呪いじゃなくて愛情なんだよ |
- 日時: 2012/12/04 18:09
- 名前: 餅ぬ。
- (後編)
想像以上の呪いの効果に、私は我を忘れて悲鳴を上げた。
「ウソだろ!? それはさすがにウソだろ!?」 「餃子に苺つめちゃったの!? カレーの代わりに生クリーム使ったの!? どんなアレンジしちゃったの!?」 「恐ろしいことに材料はカレーとか餃子のそれなんだよ……。でも出来上がったのは、なんとコレです」
そう言って理沙はその呪いの封印を解いた。 厳かに開かれたお弁当箱の中には、苺餃子でもなく生クリームカレーうどんでもなく。
「普通のショートケーキです」 「なんで!?」 「カレーは!? 餃子はどこいったの!?」
驚きと衝撃と恐怖に慄く私たち。だがそれも仕方のないことである。 例えばクリームがカレー色だったり、苺が見るからに餃子だったりしたのなら、ただその気持ち悪さに叫び声をあげるだけで済んだだろう。 けれど目の前にあるのは、それはそれは美味しそうな可愛らしいショートケーキなのである。 苺とか! どう見ても苺じゃないか!
「……これどう見ても生の苺だよな?」 「苺、使ってないらしい」 「じゃ、これ何?」 「……呪いの賜物……かな」
呪いってすごいな。いや、これは理沙の兄がすごいというべきなのだろうか。
「……理沙ちん、食べるの? これ」 「食べたくない」 「うん、そりゃそうだよな。こんな得体の知れない物体……。捨てるか?」
そうだ、捨ててしまえばいいんじゃないか。 食べ物を粗末にするな! などと説教されるかもしれないが、カレーうどんと餃子がこうなってしまった時点で粗末になっているのだ。捨てられても仕方ない存在なのである。 説教なら、理沙の兄にすべきなのだ。 けれど、私の案に理沙が賛成する様子はない。苦々しい顔をしながら、重い溜息を吐くばかりであった。
「まさか勿体ないとでも思ってるのか?」 「そうだよ、理沙ちん。確かに食べ物を粗末にするのはダメだけど、命には代えられないよ!」 「……捨てられるもんなら捨てたいさ。でもな。これ、呪いかかってるんだぞ」
理沙が何を言いたいのか、イマイチ分からなかった。 首をかしげる私たちを見て、理沙は真っ青な顔でこう言った。
「これ、昨日の時点でぐちゃぐちゃにして捨てたはずなんだよ」 「……はい?」 「出来上がったこれ見て、さすがにみんなビビッて兄に了解を得て捨てたんだよ。実際作った兄本人も「やばいもの出来ちゃった」って言ってたし。 でもな、朝は確かにいつもの弁当を鞄に詰め込んで来たはずなのにさ、お昼休みになってみたらなんかすり替わってた」
泉が泣きそうな顔をしている。現に私も涙目である。有名な呪いのフランス人形を髣髴とさせる怪談話が、今まさにリアルタイムで繰り広げられているのだ。
「多分、捨てても追ってくると思う」 「……怖っ!! もう私ケーキ食べられないよ!」 「祟りだ! もう祟りだそれ! 伊澄さんを呼べぇぇぇ!!」
呪いのショートケーキ(みたいなもの)を目の前に、私たちはただ叫ぶことしかできなかった。もし今ここでこれを叩き潰しても、きっと明日には理沙の元へ戻ってくるだろう。 もしかしたら潰したことによって私にも祟りが降り注ぎ、明日の朝、枕元にショートケーキが鎮座ましましているのではないかと思うと……! 今日は寝れないかもしれない。
「……食べるのが、一番の供養とか?」
黙り込んでいた泉が、急にとんでもないことを言い出した。
「……え? 泉さん?」 「材料はカレーと餃子なんでしょ? だったら食べれないことは……」 「気でも触れたか、泉! この瑞々しい苺を見てみろ! これが餃子に見えるか!?」 「でもでも! 食べないと、理沙ちんは呪われたままでしょ!? だったら食べるしかないよ!」 「泉……、そこまで私のことを……」 「だから頑張って! 理沙ちん! ファイト!」 「う、裏切者! 私の感動を返せ!」
これも祟りか。ここにきて理沙と泉が仲間割れを始めた。泉の純粋な残酷さは、時折私や理沙の腹黒さを凌駕するときがある。
「大丈夫だって! ほら、苺おいしそう! これが餃子なわけがないよ! 餃子だったとしても、味は餃子だから大丈夫! いざとなったら伊澄ちゃんもいるし!」 「呪われるの前提じゃないか! そこまで言うなら泉が食え! ほら、クリームとかもしかしたらホワイトカレーかもしれないぞ! 美味しいぞ〜」 「あ、ゴメン。私、カレーは辛口派だから……。あ! そういえば美希ちゃん、甘口派だったよね?」
出来るだけ影を薄くしていたのに、案の定巻き込まれた。我関せずを貫こうと思ったが、呪いの恐怖に怯え、相手を犠牲にしようとする彼女たちから逃れる手段はなかったのだ。 じゃあ私も死ぬ物狂いで抵抗しようじゃあないか!
