Re: 鬼か人か 〜第一章 曙光のひとかけら |
- 日時: 2019/04/20 20:56
- 名前: どうふん
第7話:巨いなる企て by 聖母
「ハヤテ君・・・」食卓に着いてぼんやりしているハヤテの頭上から声が降ってきた。マリアだった。 先ほどマリアが淹れてくれたコーヒーはほとんど手つかずのまま冷めていた。 「何か悩みがあるなら・・・。お姉さんに言ってごらんなさい。今ならナギもおりませんし」 しばし躊躇した。しかし、今心に抱えている悩みにマリアなら答えをくれそうな気がした。 「マリアさん・・・、僕は正しかったんでしょうか」
三人で暮らし始めて一週間が過ぎた。 久し振りに一緒になった生活はそれなりに楽しかったが、やはりぎこちなさが残っていた。 その原因は言うまでもなく、ヒナギクの行方不明にあった。 「ハヤテ君はヒナギクさんを助けにいきたいんですか?」 マリアの問いに、ハヤテはYESともNOともつかないうめき声を上げただけだった。 「私に背を押してもらいたい、と思ってるならムダですよ」マリアの声にはかつて聞いたことのない冷ややかな響きがあった。 「そうやって誰にでも分け隔てなく優しく、親切にした結果、あなたはどれだけの女の子を傷つけてきたんです。もういい加減学習したのかと思っていましたけど。あなたが守るべきはナギじゃないんですか。あなた自身がそう言ったじゃないですか」 ハヤテは俯いた。それ以上にマリアから言われたことがショックだった。 背を押してもらいたい、というのもあながち間違いではない。自分が悩んでいる様子を見れば「ナギのことは任せてヒナギクさんを助けに行きなさい」そう言ってもらえるような気がしていた。 (確かに・・・僕が守るべきはナギさんだ・・・。ナギさんを放っておいてまでヒナギクさんを命を捨ててまで守らなきゃいけないんだろうか。正義の味方でもスーパーマンでもない僕にそんなこと無理に決まってる) だが、どうしても心に引っかかることがある。それが何なのかはうすうす気付いていたが、それを認めるのが怖かった。
ハヤテの傍らを離れたマリアは忸怩たる思いに苛まれていた。ハヤテの逡巡する理由にマリアは気付いていた。というより恐れていた。 もともとマリアはナギの家庭教師からメイドと立場は変わっても、実質的な保護者としてずっと側にいた。当時のナギは引きこもりで周りには自分しかいなかった。そして認めざるを得ない。自分にとっても愛する存在はナギしかいなかった。そんな二人きりの日常は何の変化もなく淡々と過ぎていた。 しかし、ハヤテが加わることで状況は一変した。日常と非日常の境界線が曖昧となり、いろんな形でハプニングに巻き込まれた。そしてハヤテを軸として沢山の仲間ができた。 そして仲間に囲まれたナギはマリアさえ気付かないうちに少しずつ成長していた。 漫画の勝負に挑み、一度はあきらめかけながらも友達から励まされ踏ん張ることができた。横にマリアがいなくとも一人で寝ることを覚えた。そしてラスベガスではマリアに真っ向から挑み、ついに勝つことができた。 こうしてナギは上っ面でない本物の自信をつけつつある。
そんなナギの大切な想いを叶えたいというのはマリアのかねてからの願いだった。 そして今なら成就の可能性がある。そう思ったマリアはナギの成長ぶりをハヤテに繰り返し吹き込むと同時に、自分が去ることをハヤテに伝えた。ただ、この時点では実際には出て行かなくても良い、と考えていた。 マリアの本当の目的は、ハヤテにナギを強く意識させると同時に、危機感を抱かせることだった。保護者意識以上の気持ちをハヤテに持たせたい、そう思っていた。
しかし状況は一変した。ナギのクリスマスの勘違いはエスカレートし、第三者にまで知られることになった。そしてハヤテがこれに気付き、自分の方が去る覚悟を固めてしまった。これを何とか引き留めないとようやく芽を吹き始めた可能性はゼロになる。 ハヤテをナギの傍らに残すためには自分が先に出ていく他なかった。 もっともマリアといえど神様ではない。ハヤテの両親の企みや白皇学院の死闘まで読めるはずもない。 ただ、1%の可能性を残しておけば、今のナギならきっとなんとかできる。 そう信じた。信じたかったというのが正確なところであろう。とにもかくにもマリアは賭けに出て、それに勝った。 もっともナギが自立を決意した結果、ハヤテに暇を出すのはマリアの想像を超えていた。このため、二人が再会するまで二年間を要することとなった。 しかし、多少の読み違いはあっても、結果的にはマリアの思惑は最高の形で実現した・・・ はずだった。
だが、その計算には不確定要素が紛れ込んでいた。 かつてハヤテはヒナギクと初めて会った時、「お嬢様と似てる・・・」と感じた。そのヒナギクに惹かれ、一時はデートのような時間を過ごすこともあった。 実際のところ負けず嫌いで意地っ張りでありながら優しくて純粋な二人の性格は良く似ている。ただ決定的な違いは克己や尽力の精神だった。 ヒナギクはナギの成長した姿、そういう見方をする人もいる。実際、自立し、成長したナギはヒナギクの相似形といっても過言ではない。
もともとハヤテはヒナギクに興味を持っていない、と周囲もヒナギク自身さえ思っていたが、大きな間違いであることにマリアだけは気付いていた。 少なくともハヤテはヒナギク限定で他の女の子相手と異なる態度を示している。 ヒナギクに嫌われていると思い込んで落ち込んだり、下着姿を覗いたり、下ネタを振ったり、他の女の子には絶対やらないことである。ただ当時は天王州アテネへの贖罪やナギを守ろうとする意思が強すぎたため表面には出てこなかった。
(ナギのため、とはいえ・・・ヒナギクさんには申し訳ないことをした) 本来であればハヤテが付き合っているべき相手はヒナギクだった、と認めざるを得ない。 ただ障害が多すぎた。ヒナギクの稚拙な愛情表現や不器用な打算、ハヤテの自虐的な思い込み、それと偶然とは思えないほどの間の悪さなど数限りない。 決して二人の足を引っ張ったり、仲を裂こうとしたわけではないが、そこに付け込んだ、とは言えるだろう。結局、全く興味がなかったはずのナギにハヤテは心をつかまれた。
そして再会したハヤテとナギはマリアの目論見どおり付き合い始めた。自然な流れで。 だが、成長したナギがヒナギクと似ていたから、ということも認めざるを得ない。ハヤテは今のナギにヒナギクの面影を見ているのではないか。 もっともヒナギクがあんな消え方をしていなければ今さら大した障害とはならなかったであろう。だがこの状況にあって、ハヤテはヒナギクを心配する余り、一度は忘れかけた想いが頭をもたげている。 そして今のハヤテは自立する力を得たナギの保護者としてふるまう必要はない。当時と異なり、ハヤテの行動はナギとヒナギク、どちらへの想いが強いのかで決まることになるだろう。 そこまで考えてマリアは身震いした。胸の中に不安の黒雲が次第に膨らんでいた。
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