Re: 【改題】夢と絆のコンチェルト 〜憧憬は遠く近く |
- 日時: 2016/09/17 21:46
- 名前: どうふん
第7話:星空の下のディスタンス
公園のベンチで、雪路はもう一口缶ビールを口に含んだ。かなり軽くなっていたが、まだ4分の1くらいは残っている。 (あの夜も・・・星が綺麗だったわね・・・)
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ヒナギクの家の庭先でハヤテはヒリヒリする耳を押さえていた。 「あんたに訊いておきたいんだけどさ」そっぽを向いたまま雪路が言った。「ヒナのこと、ホントに好き?」 「あ、当たり前じゃないですか。ヒナは本当に天女ですよ」 「だったら、ヒナはあんたに任せるわ」
耳の痛みで幾分酔いが醒めたのか、雪路の口調が変わっているのに気付いた。 「どういうことです」 「決めていたのよ。『ヒナを安心して任せられる人が出てくるまで、私はヒナを守る』って。こんなヤツに、とは思うけどさ、本人が満足しているんならそれでいいかな。あんたなら私なんかよりずっとずっとヒナを大切にしてくれるでしょ」 「い、一体何の話です」一気に酔いが醒めたような気がした。 「あたしはね、もともとギターを弾いて一生を送るのが夢だったの。そうもいかなかったけど・・・」相変わらずハヤテに顔を見せることなく、雪路は星空に顔を向けていた。
「もう教師みたいなヤクザな商売をすることもない。私はミュージシャン目指して、生きたいように生きようと思うのよ」 その感覚は理解できなかったが、今の雪路が自分とは合わない仕事で無理している、というのは間違いなさそうだった。もっとも教師を辞めてミュージシャンを目指すことが雪路にどんな影響を与えるのかはわからない。最もありそうなことは、今以上に自堕落になるのではないか・・・? 「・・・それ・・・、ヒナに賛成、というか許可はもらったんですか?」 「んー、そんなものあるわけないじゃない。また一時間説教食らうわよ。ここは黙って消えようと・・・」 事の重大性に震えた。(こ・・・これは引き留めないとヒナに殺される)
ハヤテは何を言っていいのかわからないまま、とにかく口を開こうとしたが、掌で制された。 雪路がハヤテに向き直った。その眼には初めて見たような真摯な光が宿っていた。 「私はヒナに一生償いきれない借りがあるのよ。 だけど借金も返して、新しい恋人も見届けた。ここまでやれば私にしては上出来じゃないの・・・。 ま、なんにしても、これで役目は果たしたわ…」
雪路はハヤテに話す機会を与えなかった。 「だから、これでとりあえずお別れ。 いやね、何をしんみりしているのよ。お姉ちゃんがいなくなったからってそんなに寂しがらないで。またふらりと戻って来るから。まあ、本物のミュージシャンになればそんな必要もないかもね」 的外れな物言いではあるがそれは大した問題ではない。どうすれば思いとどまらせることができるのか、わからないまま立ち竦むハヤテを見る雪路の目がきらりと光った。
「でね・・・、ハヤテ君には一つお願いがあるの」完全に雪路のペースに巻き込まれ、仕方なくハヤテは頷いた。 「ヒナはね、あんたが言うように天女かもしれない。だけどね、90%はそうだとしても、残りはフツーの女の子なのよ。長いこと一緒にいたら、がっかりすることも、腹を立てることだってあると思う。その時、一年に三回までは許して上げて」 ハヤテは胸を突かれた。「わかりました」と答えるしかなかった。 そして・・・、と雪路は続けた。「ヒナはあれで結構意地っ張りだから、照れ隠しとか動機はいろいろでも、理不尽な怒り方だってするわよ。そしていつも後悔して・・・」そして自分から仲直りの言葉がでせなくいのもよくあることだった。「だから、やっぱり一年に三十回までは先に仲直りして上げて」 三回と三十回の差はなんだろう、という疑問が沸いたが、まあ考えるまでもないかと思い直した。 「それともう一つ・・・肝心なことなんだけど」
(一つお願い、って言ってませんでしたっけ・・・)とは思ったが、雪路を遮る気にはなれなかった。このお世辞にも立派とは言えない酔いどれ教師が、精一杯妹を支え、今も何よりも大切にしていることに気付いた。 正直、今の今まで知らなかった。何で、ヒナはこんなにお姉さんのことが好きなんだろうと大真面目に考えていたくらいだった。
(で、もう一つって・・・)頭をポリポリと掻いたハヤテだが、その手が止まった。 「あんたを一発思い切りぶん殴らせて」は・・・?ハヤテは絶句した。 「あれよ、あれ。結婚式で花嫁の父親が新郎を殴るってやつ」 「そ、それ・・・ちょっと状況が違うんでは」 「そんなことどうでもいいのよ、私にとってヒナはね・・・」その血走った目に退く気はなさそうだった。「さ、さ、歯を食いしばって」 ハヤテは観念した。ヒナギクに匹敵する体力スペックを誇る雪路に殴られるダメージはわかっていたが、言われた通り、奥歯を強く噛みしめて目を瞑った。 襟首が凄い力で引き絞られた。
その手が緩んだ。次の瞬間、ハヤテは目を見開いていた。雪路がハヤテの胸に縋り付いていた。 「え、あの・・・、先生?」 「ハヤテ君、頼むわね。可愛がってね。大切にしてね」涙声だった。 「・・・先生の気持ちはよくわかりました。僕の命に代えても必ず幸せにします」 雪路の動きがぴたっと止まった。ハヤテの胸から少し距離をとった雪路は両手でハヤテの頬を挟み込んだ。顔をぐっと近づけた雪路の眼は殺気を感じさせるほどだった。 「それはダメ。絶対にダメだからね。あんたにまで死なれたら・・・」 「は、はい・・・。そうでした・・・」 雪路は今まで、数々の不幸に出会い悲しみに耐えるヒナギクにずっと寄り添ってきた。 それはヒナギク以上に辛い思いと共にあったのかもしれない。 もうこれ以上、ヒナギクを悲しませないで・・・。そんな姉の想いが伝わってきた。
熱いものが込み上げてきたハヤテだが、その背筋が一瞬にして凍り付いた。背後に異様な気配が膨れ上がっていた。 そこにはヒナギクと似て非なるもの・・・全身に炎と殺気をまとった一個の恐るべき何かが木刀を引っ提げて立っていた。
(どの辺りから聞かれてたんだろう・・・)ハヤテの頭に最初に浮かんだことはそれだった。
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