Re: どんぐりで見た夢 〜 鬼か人か |
- 日時: 2020/05/09 09:25
- 名前: どうふん
第2話 : 不思議の姫 再び
ランチタイムの喧騒も一段落し、喫茶店どんぐりに静けさが戻った。
「ヒナギクさん、お客様ですよ」 どんぐりの奥に入って企画書を見比べていた桂ヒナギクは牧瀬恋葉の声で我に返った。ちなみにヒナギクはオーナー兼店長で恋葉は副店長であるが、この店では誰にも肩書はなく、名前で呼び合っている。ところで恋葉が「お客さん」の名前を言わないということはハヤテ関連の、それも常連客ではない懐かしい顔ぶれということだ。 それがわかっている以上、客席に入る前から心の準備はできている。誰がいても驚くことはないだろう・・・、という予想は外れた。さしものヒナギクが絶句して足が止まった。 「アリス・・・」ちょこなんと上品に腰かけたその姿は、かつて高校生のヒナギクが娘として面倒をみていたアリスに紛れもなかった。年映えもあの頃の・・・十年も前のままだった。 アリスがヒナギクに目を向け、にこ、と微笑んだ。 まさか・・・アリスって妖怪だったの?十年前と変わらないその姿に、ヒナギクが最初に思いついた合理的な説明はそれだった。
「お久しぶりね、ヒナ」横手にある洗面所からもう一つ懐かしい声が届いた。声の主は天王州アテネ。混乱したヒナギクは言葉を失い、アテネの顔をまじまじと眺めた後、徐々に全身に視線を移した。お人形のような美貌と羨ましいばかりのナイスボディには磨きがかかり、かつての美少女ではなく、美女のそれだった。 (天王州さんはちゃんと年を重ねているわね) 凍り付いたまま動かないヒナギクに、アテネは笑いをかみ殺してアリスのテーブルに歩みよると隣に腰かけた。 「お化けでもみたような顔ね、ヒナ」それほど間違ってはいない。
アリスがちょっとむくれた。「こんなかわいいレディをつかまえて、『お化け』とは何事ですの、ママ」 「ママ?」言われてみれば・・・。確かにこの二人、顔のつくりから特長のある巻きロールの髪型まで瓜二つ、というも愚かなほどだった。ふくれっ面のアリスのアホ毛がさながらクレーン車のように揺れている。ここも同じだ。 ただ当時よりは若干幼く見える。大人ぶった物言いは大して変わらないが、中身は子供のままなのだろう。
十年近く前にギリシャに住むアテネから海外結婚した連絡が届いたことがある。しかし、子供ができたという話は聞いていなかった。日本に帰ってきたということも。 だが、それは後回しでいい。そもそもかつてのアリスは一体何者なのか。
おかしくてたまらない、という顔をしたアテネが種明かしした。 かつてのアリスが幼女化した自分であったこと。ヒナギクに近づいた目的。そしてかつての闘いにどのような形で関わっていたのか。そして自分そっくりの娘を得たアテネはいろんな思いを込めて「アリス」と名付けたことを。 ヒナギクはため息をついた。「我ながら、間が抜けていたわね・・・」何で今まで気づかなかったのか。こうして二人並べば一目瞭然だった。 「さぞおかしかったでしょうね。全然気づかない私を見て」まだ笑いが止まらないアテネは、両手を上げて宥めるようなそぶりをした。 「まあまあ。おかしいなんてとんでもない。私は楽しかったのよ。あなたに面倒見てもらって。そして仲間に入れてもらって」あのアパートで過ごした時間の前後で自分が大きく変わったということは気づいていた。いろんな人から表情が優しくなった、穏やかになった、と口々に言われた。
同じことはヒナギクも感じていた。初めて会った時、アテネには自分以外に友人はいなかった。周囲からは口を利くさえ恐れ多いと思われ、当人にも寄せ付ける雰囲気はなかった。 そんなアテネがアリスと入れ替わりに戻ってきた時、姿は昔のままでも中身は別人のようだった。初対面であるはずの歩や千桜とも親しげに話していた。 「とはいえ・・・騙していたことは確かね。ごめんなさい」丁寧に頭を下げられると、苦笑するしかなかった。 かつての友人、そして一時は親子。奇妙な関係にある二人の間の話は尽きなかった。そればかりでなく、二人ともあれから数奇な運命を生きてきた。実際のところヒナギクが妖怪譚を遠慮なくできるのはアテネが初めてだったかもしれない。
柔らかな寝息が聞こえた。いつのまにかアリスは眠っていた。寝顔までもかつての母親とそっくりで、いつも眺めていたそのままだった。 「それにしても・・・あなたがギリシャで挙式したことは聞いていたけど、何でアリスが生まれたことは教えてくれなかったの」 「この日のためよ・・・。いつかあなたを驚かせてあげたいと思ってね」 つまりアリスが生まれたその日から、ヒナギクを驚かすための準備を着々と進めてきたのか。何という壮大かつ遠大なイタズラであろうか。こうしたところも昔のアテネとは明らかに違う。 呆れるような思いとともに、久々に味わう敗北感だった。決して不愉快なものではなく、気持ちよく騙された。 「ところで・・・今日のことはナギや歩さんにも黙っていてね」どうやら同じことを繰り返すつもりらしい。
アテネはアリスを抱き上げて席を立った。ヒナギクも立ち上がり、母親に目配せした。アテネがどうぞ、とほほ笑むのを見て手を伸ばした。アリスのさらさらとしたブロンドも暖かくて柔らかい頬も、その感触は掌が覚えているものと変わりなかった。 この天使のような娘がヒナギクと意気投合して、どんぐりに入り浸り、この店のマスコットとなるのはすぐ後のことだった。
※年数計算を誤っていたので一部修正しました(5/27)。
|
|