Re: 憧憬は遠く近く 第三章 〜 恋人の肖像 |
- 日時: 2015/12/13 15:07
- 名前: 明日の明後日
- スレッド完結おめでとうございます。初めまして、明日の明後日です。
どうふんさんの書かれたお話には全て目を通してはいるものの、ずっと感想を書きあぐねていたのですが(汗 今回、スレッド完結からそれほど間を置かずに感想キャンペーン期間に入りましたので、勇気を出して感想を送ることにしてみました。
随所随所で辛口なコメントとなるかもしれません。以前どこかで辛口歓迎というようなことをどうふんさんご自身でも仰っていたような記憶がありますが(うろ覚え)ご容赦頂けましたら幸いです。
「もうお前らさっさとくっつけよ(投遣り)」と言いたくなるくらいに遠回りしているハヤテとヒナギク。 そんなめんどくさい二人(辛辣)を辛抱強く応援する友人たちの心の暖かさには脱帽ものです。 結局、まだ「お前らさっさと(ry」な関係性に変化はありませんね。漸く一歩前進、と言ったところでしょうか。 これからヒナギクが、そしてハヤテがどのようにして彼女のトラウマと向き合っていくのか。今後の動向に注目です。
一点、腑に落ちないところがあったので質問させていただきます。 今回(というか前スレッドの終盤において)ヒナギクが倒れたのはハヤテへの告白を切っ掛けにトラウマが呼び起こされたから、ということだったかと思います。 ですが、時系列としては本作以前となる原作アテネ編においても、未遂に終わったものの彼女はハヤテへの告白を試みています。その前後においてヒナギクの心理的身体的な不安定さは特に描かれていないので、本作における「恋愛において特に強いトラウマを抱えている」という設定と矛盾するように思えます。 同じ告白という行為でも、原作中と本作中とで少し質が違いますので(前者は好意を伝えること自体が目的であるのに対し、後者では告白が恋人関係への発展と直結する)、そこがトリガーになったのかなとも思ったのですが少々説得力に欠ける気がしますので、どうふんさんがどのような解釈をしているのかお聞かせ頂けましたら幸いです。
次に、読んでいて個人的に気になったところの指摘となります。大きく二点、助言とまで言うと尊大ですが、参考程度に目を通して頂ければと思います。
・言葉の扱い方について 特に気になったのは「傷付ける」「愛してる」の二つの言葉です。扱い方が気軽過ぎるのではないかなと。
まず前者について。「傷付ける」という言葉はものすごく攻撃的なものであると個人的には認識しています。というのも、必然的に加害者と被害者が生まれてしまうからなんですね。 端的な言い方をすれば、特定の人物を悪者扱いすることになるわけですから、当事者でも外野でも乱発させていい言葉ではない、使いどころを見極めなければならないというのが個人的な見解です。 特に本作の1〜2スレ目では “ハヤテがヒナギクを傷つけている” という構図の描写が露骨でしたので、どうしてもハヤテが周囲の全員から悪者扱いされているような印象を受けてしまいました。
後者について、これも無闇に使用するのは控えたい言葉だと認識しています。 愛という言葉がどんな性質を持つのか正直よく分かってませんが、少なくとも小学校に入学するかしないかくらいの歳の子供同士のスキだのキライだのに、愛という言葉を持ち出すのは過剰演出なのではないかなと。 愛ってなんだよ(哲学)
・台詞回しについて 人物に話させ過ぎな場面が目立つかなと。 ヒナギクの過去について雪路が話す場面や、(話してはいないですが)千桜が思考を巡らせる場面などが主に該当します。 この手の描写はどうしても説明的な文章になってしまう嫌いがありますので、そのまま人物の台詞として描写するよりも、地の文で描写した方が自然です。
前作についても同じことが言えますが、どうふんさんは原作のワンシーンを切り取って、そこから独自の解釈を加えてお話を膨らませていく、という手法でSSを書かれています。 それ自体はよくあると言えばよくある手法なのだろうと思いますが、どうふんさんの場合、目をつけるシーンが違うなと。独特な(もちろんいい意味で)着眼点をお持ちだなと感心しております。 前作、本作ともに、私としてはただのギャグ描写としてしか捉えていなかった場面がお話の起点となっていますので、ハヤヒナというありふれたCPであるにも関わらず意外性や独自性を感じずにはいられません。 今後の展開にも期待していますね。
と言ったところで結ばせていただきます。長文失礼しました。
明日の明後日でした。
追記
どうふんさん、すばやいご返信ありがとうございました。 >>17を拝読しましたところ、疑問点にもご回答いただきまして恐縮です。 ただ「傷つける」という言葉が云々という点につきまして、正しく伝えられていないよう見受けられましたので補足しておきます。
> 「傷つける」行為は必ずしも悪人限定ではなく、普通の人、善人が無意識に行うことが多いのではないでしょうか。その行為自体は悪であっても、それをもって当人が悪であるわけではありません。
これにつきまして、全面的に同意です。多くの場合、人を傷つけるような行為とは無意識下で行われることが多いように思います。
ただ、↑で私が話しているのは、行為そのもの及びその実行者の性質についてではなく、「傷付ける」という言葉それ自体が持つ性質についてであるということをご認識ください。 「傷付ける」という言葉が出てきた時点で、“傷付けた側”と“傷付いた/傷付けられた側”、すなわち加害者と被害者という二つの立場が生まれるというのはお分かり頂けると思います。 私が「攻撃的である」と言ったのはこの性質を指してのことで、端的に言えば「傷付ける」という言葉は行為の実行者となる人物を悪意の有無を問わず加害者という立場に立たせてしまうものであると言えます。 これは言葉の持つ性質ですから人物の意図の如何とは全く関係のないもので、それゆえに使いどころを見極めなければならない、という旨を伝えたかったのですが、書き方が少々ざっくばらんでしたかね。失礼致しました。 どうふんさんがあえてハヤテの立場を悪くしようとしている訳ではない、ということは分かっているつもりですが、「傷付ける」と言う言葉を多用した所為でハヤテの立場が悪くなってしまっているように受け取れました。
ご参考になりましたら幸いです。
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