Re: 名も無き慕情(第八話更新) |
- 日時: 2015/06/14 18:38
- 名前: 明日の明後日
- 宣言通り…だと……?
こんばんは、明日の明後日です。前回更新時に話した通り、月曜を迎える前に最終話をお届けすることができました。やったね!
そういう訳で九話目です。完結が合同本発刊と被るのってどうなんだろうと思いながら投下。 ――――――――――――――――――――――――――――――――
少年を探し出すのに、苦労はしなかった。或いは長い時間を掛けて何事かを成し遂げることを苦労と呼ぶのなら、喫茶店を出てからの私の行動は苦労と呼ぶにはそれなりに相応しかったのかも知れない。けれど私がそれを苦に感じることは全くなかったのだから、やはり苦労と呼ぶには値しないのだろう。 闇雲にあっちもこっちも探し回って、手当たり次第に二時間も三時間も歩き回って、けれど不思議と不安に思うことは無かった。私が店を後にしたのは夕方の六時を少し回ったところだった。彼は私が目を覚ます前には姿を消していたから、その時点で彼が屋敷を出てから優に十二時間以上が経過していた計算になる。少年が並外れた健脚の持ち主であることを考えると、とっくに東京都外に出てしまっていてもおかしくはなかった訳だ。 けれど私は諦めることはしなかった。絶対に見つけられるという確信と、何が何でも見つけ出してみせるという決意。そして、もう一つ。三つの想いが私に際限なくエネルギーを与えて、私の足は止まらない。綾崎ハヤテに会いたいという想いは止まらない。 思い当たる場所は粗方洗って、さて次はどこを探そうかという頃合。私はふと思い立ってとある公園に足を向けた。街灯は数こそ多いもののその放つ光は頼りなくて、他には自販機の明かりくらいしか夜を照らすもののないその公園は、眠らない街と呼ばれるこの東京には不釣合いに思えるくらいには暗かった。 そして、寂れた公園の一角を薄明るく照らす照明の下、青いペンキの禿げたベンチの上に見慣れたしょぼくれた背中を発見した。全身がぶわーっと、熱くなる。ずっと動かし続けていた足を、急に止めたせいだろうか。駆け出して、飛びついてしまいたい。そんな衝動をどうにか抑え付け、胸に手を当てる。深呼吸。 火照った身体が幾らか鎮まるのを待って、少しだけ平静さを取り戻した私は、改めて今にも消えてしまいそうな背中をじっと見つめる。 はてさて、一体どうやって声を掛けたものか。とりあえず見つけ出すことだけ考えていて、いざそうなったときのことがすっぽりと抜けていた。もしかしたら、あのまま衝動に任せて突っ走ってしまった方が良かったのかも分からない。今更駆け寄って抱きついて、というのは少々恥ずかしい。 とは言え、このままぼさっと突っ立っているという訳にもいかず、なんだかんだで思考は浮ついたままなので、ここから先は遊び心に委ねてしまうことにする。 抜き足差し足、とまではいかないまでも気付かれないよう回り込んで、彼の背中に忍び寄る。
「その時少年は…確かに人生のどん底にいたという…」 「何勝手にモノローグ付けてるんですか、マリアさん」 「あら、まだツッコむくらいの元気は残ってるんですね」
向き直って呆れ気味に言うハヤテくん。私はおちゃらける様に返して彼の隣に腰を下ろす。
「っていうか、もっと驚いてくれたっていいんじゃないですか。つまんないですわ」 「そう言われましても」
ハヤテくんは困ったように笑う。それから存外に明るい声で、
「でも、どん底って言う程じゃないと思うんすけどね」 「あら。ハヤテくんの人生で今以上にどん底だったときなんてあるんですか」 「確かに、あの夜とどっちがマシかって感じではありますけど」 「コートがあることを考えると今の方が少しマシってところですか」 「そうですね。それに一応、借金は無かったことになったわけですし、ヤクザに命狙われてる訳でもないので」
ふむふむ。言われてみれば確かに、あのクリスマスイブの夜よりは随分とマシな状況なのかもしれない。
