secret nightmare【6】 ( No.15 ) |
- 日時: 2013/07/14 01:55
- 名前: 春樹咲良
- phrase
淡い夢を見ていたの。 目覚めたときに全て忘れてしまいたいような,幸せな夢。 私を見ないで,私に触れないで,私に笑いかけないで。 あなたのその優しさが,私の心を乱すから。
*
昼休み。夏の眩しい日差しが降り注ぐ中,木陰に置かれたベンチにハヤテ君が座っているのを見つけた。手に何かの本を持っている。 「何読んでるの?」 いつも不意打ちを食らうので,今日はこちらから声をかけてみた。 「ああ,ヒナギクさん。こんにちは」 ハヤテ君は顔を上げると,いつも通り私に笑いかけてきた。不意打ち失敗。
「お嬢様を学校に行かせるのに,名言が有効らしいんですよ」 「名言?」 ベンチに並んで腰掛けると,ハヤテ君はさっきまで読んでいた本について語った。ハヤテ君が読んでいたのは,若者に向けた名言をまとめた本なのだという。それにしても,相変わらず理由を付けて学校に行かないのか,あの子は。 「この間は,マリアさんが1日を1円に換算して,限られたものを無駄にしてもいいのかという話をしてくれたんですけど」 そう言えばこの間,縁側で千桜とそんな話をしていたのを,通りがかったときに耳にした気がする。あれはそういう話だったのか。 「こう,ストックを作っておきたいじゃないですか。いざというときに,効果的な名言を繰り出せるようになりたいというか」 今後も主人を学校に連れて行くのに苦労するであろうことを見越しての発言に,日頃の苦労がにじみ出ている気がする。 「まぁ,座右の銘にできそうな言葉が見つかるとか,自分のためにもなるかも知れないわね」 「ヒナギクさんは何かいい名言ご存じですか?」 「そうねぇ……」 名言集を受け取ってページをめくる。ふと,あまりに有名な言葉が目に入って,手を止める。
《天才とは1%のひらめきと99%の努力である》
「えーと,これは,アインシュタインでしたっけ」 ハヤテ君が隣から覗き込んで言った。 「エジソンよ。さすがにベタすぎかしらね」 「努力の大切さは分かるんですけどね」 「ていうかあの子,天才だから学校には行かなくてもいいと思ってるわけじゃないし」 「そうなんですよねぇ」 どちらかというと真性の引きこもりのようなものだと思う。 「学校に行く大切さが分かる名言なんて都合のいいもの,そうあるものじゃないわよ」 「うーん……」 考え込んでしまった。二人で名言集をめくりながら,めぼしいものはないか探してみる。 「これとか,どうでしょうね」 ハヤテ君が指さしたのは,ゲーテの言葉だった。
《いかにして人は自分自身を知ることができるか。観察によってではなく,行為によってである。汝の義務をなさんと努めよ。そうすれば,自分の性能がすぐわかる》
「遠回しすぎますかね」 「あの子,多分登校を義務だと思ってないから,ダメなんじゃないかしら」 それに,自分の性能については,学校ではないところでよくよく学んだみたいだし。 「うーん……」 再び考え込む。 「ゲーテなら,もっと直接的にこんなのはどう?」 多分あるだろうと思ってページをさらにめくると,目当ての言葉が見つかった。
《気分がどうのこうのと言って,なんになりますか。 ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。 …………… きょうできないようなら,あすもだめです。 一日だって,むだに過ごしてはいけません。》(ゲーテ『ファウスト』)
「こないだのマリアさんのに通じるものがありますね」 「前半だけでもそれなりに効果はありそうよ」 ハヤテ君が言うのはあまり想像できないけれど。何だかんだ言って,ハヤテ君は基本的にナギには甘い。 「なるほど,やっぱり古典には参考になる言葉が色々あります」 「でも,ナギならどちらかと言うと,漫画やアニメから引っ張った方が効果的だと思うわよ」 「ああ,それもそうですね……」 このアパートの住人は,時々私に理解できない出典の引用をしてくる。ハヤテ君は,そちら方面の名言を思い浮かべようとしているようだ。 私にはついて行けないので何の気無しに名言集のページをめくっていると,同じゲーテのこんな文句が目に入ってきた。
《愛する人の欠点を美点と思わない人間は,その人を愛しているとは言えない》
どうやら,愛についての名言をまとめた章のようだ。 「欠点ねぇ……」 考えていたことがそのまま口に出てしまったようだ。ハヤテ君が気づいて, 「ヒナギクさんに欠点なんてありますかね」 と言いながら,こちらの手元を覗き込んできた。思わず「うわっ」と言いそうになるのをぎりぎりでこらえた。この人を目の前にして,愛に関する名言を落ち着いて読める自信はあまりない。 動揺を隠しつつ,この機会なので前から思っていることを改めて言ってみた。 「……ハヤテ君は,明らかにデリカシーが足りないと思うわよ」 「え,デリカシーですか? うーん……」 この人のデリカシーのなさは筋金入りだと思う。それにしても,デリカシーのなさを美点として受け止めることは本当にできるのだろうか……? 自分の過去の行動について振り返っているらしいハヤテ君の隣で,私も考え込んでしまった。 二人で並んで考え込んでいる様子がおかしくなって,思わず吹き出しそうになる。そこでふと思い出して,もう一度名言集のページを開いた。目当ての言葉は,先ほどの名言のすぐ後のページに載っていた。 「ん,ヒナギクさん,今度は何ていう名言ですか?」 ハヤテ君がまた覗き込んでこようとするのに気づいて,すぐに本を閉じる。 「秘密よ。デリカシーのない人には教えてあげない」 「ええっ,そんなぁ」 ちょっと,都合のいい解釈をし過ぎだと自分でも思うから,やっぱり恥ずかしい。
《愛する,それはお互いに見つめ合うことではなく,一緒に同じ方向を見つめることである》(サン=テグジュペリ『人間の土地』)
------------------------------- 随分間が空いてしまいました。 どうしようもなくネタ切れ気味なので,名言に頼ってみました。
ヒナギクがこんなにゲーテに詳しいかどうかは分かりませんが,完全無欠の生徒会長なのできっと『ファウスト』も『若きウェルテルの悩み』も『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』も全部読んでることでしょう。 ここに挙げた以外にも,世の中には先人達の残した名言がたくさんあります。もちろん,恋だの愛だのに関するものもたくさんあります。 その辺は,これから先の話でも少しずつ触れていけたらいいかなぁ,と思わなくもないです。
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