勿体無い精神で短編再録その3 ( No.37 ) |
- 日時: 2013/03/24 14:40
- 名前: 餅ぬ。
- 「暑いなぁ……」
そう呟いて、清々しいの程度を遥かに通り越した憎々しい真夏の空を見上げた。燦々と輝く太陽は、私を見下し嘲笑い、干乾びてしまえと囁きかけてくる。 そんな太陽に「そういうわけにもいかんのだ」と律儀に脳内で言い返した後、私は視線を正面へと戻す。 目の前に広がるのは、人気のない通学路。夏休みの真昼間、それも三十六度の猛暑日であるこの日。私のような補習組以外、好き好んでこんな日陰すらない道を歩く輩はいないのだ。 人がうじゃうじゃいても暑苦しいが、人が全くいないのも日陰の無さが強調された気がして暑苦しい。適度な日陰、適度な人口密度。今の私と通学路にはそれが必要だった。
――人恋しいと感じた夏は、初めてだった。
「あっつい……」
歩きなれた道が長い。 暑さのせいでそう感じるのかと思ったが、よくよく考えるとそうではなかった。私の隣に、いつもの二人がいないことが原因だ。 この道を歩くときは真ん中に美希、右に泉、左に私の三人組基本体型が常だった。決して広くはないこの道を、三人並んで歩くなんて迷惑極まりないことだが、そんなことはどうでもいい。 三人でいれば暑さは不思議と気にならなかったし、騒いでいたから道も短く感じられた。けれど、今私の隣に彼女達はいない。泉も美希も、今年の補習をどういうことだか免れたのだ。 中学時代から続いていた毎年恒例三人組夏休み大補習会は、高校二年になった今年、終止符を打たれたことになる。 なんだか、しんみりとした気分になった。
――二人がいない夏は、初めてだった。
「あーつーいー」
家を出て十五分。私のか弱い神経は、すでに擦り切れていた。 暑すぎた。幼い頃より蝶よ花よと育てられたお嬢様な私に、この猛暑は耐え難いものだった。 しかし今から帰るにも十五分以上かかるわけで。だったら、あと十分弱を耐えきって学校へ向かった方が得じゃあないか、と、賢い私は思った。しかし思っただけで、足は一向に進みやしない。 顎まで垂れてきた汗を拭って、ふう、とため息をつく。痩せたなこれは、と考えられるあたり、まだまだ余裕はあるのかもしれない。 この余裕があるうちに、と意気込んで、私は少しだけ足を速めた。 その数秒後、聞き覚えのある声が、私の意気込みを吹き飛ばした。
「あれ? 朝風さん?」
ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、涼しげな髪の色をした少年だった。
「ああ、ハヤ太君」
どうしたのかと彼が尋ねるので、補習へ向かっているのだと手短に説明する。すると彼はニコリと笑ってこう言った。
「だったら一緒に行きませんか? 僕も学校に用事があるんです」
君も補習か、と冗談交じりに言うと、彼はちょっと困ったように笑いながら「違いますよ」と面白みのない返事をした。面白くもなんともない返事なのに、何故か笑みがこぼれた。
「じゃあ、行きましょうか」
彼の声を合図に、私とハヤ太君は二人肩を並べて歩きだす。そのとき、私とハヤ太君には男女のときめきポイントの一つである身長差が殆どないことに気付いた。 この事実に少々驚いたものの、身長差がないということはその分目線が近いというわけで。隣を見れば、ハヤ太君の目がある。私はその目を誰よりも、近くで見ることができるのだ。 ちょっとばかしお得な気分になった。
――彼と並んで歩く夏は、初めてだった。
「あーつい!!」 「暑いですよね……今年最高気温らしいですよ、今日」
その言葉を聞いて、私は眉をしかめて「うへぇ」と間抜けな声を漏らす。 ハヤ太君は私を見ながら、「嫌ですよねぇ」と小さく笑顔を浮かべた。暑さなんて全く気にしていないような、爽やかな笑顔だった。 そんなハヤ太君の清々しい笑顔で涼みながら、二人並んで着々と足を進める。会話は少ない。三人組の時のように騒いでもいない。それでも、確実に暑さは引いていた。 人恋しさも、そっとどこかに身を潜めたようだった。 誰もいない通学路に、ぽつんと並んだ私とハヤ太君の陰を見る。思わず笑みがこぼれた。笑みの理由は分からないけれど、きっと悪いことではないだろう。
