secret nightmare【7】 ( No.18 ) |
- 日時: 2013/07/24 03:32
- 名前: 春樹咲良
- 参照: http://soukensi.net/perch/hayate/yybbs/yybbs.cgi?mode=new_html&no=103
- enemy
ねぇ,きっと,あなたの中に私は居ないから。 交われないなら,離れていくしかない。 この世の中には,あなたに関する記憶が,少し多すぎる。 あなたの記憶をすり減らしながらでも,きっと生きていけるから―― パラレルワールドで,また出逢えたら。
*
夏休みの目下の課題というか,いっそ清々しいネーミングと言うべき『夏休みの敵』には,私の周囲でもかなり苦戦している人が多いようだ。最初から自分でやる気がなさそうなのは除くけれど。 ハヤテ君も例に漏れず苦戦を強いられているようで,今日は夕食の後片付けが終わったらハヤテ君の部屋で少し教えることになっている。私も人に教えられるほど片付いているとは言えないけれど,ハヤテ君の頼みなら……仕方がない,ことにしておく。 そもそも,自分の力で取り組んでいるから「分からないところがあるので聞きたい」という言い回しができるのだ。そういう努力のできる人に,協力を惜しむなんてことがあるはずがない。 何だか,何を言っても言い訳じみてしまうのはどうしてだろう。
「で,早速なんですけど」 相変わらず鈍器にしか見えない『夏休みの敵』を机の上に広げページをめくりながら,ハヤテ君は言った。 「"E"ってなんですか?」 「……どの"E"のことを言ってるの」 世の中,"E"で表す学術的な記号・単位がどれだけの数あると思っているのだろう。自然科学なら普通エネルギーだと思うけれど,他に"E"で表すものって何があっただろうか。 「えーっと……あ,ありました。これです,これ」 ケッペンの気候区分では"E"は確か寒帯……などというところまで思い出している間に,ハヤテ君が見つけて指さした問題は,数学の確率についての問題だった。 「なんだ,確率の問題だったら普通,"E"は期待値(expectation)よ」 ちなみに小文字の"e"なら自然対数の底か,または離心率……そんなところまでは求めていないか。 「期待値……何だかギャンブルの臭いのする言葉ですね」 「どういう漫画を読んだらそういう発想に至るの」 まぁ,確かに無縁のものではない。 「そうね,期待値はここに書かれているとおり,とり得る値とその確率の積の総和で表されるけど,これを使って計算すると,宝くじなんかはあんまり買う気が起きなくなると思うわ」 ちなみに,宝くじの期待値は販売額の50%を超えないことが法律で決まっているので,300円で買った宝くじの期待値が150円を超えることは決してない。 「まぁ,元々地域振興の財源に充てるための事業ですしね,宝くじって」 「宝くじに期待値なんて話を持ち込む方が無粋かも知れないわね。期待値に関しては,袋の中に入れた赤玉と白玉について考えるだけでさし当たりは十分よ」
「でも実際,もしも宝くじが当たったら,なんてことを考えたことある?」 確率の問題を片付けた後,一息つくついでに雑談を投げかけてみた。 「僕ですか? うーん,どうでしょう」 目の前にいるこの男の子は,色々な事情から目下のところ借金が一億五千万円ほどあるという。にわかには信じられないような話と思いたいが,世の中にはそういうことが平気で起こるらしい。というか,私の身の回りにはお金に関してスケールの大きな人が少し多すぎる。 「僕はダメですね。生まれつきの不運がとどまるところを知らない感じっていうか」 「……確かにそうね」 この人を見ている限りだと,そもそも宝くじを無事に買いに行けるのかというところから心配になってくる。 「基本的には,ギャンブルには手を出さない方がいいと思うことにもしていますしね。まぁその……ダメな例が割と身近に居たというのが大きいですが」 最後の方は少し言いにくそうに,顔を上げずにハヤテ君は言った。 「……ごめんなさい,変なことを聞いたわね」 「ああ,いえ,そんな。気にしないでください」 努めて明るい調子で答えるハヤテ君を見ると,いたたまれない気持ちになってくる。 「……気を取り直して,今日のうちに片付けられる疑問は全部片付けちゃいましょ」 「はい,ヒナギクさん。……あの」 「何?」 「いつもありがとうございます」 何の心の準備もしていないところにそんなことを言われると,どうしていいかわからなくなる。 「……何よ,改まっちゃって」 ああ,ぶっきらぼうな返答になっていないだろうか。そんな不安を抱きながら,何とか自分を立て直そうとしていた。 「いえ,なんかヒナギクさんにはいつも頼ってばっかりな気がして。いつかちゃんとお礼をしないといけませんね」 「いいのよ,そんなの。私だって,自分の勉強にもなってるし」 「でも,なるべく自分の力で片付けられるようにはなりたいですね。もっと頑張らないと」 ――この人は,いつもこうだ。 「……ハヤテ君は,いつも十分頑張っているわ。私から見ても,ちょっと頑張りすぎなくらいよ」 そう,頑張りすぎで,私が不安になる。いつか,離れていってしまいそうで。 ハヤテ君がまた何かを言う前に,頭を切り替えて言う。 「じゃあ,次の問題」
「……期待値,か」 自室に戻ってから,一人机に向かってみたものの,特に何も手に付かないまま,ふとそんなことをつぶやいた。 どうしてこの人のことが好きなのだろう,と思うことは数え切れないほどあった。それでも,どうしようもなく好きなのだと,思い知ることも同じくらいあった。 そして,ふと気がゆるんだときに首をもたげるのは,この恋は報われるのだろうかという期待と不安の入り交じった気持ちなのだった。 人の心は数字では測れないということは重々承知だが,仮に全員に等しく可能性があると考えても,ハヤテ君の身近には,ハヤテ君に好意を寄せているらしき女の子が明らかに多すぎる。 恋愛は宝くじではない……が,少なくとも宝くじは期待値以前に買わないと当たらない。 「それはわかってるのよ,それは」 また誰にともなく言い訳を始める。 このアパートで暮らす約束も,気づけば残り一ヶ月になっている。それまでに,この現状は変わるのだろうか。 ……少なくとも,買わないと当たらないのだ。それは,わかっている。
------------------------------- 世間では夏休みらしいですが,特に更新頻度は上がりません。
期待値って「わくわく度」ですよね……(このネタ,何人に通じるんだろう。 そう言えば,本編中でヒナギクは少額当選したことがありましたっけ。記憶が曖昧です。
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