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対象スレッド 件名: Re: 鬼か人か 〜第一章 曙光のひとかけら
名前: どうふん
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Re: 鬼か人か 〜第一章 曙光のひとかけら
日時: 2019/04/30 21:00
名前: どうふん

第9話 : 義理と人情の秤


「ナギ、本気で言ってるの?」マリアは顔を顰めた。
「当然だ。ヒナギクは私の恩人だ。知らん顔はできない」
昂然と胸を張ったナギにマリアは腹立たしさを覚えた。どれだけ成長して独り立ちしても、そして想い人から愛されるまでになっても、根拠なき自信に支えられた天動説は変わらないのか。自分がどれだけ辛い思いをして、ナギのために本来勝ち目のない戦いを微妙な勝利に持ち込ませたのか全然わかっていない。だが、それを言うわけにいかない。
「ヒナギクさんを助けに行ったらハヤテ君が死ぬかもしれないんですよ。わかっているんですか」
「大丈夫だ。ハヤテはきっと生きて帰ってくる」
(その時はヒナギクさんと縒りを戻す可能性がどれだけ高いかわかっているの)縒りを戻す、という表現はどうかと思いつつ、これは呑み込んだ。
「とにかく、私は反対です。伊澄さんも言っていたそうじゃないですか。『私たちの世界に足を踏み入れるな』と。堅気になった私たちが関われるような問題ではありません」
「それでも・・・ヒナギクを見捨てることはできない」苦し気に顔をゆがませながらナギは意地を通した。「それだけの恩がある」
マリアは言葉に詰まった。確かに、自分とハヤテがナギの元から去った時、マリアの読み違いを補い、ナギを助けて育ててくれたのは間違いなくヒナギクだった。

その夜、仕事から帰ってきたハヤテを異様な雰囲気が待ち受けていた。仕事に集中できず、クライアントに怒られ肩を落としていたハヤテだが、それどころではなさそうだった。
「ハヤテ、お前はどう思っているんだ」
ナギとマリアのハヤテに向ける眼差しが只事ではなかった。
「やはり・・・ナギさんをほったらかしてまで行くべきではない・・・と思います」
マリアは小さく息をついた。「ね、ハヤテ君の言う通りですよ。ヒナギクさんならきっと大丈夫です。あれだけの人なんですから」
「そうか・・・それならそれでいいのだが」非常に意外な気がした。複雑な思いがナギの顔に浮かんでいた。

ハヤテは食事を済ませると早々に自分の部屋に籠った。ベッドに寝っ転がって考え込んでいる耳に、部屋の戸を叩く音が聞こえてきた。
入ってきたナギは黙ってハヤテの横に腰掛けた。ハヤテは上半身を起こそうとしたが、ナギに止められた。「ナギさん?」何度か瞬きをしたハヤテにナギは顔を近づけてくる。
「ハヤテ・・・」
ハヤテは混乱した。受け入れていいのか。といって断る理由もない。
だがナギの顔はほんの数センチ前で止まり、それ以上近づいてこなかった。
「ハヤテ、どうした。気になるのか」ナギの息を顔で感じた。
「な、何が、です」
「それを私に言わせるのか」ハヤテは苦渋に満ちた顔をして沈黙した。
「お前の顔、見たことあるな」かつてギリシャで過去と決別できずに苦しむハヤテのことを指していることは明らかだった。
「私のことなら気にするな。きっと待っているから」
「お嬢様・・・」ハヤテの眼に、ナギがかつての姿と重なった。だが・・・、それでもハヤテは決断できなかった。
そんなハヤテの眼をじっと見ていたナギが口を開いた。
「なあ、ハヤテ・・・。お前が好きになった私というのは、ヒナギクが育ててくれたんじゃないのか」
ハヤテは怪訝な顔をした。「え、マリアさんじゃなくて?」
「マリアはまた別だ。やっとわかったよ。そうでなければあんなに何もかもうまくいくものか。あのアパートも私が世間や家事というものを知るためにヒナギクがお膳立てしてくれたんだ」


ハヤテは一人、自分の部屋でまんじりともせず考え込んでいた。
行くか行かないか、ではない。かつて自分はヒナギクを好きだったのではないか。複雑な事情と環境を抱えた当時の自分はそれに気付かなかった。いや、それさえ疑わしい。気付かないふりをしていたのかもしれない。
かつてヒナギクと別れる時に流れた涙とはまさにそれだったのではないか。
それが完全に過去のものならそれでいい。だが、今自分が手に入れたものはヒナギクのお陰であり、苦しめているものは、かつてヒナギクに抱いていた想いではないか。
(今、ヒナギクさんは大変な闘いの真っただ中にいるんだ・・・)
思えばいつもそうだった。ギリシャでも白皇学園でもヒナギクは他人から知られることもなく、最も危険な戦場に身を置いていた。それがハヤテのためであったことさえ最近まで知らなかった。

かつてナギは全財産を投げうってでもハヤテを助けようとした。だからこそナギはかけがえのない存在となった。その陰にヒナギクの苦悩や死闘があったことなど全く気付かなかった。考えてみれば簡単にわかることなのに。
そればかりか、ヒナギクはナギの独り立ちを援けてくれた。ヒナギクはいつも損得や利害を超越して、恋敵を助けてばかりいる。西沢歩、アテネ、水蓮寺ルカそしてナギ。
(助けに行きたい。行かなきゃいけない・・・。現にナギさんも後押ししてくれている)
だがそれはヒナギクへの想いを再確認することになるような気がした。それはナギとの別れに他ならないのではないか。
今さらそんなことが許されるわけがない。自分を信じ切ったナギの笑顔とマリアの冷ややかな眼差しが脳裏に蘇る。考えれば考えるほどどうしたらいいのかわからなかった。