Re: 憧憬は遠く近く 第四章 〜 本当の君と |
- 日時: 2016/01/09 18:08
- 名前: どうふん
3月3日夜 時計台の生徒会長室。 最後の勝負を掛けたハヤテとヒナギクさんの攻防(?)と葛藤が続いています。 今回はヒナギクさん側の視点です。
【第4話:あの日 あの場所】
(何でこんなことになっているんだろう・・・)ヒナギクは身を捩るような思いで自問した。 昔からヒナギクは恋愛だけには消極的だった。自分の好きになった人は皆いなくなってしまうから。だがそれは両親のことだと意識していた。
その割に、両親に捨てられたことをさらりと口にして周囲を凍らせたことがしばしばある。 これも傍証と言えるかもしれない。 ヒナギクが本当に辛くて苦しんだ事、トラウマに囚われた原因は、両親に去られたことではなかった。肝心なことは、幾重にも鍵を掛けて心の奥深く沈めていた。
それがなぜ今になって? 新たな恋をした、それだけとは思えない。
謎を解く鍵はギリシャにあるのではないか。 異国でヒナギクはハヤテの無神経な言動にさんざ振り回された挙句、思い余ってやけっぱちのような勢いでハヤテに告白を決意した。 だが、その前後に起こったことは、さながら計測不能の地震のようにヒナギクの心を揺さぶっていた。 深く沈み込むような憂鬱、救われたような安堵、目も眩むほどの失望、力を根こそぎ失ったような衝撃が立て続けに押し寄せた。 その中で心の地層深くに閉じ込めていたものが目を覚まし、幾重もの縛めを突き破り地表に顔を出そうとしたのではなかったか。
ギリシャから帰って以来、悪夢にうなされるようになった。 理解しがたい不安に襲われたり、悪寒が走ったりした。
そして、仲間の後押しを受けてハヤテに告白した時、表現が高尚すぎて(と当人は思っていなかったが)ハヤテには通じなかった。 文字通りの意味に受け取って見当違いな反応をしているハヤテを前に、焦りと緊張がピークに達したと同時に目の前が歪んだ。
歪んだ視界に入ってきたものは紛れもなく幼い自分ともう一つの人影だった。 (そうだ、あの時、私は・・・私には・・・) ずっと抑えつけていたものが噴出してきたようだった。吐き気がして体の震えが止まらなくなった。 その後のことは覚えていない。
目を覚ましたヒナギクは、一人で事故の現場へと向かった。 あいまいな記憶のかけらをかき集めてやっと辿り着いたものの、新たに思い出せたことは何もなかった。
水平線の彼方に沈みゆく太陽が自分の心情に重なり、ただ腰掛けて夕陽に向かうヒナギクの耳に懐かしい声が響いた。 (ハヤテ君、どうしてここに・・・) 顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、自分を抱きしめたハヤテに、間の抜けた質問は必要なかった。
海辺で告白を受けたときは嬉しかった。 だが、それ以上に自分を責める気持ちが強すぎて受け入れることはできなかった。今の私にそんな資格はない、と本気で考えていた。 それでも、ハヤテは、ヒナギクが『気持ちを整理できるまで待ちます』、と言ってくれた。驚きながらも、救われたような気が確かにした。
海から帰ったのち、ヒナギクは昔の恋人の両親に会った。その両親は、引っ越して駅二つ離れた町に住んでいた。 謝ろうとするヒナギクを制した両親は、成長したヒナギクを見て喜んでくれた。 遺影にも会わせてくれた。 緊張した瞳で見上げた昔の恋人は幼い小学生の顔をしていた。 (まあ、当たり前よね・・・)
少し寂しそうに微笑んでいるその顔は思い出として戻っては来なかった。意外なことに心が揺さぶられるような感慨や感傷もなかった。 (どうして・・・?私はこの子、いやこの人と『愛し合っていた』んじゃなかったの?) しかし、今はっきりわかる。思い出が、いや当時の想いが蘇ったとしても、今の自分が遺影の中の小学生に恋することはない。 ハヤテと海辺で交わした言葉は多分に思い込みであったことを認めざるを得なかった。
(こんな小さな子が、私を助けてくれたんだ・・・) 今となっては申し訳なさと共に、そう思うしかなかった。遺影を見る前に感じた押し潰されるようなプレッシャーは消えていた。
しかしこの子が初恋の相手にして命の恩人であることに変わりはない。 それなのに・・・なぜ? 何で思い出すことができないのか。何でこんなにも自分は醒めているのか。 胸が痛んだ。苦しかった。自分はやっぱり心の冷たい最低の人間なんだろうか。
「あの・・・、本当にぶしつけなお願いであることは承知していますが、ご迷惑でなかったらショウタ君のアルバムを見せてもらえませんか」 ヒナギクの願いは父親から断られた。 「君が見るべきものは未来であって過去じゃない。 そして、さっきも言った通り、君に謝ることは許さない。謝らなきゃいけないのはその場にいた私たちなんだ。 君が立派に成長して、こんな素敵なお嬢さんになったことが今日分かった。それで充分だよ。 今日は本当にありがとう。ショウタも喜んでるよ」 ヒナギクの潤んだ瞳がもう一度遺影に向いた。その顔はやはり寂しそうに見えた。
以来、毎月のように墓参りもしている。それでも昔の恋人を思い出すことはできない。 想いは迷走していた。 ハヤテの気持ちを受け入れても、いや自分の気持ちに正直になってもいいんじゃないか。 記憶が蘇っても、ハヤテへの想いが冷めることはないだろう・・・。
そうは思っても踏ん切りはつかない。 (それじゃショウタ君に申し訳ない。せめて思い出してあげたい。それしか私にできることはないんだもの) 自分に言い聞かせていた。それは過去と決別できないということだった。
そして一年以上の間、ヒナギクはハヤテとほとんど恋人同士のように接しながら、決してそれを認める事はなかった。 ハヤテは何も言わず、ずっとヒナギクが心を開くのを待っている。 偶発事故などを除いては、二人の間に一切のスキンシップは存在しなかった。
|
|