Re: 名も無き慕情(第七話更新) |
- 日時: 2015/06/11 19:03
- 名前: 明日の明後日
- 明日の明後日です。こんばんわ。
一週間に二回更新という止まり木へ来てから初の快挙です(笑 恐らく次回で最終話になるはず。イメージは大分固まっているので、日曜日くらいには投下したいところですが果たしてどうなることやら(汗
今回はというか今回もというか、結構長め。頑張って削ったけどそれでも長い。 というわけで八話目を投下です。
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結局、ハヤテくんを解雇した理由についてナギが詳細を語ることはなかった。気が向いたら話すと彼女は言ったけれど、きっと話すつもりなんて最初からないんだろうし、もし話すことになったとしてそれはずっと先のことになるんだろうなと思う。 どうやら只ならぬ事情があるらしいこと、そしてそれに対して彼女が出したハヤテくんを解雇するという結論には彼女なりの気遣いというか思い遣りというかがあってのことだということは試合の中で彼女が見せた必死の気概から察することができた。それでもやはり腑に落ちないというのが正直なところなのだけれど。 ナギは、私に彼女らの何が分かるのか、と言った。全くその通りだと思う。ハヤテくんが執事を――それから学校までを辞めることになった理由も背景も何もかもが不透明で、擦りガラスの向こう側の出来事を眺めてるような気分になる。 そして分からないことはもう一つあって、
「私がいたらダメなんだ、って。一体なんのことかしら」
試合の終盤、ナギは竹刀を振り回しながら必死に何事かを叫んでいた。面を被っていた私には、涙交じりの声を正確に聞き取ることは出来なかったけれど、そのフレーズだけははっきりと耳に残っている。 額面通りに受け取れば、ナギがいることで何かが上手くいかなくなる、ということなんだけれど、何がどうダメになるのか、そもそもどうしてナギがいてはダメなのか。きっとハヤテくんをクビにしたこととどこかで繋がっているのだろうけれど、それ以上のことは私にはさっぱりだ。ナギが何を考えているのか一ミクロンも分からない。
あれもこれも訳が分からなくって、あちこちと道に迷った末に脳みそが辿り着いたのは、告白の返事はどうなるんだろう、というところだった。 結局のところ、自分はその焦りにも似た想いに振り回されているだけなんだろう。あんな理不尽な試合をナギに強要してしまったのも、胸の内で暴れ回るそれをきちんと制御できていなかったせいだ。 結果的にはあの試合を通して、ナギの心の内を垣間見ることができたのだけれど、だからといってその行為が正当化される訳ではない。暴力的にも程がある。
「また今度、ちゃんとお詫びをしないとね」
尤も、落ち着いて話し合いを求めていたところで、ナギが素直にその心の内を明かしてくれたかどうかはまた別の話ではあるのだけれど。
その後の詳細な経緯は省く。気が付くと私は道に迷っていて、でもその道に微かながらも見覚えがあるように感じられて、それを頼りに道を進んだ結果、以前にも立ち寄った覚えのある喫茶店が視界に現れた。そこで、幾らか前に道に迷ったときと同じ道を辿っていたらしいという事を悟った。 このお店の紅茶はなかなかの逸品だったしせっかくだから休憩でもしていこう、と思いながら扉を押し開くと、
「あら、ヒナギクさんじゃないですか」
入ってすぐ右手のテーブル席で、マリアさんがティーカップ片手に声を掛けてきた。これなんてデジャヴ?
