Re: 憧憬は遠く近く 第四章 〜 本当の君と |
- 日時: 2016/02/05 21:35
- 名前: どうふん
- ハイキングの話、続きます。
そして、アリスが最後に残していったものは・・・。
【第8話:不思議の姫の置き土産】
昼近くになって、展望台の近くの広場に敷物を広げ、三人は弁当箱を開いた。もちろんハヤテとヒナギクが手分けして作ったものだ。 「さすがに展望台からの景色は素敵ね」と言いつつ、ヒナギクの左手はしっかりとハヤテの右手を握って離さない。 「ええ、空気もおいしいですしね」左手でフォークを使うことを強いられているハヤテの口調にはちょっと苦笑が混じっていた。 一方のアリスは景色など目に入らないようで、夢中でおにぎりを頬張り、ハンバーグに箸を伸ばしている。その姿は普通の腹ペコの子供だった。 アリスに目を移した二人の顔に自然と笑みがこぼれる。 「やっぱりパパのハンバーグは最高ですわ。いい奥さんになれますわよ」 「あの・・・あーたん、何か間違ってない?」 「あら、私はてっきりパパがママの専業主夫になるのかと思っていましたが違うのですか」 「・・・多分違うと思うよ、あーたん」 「でも、それも悪くないわね」 「ちょ、ちょっとヒナギクさんまで」
「ところで、アリス。あなたの状況は大体聞いているけど、今から何をするのか教えてくれないかしら」 「それはできません。一つ言えることは、今から私はロイヤルガーデンを取り戻さなければならないということです。これが私の宿命ですから」 「あーたん、また危ない橋をわたるんじゃあ・・・。どうしても行くのなら、僕たちも力を貸すよ」 「そうよ。可愛い娘のためなんだから」 「そのお気持ちだけで十分よ。これは私にしかできないことですし、私がやらなければならないことです。なに、大丈夫ですわよ。いつ、とは言えませんが、必ず戻ってきますから。あなた達の友人としてね。 さ、そんなことより、お弁当を食べますわよ」
改めて思った。自分たちの「愛娘」と会うことはもうできないのだ。 だが、それが避けられないことであるなら、後は残されたわずかな時間を愛娘のために一杯に使い切るしかない。
「ところで、パパ、ママ。最後に一つお願いがあるんですけど」 「え、何だい」「何かしら」ハヤテとヒナギクはちょっと顔を見合わせて頷き、身を乗り出した。 「お二人が愛し合っているということをしっかりと確かめて行きたいのです」 「え、それはつまり・・・?」 「お二人でキスしてもらえませんか」 二人は絶句した。
「娘の健やかなる成長のために有害、なんて言い訳は聞きませんわよ」 「そ、そういう意味じゃなくてね。そもそも僕たちは・・・」 口ごもったハヤテと真っ赤になって俯いたヒナギクを、アリスは交互に眺めていた。 「まさか・・・まだキスもしていない・・・んですの?」 「う・・・うん」二人は顔を赤くしたまま目を反らしている。 「呆れましたわね。それだけラブラブ感を目一杯漂わせておきながら・・・。ヒナの誕生日から10日間何をしていたんだか・・・」 「う・・・」
確かに、今にして思えば。 あの時、生徒会長室で流れのまま既成事実を作っておくべきだった。 しかし涙の抱擁の後、有頂天になったハヤテはヒナギクを抱きかかえたままステップを踏んで飛んだり跳ねたり回ったり、果てはヒナギクに悲鳴を上げさせるほど空中高く放り投げたりで、そんなことまで頭が回らなかった。 それどころか誕生日のプレゼントを渡すことさえ忘れ、次の日、改めて学校に持っていく破目に陥った。 「あら、プレゼントってハヤテ君の告白じゃなかったの?」そう宣ったヒナギクもまた相当舞い上がっていたことは間違いない。
それはともかく歓喜の大爆発の後、幾分冷静になった二人は、つい先ほどの自分たちの姿を思い出して恥ずかしくてたまらなくなった。 ハヤテの場合、それだけでなく、当初、告白のため用意していた歯の浮くようなセリフを思い出し、(言わなくて良かった・・・)と安堵すると同時に気恥ずかしさに悶えていた。 結果的に、奥手な二人に逆戻りで、恋人同士とお互い認識しながら、ろくにスキンシップもとれないまま今日まできた、というのが実相だった。
「ふ・・・ん。ということは、ハヤテとキスしたのは私ともう一人だけというわけですか」 ハヤテは口に含んだお茶を吹き出した。
