Re: 鬼か人か 〜 第三章 混沌の夢【第4話】 |
- 日時: 2019/08/25 18:38
- 名前: どうふん
第五話 : 回帰する場所
まだ体はふらふらする。ちょっと熱はああるかもしれない。だが、この程度ならどうってことはない。もうナギの元には戻れないが、また一からやり直そう。身づくろいして部屋を出ようとしたハヤテだが、入ってきた伊澄に止められた。 「ハヤテ様。まだ体は治っておりませんよ。まずお食事だけでも済ませて下さい。栄養を摂らないとまた倒れますよ」確かに・・・言われてみれば今まで気づかなかったのが不思議なくらいの空腹感だった。
おひとり膳で部屋まで運ばれてきた料理は美味しかった。久々のまともな食事が体に浸み込んでいく。メニューも味付けも特段凝ったものではなかったが、ゆっくりと味わっていると心が落ち着いていくのを感じた。 「どうですか、ハヤテ様」 「すごく美味しいです」 「それはどのように美味しいのですか」首を傾げながらもハヤテは答えを探した。「え、そうですねえ。すごく基本ができていて・・・」 「そんなことを訊いているのではありません。もっと端的に感じたことを教えてください」 「は、はあ・・・。なんか・・・懐かしいというか、心が落ち着いて安心できると言いますか・・・」 伊澄の眼が責めるような色をした。「そこまでわかっていながら、なんで気付かないんですか?」 あっと気付いた。これは・・・この料理を作った人は。箸を取り落した。「ナギさん」
「やっと気づいたか。遅い遅い」 襖を開けて入ってきたのはナギだった。ほんの数日とはいえ、一緒に過ごしているときに何度も食べる機会がありながら、ヒナギクが行方不明になり、じっくりと意識して味わうことはできなかった。それでも何となく舌が覚えていたらしい。 「あ・・・あの・・・。なんでナギさんがここに・・・」 「こっちが訊くことだろう。なんで私たちの家へ帰ってこなかった。まさか負け犬公園に倒れているとは思わなかったぞ」冷や水を頭からぶっ掛けられたような気がして俯いた。針の筵に座っていた。 「話はあとだ。私も食べることにする」 三人で向き合い、黙々と箸を動かした。気まずくて仕方ないが、一度火のついた飢餓感は次々と皿を空にした。 「もういいのか。まだお代わりはあるぞ」 「いえ・・・もう十分です」 「さて・・・と」ナギが改まるのが見え、ハヤテの背中に緊張が走った。言いにくいことだが言わなきゃいけない。「あの・・・ですね。ナギさん・・・」 「何も言わなくていい。全てヒナギクから聞いた。お前に救われたそうだ」 「ヒナギクさんが・・・」 「ここに私を呼んだのもヒナギクだ」 ハヤテは伊澄を見ると、伊澄は気まずそうに目を反らした。伊澄がヒナギクに、ヒナギクがナギに伝えたということか。
(でも、なんでヒナギクさんがナギさんに・・・) 「ヒナギクに頼まれた。昔好きだった人を宜しくお願いします、ってな」 そうだった。ヒナギクにとっての過去であり、自分にとっても一度は過去になりかけた物語だった。 それでもナギにとってだけは現在だった。初めて会った時から、別々に暮らした時を経て今の今まで惑うことなくずっと自分のことだけを想っていてくれた。
だが、それだからこそ、自分にそこまで愛される資格なんかない・・・そう思わざるを得ない。今回のことだって、ナギにしてみれば浮気されたようなものだろう。それさえ許してもらえるというのか。今さらながら自分の情けなさが身に染みた。 「済みません、ナギさん・・・。やっぱり無理です。僕はあなたを・・・」 「ギリシャでもそうだったじゃないか。お前が昔好きだった人を見捨てることができず、前に進むことができなかった」ナギの両手が伸びてハヤテの手を握り締めた。その瞳がハヤテには眩しすぎた。 「お前は世界を救うヒーローじゃなかったかもしれない。だけど、その時も・・・そして今はヒナギクを助けることはできたんだ。今度は私を守ってくれ。これからもずっと。それで十分だよ」 心が初めて揺らいでいた。あのギリシャの時と同じ・・・。そう考えてもいいのだろうか。そして今、ナギの元に帰ってこれた・・・。 ダメだ、虫が良すぎる。やはり・・・しばらく旅に出よう。しばらくは一人で自分の気持ちを整理して・・・。
「ハヤテ、ここにいたのか」前触れもなく駆けこんできたのは瀬川虎徹だった。今はハヤテと組んでベンチャー事業を営んでいる。 「熱があるのか、ハヤテ。だったら服を脱げ。俺が温めてやる」息せき切って服を脱ぎだす虎徹は、ハヤテの鉄拳に吹き飛ばされ、襖を突き破り庭の池に頭から飛び込んでいた。 「そこで頭を冷やせ」それでもずぶ濡れになって這い上がってきた虎徹はハヤテに縋るような目を向けていた。その場の緊張感も盛り上がりも一瞬にして消え去り、失笑と苦笑だけが残った。 「いつまで休んでいるんだ、ハヤテ。クライアントがお怒りだぞ」 「わかった。すぐ行くよ。ナギさん、夜には家に戻ります。お話の続きは後で改めて」 「ま、まて、ハヤテ。お前、熱は」 「お陰様で下がったみたいです」 「そ、それは俺のお陰ってことだよな」褒めて褒めて・・・と言いたげにすり寄ってくる濡れネズミの頭をハヤテは撫でた。 「はいはい。いい子いい子」これだけで幸せいっぱいの顔をしている虎徹をナギは眺めて」いた。 (まさかとは思うが・・・私の愛情なんて、こいつの変態行為にも及ばないのか・・・) 余り穏やかでないことが頭をかすめるが、何とも言えない笑いがこみあげてくることも確かであった。
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