一時間でどんなのが書けるか挑戦した結果。 |
- 日時: 2013/03/11 03:46
- 名前: 餅ぬ。
「好きな人が、出来たんです」
どういう会話の流れから彼のこの言葉を聞くに至ったか、花菱美希は覚えていなかった。忘れ物を取りに一人で教室へ戻ってきたら、窓辺で一人佇むハヤテを見かけて声をかけた。会話のきっかけは、ただそれだけである。 覚える価値もないような他愛のない会話を繰り返し、只々繰り返し、その果てに偶然にも聞き出した彼の心境。正直なところ、美希は戸惑っていた。彼女は単に、世間話をしていただけのつもりだった。 人一倍色恋沙汰に関して鈍く、人一倍人を愛するということに関して臆病だった彼が、自分のような人間にぽろりと本音を零すなど、彼女自身考えてもいなかった。まず彼の本音を探る気さえ、今の美希にはなかった。 しかし聞いてしまった以上、詮索せずにはいられないのが女子高生としての悲しい性である。恋愛沙汰となればなおさら。それも、天然ジゴロと名高い綾崎ハヤテの想い人となれば、好奇心も一入だ。 もしかしたら、という淡い期待を込めて相手の名前を尋ねてみた。けれど期待はただの期待でしかなく、照れくさそうに彼が口にした名前は予想もしていなかった名前だった。
自分が振られたわけでもないのに、何故だか泣きそうになって、美希はぐっと唇を噛みしめた。「ハヤ太君にもそんな感情があったんだな」と、皮肉っぽく茶化しながらも、美希はまた心の中でもしかしてを考える。 もしかしたら、彼のその恋愛感情はほんの一時的なものでしかなくて、案外すぐに冷めるのかもしれない。しかし彼は人一倍情を大事にする男であることも、美希は知っていた。知っていたが故に、頭の中の仮定の話さえ満足に出来なかった。 幸せそうに微笑みながら窓の外を眺めるハヤテの横顔を見ているうちに、物悲しさが美希の心の中に満ちていき、耐えきれずついに涙を一つ落とした。 美希が泣きだしたことを目敏く見つけたハヤテが、焦ったように眉を潜めながら美希を宥めようとすっと手を伸ばしてくる。美希はその手を迷わず払い落とし、ハヤテと同じように眉を潜めてじっと彼を見据えた。 その無意識の優しさが何人の女の子の心を捕らえたと思っているのだ、と美希はその瞳で語りかける。しかしハヤテは戸惑うばかりで、払い除けられた手をモタモタと所在なさげに持て余していた。
「なぜ泣くんですか、花菱さん」
突然泣き出した美希の心を読み取ることができないハヤテは、情けなくも穏やかな口調で美希に問いかける。それは幼い子供に語りかけるそれによく似ていた。 彼の優しさは実に多種多様だと美希は思う。少々ぶっきらぼうな男らしい優しさから、女性を虜にしてしまう甘く暖かな優しさまで。そんな素敵な優しさを無償で垂れ流してしまうから、気付かぬうちに誰も彼もハヤテを好いてしまうのだ。 彼がもっと冷たい人間であったなら、情に浅い人間であったなら、とまたしても無駄な想像が美希の頭の中を巡る。頭の中から溢れだした想像が、目からぽろりぽろりと水になって零れ落ちた。 一層泣き出した美希を見て慌てふためくハヤテに、彼女はグズグズの涙声で涙の理由を教えてあげた。
「だって、ハヤ太君、君は、何も分かっちゃいないじゃないか」
美希はハヤテを想う可哀想な少女を二人知っている。 幼馴染で笑顔が素敵な大親友と、彼女自身が仄かに想いを寄せる憧れの人。どちらも何より大切な友人で、茶化しながらも美希は彼女なりに二人の恋路を応援してきたつもりだった。 自身の想い人の恋愛を応援するということに言い知れぬ焦燥を覚えたりもしたが、叶わぬ恋だと諦めて、自分の心を押し殺して、ただひたすらに美希は彼女の幸せだけを願ってきた。 恋愛に不器用な憧れの人は、どうにか彼に想われたくて、素直になれない性格と戦いながら彼女なりに必死で頑張ってきたというのに。あまりにむごい結末じゃないか、と美希は心の中で一人ごちた。
