Re: 仇ハ敵ナリ(閲覧注意・1話の投稿始めました) ( No.2 )
日時: 2015/09/28 23:29
名前: きは

第1話「過去との邂逅」 



桂ヒナギクの目の前に、彼女の背丈より一回りだけ高い山があった。裾野は五メートル四方に広がっており、ヒナギクのいる小屋の床を半分は覆わんとしている。
その山は夥しい数の本でできており、表面に積もる埃は目に見えるほどであった。
その中から目当ての一冊を探すため、ヒナギクは埃を被るのをいとわず、黙々と目の前の本を手に取っては中身を確認していた。

何十冊と取り除いたところで、「これだ!」と目星をつけた本を見つけた。山の麓にありながら、角が一つしか見えないほど埋まっている本だった。
これを取ればどうなるか、想像に難くはない。そうは考えながらも、ヒナギクは目先の誘惑に駆られそうになる。

そうなるのも無理はなかった。八月も中旬に差し掛かった、暑い暑い日だった。彼女が今いる小屋には窓が一つしかなく、風通しは悪い。
しかも冷房の類は存在せず、ブロックを互い違いに組んだだけの簡易な構造であったから、この小屋は熱気が澱んでいると言っても過言ではない。

べったりと背中に貼りついた汗は、気化熱と共にヒナギクの思考をも奪っていく。
ヒナギクは少しだけためらいつつも、山に埋もれている本を引っこ抜いた。案の定、本の山は表面が抉れたかのように崩れ、埃がもうもうと立ち込める。
窓へ差し込む日光によって埃は目に見え、そのことも相まって彼女の鼻腔はくすぐられた。

「へっ、へくち!」

とっさに口許を押さえて、ヒナギクは振り返った。
目下の作業に集中していたせいか、「彼」がこの作業を手伝っていることをヒナギクはうっかり忘れていた。
仮に今の姿を見られていたとしたら……。そう考えると、彼女の頬は夏の熱気を上回る熱を帯びる。些細なこととはいえ、彼女からすれば恥ずかしくてたまらなかった。
念のため、振り返った先にあるドアを凝視する。この小屋の唯一の出入り口であるドアに人影らしきものはない。

「あのー、ヒナギクさん。大丈夫ですか?」

良かったと胸を撫で下ろそうとした矢先であった。
目の前の山の反対側から、綾崎ハヤテがひょっこりと顔を出していた。水色の瞳は心配そうにヒナギクを見つめている。

「だ、大丈夫よ。風邪とかでも、誰かが噂したわけでもないから。それよりも――」
「いやー、それはよかったです。この本についてヒナギクさんに確認しようかなと思ったら、いきなりクシャミしてたので……」

ヒナギクが身振り手振りも交えてはぐらかそうとしたくしゃみの件を、ハヤテは無意識に掘り起こす。
言わずもがな、ヒナギクの動きが止まった。

「み、見たのね……!」

反射的に愛剣白桜を取り出し、ハヤテの眼前に突きつける。
想定していた最悪のケースを目の当たりにして、彼女は恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。

「ゴメンナサイゴメンナサイ! 不可抗力なんです! ヒナギクさんにしては珍しく無防備な顔をしてたので、そのまま見てたというか――」
「だ・か・ら! そういうところにデリカシーがないのよ!」

いつも通りヒナギクは白桜を振り上げて、ハヤテに斬りかかった。目にも留まらぬ斬撃である。
が、常人離れした反射神経と、彼女が剣を振り下ろすという異常が日常となるだけの経験を積んでいるハヤテにとっては、白刃取りすることなど容易であった。

しかし、それ以上の異常がヒナギクに降りかかった。
風を裂き殺気を纏う刀身が急に止められたのだ。当然のことながら、斬撃の余波によって辺りに溜まっている埃が一斉に舞い上がった。
狭い小屋に埃の靄がかかる。

「へくち! へっくち! へーっっくち!」

まさかの三連発。
白桜を両手で握りしめていたヒナギクは、口を塞ぐこともままならなかった。
クシャミの後はただただ茫然としていた。我に返って事の重大さに気づいてからは、白桜を仕舞い、両手で自分の顔を隠して小刻みに震え始めた。

時間も空間も凍りついてしまったとハヤテは思った。
静寂は二人のいる小屋に留まらず、小屋の周りにある森もさることながら、ここ白皇学院自体が静まり返ってしまったのではないか。そのようにハヤテには感じられた。

「ハヤテ君……」

覆っていた両手を目許まで下げて、ヒナギクは消え入りそうな声で話しかけた。
いまだに彼女の全身は震えているが、それが怒りをも通り越した感情であることは、ハヤテも十二分に承知していた。

「ここ、掃除するわよ……」

淡々としながらも、穏やかならぬ表情でヒナギクは言った。
彼女の指示に反論を差し挟む余地は当然ないのだが、せめてこれ以上機嫌が悪くならないようにと、ハヤテは愛想笑いを貼り付けて曖昧に返事することしかできなかった。