――暖かいと感じた夏は、初めてだった。
「そういえば、ハヤ太君の用事ってなんだ?」
学校まであと五分弱。時計塔の影が見えてきたあたりで、私は何気なしに尋ねてみた。本当に思いつき。なんとなくだ。 彼のことだから、ご主人様の忘れ物でも取りに来たのだろうと思っていた。けれど、ハヤ太君は言いにくそうに口ごもってしまった。 地雷を踏んでしまったのだろうか、と少しだけ焦る。けれど不器用と言うか器用すぎる私は、彼をフォローすることができず、逆におちょくってしまう。
「なんだ? 私には言えないような用事なのか? もしかして、本当に補習だったとか……」 「ちっ、違いますよ! 僕はただ迎えに、」 「迎え? 誰の?」 「あ、いえ、それは、その」
明らかに挙動不審になるハヤ太君。そのキョロキョロと忙しなく動く目は、ある一定の場所を明らかに気にかけていた。 もしも、私がナギ……いや、美希ほどの身長であったなら分からなかっただろう。けれど、彼の目を正面から見据えることのできる私には、彼の視線の先が丸わかりなわけで。 ハヤ太君は、時計塔を見ていた。 正確にはその時計塔の天辺にいる、彼女を見ていた。
急に、周りの気温が上がった。 爽やかな風は消え失せ、引いていた暑さが舞い戻り、身を潜めていた人恋しさが倍の大きさになって襲いかかってきた。
それでも私は、
「ははーん、そういうことか」 「え、あっ……もしかして分かって……?」 「ふふん、動画研究部を舐めるんじゃないよ、ハヤ太君」
――自分が嫌になった夏は、初めてだった。
バレたと分かったハヤ太君は、言いにくそうに彼女との関係を白状した。正直、白状なんてしてくれなくてもよかったのだが。暑いんだから、早く学校へ着いてしまいたいのに。 一通り話したハヤ太君は、ですから動画は勘弁してくださいね、と恥ずかしそうに微笑んだ。暑くて集中して聞いていなかったせいか、なにが「ですから」なのかよく覚えていない。 そして、暑さで朦朧とする私に、彼はさっきのように、出会ったときのように、涼しい笑顔でこう言った。
「それじゃあ、行きましょうか」
(ああああ、暑い)
気がつけば、私は彼の後ろに立って、ハヤ太君の背中を力強く突き飛ばしていた。 うわっ、という間抜けな声と同時に、ハヤ太君は前のめりになった。その体勢を整えるため三、四歩フラフラと前に出た彼と、突き飛ばした振動で二、三歩後ろに下がった私の距離は中々広々としたものだった。 これだけ距離が開けば、涼しくなるだろうか。 「いきなり何するんですか!」
彼は怒ったように私を見つめる。
「……暑いんだ」 「へ?」 「暑いんだよ、二人で並んでいると。それにハヤ太君の話もお熱いしな」
だから、先に行ってくれ。と、告げる。 優しいハヤ太君は怒られた子犬のような表情を浮かべ、私に一言謝罪を述べた後、時計塔に向かって駆けて行った。 ああ、本当はこうやって駆けて行きたかったんだろうな。ハヤ太君は優しいから、私の歩幅に合わせてくれていたんだ。すまないことをしたな、と気の利かない自分を反省する。
駆けて行くハヤ太君の後ろ姿を眺めながら、私は彼を突き飛ばした手を眺めて、呟いた。
「……暑い」
再び一人きりになった通学路。 彼を突き飛ばした自分。 今更気付いたこの気持ち。 全てはむせ返る暑さのせいなのだ、と、自分に言い聞かせて、私はたった一つの影しかない通学路を再び歩き始めた。
――恋を突き飛ばした夏は、初めてだった。
【暑さに負けて、君を突き飛ばす】
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