ヒナギクの目がギラリと光り、ハヤテに向いた。 「ちょ、ちょっとあーたん。それはここで言うことでは」 否定するわけにもいかず、手を振って狼狽しているハヤテを前に、ヒナギクの瞳には今にも正宗を召還しそうな炎が点っていた。 「もう少し詳しく教えてくれるかしら、アリス」
「あら、ムキになるようなことではありませんわよ、ママ。あくまで私たちの子供のころ・・・というのも紛らわしいですが、要は十年以上前の話です」 「もう一人は?」 「やはり同じ頃、ハヤテがロイヤルガーデンからこの世界に一回戻ったことがあるんです。その時にハヤテは通りすがりの女の子とキスしていたんですわ。まあ、これは私が徹底的にお仕置きしましたが」 「ふ・・・ん。まあ子供のころ、の話なのね、ハヤテ君」幾分怒りを鎮めた顔でヒナギクがハヤテの目をじーっと見つめている。 「は・・・はい」 ハヤテは身の置き所がないよう小さくなって、全身に冷たい汗をかいていたが、幾分ホッとしていた。
ギリシャで別れ際に成人体でキスしたことを黙っていたのはアリスのお情けであろうか。それとも自分の身に危険を感じたのか。 さらに「通りすがりの女の子」とのキスは言われるまで思い出せなかった。てっきり水蓮寺ルカとのキスを暴露されるのかと思ったが、これは当人しか知らないことだった。 (と、とにかく「昔の話」で済んで良かった・・・) しかし今の表情の動きをヒナギクは見逃してはいなかった。
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山を下りた三人は高尾山の駅に着いた。 日暮れに近い人影もまばらな駅の駐車場に一台不釣り合いな高級車が止まっているのが見えた。 「パパ、ママ。ここでお別れですわ」 「今は、よね。また会えるわね」 「もちろんよ、ママ。ところで、これが本当に最後のお願いですけど」 悪い予感がした。
「お二人から、愛娘にキスを贈って下さいな」 「あの・・・キスって・・・」 「二人一緒がいいですわね。私の両頬にお二人で」 (ま、まあ、そのくらいなら・・・)
ベンチに腰掛けたアリスの両側からハヤテとヒナギクはひざまずくような格好で顔を近づけた。 「あの、お二人とも目を瞑ってくださいね。顔を見られるのは恥ずかしいですので」その代わりにアリスは二人の頭にそっと手を置いて引き寄せていた。
その手に不意に力が籠った。前に向かって押された。 「えっ」と目を開けたハヤテの目の前に、ヒナギクの顔がわずか数センチの先にあった。 ハヤテ同様に瞳を大きく見開いていた。 「あら、もう少しでしたのに。やっぱりこの体では力が足りませんでしたわね」 いつの間にか体を後ろに反らしていたアリスは残念そうだった。 「あ・あ・た・んんん・・・。ちょっと悪ふざけが過ぎるんじゃないか」 「・・・怒ったんですの、パパ」 「当たり前だろー。待て、このやんちゃ娘。お尻ぺんぺんだー」 「ママ、助けてー」 「ハヤテ君、次は私にやらせてくれる?」 「ちょ、ちょっと勘弁して、パパ。私は歴史的瞬間の目撃者になりたかっただけで・・・」 「実行犯の間違いだろ。捕まえたっ」ハヤテはアリスの頭を後ろに横抱きした。
「こおらー、ハヤテ。レディのお尻を叩くなんて失礼にも程がありますわよ」手足をばたばたさせて逃れようとするアリスだが、無駄な抵抗というものだった。 「うるさーい。悪い子にはお仕置きだ」ハヤテはアリスを空中でくるりと回して持ち変えると、アリスの左頬に唇をつけた。 「え、あの・・・」 横にやってきたヒナギクもアリスの右頬に唇を当てていた。
「さよなら、アリス」 「・・・さようなら、私の素敵なパパとママ」 アリスは二人に見送られ、車に向かって行った。 車に乗り込むその瞬間にアリスの姿が揺らいだ。 天王州アテネに戻ったその姿が振り向くことはなかった。
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その日もとっぷりと暮れて、二人はムラサキノヤカタに戻った。 門の前で、ハヤテはふっと溜息をついて立ち止った。 「アリスのこと、皆に説明しなきゃいけませんね」 「その前に私に説明してほしいことがあるの」ヒナギクの口調が変わっていた。感傷に浸っていたハヤテを一気に現実に引き戻す響きがあった。 「な、何でしょう」
この後、ヒナギクの目を盗んでの浮気など不可能であることをハヤテは身をもって知ることになる。 もっともそうでなくとも、大した影響はないと思うが。
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