Re: 憧憬は遠く近く 第三章 〜 恋人の肖像 |
- 日時: 2015/11/18 23:28
- 名前: どうふん
アリスは千桜と並び、この物語のキーパーソンです。 それは、ハヤテやヒナギクさんに対してだけでなく、ナギに対しても。 それはナギと「同じ男を愛した女」だから、というだけでなく、皆に愛され可愛がられていることも無関係ではないでしょう。 今のアリスは天王州アテネと人格は同じでも全く別人になっているように思えます。
そして、今ならアテネにもヒナギクさんやハヤテ以外に友人ができそうな雰囲気が・・・。
【第6話:敗軍の将ふたり】
「まだいたのか、ちっこいの」ナギは横を向いた。 「あなたならわかってあげられると思っていましたわ。だから全て教えたのです。立派でしたよ、ナギ」 「お前に褒められるとはな」ナギは苦笑した。アリスには不思議なくらい腹が立たない。涙顔を見せることに大した抵抗もない。 「だけど、立派なものか・・・。別に何か考えがあったわけじゃない。 ハヤテの回答次第では、ヒナギクを救けに行くことさえ許さなかったかもしれないしな。
それなのに・・・、ハヤテは、ヒナギクと別れることになっても私を守ると言った。 あそこまで馬鹿だとは思わなかった。 私をあくまで主と認めてくれるなら、私だって認めなきゃ仕方ないだろう・・・。 あんな形でしか、私はハヤテにしてやれることはなかったんだ」 「それで充分ですよ、ナギ。私だって好きな人から身を引くことにしたのですからその辛さはわかります」 「ああ・・・、お前の記憶はどんどん戻っているんだったな。だがそんな姿で言われても説得力はないぞ。」 「そうですわね。でもその想いは変わりませんわよ。記憶だって、もうほとんど天王州アテネと一緒ですわ」
「だが、お前はなんで、ヒナギクをハヤテにくっつけようとしたのだ。お前だってハヤテのことが好きなのに」 「さあ、何でかしらね・・・。ハヤテとヒナの娘でいて楽しかったから・・・かしら。私も親の愛情を受けたことがない人間ですから。 それだけでなく、あの二人の近くにいて初めてわかることもあります」 「わかること?」 「二人の間にあるもの・・・。二人の想い、それには入り込めない。本人たちこそ気付いていなくても。 もうナギもわかっているでしょう」 「そうかもな・・・。 私たちはハヤテを愛して、ハヤテを助けて、ハヤテに助けられた。そしてお互い最後は振られたわけか。ハヤテのためにあれだけの犠牲を払ったのに」 「そうですわね、ナギ。でもね、もう一人いるんですわよ。ハヤテを愛するだけでなく、身を挺して助けた人が」 「・・・誰のことだ」 「もちろんヒナですわ。ヒナもまた私たちと同じくハヤテを助けているんです。 ただ、私たちとの決定的な違いがあるのですよ。 私たちはハヤテを助けようとしただけですが、ヒナは私を救おうとするハヤテを助けたんです。私が恋敵であることを百も承知で。命の危険を冒してまで。 そればかりか当のハヤテからは気付かれてさえいない」 「それでも・・・ハヤテが惚れたのはヒナギクだった」 「だからこそ、じゃないかしら。負けですわね。何もかもすっかり・・・」
ナギは笑い出した。泣き笑い、と言うべきか。 「全くだな。私は何をやってもヒナギクには敵わなかった。恋愛だけは勝とうと思っても、あいつを相手に勝つ材料なんか何もないんだ」 「そんなことはありませんわよ。いや、今はそうかもしれませんが、ナギが勝てるかもしれないものが」 「何だよ、それは」 「特別な何か・・・。あなたはそれを目指しているのではないんですの?」 ナギは部屋の奥を振り返った。しばらく手を付けることができず、ほとんどまっさらな漫画の原稿がそこにあった。 「特別な何か・・・か」ナギは呟いた。
顔を戻したとき、アリスの姿は既になかった。 (全く不思議な奴だな。出ていく気配もドアの音もしなかったぞ・・・。 それに、ずっと部屋にいたのなら何で私とハヤテの会話の中身を知っていたんだ?)
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ハヤテは高速道路を自転車で突っ走っていた。渾身の力でペダルを漕いだ。 車の間を縫うように走り、パトカーさえ振り切った。 (僕は馬鹿だ。ヒナギクさん・・・、あなたは・・・、あなたは・・・)
ずっと思っていた。 自分ほど不幸な人間はいない、と。 人間のクズである両親、誰からも受け入れられなかった自分、憑りつかれたような不幸体質。幽霊や同性のストーカーにまでまといつかれている。
だが、愛する人と死に別れた、という経験だけはない。 自分を捨てた両親はクズだった。 アテネとの別れだけは暗い影を心に落としていたが、いつか会えるのではないか、仲直りできるのではないか、という希望はあった。
だが、幼いヒナギクは愛する両親に捨てられた上に、恋人まで目の前で失った。もう戻ってこない形で。 (どんなに辛かっただろう、ヒナギクさん) その苦痛と絶望がどれほどのものか。その答えが記憶そのものの封印だった。 (それを・・・、それなのに・・・、僕はヒナギクさんの借金を返してくれた姉がいて、新しい親からも慈しまれているから僕よりずっと幸せだとばかり思っていた。 僕はヒナギクさんのことを大好きなのに、何一つわかっていなかったんだ) わかっていなかったのはヒナギクのことばかりではなかった。つい先ほどのナギの顔が、応援してくれた仲間の顔が浮かんでは消える。
(ヒナギクさん。僕はもう迷わない。待っていて下さい。今、行きますから) 山並みを走る高速道は坂道が多く、息は完全に上がっていたが、構うことなく必死にペダルを漕いだ。一休みするとそれだけヒナギクが遠くなるような気がしていた。 峠までたどり着いた時、目的地の海が見えた。次の料金所で一般道に下りれば公園まですぐだ。 (ここにいるはずだ、ヒナギクさん) ハヤテはペダルに力を込めた。
手応え、いや足応えがなかった。無理に無理を重ねた自転車のチェーンが切れた。
バランスを失ったハヤテは空中を走る高速道のガードレールから外に放り出された。 宙を舞いながら、下界までかなりの距離があることに気付いた。
公園が見えるところまで来ている。 もう少し、もう少しなんだ。 もう少しでヒナギクさんに会えるんだ。
その前に地上に降りないと。 しかしそんなことができるのか。
ハヤテは両手を鳥のように動かした。足もばたつかせた。
だけど効果はない。 目の前に地面が凄い勢いで迫ってくる。
意識を失う前、最後に見えたものはヒナギクの面影だった。 その顔は微笑んでいるようで、泣いているようにも見えた。
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