「断る! もし辛かったらどうするんだ! ここはやっぱり中辛派の理沙が食べるべきじゃないのか?」 「いやだ! 食べん!」 「我が侭言うなよ! 理沙のお兄さんが作ってくれたんだろ! 自分で処理しろ!」 「まだ高校生だもん! 死んでたまるか!」 「大丈夫だって! 死なないって! いざとなったら私と美希ちゃんが、救急車でも伊澄ちゃんでも呼んできてあげるから!」 「いーやーだー!! 絶対死ぬ! 祟られる!!」
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。しかしここで折れれば自分が死ぬ。誰が敵ともわからぬこの場で、信じられるのは己のみなのだ! けれども、このままじゃ埒が明かない。どうにかして、この呪われた物体を処理しなくては。処理しなくては、いつまでも私たちに安寧の明日は訪れないだろう。
しかし、救世主は突如として現れた。
「お、あなたたち美味しそうなもの持ってるじゃない。先生にもちょっと分けてよ」
飢えた雪路である。 給料日前の彼女は常に金欠で、私たちに食べ物を集ってくることも珍しくない。いつもはちょっと鬱陶しく思っていた雪路のその行為が、今となっては涙が出るほど嬉しい。 仲の良い担任を犠牲にするなんて……という良心は、すでに無くなっていた。
「いいよ! 好きなだけ持ってって、桂ちゃん!」
泉がにこやかに言う。泣き腫らした泉の目を見て、雪路は一瞬不思議そうな顔をしたが、食欲には勝てないようでそこにつっこむことはなかった。
「瀬川さん太っ腹ねー。いい子に育って先生嬉しいわ。で、どれだけ貰ってもいいの?」 「そりゃもう好きなだけ! 雪路にはいつも世話になってるしな!」
理沙がにこやかに言う。滅多に見せない理沙の良い笑顔に、雪路は訝しげに眉を潜めた。私は理沙を睨みつけた。
「なんか、怪しいわね。朝風さんがそんなこと言うなんて……。なんか企んでるの?」
理沙の視線が泳ぎ、私に助けを求める。ここは下手にいい子ぶるよりも、いつもの調子で言った方がいいのだろう。
「……別に何にも企んでないぞ? ただ全部ケーキあげるから、ちょーっとだけ成績おまけしてくれないかなー……なんて」
私がそう言うと、雪路はにやりと笑って、そういうことかと呟いた。馬鹿め、引っかかったな。 雪路はなんだか偉そうに胸を張り、嬉しそうにケーキの入った弁当箱を抱えた。
「まあ、美味しかったら考えてやらなくもないわね」
……今回の世界史の成績は最悪だろうな、と多分三人ともが思った。しかし世界史の成績なんかよりも、私たちは今後の輝かしい人生をとる。 苦笑いを浮かべる私たちをニヤニヤと見下ろした後、ケーキに目をやった雪路は少し首をかしげてこう言った。
「んー、でも一人でワンホールはちょっとキツイわね」
その反応に嫌な予感がし、『雪路ならイケる!』コールの準備をしたが時すでに遅し。雪路は私たちにこう言い放った。
「まあ、半分だけでいいや。もう半分はあなたたちで食べなさい」 「あっ!? いやいやいや、でもね、雪路さん……」 「心配しないでよー。ちゃんと美味しかったら成績の件は考えてやらなくもないからさぁ」 「いや、でも……」 「気にしない気にしない。雪路さんは意外と優しいのよ。そんじゃ、半分貰ってくわね。ありがとー」
そう言って、雪路はさっさとケーキを半分に切り分けて、弁当箱ごと持って行ってしまった。 帰り際に苺(のようなもの)を一つ摘み食いしたようで、廊下から「甘酸っぱーい」という満足げな雪路の声がかすかに聞こえてきた。
「甘酸っぱいんだ、これ……」
泉の呟きを最後に、私たちは黙り込んだ。雪路の冥福を祈らずにはいられない。
弁当箱の蓋の上に置かれた半分になったケーキを見て、私たちは再び頭を抱えた。 もう救世主はいない。やっぱり私たちで処分するしかないのか。そう覚悟したその時だった。
「あれ? 学校でケーキなんて珍しいですね」
「ハヤ太君(救世主その二)……」
神様はまだ私たちを見捨ててはいなかった。 彼なら大丈夫! 雪路以上に丈夫だし! ガンダムが呪いに屈するわけがない!