「君は馬鹿だ、ハヤ太君」
ハヤテは何も知らない。自分が誰からどれだけ好かれていたのか、彼は何も知らないのだ。それを分かっていながらも、美希の口からは子供じみた罵倒の言葉が溢れ続ける。
「馬鹿、ハヤ太君の馬鹿、」 「すいません……」 「理由も分からずに謝るな馬鹿やろう」 「……すいません」
美希は泣いて、ハヤテは只々謝っていた。美希の言葉の真意を知らないハヤテの謝罪に意味はない。意味がないと分かっていながらも、事態が把握できていない彼はただ謝ることしかできなかった。 意味を成さない謝罪の言葉を聞きながら、美希はひたすら泣いていた。そこにいつもの冷静な彼女の面影はなく、鼻を真っ赤に染めて、今にも床へへたり込んでしまいそうなほど弱々しく全身を震わせている。 それでも美希はハヤテを見据えて、懸命に震える唇を動かした。
「私はな、ハヤ太君に幸せになってもらいたいと思ってるよ」
美希の語るその気持ちに嘘はない。 ハヤテが誰を愛そうかなんて、美希にとって本当はどうでもよかったのだ。そう、美希個人にとっては。
「でもね、私には君以上に幸せになってもらいたい人がいるんだ」
親友は勿論のこと、自分の恋心を押し殺してまで願った憧れの少女の幸せ。それらが全て報われない現実を目の当たりにした美希の心を、ハヤテが知ることはない。
(きっとこのことを知ったとき泉は今の私のように、もしくはそれ以上に泣くんだろうな。 ヒナは強がりだからきっと平気なふりをするのだろうけど、心の中では親友以上に泣いてしまうのだろうね)
大好きな彼女たちの悲しむ姿がふと脳裏に浮かんで、やっと渇きかけていた目尻がまた涙でジワリと湿りを帯びる。
「……ハヤ太君、私はね、ヒナと泉が大好きなんだよ」
美希がそう言うと、ハヤテは首を傾げた。まるで何故今泉とヒナギクの名前が出てくるのか分からないとでも言いたげなその態度に、美希は確かな怒りを覚えた。 彼が悪いわけではないと美希の理性が彼女に語りかけるが、一度頭に上った血は中々降りてこない。彼女の表情は崩れていないが、自然と拳がぎゅっと握りこまれた。 それでも美希は拳をぎりぎりと白くなるほどきつく握りしめ、殴りつけたくなる衝動を抑え込んだ。 そしてぽつりと一つだけ本音を零した。これは彼女のひた隠しにしていた心の一部であり、ハヤテに理解してもらおうなんて毛頭思っていない。
ただ、ただ、自ら潰した想いを改めて言葉にしたかった。
「私は、ヒナのことが大好きだったんだ」
先ほど美希が紡いだ二人への信愛の言葉とは明らかに違う意味合いを込めた、その一言。勘の鋭い者であれば美希の本心に気付くのだろうが、美希の対峙している相手は生憎綾崎ハヤテである。 恋愛感情に疎い彼が、美希の言葉の意味を理解することはなかった。申し訳なさそうに目を伏せて、何度目かわからない謝罪の言葉を呟くばかり。その謝罪は相変わらず意味を成してはいなかった。 泉とヒナギクの恋心も、美希の押し殺された恋心も、彼は何一つ知らないのだから仕方のないことである。彼は何も悪くないのだ。それは美希も知っている。だが、全てを知るが故に、美希の涙は止まらない。
「……大好き、だったんだぞ。馬鹿やろう……」
今までの全ての想いを込めて一言そう言い放ち、美希はその場に泣き崩れた。その涙の本当の意味をハヤテは分かっていない。
何も、何も、分かっちゃいない。
【知っている人、知らない人】
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