「確かに、どん底って言うほどではないかもしれないですわね」
それならモノローグのところからやり直そうかという私の提案は丁重にお断りされ、そこで会話が途切れる。話題に一区切りが付いたということだろう。 私たちの他には誰もいないせいか、会話が止まってしまうと公園内は異様なくらいに静かだった。遠くから電車がレールを跨ぐ音が聞こえてくる。 静けさと薄暗さが相まって、なるほど行き場を失った負け犬が逃げ込むにはぴったりだ。ちょうど、今の私たちみたいに。
「マリアさんはどうしてこんなところに?」 「随分と今更ですね」
負け犬の一匹が静寂を破って、もう一匹が呆れたように返す。
「探してたんですよ、ハヤテくんを」 「それはどうして?」 「挨拶もせずに出て行った人の言う言葉じゃありませんわね」 「そっちの方が気が楽だったもので。すみません」
頬を掻きながらハヤテくんは謝る。
「ダメです、許しません」 「どうすれば許して貰えますかね」 「そんなの自分で考えなさい」
困ったように笑いながら「手厳しいなあ」と零すハヤテくん。お腹の上辺りで腕を組んで十秒くらいうんうん唸ってから、また同じように笑って、
「ちょっと、すぐには思い付きそうにないですね」
甲斐性のない回答に私は少しだけムッとして、むくれる様に言う。
「『キスしたら許してくれますか』くらい言えないんですか」 「いやいや。どんだけナルシストなんですか、僕は」 「じゃあ、キスしてくれたら許してあげます」
ハヤテくんはピシッと固まって、石みたいに動かなくなる。と思ったら数秒も経たない内に元に戻って「えっ、いや、あの」と返答に窮しているようだった。 ここまで露骨に動揺してくれればからかい甲斐もあるというもので、もう少しだけいじめてやりたい衝動が湧き出てくる。今度はそれに素直に従う。
「するのかしないのかハッキリしてください」 「えと、その……じゃあ、失礼して」
そう言ってハヤテくんはこちらへ向き直る。頬は紅く染まって、視線は泳いでどうにも落ち着かないようだ。 やがて覚悟を決めたのか、ハヤテくんの視線は私の目を捉えて、じっと離さない。少し恥ずかしい。
「い、行きますよ」
ハヤテくんはその手を私の両肩に置いて、強張った声で言う。唾を飲み込む音。
「何その気になってるんですか。冗談なんですから、真に受けないでください」
そして私は、足元から引っくり返すような調子でその気概を遮った。 ハヤテくんはきょとんとした顔をして、しかし次の瞬間には誤魔化すように破顔して「そうですよね」と大袈裟に頷く。 必死な素振りが痛ましく見えて、というかそもそも私のせいでもあるので、救いの手を控えめに差し伸べる。
「がっかりしました?」 「というか、めちゃくちゃ恥ずかしいです」 「ハヤテくんがいけないんですよー、自分で答えを考えないから」
おちょくるのと諌めるのとが半々くらいで混ざったような口調で話す私にハヤテくんはやれやれと首を振って、
「全く、マリアさんには敵いませんね」
呆れの混じった声で言う。 それを降参と見做して、今度は少し真剣味を増した声音で、しかしそれには気付かれないようさらっと言ってのける。
「それじゃ、宿題ということにしましょうか。答えが見つかるまで、ずっと私の傍にいてください」
ハヤテくんは「いやいやいや」と首を振って、どうにも意を汲みかねているようだった。頓珍漢な受け答えをする子どもへの対応に困る教師みたいだ。
「それこそ無理な話でしょう。僕はもうこの街にはいられないんですから」
「マリアさんだって知っているでしょう?」と続けて、ハヤテくんは呆れたように鼻を鳴らす。 あの後――ナギが私に話をしたそれよりも後に、彼女はハヤテくんの借金を帳消しにする代わりにあることを要求したと聞いた。 彼女の前に二度と姿を現さない、すなわち学校も辞めて街からも出ていくというのがそれだ。なかなかにえげつない選択を突き付けたなぁと思う。 そういえばそんなことも言ってたな、と思い出しながら、しかし私はそれの理由としての性質を否定する。
