嫌悪感というものに違いない。 誰がこんな陰湿な悪戯を。私たちのような能天気なアホと秀才ばかりが揃うこの天下の白皇学院で、こんな薄気味悪い悪戯……もしくは虐めが起こっているなんて。 平和な学園生活を乱す不埒な輩を、風紀委員ブラックたる私が見過ごすわけにはいかない。珍しく使命感に駆られた私は、机の上に置かれた菊の花へと駆け寄った。 菊の花と同じく白い陶器でできた花瓶の中には、ご丁寧にも水まで入っていた。まるで誰かがこの花を育てているようだ。 思わず眉間に皺が寄る。古典的ながらも悪質な嫌がらせに、酷く怒りを覚えた。誰がこんなことを、と一人ごちて、私はこの時初めて教室内を見回した。 教室内はいつも通りの景色が広がっていた。泉は美希と何やら楽しそうに話しているし、珍しく学校にやってきたナギちゃんはPSPに夢中。ハヤ太君はそのナギちゃんの傍らで、困ったように笑っている。 他のクラスメイト達も、楽しげに思い思いの朝の短い自由時間を送っているようだった。しかし誰も彼も、この菊の花に気付いていないかのような振る舞いをしている。まるで当たり前の一部として受け入れているような。
いつも通りの空気が流れるこの穏やかな空間の中で、私の目の前にある真っ白な菊の花だけが異質だった。そんな異質を目の前にして、彼らは誰一人として気にかけようとしない。 今こうして、クラスメイトの誰かが亡き者として扱われているのだ。しかし、普段通りを装う人々に私は激しい憤りを覚えた。 教室のどこかで酷く悲しい思いをしているであろう、この席の主に悪いと思わないのか――。
と、ここで私は一つの違和感を覚えた。それはきっと、教室を入った瞬間から感じていた違和感なのかもしれない。けれど、菊の異質さに目を奪われていた私はその違和感に今の今まで気づかなかった。 ゾゾ、と首の後ろ辺りを悪寒が走る。何故だか心がざわめいて仕方がない。黒目がぎょろぎょろと、私の意思に反して騒がしく動き回ってあたりを見回す。 改めて見回した教室には、相変わらずいつも通りの光景が広がっていた。ハヤ太君をからかう美希と泉、不機嫌そうなナギちゃんの顔。賑やかな空間の中に、悲しげな表情を浮かべる者は誰一人としていない。
――机の主が、いない。
それを自覚した途端に、私の脳裏にはっきりと疑問が浮かんだ。私は視線を菊の花へと戻す。そして机の表面を微かに震える指先でつるりと撫で、呟いた。
――この席、誰の席だったっけ。
この教室に空席なんてなかったはずなのに。確かにここには、昨日まで、誰かが座っていたはずなのに。思い出せなかった。
(あの席は、誰だ? 思い出せない……思い出せない……思い出せない……)
あの席の主が誰だったか懸命に思い出そうするが、私の頼りない頭の中はまるで靄がかかったように薄らぼんやりとしている。 顔も名前も性別も、何一つ思い出せない。 私は唸りながら、自分の席に腰を下ろした。フル回転する頭を抱え、机に顔を突っ伏した。
こんな陰湿極まりない虐めのようなこと、白皇では絶対にあってほしくないのだ。小学生のころから慣れ親しんだ、大好きなこの場所が汚れてしまうような気がして。 これから先もずっと平和で楽しい白皇学院であってほしかった。その細やかな願いをかなえる為にも、席の主を見つけ、菊の花を供えた犯人を捕まえなくてはいけない。 だが、その席の主が思い出せなかった。 窓際の後ろから三番目。ここは誰の席だったのか。あまり目立つ位置ではないけれど、全く気が回らない位置ではない。 それに第一、私は一応クラス全員の顔と名前はしっかり憶えているのだから、誰か一人欠けていれば気付くはずだ。 しかし、何度周りを見回しても、クラスにかけてる人間は誰一人としていない。欠席者もなく、全員が揃っている。 だが、クラスの人間の誰かの席に、今こうして、白い菊の花が供えられているのだ。それは夢でも幻でもなく、紛れもない現実だ。 主のいない机の上に咲く白い菊。ぽたりと花弁を一つ落とすその様は、お前はいないのだとその誰かに告げているよう。
(誰? 誰だ? あれは、誰の席だ?)
