Re: そして朝風と寄り添うように ( No.6 ) |
- 日時: 2015/05/30 15:02
- 名前: ひよっくー
- 22世紀の、いつかのある日。どこかの場所で。
火照った体に心地よい風が吹く。 人口の光が見当たらない、自然に囲まれた風景を、九条美鈴は小型の暗視ゴーグル越しに見やる。風情も何もあったものではないが、明かりを灯すわけにもいかない。この時代ともなると、こんな緑しかないような空間は貴重なもので、時々管理人が訪れる以外は人の足が入ることは少ない。それだけに忍び込む者もいるから、不審な明かりなどが管理人室から見えたりすれば、途端に警備員が飛んできて包囲網を敷かれてしまう。 だから戦闘の規模は可能な限り小さく、かつ迅速であることが求められる。 先程までのように。 「案外早かったですね」 「早く済ませるために入念に準備したのよ。そんなこともわからないの?」 「そうでしたか。では言い換えましょう。早く終わってよかったですね」 「まったくね」 肩にかかりそうな水色の髪、優しげでありながら精悍さを増した青年らしい顔立ち、細いが鍛え上げられた身体。その顔に浮かんだ、どこか皮肉そうな微笑み“28歳”の綾崎ハヤテの顔を、九条は暗視ゴーグル越しにはっきりと見る。その手が掴んだ、一枚の護符も。 元々それを持っていた者は、既に意識を手放していた。長い黒髪と白い肌、たおやかな顔立ちに小さな体、身にまとった着物は相当値が張るものだろうが、ところどころ焦げてしまっている。 「向こうの僕も、やっぱり抜けてましたね。自分の目で見て、わかっていたはずなのに。お嬢様を襲ったのは、自力でタイムマシンを開発した天才少女じゃなくて、この護符を使って時間遡行した何者かだっていうことに」 「見事にスルーしてたわね。多分何度も意識を時空間に飛ばしたせいで、現実感をなくしてたんだろうけれど、それにしたって迂闊よね。最後までこれで丸く収まったって思い込んでたわよ。倒れるくらいお酒飲ませても様子が変わらなかったから、多分本気でそう思ってるんでしょうね」 「人間は見たいものしか見ない、ってことですか。まさか自分がその実例を演じるところを見るとは、思ってませんでしたけど」 色々と起こりすぎて、頭の中で整理できないまま、自分のあずかり知らぬところで物事が丸く収まりそうになる。そうなると、人間無意識のうちにそのための順路を探してしまうものだ。実際に把握できていないことであっても、これはこういうことだろう、と想像して把握した気になってしまう。 連続する特殊な環境で、神経をすり減らしていた綾崎ハヤテが、そんな落とし穴にはまってしまったとしても、不思議はない。 しかしそんなことでは、三千院家の執事として失格だぞ。 声には出さず、遥か過去にいるはずの自分に、綾崎ハヤテは語りかける。 そして、目の前で倒れている、黒い髪の少女をもう一度見る。 予想していたこととはいえ、どうにも納得しきれない感情が、胸の奥でとぐろを巻いている。 「伊澄さんは知っているんですか? 犯人が、ずっと未来で生まれた、彼女の遠い血縁だってこと」 「片方は知ってるし、片方は知らないわ。知ったところでどうしようもないことだもの。下手なことをすれば、今度は人為的にパラレルワールドを作ることになりかねないわ。知らないほうがいいことだってあるの」 反論するための言葉を、ハヤテは飲み込んだ。一番複雑な立場にいるのは、自分ではなく彼女だということくらい、彼でも理解している。 「さて、時間を越えたテロ事件の犯人は捕縛したわ。あなたはどうする? 戻ったら、理沙と伊澄と一緒に過去に帰る? わたしの協力がなくても可能よ。その護符があればね」 護符、正確には緻密な論理回路が刻み込まれたタイムトラベルの“指南書”は、鷺ノ宮伊澄が製作したものである。鷺ノ宮家の宝物庫に代々保管され、いつか子孫によって過去へと場所を移し、朝風神社の宝物堂に収められ、再び少女時代の鷺ノ宮伊澄の手に渡る、時間のループを成立させるために、時間を越えて存在し続けるオーパーツ。 これがあれば、移動のたびに精神面に不安を抱えることにはなるが、同一時空内で身体ごと移動させることが可能だ。そして、精神だけを過去や未来に移動させることも(こちらの方法は、今ここにいるハヤテには使えないのだが)。 伊澄に見せれば、改造によって別時空への渡航も可能になるかもしれない。というより、彼女ならば可能だろう。やるとなれば、負けず嫌いの意地にかけてやり遂げてしまうビジョンが、ハヤテには見える。 ハヤテの返答がどんなものか、九条には察しがついているだろう。それでも聞かずにはいられないのだ。 「やめておきます。昔みたいに暮らすには、戻った先で向こうの僕や理沙さん、伊澄さんをを亡き者にして、それに成り代わるしかありません。そして、僕はそんなことをしたくありません。二人とも同じことを言うと思いますよ」 「へえ、そう。わたしとしては、あなたの顔を金輪際見ずに済むようになる、いい機会だと思ってたんだけどね」 僕の周りの女の子は、素直じゃない人ばっかりだ。 そんなことを思いながら、ハヤテが苦笑を表に出すことはない。言葉の裏に気遣いの色があることくらい察しがついているし、いちいち茶々を入れてからかうなんてことは、紳士としての矜持に反する。 