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対象スレッド 件名: Re: 憧憬は遠く近く 第三章 〜 恋人の肖像
名前: どうふん
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Re: 憧憬は遠く近く 第三章 〜 恋人の肖像
日時: 2015/11/23 21:59
名前: どうふん



負け犬公園にはブランコが軋む音が淡々と響いていた。
ブランコが揺れるに任せ、顔を伏せて腰を下ろしていた千桜は、もう一時間もそのままだった。
仲睦まじい男女の声が近づいてくる。
千桜は微かな期待を込めて顔を上げた。

やはり、あの二人ではなかった。
再び下を向いた千桜に心無い男の声が突き刺さった。
「気にすんなよ、失恋なんて。今にもっといい男が現れるから」女の笑い声が聞こえた。
言い返す気にもならない。
(ヒナ、綾崎君、どこに行っちゃったんだよ・・・。もう一年・・・。早く帰って来い・・・)
一年前のあの日、ヒナギクが病院から失踪し、それを追ったハヤテも一緒に消息を絶った・・・


済みません、冗談です。今のはホントに冗談です。
本篇は今から始まります。ハヤテが意識を失った数時間後です。



【第7話:すれ違う再会】


ハヤテは目を覚ました。
(こ、ここは・・・)
「気が付いたか、少年。ここは海の家。今はシーズン前で閉店しているがな」若い男の声がした。
まだ、頭と目がぼんやりしている。人影だけで顔や姿が判別できない。

(そ、そうだ・・・僕は高速道から落っこちて、地面に激突しそうになって・・・)
「あ、ありがとうございます。あなたが僕を助けてくれたんですか?」
「礼には及ばん、私は、人の命を助ける者、ライフセイバーだ。ちなみにこの海の家の名も『人命』という。
オープンが近いので買い出しに行ったら、人が降ってくるのに気付いたので受け止めた。運の良いことにクリーニングに出したタオルケットをリヤカーに山積みしていたからちょうど良かった。
それだけのことだ」
その男はハヤテの方を向くこともなく淡々と抑揚のない話し方をしていた。人を助けたことに特段の感慨もなさそうだった。その声に聞き覚えがあるような気がしたが、今はそれどころではない。

「あ、あの・・・。貴方のお名前は・・・?」
「私の名前などどうでもいい。お前、動けるのか」
「え、ええ」ハヤテは立ち上がり体を動かしてみた。全身にひどい疲労が残っていたが、大きな怪我はなさそうだった。
「だ、大丈夫です」
「なら、良かった。早く行け」
「え、あの・・・、どこに・・・」
「ずっとうなされていたぞ。この公園と花の名前を呼びながら、早く行かなきゃ、と。何て名前が忘れたが」
「そ、そうだ、ヒナギクさん」
「ああ、そんな名前だ。恋人の名前か」
「は、はい」
「だったらこのあたりにいるはずだ。とにかくお前が目指す公園までは運んで来たからな」
「す、済みません。御礼は後で。今はヒナギクさんに会わなきゃいけないんです」
「だからお礼など必要ない。早く目的を果たしに行け。ああ、これが公園の地図だ。持って行け。結構広いからな」
「は・・・はい。何から何までありがとうございます」

ハヤテは飛び出した。
ヒナギクのことで頭が一杯のハヤテがこの男の正体に気付くのは、もう少し後になるが、それは全く別の話である。


**********************************************************************::


ビーチから離れた公園の端に位置する岸壁・・・。
(こっちだ)
次第に目が回復して来た。地図を見ながらハヤテは走った。
海は夕焼けに染まっていた。


立ち止まった。
まばらな人影のなか、遠くからでも一目でわかる後ろ姿が、海に沈もうとする夕陽に向かってベンチに腰掛けていた。
涙が溢れてきた。
「ヒナギクさん!」
「ハヤテ・・・君」逆光ではあったが、振り向いたヒナギクの唇がそう動いたような気がした。
その人影が立ち上がった。
ハヤテは改めて駆けだした。

言葉より先に、することなんか一つしかない。周囲なんか関係ない。
想い人に駆け寄ったハヤテはヒナギクを抱き締めた。

「ちょ、ちょっと、痛いわよ、ハヤテ君」力が入りすぎたか。
「す、済みません。でも、無事だったんですね。僕は嬉しくて・・・。
済みません、離れます」
ハヤテは腕の力を抜こうとした。しかし安心のあまり気が抜けたせいか、酷使してきた膝から力が抜け、一人で立っていられない。
「済みません、ヒナギクさん。脚に力が入らなくて・・・。しばらくこのままで・・・いさせて下さい」
ヒナギクはそっと腕をハヤテの背中に回した。体を支えてくれた。
「心配・・・かけちゃったのね、ハヤテ君。こんなに無理して・・・。ごめんなさい」
「あ・・・あはは・・・。僕はやっぱりカッコよくはなれませんね」


ヒナギクがハヤテに肩を貸し、二人はベンチに腰を下ろした。
二人で眺める夕焼けが焼け落ちそうなくらい大きく燃えて、水平線に解け始めていた。
「ヒナギクさん」
「・・・何かしら、ハヤテ君」
「・・・・・・本当に済みませんでした」
「何を謝っているの」
「ヒナギクさんの気持ちも苦しみも、何も気付かなくて・・・。今ならわかります。僕がヒナギクさんをどれだけ傷つけてきたか」
ヒナギクは答えない。
(無理もない。僕はそれだけのことをしてきたんだ)
ヒナギクが今、何を考えているのかわからなかった。

ハヤテはここで告白をしようか、と思ったのだが、もう一つ、どうしても確かめたいことがあった。
「ヒナギクさんがここに来たのは、自分の過去と向き合うため、ですよね」
「ええ・・・、そうね」
「どうですか。目的は果たせましたか?」
ヒナギクは目を伏せた。
「ダメ・・・だったわね。ハヤテ君に想いを伝えようとした時、ほんの少し、思い出したことはあるの。
私に昔、心を通わせた愛する人がいたこと。その人がここで私を守って死んだこと。
だけどその人の名前も顔も思い出せない。ここに来れば全てを思い出せるかも、って思ったんだけど・・・。

私たちが落ちた崖の柵の所まで行って、下を覗いてみたけど、怖かった・・・それだけ。
結局、新しく思い出したことなんて何もない」
「そうですか・・・。それは・・・」ヒナギクの寂しそうな横顔にハヤテは声を詰まらせた。
周囲に黙って病院を抜け出すだけでも普段のヒナギクからは考えられない。さらに一人では高い所の景色を見ることさえできないのに、崖から下を覗き込むとは、どれだけ思い詰めたのか。


ハヤテは首を振った。
(だ、だめだ。こんなことじゃ。僕はヒナギクさんを救うためにここに来たんじゃないか)
「ヒナギクさん、今の辛い気持ちはわかります。ヒナギクさんが僕なんかよりずっと苦しい思いをしてきたということも、やっと気付きました。
だけど、昨日、ヒナギクさんが僕に伝えようとした気持ちは信じていいですよね。
僕は、今はっきりと言えます。


ヒナギクさん、僕はあなたを愛してます。
今の辛そうなヒナギクさんも、本当に素敵な笑顔のヒナギクさんも、あーたんに愛情を注いでいるヒナギクさんも、みんなみんな大好きです。
僕はヒナギクさんを絶対一人にしません。いつだってヒナギクさんを支えます。
だから・・・だから僕と付き合って下さい」

「・・・それは・・・無理よ」
思いもよらない答えだった。