「別に大した問題じゃないでしょう」
だって、と付け加えて、もったいぶるように少し間を空けてから、
「私もクビになっちゃいましたから」
ハヤテくんは「え」と声を漏らして、それからは目を瞠るばかりで何も言わない。
「あの後――つまり、ハヤテくんがクビの話を了承して部屋から出て行った後、部屋に残るようナギに言われて、そこで」
経緯を簡潔に説明する。ハヤテくんは何も言わない。唐突な告白に混乱してるんだろうなと思う。当然と言えば当然だ。 私は彼の言葉を待ちながら、空を眺める。雪でも降らすんじゃないかってくらい冷え込んだ冬の夜空はしかし綺麗に晴れ渡っていて、大きなお月様が空の天辺に登り詰めようとしていた。公園の心許無い照明をか細い星々の光が突き抜けて、薄い光のカーテン越しに見る星空はなかなかどうして幻想的だ。
「どうして」
一人ロマンチシズムに酔い知れる私を連れ戻したのは困惑交じりの疑問の声だった。声のした方に視線を送って、続きを促す。
「どうしてマリアさんまでクビに?」 「ハヤテくんを誘惑したから、だそうですわ」
極々自然な問いに対して私は端的に答えた。ナギの言を大まかにまとめれば、そういうことになる筈だ。
「どういうことですか、だっておかしいじゃないですか」
当然と言えば当然の疑問。ハヤテくんは私に手を出したからクビになった。私はハヤテくんを誘惑したからクビになった。 一見すると相反しているように見えるけれど、しかし裏を返せば私たち二人とも似たような理由でナギのもとを離れざるを得なくなったということに他ならない。 つまりは、それが答えだ。
「いいじゃないですか、細かいことは」
私はハヤテくんの疑問には答えない。そんなことを知ったところで、何かが変わる訳じゃない。 変えられもしない今までのことよりも、幾らでも変えていけるこれからのことの方がずっとずっと大事で、だから私はまずこの微妙な距離感を変えるべく、問いを投げる。
「兎に角、これで宿題が無理じゃないって分かったでしょう?それとも、ハヤテくんは私の傍にいるのは嫌ですか?」
ずるい訊き方だなと自分で思う。
「そういう訳じゃないですけど」 「ならいいじゃないですか」 「でも」
まだ言い足りないことがあるらしく、ハヤテくんは食い下がる。
「別に、無理に僕に合わ」 「えいっ」
的外れな世迷言を話し始めたので、言い終わる前にデコピンを見舞って黙らせた。 どうやらこの執事君、いや元執事君は、私がクビとなる原因を作った責任感から彼に付き合おうとしてるとか考えているらしい。 外からの好意に無頓着な彼らしいといえば彼らしいし、状況を顧みればそう考えるのもそれほど不自然ではないのかもしれない。 つまらない誤解ではあるけれど、そのまま放置しておくには忍びない。その大小に限らず、誤解というのは早々に解消しておくに限る。
「別にハヤテくんに付き合ってあげてる訳じゃありませんわ」
ベンチから立ち上がって、二歩進む。
「私がそうしたいから、ハヤテくんの傍にいたいと思うから、私が勝手にそうしてるだけです」
ものすごく恥ずかしいことを言ったと思う。でもこんな言い方じゃ、ニブチンのハヤテくんにはきっと伝わらない。だからもっとストレートに、ダイレクトに、開けっ広げに着飾ることなく。 そう思うだけで、鼓動が速くなるのを抑えきれなくなる。血液が沸騰しそうだ。頬が熱い。鼻が、目が、耳が、顔中が熱くって、喉が熱くって胸が熱くってお腹が背中が腕が手が指先が。身体中が熱くって、風の冷たさなんてもう分からない。内側から爆発してしまいそう。 傍にいなさいと言ったときにはこんなことなかったのに。想いに報いろと要求するのは容易でも、想いそのものを曝け出すことはこんなにも恥ずかしい。今すぐこの場から消え去ってしまいたいくらいだ。
「つまりですね」
逃げ出したい気持ちを捻じ伏せて向き直る。きっと顔はトマトみたいに染まっていて、そんな顔をハヤテくんに見られたくなくて俯きそうになるけれどそんな気持ちはへし折って視線の先にまっすぐ彼を見据える。息を吸って、
