Re: 鬼か人か 〜 第二章 HEROに涙はいらない |
- 日時: 2019/06/20 22:14
- 名前: どうふん
第5話 : 彼女が髪を切ったワケ
(ちょっと・・・効きすぎちゃった) ネコ娘は後悔した。先ほどの一言で、魂を抜かれたように目と口を半開きにしているハヤテにはいまだに動き出す気配がない。 予想を大幅に超越した反応に、「てへぺろ」しか打開策を思いつかなかった。
「うそ」ネコ娘が舌を見せている。ちょっとざらついて見えるのは気のせいだろうか。 そのセリフの意味を理解するまでしばらく時間がかかった。 一度固まった心臓の血が逆流した。激高して跳ね起きたハヤテだが、ネコ娘の眼が寂しそうに瞬いているのに気付いた。 「ごめんなさい・・・。だけど鬼太郎がヒナギクを好きなのは本当」そういうことか・・・ネコ娘は鬼太郎のことが好きなのだ。怒る気力が萎えた。だが今はそれより大きな問題がある。訊かずにはいられなかった。 「ヒナギクさんはどうなんですか」 「気付いてないみたい」 拍子抜けした。他人を笑えないことはわかっているが、ヒナギクもまた相当鈍い。 「でも、あれだけいつも一緒にいるんだから・・・。戦いでも普段でも息ぴったりだし・・・時間の問題かもね」 ほっとした気持ちが一転して焦りが沸き上がった。いや焦りとも違う。もっと胸が疼くような重苦しいものだった。 胸を掻きむしりたい。一体何なんだ、これは。生まれて初めて感じるものだった。まさかとは思うが・・・嫉妬? ふと疑問が湧いた。鬼太郎はヒナギクの顔があれだけ傷つけられても何ら感傷を見せなかった。あれが好きな女の子に対する態度だろうか。 「鬼太郎が好きなのはヒナギクであって、ヒナギクの顔じゃないのよ」 また胸に突き刺さった。あんたはどうなの、問いかけられたような気がした。
ハヤテは目を瞑って考え込んだ。ヒナギクのこと、自分のこと。ヒナギクと再会したとき、そして傷ついたヒナギクを前にした自分の気持ち。何をされたわけでもないのに鬼太郎に抱いている不快感。そして今、胸が痛み苦しくてたまらない。その理由なんてたった一つしか思いつかない。 もう一つ異質の痛みが胸に走った。閉じたままの目にナギの悲しげな顔が浮かんでいた。 (ナギさん、済みません。やっぱり・・・僕はヒナギクさんが好きみたいです) 自分を信じて「待っている」といってくれたナギに対する裏切りだろう。 ヒナギクの心を取り戻すなんてもう無理なのかもしれない。 それでも、自分の気持ちはもうはっきりしている。 「ネコ娘さん」眦を決したハヤテはかっと目を開いて横を向いた。が、飛び上がった。いつの間にかそこに座っていたのは砂かけババアだった。 「いいのう、若いモンは」まるで伊澄さんみたいな人だな、ハヤテは思った。 (それとも・・・伊澄さんが妖怪染みているんだろうか)
「そこに咲いている花、知ってるかね」砂かけババアが指した先に小さな白い花が咲いていた。太陽を思わせる黄色い中心部と外に伸びる細い花びら。気づいたのは今だが、遠目でみてもわかる。 「ヒナギク・・・デイジーですね」 「そう見えるじゃろ。だが違うんじゃよ」え?近寄ってまじまじと見直したが違いがわからなかった。 「この花を人間の世界に持ち帰っても育てることはできない。似て非なるものじゃ」首を傾げるハヤテに砂かけババアは続けた。 「人間と妖怪もそうじゃ」ハヤテは気付いた。これは世間話じゃない。 「人間と鬼や妖怪が結ばれることもある。だが、環境も寿命も全然違う者同士が長いこと連れ添うことははっきり言って難しい。あの姿で鬼太郎は70歳くらいじゃ」 10歳あたりで成長が止まっている鬼太郎の本当の年は砂かけババアはおろか鬼太郎自身も知らないらしい。 「そんな妖怪がせいぜい百年しか生きられない人間といつまでもうまくいくとは限らん」しかもその間、妖怪の姿は変わらない。そればかりではない。開発や都市化が進む人間の世界に住むことは妖怪にとって難しくなる一方である。かといって便利に慣れている人間が、長年に亘りこの森の中で過ごすことに耐えられるのか。 「でも、二人は・・・」好き合っているんでしょう、と言いかけて思いとどまった。今のところは鬼太郎の片思いらしい。そもそも認めたくなかった、というべきか。 「まあ、あまりのんびりする時間はないじゃろう。しかし、お主がヒナギクを人間の世界に連れ帰り、鬼太郎はネコ娘と結ばれる。それが最も望ましく相応しいかたちだとわしは思うがのう」
どっこいしょ、と砂かけババアは腰を上げた。 背を向けて歩き出した砂かけババアが振り向いた。「あの花、摘んでくれんかの」 わけがわからないが、ハヤテは深く考えず茎を一本折った。が、声を上げた。茎の折り口から流れているのはまるで血のような赤い液だった。 (確かにデイジーそっくりだけど・・・違うんだ・・・) そっと歩み寄ってきた砂かけババアは、ハヤテの手からデイジーに似た花を抜き取り、折り口を元の茎に戻した。 あっと驚いた。その花は何もなかったように茎にくっついていた。 「お前さんは知っているかの?男が好きな女と結ばれることを『手折る(たおる)』と言うのじゃよ」砂かけババアの声がずっと遠くから届いてくるような気がした。 「本物のヒナギクを手折るのは鬼太郎かの、お主かの。じゃが忘れてはいかん。ヒナギクは人間なんじゃ」 (鬼太郎と僕・・・どちらか・・・。砂かけババアさんは僕に言っているんだ。ヒナギクさんは人なんだから僕が・・・人の手で手折ってみろ、と)
ヒナギクが選ぶのは鬼か人か・・・。砂かけババアがわざわざこんな話をするということは、まだ望みはあるのだろう。 だとすると、ヒナギクの髪を切った理由も、あながち自惚ればかりではないかもしれない。ヒナギクがあの自慢の髪をいつばっさりと切ったのかはわからないが、ハヤテと別れた時、と考えるのが自然だろう。そして二年経った今でもそのままなのだ。 萎えかけた心が戻っていくようだった。 勇気をもらった、そんな気がした。
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