思い出せない、思い出せない、思い出せない、思い出せない!! 頭の中を弄繰り回せば回すほど、脳の奥がじん、と不快な痺れがやってくる。思い出すなとでも、言いたいのだろうか。
* * *
授業の終了を告げるチャイムの音で、私は我に返った。脳みその奥の方が、酷く痺れている。頭が重い。 こめかみに手を添えて重い頭を支えながら、黒板の上にかかっている時計に目をやる。針は午後十二時四十分を指している。昼休みに入ったようだ。 クラスが徐々に騒ぎ始める。グループを作って談笑を始める。笑い声が響き始める。昼下がりの朗らかな雰囲気が教室中に充満していく。 机の上にぽつんと飾られた、不吉の象徴を無視して。 ――このクラスの人間は、どうしてしまったのだろうか。 こんなにも非日常的な光景が教室の片隅にあるというのに、彼らはいつもと何ら変わらぬ日々を送っている。 誰よりもこういった陰湿な悪戯を嫌う泉も、意外と情に厚い美希も、優しさと見た目によらぬ頼り甲斐が何よりの取り柄であるハヤ太君でさえも。菊の花を何一つ気にしてはいない。 菊の花の存在が当たり前になっているのではないかと錯覚してしまうほど、変わりなく過ぎていく時間。日常。 そんな日常を見て、私の心はまたしてもざわめき始めた。
(この菊の花を気にしているのは、私だけなのか……?)
そんな非現実極まりない考えが、ふと頭をよぎった。
(なんで、なんで、なんで。誰も、これを疑問に思わないんだ。 誰なんだ、この花を置いた人は。 誰なんだ、この席の主は)
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
巡る巡る頭の中。菊の花を何一つ気にしないクラスの連中。花を置いた犯人。そして、席の主。 三つの疑問が頭の中を巡り巡る。ぐるぐる回る。じんわりと、脳の奥が再び痺れだす。それでも、私の思考は止まらない。 ぎょろぎょろと目玉が勝手に辺りを見回す。視界が不自然に揺れている。心臓が痛いほど早鐘を打っている。呼吸が自然と早くなる。 抑えきれない不安のあまり、私は私の日常の中心である親友二人を探した。いつも三人集まってお弁当を食べる泉の席に視線を向ける。廊下側の、一番前の席。 うにゃー! という間抜けな叫び声が視線の先から聞こえてきた。美希が泉の弁当を襲っている光景が目に入り、久しぶりに見た日常の光景に思わず安堵の息を吐く。 心臓は徐々に大人しくなり、頭の中も少しばかり落ち着いた。しかし、私は二人に合流する気にはなれなかった。 こんな心境では昼食を食べる気にもなれなかったし、何よりあの二人がこの異様な光景を何一つ気にしていないことが妙に悲しかった。
(泉も美希も、この花に疑問を抱いてないんだ)
溜息を吐きながら、私は菊の花を見た。
真正面、目と鼻の先にある、真っ白な菊の花を。
――え?
訳が分からなかった。
何故、菊の花が私の目の前にあるんだ?
それは、私が菊の花が供えてある席に座っているから。
何故、私はこの席に座っているんだ?