「私は、ハヤテくんのことが、好きなんです」
彼がどんな顔をしているのか、茹った頭では正常な認識ができなくて、なんでもいいから何か言ってくれと彼の言葉を待つけれど答えは一向に返ってこなくって、きっとまだ一秒かそこらしか時間は経っていなくって、でも今の私にはその一秒がうんと長く感じられるものだから沈黙がずっとずっと続いているように思えて、その沈黙に耐え切れずに必要のない言い訳まで始めてしまう。
「べ、べべ、別に好きと言ってもその、いわゆる男女間のアレ的なものじゃなくてですね、家族愛とか友情とかそういった類のアレで、だから、その、勘違いしないで欲しいというかその、つまりですね、」
くすり、と鼻から抜けるような声が聞こえて、それでハッと我に返る。余分な熱が抜かれて、冷静さを取り戻す。 ハヤテくんは口元に手を当てて、おかしそうに頬を緩めている。今のはどうやら、漏れ出した笑い声らしい。
「何笑ってるんですか」 「いえ、別に」 「っていうか、何かないんですか。感想というか」
はち切れんばかりの羞恥心と緊張感を抑え付けた末の告白を、笑って済ませられたら堪ったものではない。 ハヤテくんは「そうですねー」と顎に手を当てて、わざとらしく首を傾げる。やがて思いついたかのように、
「マリアさんは、僕のことが好きなんですよね」
なんだそれ。思いながらも口には出さず。隣に腰を下ろして素直に答える。
「はい。さっきも言った通りです」 「でもそれは、男女間のアレ的なものではないんですよね」
ぐっ。言葉に詰まる。つい勢いで否定してしまったけれど、まったくこれっぽちも違うかと言われたら多分そうではない訳で。
「違うのかもしれませんし、そうなのかもしれません。よく分かりません」
自分の気持ちが分からない。それの持つ名前が分からない。私に分かるのは、私が彼を慕っているという事実だけだ。 私の受け答えにハヤテくんは「そうですか」とだけ言って、また考えるような素振りを見せる。 その横顔を見ながら私は今の問答の意味について考えるのだけれど、それらしき回答が得られるより前にハヤテくんが口を開いたので、私は思考を断ち切って耳をそちらへ傾ける。
「では、僕からもマリアさんに宿題を出すことにします」
脈絡のない発言に、クエスチョンマークを頭の上に浮かべるけれど、続くハヤテくんの言葉でそれはすぐに掻き消えた。 ハヤテくんは笑って言う。その笑みは、いつもの困ったようなそれじゃなく。
「マリアさんの気持ちがどんな好きなのか。それが分かるまで、ずっと僕の傍にいてください」
柔らかな、穏やかな、暖かな、優しげな。相応しい形容が思い付かないけれど、いつも笑ってる彼の見せる数少ない心からの笑顔で、私の胸はいっぱいになる。
「はい」
お返しに私も、唇を空に浮かぶお月様みたいな形にして笑って言った。それから彼の方に体重を預けて、私の右手を彼の左手に重ねる。指が絡まって、にぎにぎしてみると確かな手応えの後に、ぎゅうと握り返す力を感じる。 右手と、身体中に溢れる確かな温もりを感じながら、私は冬の空を仰いでこれからのことを考える。
きっと、大変なことがたくさん起こる。今までのように。もしかしたら、今まで以上に。それでも私はこの人の傍にいたい。共にありたい。寄り添いながら歩んで行きたい。 この気持ちが、いわゆる恋愛と呼ばれるものなのか、それとも単なる友愛に過ぎないのか、或いは家族愛に等しいそれなのか。はたまたもっと質を異にする別の何かなのか。 まだ、分からないけれど。時間はたっぷりあるのだから、これからゆっくり考えていけばいい。ひょっとするといつまで経っても答えは出ないかもしれない。でも私は彼の傍にいると決めたのだから。
分からないままなら分からないままにして、これからの人生を彼と共に生きていこう。
胸に灯る名も無き慕情に、そう誓った。
- 了 -
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