Re: タガタメニ・・・家族〜「憧憬」未来図 |
- 日時: 2017/07/25 21:54
- 名前: どうふん
第十七話:ようこそ わが家へ
白皇小学校の運動会は学年を横断した赤青黄白の4チーム対抗戦となっている。そのクライマックスというべき色別対抗リレーを迎えていた。 徒競走でぶっちぎりの一位となった三年生の桂シオリは、当然のごとく赤組の代表選手に選ばれ、最下位から一挙トップに躍り出る離れ業を演じ、観客を驚嘆させた。 応援に来ていたハヤテとヒナギクも愛娘の活躍に興奮して大声援を送っている。
これが決め手となり、大逆転勝利した赤組は寄ってたかってシオリを胴上げしていた。しかし目を細めるハヤテの胸には引っかかるものがあった。(それに引き換え・・・・)と口には出さないが、一年生になる弟タクミの不甲斐なさであった。 徒競走は三位を走っていたが、ゴール直前で転んでビリ。もちろんリレーの選手に選ばれることもない。ダンスも顔まで張り切って演技しているのだが、その動きは左右逆だった。シオリの活躍を見ているだけに、歯がゆさがこみ上げてくる。 運動だけでなく、勉強も学年トップを独走しているシオリに対し、タクミはせいぜい真ん中あたりだった。 (頑張っているのはわかるんだけど・・・)ハヤテのもどかしさには、シオリがいわゆるミニヒナで、タクミがミニハヤテであることも影響しているかもしれない。
「何か・・・引っかかっているみたいね、ハヤテ」二人での帰り道、ヒナギクが声を掛けた。 「う・・・ん、シオリはママに似て凄いんだけど、タクミはもうちょっと・・・」 「あら、いいじゃないの。一生懸命やっているところがすごく可愛いわよ」 やれやれ・・・タクミには甘いんだから・・・。ハヤテはため息をついた。 意外だった。てっきり厳しい母親になるとばかり思っていたヒナギクがこうして息子を甘やかし、自分の方が叱ってばかりなのだ。
その日の夕方、テーブルには父母二人掛かりでこしらえたご馳走が所狭しと並んでいた。お弁当も豪華だったが、夕食は更に手がこんでいる。 歓声を上げた子供たちはさっそくキッチンに駆け込んでお手伝いをしている。その間も子供たちのお喋りは止まらない。運動会のことで話題は尽きない。 タクミは自分のことそっちのけで、シオリの活躍に目を輝かせている。 「お姉ちゃんね、スゴイんだよ」 テレビからは日本の外務大臣が米国の大統領と差しでゴルフをした、というニュースが流れていたが、誰も気づかないでいた。 「それで、タクミはどうだったのかな」ハヤテが聞いた。 「えへへ・・・転んじゃった。あとね、ダンスもちょっと間違えちゃって、後でみんなに笑われちゃった」 「それで?」少々イラついた響きにタクミは気付かない。 「楽しかったあ」相変わらず目をキラキラさせながら話すタクミに、失望にも似た怒りが湧いた。ハヤテにしてみれば、自分の分身が何でこんなにだらしないんだろうと思った。 「負けて悔しくないの、タクミ?もうちょっと頑張ってもいいんじゃないか」 「ええ・・・頑張っていたよお、パパ」抗弁してきたのはタクミでなくてシオリだった。パパ大好きのあまりヒナギクの怒りを買うこともしばしばあるシオリは、ことタクミのこととなると弟の肩を持つ。 (やれやれ、結局僕が悪者か・・・)苦笑したハヤテは諦めたように首を振った。胸の辺りにわだかまるものは消えていなかったが。
「やれやれ・・・」慌ただしい一日が終わった。ベッドに寝っ転がったハヤテの横にヒナギクが滑り込んできた。 ヒナギクの髪が滝の様に流れて滑り落ちてきた。家事のときなどポニーテールにまとめることもしばしばあるが、腰のあたりまで届くその長さは高校生の頃と変わらない。