それは、この席が私の席だから。
ああ、そうだ。窓際の後ろから三番目。日当たりの良い昼寝に最適なこの席は、紛れもなく――。
――私の席だ。
「なんで……!?」
居ても立ってもいられなくなって、私はおもむろに立ち上がり、思い切り机を叩いた。音がしない。首を傾げると同時に菊の花弁がまた一つ、机の上に静かに落ちた。 お前はいないのだ、と語りかけられた気がした。呆然とその花弁を見つめながら、私は小さく息を吐いた。 そして意を決して顔を上げ、教室を見回す。
教室は、夕暮れの赤に染まっていた。
先ほどまで昼休みだったはずなのに、時は既に放課後。人っ子一人いやしない、真っ赤な無人の教室に、私は取り残されていた。 教室にあるのは、佇む私と、白い菊の花。菊の花は夕日の赤に染められて、一層不気味さを増していた。 たった一人教室に取り残されて、耳が痛くなるほどの静寂に包まれて、私は漠然とだが、自分の置かれた状況を理解した。
今日、私は誰かに話しかけたか? いや、話しかけていない。 今日、私は誰かに話しかけられたか? いや、誰とも話していない。 今日、私は授業を受けたか? いや、全く記憶がない。 今日、私は泉たちと一緒に学校に来たか? いや、来ていない。私の記憶は、教室の前からいきなり始まっている。
今日、誰かと目が合ったか?
いや、誰とも目が合っていない。泉も、美希も、誰も、私のことを。
――今日、私は存在を認められていたか?
――いや、私は、存在していなかった。
ああ、そうだ。私は今日一日、この教室に存在していなかった。
「私は、今日、この世界から消えていた」
夕日に照らされた菊の花弁は、薄く紅を注している。ゆるりと弧を描くその薄紅色の花弁たちは、私をせせら笑う唇だ。 菊の花に笑われて、私もつられて微笑んだ。そっと菊の花に触れようとすると、指がするりとすり抜けた。 軽く机を叩いてみる。音はしない。衝撃もない。完全な静寂に包まれたこの世界は、多分この世のものではないのだろう。 そんな世界に一人佇む私は、きっとあちらには存在していなかった。
私は、ここに居ないのだ。
「……あはははは」
無性に悲しくなって愉快になって。絶望とも何とも言えない感情に包まれて。 自分の心の内さえも分からなくなって、私は笑うことしか出来なくなった。その笑い声が、教室を包み込むことはない。 白い菊だけが存在する、真っ赤な教室の片隅で、私はただただ、笑っていた。
あはははははははははははははははははははははははははは。 あははははははははははははははははははははははははははははははははははは。 あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!
* * *
「ははは……、って、あれ……?」
気が付くと、私は何故か自室のベッドの上に寝転がっていた。寝転がったまま首を軽く傾げる。先ほどまで、私は夕暮れの奇妙な教室で……。
「理沙ー! 起きろー!!」
記憶を手繰っている途中、ドアの向こうで兄がえらく大声で呼ぶものだから、思わずベッドから飛び起きた。 いつも通りの兄の喧しいモーニングコールに、私は安堵の息を吐いた。ただの日常が、こんなにも安心できるものだったなんて。
「おーきーろー!! 理沙ぁー!!」 「うっさい! もっと静かに起せ!!」
ドアの向こうで叫ぶ兄を一喝しながらも、私はとても幸せな心地だった。変わりない日常が始まるという安心感に、只々浸っていた。 ベッドからのそりと降りて、恐る恐る鏡の前に立ってみる。そこには芸術的な寝癖を携えた、少し疲れ気味の私がしっかりと存在していた。 私は、この世界に居る。
(夢オチって、こんなにも安心できるオチだったんだなぁ)
今まで馬鹿にしてきた夢オチエンド漫画たちよ、すまない。なんて心の中で思いながら、くすりと笑う。鏡の向こうの私も、らしくないちょっと可愛らしい笑みを浮かべた。 この世界に存在している。それだけがただ嬉しくて仕方なかった。
「あ、着替えなきゃ。あと寝癖……」
未だかつてないド派手な寝癖がついていることを思い出して、私はそそくさと身だしなみを整え始めた。 自分はあんまり女らしくない方だと自負しているが、やっぱり何だかんだで人の視線が気になるお年頃なのである。 びよんびよんと跳ねまわる髪を悪戦苦闘しているうちに、私はあの奇妙な夢のことなんて遠い昔のことのように感じ始めていた。
