Re: 群青(紅クロス) 第二話更新 ( No.4 ) |
- 日時: 2015/03/01 19:29
- 名前: S●NY
- 大和の影に隠れて立つ少女の手には、大きな旅行鞄がひとつ。
今日の訪問と関係があるのかと思いながら、ハヤテはヤカンでお湯を沸かしていた。 普段は水道水を飲んでいるハヤテも、来客があったときのために一応お茶の葉は用意している。 ちゃぶ台に三人分のお茶を用意して、正座。大和の言葉を待つ。 大和は出されたお茶を一口飲むと、話を切り出した。
「この子を守ってやってくれ」
いきなりの本題。ハヤテは大和の隣に座る少女を見た。 一瞬、目を奪われる。 少女は美しすぎた。 まるで絵本の世界から飛び出してきたような、可憐で儚い少女だった。 絹のようにきめ細かな白い肌と、鮮やかな金色の髪。二つに結ばれた髪の先まで、思わず視線を向けてしまう。川の流れのように澄みきって美しい。 細い手足も、薄い唇も、伏せられた眼差しも全てに気品があり、神々しい。 少女趣味など微塵もないハヤテですら、思わず見ほれてしまうほどの危険な色気。
「……仕事の依頼、ですか?」 「そうだ」
大和は軽い口調だが、ハヤテの心臓は高鳴っていた。 戦部大和はただの知り合いではない。恩人であり、ハヤテの大先輩なのだ。 世界最高の揉め事処理屋。それが彼、戦部大和である。活躍の場は世界規模で、ハヤテのような駆け出しには、まさに天上人。 そんな彼からの依頼。ハヤテの目は泳ぐ。 多忙な彼は自分に来た依頼を他者に頼み事がある。それは、もちろん彼の信頼している人間に限る。 興奮する気持ちを抑えて、落ち着くように努力する。 問題は内容。そう、仕事の内容なのだ。 この少女はいったい誰なのか。
「三千院ナギ。今年で13歳になる」
ハヤテの疑問に先回りするように、大和は答えた。 年齢のわりに小柄だとハヤテは思った。と、同時にある疑問が思い浮かぶ。
「……あの三千院ですか」 「他にあるか」 「……いえ。ないです」
三千院。 その名を名乗るのは、この国でひとつだけ。その資産は世界全体の数パーセントにも及ぶとされる大財閥。名家中の名家だ。 この少女が……。
「……この子を、僕が守るのですか」 「そうだ」 「誰に狙われているんです?」 「いえない」 「狙われる理由は?」 「いえない」 「なぜ僕に?」 「適任だと思ったから」 「いやだって、これは三千院からの依頼ですよね!?僕なんかより、大和さんのほうがっ」 「俺はお前が適任だと言った」 「そんなっ」 「それにここなら安全だろう」 「それは……そうですけど」
有無を言わさない大和の言葉に、ハヤテは言葉に詰まる。 いや、待てよ。今、なんていった。
「この子とここで暮らすんですかっ。この部屋で預かるんですかっ」 「問題あるのか?」 「……あるでしょう」
初めての護衛の任務。それも、誰から狙われているかも、狙われる理由も明かせない。 おまけに少女は有名な大財閥三千院の娘で、年端もいかない少女を六畳一間のボロアパートで匿えという。 これほどまでに胡散臭い話は無かった。しかしこれは、戦部大和の依頼である。
「ちょっと、考えさせてください……」
空になった茶碗を持って台所へ。ヤカンに残ったお茶を注いで、ゆっくり飲む。 じんわりとした温かさが、喉を通って胃の深い場所に送られた。落ち着け。 冷静になれ、冷静になって考えろ。 護衛の任務は初。守るのは自分と保護対象の2人に増える。それも、相手が分からないから、常に自分は後手になる。守らなければならないのは非力な少女。 あの大きな荷物。大和はハヤテが首を縦に振るつもりで来ているに違いない。これは自分の恩人からの依頼。自分はどうすればいい。 いつまでも答えの出なかったハヤテは、茶碗を置いて少女の方を向く。 そこで思わず目を見開いた。 それまで目を伏せ、固く口を閉ざしていたナギがこちらを向いている。 その瞳は、うっすらと涙で濡れていた。 ハヤテはその幼い瞳に吸い込まれるような感覚を味わう。 それは、助けを求めるような、苦しみもがく様な、悲痛な瞳。 年端もいかない少女が、何者かに狙われている。そして、自分に助けを求めている。 少女が狙われるこの世の不条理と、伝説の揉め事処理屋が自分に任せると言ってくれた期待。 ハヤテは自分の中に、何かがふつふつと沸いてくるのを感じた。 そこからのハヤテの行動は早かった。
「……受けます」 「いま何ていった?」
ハヤテの瞳はまっすぐナギを見つめている。
「その護衛。引き受けます」
その言葉に、大和は満足そうに微笑み。ナギは驚いたように目を見開いた。 ナギのその視線にハヤテはゆっくりと頷くと、ナギは顔を赤らめて俯く。 さぁ、ここからが大変だ。 抱えた仕事は今までで最大。けれど、決して苦痛ではない。むしろ気分が頗るいい。 それはこの選択が間違っていなかったからだろう。この少女を必ず守る。 そうハヤテは思った。 この時は。