「心配することないわよ、ハヤテ」ヒナギクにはお見通しだった。 「・・・でも、タクミも男の子だからね。最後は自分の力で世の中を渡っていかなきゃいけないのに・・・。ちょっと不安じゃない?」 ハヤテの脳裏に自分の過去がフラッシュバックしていた。誰にも頼れず、必死になって超人的なスキルと体力を身につけなければ間違いなく野垂れ死にしていた。その言葉通り冴えない表情のハヤテをヒナギクは覗き込むように笑っていた。 「まだこんな小さな子なのよ、ハヤテ。素直ないい子に育っているし、何とかなるわよ」 「ヒナはタクミのことは大らかだなあ・・・。自分にはすごく厳しいのに」 「今は、しっかりと愛情を注いであげること。それをしっかりと受け止めることができる子は、大丈夫よ。何よりタクミは一生懸命に頑張っているじゃないの。いつかきっと実を結ぶわ」自信たっぷりに話すヒナギクにハヤテは釣り込まれたように笑った。 「それにね、うまくいかないことがあっても、私たちやシオリもいるじゃないの。そのための家族・・・一緒に作っていこうって約束したわね」そうだった。プロポーズをしくじりかけた夜、二人で約束した。 確かに昔の自分やヒナギクと、シオリやタクミは環境がまるで違うのだ。考えるまでもなく、自分たちが送ってきた人生の方がよほど異常だった。 自分よりずっと聡明な妻の言うことだ。間違いないだろう。 「そうか・・・そうだね」
ハヤテはヒナギクを抱き寄せ、頭を撫でた。慣れた手つきで髪の束を持ち上げては掌や指の間からさらさらと流れる感触を楽しんでいた。ヒナギクの髪に手櫛を入れるのがハヤテは大好きだった。 ハヤテの視線がちらりと下に向いた。授乳期にひと頃膨らんだヒナギクの胸は子供の離乳と共に元のサイズに戻っていた。やはり人類は哺乳類だったか・・・ちょっと惜しい気がしないでもない。 しかしそんなことに関係なく、ハヤテにとって妻は魅力に満ちた最愛の存在である。 この時点で意識が飛びかけているハヤテは、妻が「それにね、ハヤテ」と呟いたことには気づかなかった。
(やっぱりタクミはハヤテの子なのよ) ヒナギクは見たことがある。公園でブランコの順番を守ろうとしない体の大きな男の子にタクミが注意して突き飛ばされた時、周囲にいた女の子たちが団結してその子に食って掛かり、タクミを助けていた。 (女の子みんなタクミの味方なんだから。まあ、ちょっと癪だから教えてはあげないけど) そして、ハヤテになくてタクミが持っているもの。 異性の好意に鈍感ではあっても、決して無神経ではない。だから周りを気遣うことができる。さらに姉と比較されても不貞腐れたり卑屈になることはなく、一緒になって喜んでいる。だからこそシオリもタクミを可愛がっているのである。
この愛すべき息子はかつての恋人の享年とほとんど同じ年になっていた。 ショウタが亡くなってから思い出すことができないまま二十年が過ぎた。当時の記憶が戻ることはもうないかもしれない。そう思うことに抵抗もなくなりつつある。 あの事故が原因となっていた高所恐怖症もいつの間にか克服できていた。高いところではハヤテの手を握るのが習慣になっていたためずっと気付かなかったが、先日、家族でスカイツリーに上ったとき、一人で外を眺めることができることに気付いた。 それ自体は喜ぶべきことだが、複雑な思いもあった。ショウタと自分をつなぐものが、また一つ姿を消したことになる。 結局、ショウタがどういう子だったのかはわからない。ただ、おそらくはタクミよりもう少し頼もしかったんじゃないか、という気はする。 いや、それさえ幻想かもしれない。弱いくせに自分よりずっと大きな子に順番を守るよう諭す姿は、ヒナギクを守ろうとしたショウタと、振り絞る勇気にそれほどの差はないだろう。
ヒナギクはハヤテの顔に目を遣った。ヒナギクの髪を撫でながら、その目は恍惚として意識はどこかへトリップしている。 (私は、この人から本当に愛されているんだ・・・)ハヤテの胸の中で、元恋人をちらりと考えた自分を恥じるような思いがした。 (いや、これは、あくまでタクミのことだからね。私たちの子供のこと)
しかし、それもとりあえず考えるのを止めた。自分の一番大切なものは、たった今、温もりを分かち合っている存在以外にありえない。 子供は可愛い。かけがえのないものだ。しかし、子供への偏愛がきっかけで夫婦仲が醒める、という話も世の中には溢れている。 それは嫌だった。子供は私たちの宝物。でも、私だってハヤテにとっての宝物でいたい。ハヤテを大切に想っていたい。 今度は久しぶりに二人だけでどこかに出掛けたいな・・・。そんなことを思いつつヒナギクは腕をハヤテの首に巻き付けていた。
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