無理やり直した寝癖が徐々に立ち上がってくるのを気にしながら、私は教室へと向かう。その道中で出会った美希に、跳ねかかった髪を指差して笑われた。 爆笑する美希の背中を睨みつけながら、私は彼女の一歩後ろを歩く。隣に並んで歩けばいいのだが、何故だかその立ち位置は違う気がして隣に並べなかった。 美希の頭をボサボサにすべく背後から彼女の髪を弄繰り回しているうちに、教室の前についていた。立ち止まるや否や、美希に結構な力で手をつねられた。痛い。 少し赤くなってしまった可哀想な右手を撫でながら、私は美希と二人並んで教室のドアを開ける。
その瞬間、私の目に飛び込んできたのは、すでに忘れかけていた夢と同じ、
――白い菊の花。
けれど、何故だろう。その菊の花に何も違和感を感じなかった。 見ているはずなのに、見ていないような。まるでそこにあって当たり前とでも言うように、異質な白は私の視界に馴染んでいた。 あの菊の花は、遠い昔からあの席に飾ってあったのだと錯覚してしまう。違和感なんて、微塵も無いのだ。
「ああ、そうか」
小さな声で、呟いた。 隣に立つ美希が少し不思議そうな顔をしたが、それでも私は独り言を続ける。
「今日は、この席の人が、存在しないのか」
廊下側の一番前の席。誰の席だったか。やっぱり思い出せない。 しかしそれは当然のことである。何故ならこの席に座るべき人間は、今、ここに存在していないのだから。 その人間の代わりに、当たり前のように存在しているのが、この『白い菊の花』なのだ。 ずっと前から一緒にいるクラスメイトのような顔をして、白い菊は机の上で咲いている。それは酷く、当たり前の光景だ。 「理沙、どうしたんだ? さっきからぶつぶつと……。独り言言いすぎると鼻毛伸びるぞ」 「え、う、嘘だろ? 伸びてないよな? な?」 「嘘だよ。伸びてないから鼻を見せるな」 「良かった……。あ、はなつながりで一つ聞きたいんだけどな」 「ん?」
「美希、あの席にある菊の花、何だと思う?」
私がそう問うと、美希は白い菊をさも興味なさげに一瞥し、ため息交じりにこう答えた。
「何言ってるんだ? ずっと前からあったじゃないか」
あって当たり前だろ、と呆れた口調の美希。ああ、やっぱり当たり前なのだ。 この席の人に変わって、この菊が当たり前のように存在しているのだ。それを確信した私は、一人満足げに笑みを浮かべた。
「ああ、そうだったな。なんかボケてた」 「まあ、理沙がボケてるのはいつものことだけど」 「なんだと! 私はいつだって大真面目だぞ!」
怒ったふりをすると、美希はニヤニヤと笑いながら得意の毒舌で揚げ足を取ってくる。それは日常の光景で、傍から見たら殺伐としているように感じるかもしれないが、私と美希にとってはいつものことなのだ。 ……いつも通りのはず、なんだけれど。 はははとクールに笑いながら自分の席へと向かう美希を追いかけながら、私は少しだけ違和感を感じていた。何かが足りない、そんな気がした。 ぐるりと周りを見渡してみる。しかし、クラスメイトは殆ど全員そろっているし、欠けているものなんてありはしない。 何が足りないのか、少し考えてみたけれどそれは酷く無駄な気がしてすぐに考えるのを放棄した。足りない分は、あの白い菊が補っているのだから、心配する必要はない。
「理沙ー。何ぼーっとしてるんだ?」 「んー。なんでもない」
美希に名前を呼ばれて、私は菊の花から視線を逸らした。 いつもの教室。いつものクラスメイト達。そしていつもの美希と私の二人組。全てが馬鹿らしいほどいつも通りのはずなのに。
(なんか、笑い声が少ないな)
ほんの少しだけ、静かな教室に違和感を感じたけれど、気のせいですませておいた。考えたところで、きっとわからないだろうから。 けれど、ほんのちょっぴり、寂しいような気がした。
しかし、そんな違和感なんてもろともせず一日は始まる。 今日も今日とて、いつも通りの一日が始まるのだ。
教室のどこかに、誰かの代わりに、
【白い菊の花を添えて。】
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