☆
大和を途中まで送ることにしたハヤテは、ナギを部屋に残し外に出た。 帰り際、もう一度大和に自分の疑問をぶつける。
「でも、どうして僕のところに?」 「不満か」 「そんなことはないですっ。ただ……」 「俺はな、物事は全て自分の直感に従って決めている。だから、今回はお前に任せた。お前が一番適していると思う」 「どういうことです?」
含みを持たせた。胃のなかが気持ち悪くなる問答。
「それはいえない」
ばっさり言い捨てられた。これ以上の追求は無視するぞと含みを持たせて。
「ハヤテ、これでもお前には期待している。大丈夫、お前ならうまくやれる」 「また悪巧みか」
突然、暗闇から殺気の混じった声が聞こえた。 五月雨荘を囲む樹木の傍から、彼女は現れる。その姿はさながら魔女の様だ。 「記憶もないうつけがフラフラするなよ、大和」 「陰鬱な性格を正してから出直して来い、黒須」
彼女の存在に気づいていたのか、突然表れた黒須にも大和は驚かない。 二人は睨み合い、冷めた瞳を交し合った。ハヤテも詳しくは知らないが二人は旧知の仲らしい。 顔を合わせれば必ず嫌みのようなものを言い合うのだ。 それでも、今日ほど殺気に満ちた黒須は見たことが無かった。
「お前が何をするのも勝手だがな。前途ある少年を修羅の道に引きずり込むのは感心しないな」 「今回ばかりは善行だ。それも大切な約束を果たすためのな」
大和はそう言って、自嘲気味に口角を吊り上げる。
「……古い、約束でね」
一瞬ここではないどこかを見ていた瞳に、再び光を宿す。 大和はばさりとトレンチコートを翻し、ハヤテのほうを向いた。
「あとはよろしく頼む。また、近いうちに連絡する」
古い約束とは何だったのか疑問に思うが、大和はきっと答えてはくれないだろう。 答えは自分で見つけるしかない。手取り足取り全てを教えてくれるのは子供時代だけだ。 今となっては、自分の分かる範囲でなんとか折り合いをつけるしかないのだろう。 大和が五月雨荘の敷地を後にした時、すでに黒須も消えてしまっていた。まるで自分の役目は終わったと、闇夜に溶け込むように。 かすかに残る彼女の香水の香りが、確かにそこに居た証だった。 黒須には、これから預かる三千院ナギのことについて話しておこうかと思ったのだが。 まぁ明日でもいいかと、ハヤテはとりあえず自室に戻ることにする。 これからしばらくの間の同居人。しかも小さな女の子。 13歳といったら、けっこうな思春期なのではないか。そんな子と狭い部屋で暮らすことに、今更になって不安を覚える。 どう接したらいいのだろう。 誰かに命を狙われているのなら、不安だろうし。ここはやさしく接するべきか。 部屋に戻ると、ナギは先ほどと同じように行儀よく正座していた。ハヤテの帰りを待っていたのだろうか。 ハヤテはなるべくやさしい口調を意識しながら、彼女に挨拶する。
「これからよろしくね」
そしてゆっくり。少しの衝撃で壊れてしまいそうな陶器を扱うように、ゆっくりと彼女の近づく。 彼女の頭を撫でようとしたハヤテの右手は、しかしバチンと跳ね除けられた。
「気安く触るな。一般庶民」
……あれ。 唖然とするハヤテの前で、ナギはすっと立ち上がり自分の旅行鞄の前に立つ。 鞄をがさごそと乱暴に漁り、其処から取り出されたのは最新型の携帯ゲーム機。 慣れた手際でゲームをセットする。横にごろんと寝転がって、カチャカチャとボタンを押し始めた。 ……なんだこれは。 ハヤテは開いた口が塞がらない。先ほどまでの可憐な少女は何処に行った。目の前の光景は幻覚か。
「名はなんというのだ?」 「……えっ」 「日本語もわからんのか。名前を聞いているのだ」 「……綾崎ハヤテ」 「覚えよう。それで、私の部屋はどこなのだ?」 「ここだけど」 「なに?じゃあ寝室は?」 「ここだけど」 「食堂は?」 「ここだけど」 「リビングは?」 「ここだけど」 「風呂は?」 「ない。けど、近くに銭湯があるから……、うわっ」
そこまで言ってハヤテの顔面に携帯ゲーム機が投げつけられた。 慌ててハヤテはそれをキャッチする。 ナギはというと、むすっとした顔でハヤテの顔を睨むと、部屋をぐるりと見渡し、もう一度ハヤテの顔をみる。 すぅっと息を吸い込んだ。
「バーカ!バーカ!こんな貧相な部屋で人が生活できるわけがないだろっ!私を馬鹿にしているのかお前はっ」
とても他の住人には聞かせられない言葉だった。 これは夢だ。これは夢だ。 現実から目をそらすように視線を巡らせたハヤテは恐ろしいものを発見する。 ……なんだこの目薬。 え、じゃあなんだ。さっきのは。 さっきの涙は……。僕に引き受けさせるための、演出? ……。 ……なんだと。
「こら!聞いているのかっハヤテぇっ!!」
ナギの怒声を聞きながらハヤテは思った。虚空を見つめながら。 女難の相か。
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