ハヤテは、遠いパラレルワールドから遥々回収しに来た護符を、目の前にかざす。過去に目にしたときは、和紙で包まれて古びた封筒に入れられていたから、じっくりと見るのはこれがはじめてのことである。しかしどう見ても、鷺ノ宮伊澄が全力を挙げて作り上げた希代のオーパーツには見えない。 その気になればすぐにでも引き裂くことの出来そうな、こんなちっぽけなものに、十年以上振り回されていたのだと思うと、苦い喜悦に笑ってしまいそうになる。 「救われませんね。手違いで殺されてしまったあなたも、殺してしまった僕も」 「それと、よりによって時間旅行で迷子になった伊澄もね。思えば間抜けな話だわ。こんなことで一生苦悩し続ける羽目になったかもしれないんだから」 「あなたを助けることを選択した伊澄さんは、もう吹っ切れています。しかし、あなたを殺す手助けをしてしまった伊澄さんは、もしかしたら自力で気付くかもしれません。あなたは彼女に“九条美鈴が犯人”だと言った。“あの僕”は九条美鈴が撃たれたのは、僕らと同じような恨みを買ったせいだろうと推測した。それで彼女らの推測は、一応は矛盾なく収まります。だけど、ぼんやりしているように見えて聡明な人ですから……」 「それはどうかしら……。あの天然っぷりは筋金入りのように見えるけれど」 二人の考え方の違いは、悲観と楽観というだけで説明が付くだろうか。 九条美鈴は、違うと思う。 「あなたと伊澄は、わたしを殺そうとした。そして一方の可能性ではわたしのこめかみを射抜いて、一方の可能性ではわたしの命を救った。ただそれだけなのよ。両方の可能性をあなたたちは内包していて、それぞれが結実した結果があるだけ」 「大雑把すぎます。二つの可能性に分かれた僕らは、姿は同じでも別々の存在なんですから」 「被害者が割り切ってるんだから、加害者もそれに同調してればいいのよ。死んだわたしはなにも言わない。だけど、生き残ったわたしにとってはただそれだけの話なの。あなたはわたしの友達。伊澄も理沙も、わたしの友達。わたしを殺した綾崎ハヤテと、その手助けをした鷺ノ宮伊澄の罪は、どうやったって裁けるものではないし、独りよがりな贖罪をしたって何の意味もない。だからね、きっと考えたってしょうがないと割り切るわよ。あなたはお馬鹿さんな上に、うじうじしてるから未だに納得がいかないんでしょうけど、伊澄はきっとそう考えるわ。本質的に、あの子は悩みとは無縁なの」 ハヤテの顔には、理解できない。という文字がでかでかと書かれている。 それでも九条は気にしなかった。何度でも言えばいいことなのだ。彼がこの時空に帰る気がないというなら、いくらだって時間はあるのだから。 「さて」 一瞬で、簡易型の遮光音カーテンが張られる。そして、腰に下げていた銃器型のデバイスを、気を失った女の子に向ける。躊躇うことなくトリガーを引くと、カーテンの内側には、雷にも似た光と電流が迸り、耳をふさいでも全身を揺さぶってくるような轟音が響く。 時間はきっかり一分。意識を取り戻しては失い、世界が反転して宇宙に放り出されたかのような常識の範疇を外れた衝撃と激痛に、少女の体はのたうち回り、痙攣を繰り返す。 トリガーから力を抜いたとき、幸いにも少女の体は原型を留め、心臓は動いていた。外見上の傷もなく、髪や衣服も電流を浴びる前と変わりない。 カーテンを収納して、ハヤテの顔を見やると、悪魔を見るような目を九条に向けていた。 「なんでそんなに冷静なんですか……」 「失敬ね。実験はいつだって、心躍る作業工程よ」 「いえ、そういうことではなく……」 「とにかく、理論上は問題ないはずよ。これでこの時代、この場所に来た目的は達したわ。彼女は記憶をなくしたし、もうその護符を使うための霊力も喪失した。あなたの目的の後始末は、これで完了よ。お疲れ様」 そう、本来の目的はこれだ。 時空渡航の実験のついでに、九条美鈴を殺害した綾崎ハヤテ、鷺ノ宮伊澄に会い、嘘を交えた説明をすること。 そして、三千院ナギ、九条美鈴に危害を加える前の犯人を追い詰め、無力化すること。 どちらも、目の前のお人好しな青年のためのものだ。 人のことを言えないくらい、彼女自身もお人好しで甘いのである。 「ありがとうございます。……でも、これで大丈夫なんですか?」 「理論上は、って言ったでしょ。彼女が起きても問題なければ、成功したってことよ。だから今夜は一晩中見張り」 森の中に開けた草原のただ中に少女を寝かせて、周囲に偽装フィールドを設置。 そして二人で、小さな声で雑談しながら時間を消費する。 心配事の種は、もう大分消えてしまった。あとは流れに身を任せるだけ。 さて。 「何から話しましょうか?」 「そうですね。それではひとまず、これからの未来の話を」 今までの道のりを考えれば、少しばかりユニークな話題である。 「そうね、帰ったらどうするか、ちょっと腰をすえて話し合いましょうか。帰ることができればの話だけどね」 「大丈夫ですよ。あなたは天才で、僕は悪運が強い。それに、渡航機は二人乗りなんですから。二人でいれば、命の危険なんてあってないようなものですよ」 そういうことは彼女に言え。 そんな言葉を、九条美鈴は口にするかどうか迷った。 結局何も言わず、彼女はただ心のままに笑った。
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