【改題】夢と絆のコンチェルト 〜憧憬は遠く近く |
- 日時: 2016/08/07 19:36
- 名前: どうふん
- ご無沙汰しておりました。
当方、過去2作を投稿しております「どうふん」と申します。 しばらく間があきましたが、最近の連載を見て、ふと思いついた話を投稿したいと思います。
舞台は、拙作「憧憬は遠く近く」からおよそ半年経過し、現在より一足早く秋になったところです。時制的には「憧憬」の第5章というべきところですが、主題が異なりますので、むしろ番外編とでも捉えて頂ければ。 4〜5話くらいの中編を予定しています。
第1話:秋の夜長に
一説には練馬区の約半分を占めるとの都市伝説を持つ三千院家のお屋敷。 そこはまた、首都圏において最も自然を残すスペースでもある。 虎や幽霊が住み着いているのはご愛嬌として、数々の珍種、新種(と思われる)生き物が生息している。当然ながらスズムシやクツワムシも多く、この季節、夜になると屋敷の中まで賑やかなシンフォニーが届いてくる。
「マリアさんがカラオケ大好きなのも、いつもこの虫の声を聴いているからかもしれないな・・・」この屋敷に住む執事、綾崎ハヤテは自分の部屋でぼんやりと考えていた。 しかしそれも一瞬。改めて机に向かって考え込んだ。 それは、最愛の恋人桂ヒナギクとケンカして仲直りの方法が思いつかない・・・のではなく、目の前に広げている問題集に白紙のまま答えを書き込めない、という直截的な理由による。 ハヤテはしばし頭を抱えたり頬杖を突いたりしていたが、とうとう諦めて末尾の解答を見た。何でこんなことに気付かなかったんだろう・・・そんな文言が並んでいた。 (あーあ、まだまだだな)脱力したハヤテは、盛大なため息をついて、椅子の背もたれにも寄りかかった。
「大変そうですね、ハヤテ君」すぐ後ろから声が掛かった。このお屋敷のメイドであるマリアが、さっきからお盆を持って立っていることに気付いていなかった。「お邪魔でしたか。ごめんなさい、ノックしても返事がないもので」 「マ、マリアさん?それは失礼しました。邪魔なんて、そんな。どうぞ掛けてください」慌ててハヤテは問題集を伏せて、すぐ横に椅子を引きずってきた。 マリアはハヤテの机にアイスコーヒーを音を立てることもなく置き、椅子をもう少し引き寄せるとゆっくりと腰掛けた。ずいぶんとハヤテに近づくことになった。 息がかかりそうな至近距離でその美貌と優雅な仕草を目の当たりにすると、今でもハヤテはどぎまぎしてしまう。ヒナギクに悪い、とは思うが、何といってもマリアはハヤテが見た一番綺麗な女性なのだ。 (この人に引き寄せられるように僕はこのお屋敷に入って、そして今、こんなに幸せになることができたんだ)
ハヤテにとってのご主人様である三千院ナギだけでなく、マリアもハヤテにとっての恩人であることは間違いなかった。そして今はかけがえのない家族。世間の男性陣からすれば、歯ぎしりしたくなるような恵まれた環境であることにこの鈍感執事は気付いているのかどうか。
「ところで・・・、何のお勉強ですか」マリアの大きな瞳は興味深そうに、机の上を眺めていた。 「え、ええ。それはですね・・・。法律の勉強を」 「それは間違いないですね。でも司法書士の資格試験というべきだと思いますけど」 マリアはいつもの慈愛のこもった笑顔をハヤテに向けている。だが、あっけらかんとしたセリフには、時折見せる天然によるものではなく、見透かしたような響きがあった。 そして、マリアがそんな表面的なことを聞きたいわけではなさそうだった。 「あ、あはは・・・」
ハヤテはしばらくマリアをちらちらと見ながら気まずそうに笑っていたが、マリアに退く気配はない。観念したハヤテはマリアに向き直った。 (ええと・・・何から話せばいいのかな) ハヤテは最近になって考えていた。自分が執事として仕えている三千院ナギが最近になって成長を重ね、漫画家になる、という夢に向かって、疾走、と言うほどでもないが、まがいなりにも歩を進めていることを。 こうなると、元々が天才で英才教育を受けていたナギのこと。他人の半分か三分の一でも努力すれば、倍以上の成果を身に着けることができる。 さらに恋人である東宮康太郎の他にも多くの仲間が後押ししてくれている今、かつてのひきこもりのぐうたらお嬢様ぶりは、その片鱗を示すことはしばしばあるにせよ、次第に影を潜めつつある。 (いずれお嬢様にとって、僕は必要ではなくなるんじゃないか・・・。いや、もしかしたら今でも・・・)そんなことをハヤテは考え始めていた。
もう一つあった。ハヤテの恋人であるヒナギクは、将来、法律事務所の開業を目指し、法律から経営まで勉強を積み重ねている。その姿を見ていると、自分もヒナギクの夢を応援したい、手伝いたいとの想いが次第に高まってくる。 執事の仕事をこなしながら(さらにヒナギクとのデートを重ねながら)司法試験に合格し、一緒に弁護士になるのは難しい。しかし、司法書士の資格なら取れるんじゃないか。そうすればヒナギクの事務所のスタッフとして法的手続きを手伝うことができる。 ハヤテは、いつか夫婦で法律事務所を経営する姿を、かつて生徒会長と会長秘書(正確には役員の一人)であった当時とダブらせていた。
「ま、まあ、そんなところです。まだお嬢様の了解を得たわけでもありませんし、何か決めた訳でもないですが」最初は真面目な表情で神妙に話していたハヤテだが、最後の方は大いに照れて頭を掻いていた。 その間一言も口を利かず、少し俯いてマリアは考え込んでいた。その姿は、マリアを信頼して包み隠さず話したハヤテに、得体のしれない不安感を抱かせた。 (マリアさん、怒っているのか・・・?) 「そ、それで、マリアさん。お嬢様にはまだ言わないでくださいね」マリアは動かない。「あ、それとヒナギクさんにも。何も相談していませんし・・・」
マリアがゆっくりと顔を上げてハヤテを遮った。初めて口を開いた。 「ハヤテ君も同じことを考えてましたか」 虫の歌が聴こえなくなった。
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