「ハーヤ太君。これ、食べてくれないか?」 「え? まだ半分近く残ってますけど……」 「いいんだよ、私たちもうお腹いっぱいでさ」 「そうそう、やっぱり体重とかも気になっちゃうしねぇ」 「だからハヤ太君、残り、食べてくれないか?」
三人の女の子にニコニコと微笑まれ、食べて食べてとせがまれたとあっては、ハヤ太君みたいな優しい男は断れるわけがない。 理沙がどこからともなくタッパーを取り出し、残りのケーキを押し込み、ハヤ太君に手渡す。案の定、ハヤ太君は困ったような顔をしつつも受け取った。
「えっと……本当にいいんでしょうか……?」 「いいよー。ハヤ太君にはいつもお世話になってるもん。日誌とかも手伝ってもらってるし……。そのお礼だよ」
泉が少し照れくさそうにそう言うと、ハヤ太君はニコリと笑った。勝った、と思った。
「じゃあ、遠慮なく頂きますね。お嬢様やマリアさんたちと一緒に食べ……」 「「「それはダメ(だ)!!」」」
思わず叫んだ。このケーキは、普通の人間が食べて無事でいられるような代物ではないのだ。 驚いているハヤ太君をじっと見据えながら、私はさも冷静を装って彼に語りかける。
「ハヤ太君は本当に乙女心が分からないなぁ。他の女子に貰ったケーキを一緒に食べようなんて言われて、ナギちゃんがいい気するわけないだろ。 これはハヤ太君一人で食べてくれ。くれぐれもナギちゃんやマリアさんにはバレないようにな」
私の剣幕に押されたハヤ太君が、はあ、と気のない返事を返す。もうひと押ししておくか。
「いいな、一人で食べてくれよ。私たちだって、ナギちゃんに嫌われたくないんだから」
そう言うと、ハヤ太君は困ったように笑いながらも「はい」としっかりと返事をした。うん、これなら大丈夫だろう。犠牲者は増えない。
「じゃあ、貰っていきますね。ありがとうございます」
ケーキの入ったタッパーを持って、ハヤ太君は去って行った。
「……ごめんね、ハヤ太君」
泉がそう呟いて、うなだれた。私と理沙はそんな泉の肩を叩きながら、彼女を無言で慰めた。 ハヤ太君。君の死は、無駄にはしないよ。 彼の背中を見送りながら、心の中で合掌した。
――後日談。
この二人の救世主様のおかげて、私たちはショートケーキの呪いから逃れることができた。ああ、生きているって素晴らしい。
ちなみに案の定二人は次の日学校を休んだ。 雪路は一週間近くも学校を休み、来たと思ったら妙に目が虚ろだった。なんでも、夜中に無数の苺の亡霊が餃子にまたがって、雪路の周りを行脚するのだそうだ。 ケーキは美味しかったそうで、約束通り世界史の成績は少しだけ上げてもらった。何故スポンジにジャガイモが入っていたのか聞かれたが、答えられなかった。 ハヤ太君は一日休んだだけで学校に戻ってきた。さすが三千院家のガンダム。 しかし、伊澄さんにお祓いのようなことをされたらしく、あのケーキはなんだったのかとしつこく聞かれた。上手くはぐらかしたが。 けれど、理沙は後日伊澄さんに……否、鷺ノ宮家にお呼び出しを食らって、何やら物凄く説教されたらしい。滅多にへこまない彼女が、珍しくその日一日しおらしかった。
色々あったけど、何はともあれ、私たちは元気です。 でもしばらく苺は食べられそうにありません。
今でも時折、どこからともなく香ってくるのです。 甘酸っぱいあの匂いが――。
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