「また道に迷ったんですか?」
前と同じように勧められるままに向かいの椅子に腰を下ろして、しかしまさか今日も遭遇するだなんて思いもしなかった私は、なんだか期待を裏切られたような気分にもなって、自分のことは棚に上げつつ軽口を利いてみる。 マリアさんは困ったように笑って、
「ま、そんなところですかね」
予想外のリアクションに面を喰らう。なんだか普段と様子が違う気がして、けれどうそういうふわっとしたものではない決定的な違いが一つあったので、ついついそちらに関心が傾いてしまう。
「今日はメイド服じゃないんですね」 「ええ、まぁ」 「えっと。何か、あったんですか?」
けれどやっぱり、どことなく様子がおかしくて、声色にも覇気がないように感じられる。 言葉に迷いながらも訊ねてみる。誤解を招かないように断っておくと、これは元気のなさそうな彼女を純粋に心配しての質問であって、何かしらのアクシデントがない限りマリアさんはメイド服を着ていなければならないとか思っている訳ではない。
「何も無かった、と言えば嘘になりますね」
マリアさんの返答を聞いて、今の問いは愚問だったと内省する。友人であり家族でもあるだろう同僚が突然解雇となったのだ、それを「何も無い」と切って捨てるほど、彼女は冷淡ではない。 今まで当たり前のように毎日顔を合わせていた人物がいなくなるという事態には、流石の彼女も狼狽したことだろう。
「やっぱり、ハヤテくんのことですか?その、クビになったって」
訊くべきか否か迷って、けれど結局は訊くことにした。彼の解雇騒動が私たち、白皇生の耳に入っていることくらい承知しているだろうし、何かあったのかと尋ねておきながらそれを話題に出さないのは気遣いとしては露骨過ぎる。 マリアさんは一瞬だけ驚いたように目を丸くして、でも元に戻す。さっきみたいに笑って言った。
「流石に知ってますよね。学校も辞めさせるって言うんですから。ナギは今日、学校には?」 「はい、来ました。お昼過ぎからですけど」 「あらあら、やっぱり困った子ですわね。何か変わった様子はありましたか?」 「それは、その、私の方が取り乱しちゃってて」 「あら、そうでしたか」
正直に「やつあたりに剣道でボコボコにしました」と言うことは流石にできなかった。 マリアさんは紅茶を一口啜って「少し苦いですね」と呟くように言ってから、角砂糖をカップの中に一つだけ落とす。 波立つ水面を見つめながら、ティースプーンでくるくると砂糖を溶かす彼女の面差しには、一体どんな想いが溶け込んでいるのだろう。
それからマリアさんの勧めでオーダーしたチョコレートケーキのセットが届くまで沈黙は続いて、その間私としてはむず痒いような居心地の悪さを感じていたのだけれど、マリアさんはそうでもなかったようで、むしろ私が紅茶に口を付ける瞬間を待っていたかの如く狙い済ましたタイミングで、
「そういえば、ハヤテくんからの返事はまだ貰っていないんでしたっけ」 「ぶふっ!?」
吹き出した。幸いにして、被害は口の周りとテーブルの上と、それからカップを持っていた左手だけに抑えることができた。ケーキも無事だ。 カップを置いてお絞りで顔と手を拭う。熱かったけれど、火傷には至るほどではなさそうだ。次いでテーブルを拭こうとしたら、マリアさんが「あらあら、大丈夫ですか」なんて白々しく言いながらも既に済ませてくれていた。 二人とものお絞りが紅茶まみれになってしまったので、店員さんを呼んで新しいものをお願いすると、一分も経たない内に湯気が立つくらいほかほかのお絞りを持ってきてくれた。
「似たような反応するんですね、ハヤテくんと」
お絞りを受け取ってから、マリアさんが言う。なんだか楽しんでいる気がする。
「なんのことですか。っていうか、なんで知ってるんですか」 「ハヤテくんから聞いたんですよ。そういえば、そのときもこのお店でしたね」
凡その事情を察する。似たような反応というのはそういうことか、「そういえば」も何もまるっきり意図的じゃないか。 一緒にこのお店に来たということは少し意外だったけれど、別段驚くことでもないだろう。買出しの帰りとか、お茶を共にする機会なんていくらでもあるんだろうし。
「返事、聞かなくていいんですか?」
事も無げに問うてくるマリアさんに、私は言葉を詰まらせる。 そりゃあ、聞きたい。聞きたいに決まってる。そのことばっかり考えて、危うく大事故を起こすところだったくらいだ。 けれど一度感情を暴走させて、体の内側に留めていられない部分は全て吐き出した上で改めて考えてみると、色々と思うところもある。だから私は、
「分かんないです」
と答えた。マリアさんは意外そうな顔をする。続きを促しているように感じられて、私は話を続ける。
「勿論、聞きたいとは思いますけど。でも、困らせるだけかな、とも思ったりして」
以前彼は、借金があるから誰かと付き合うことは出来ないと言っていた。今回のことで、借金の問題がどう結論付けられたのかは分からない。けれど「仕事は辞めてもらうけど金は返せ」なんていうのはいくらなんでも酷いと思うし、ナギもそこまで非道ではないだろう。今日の彼女の様子を見ても、そう思える。 とすれば、借金は帳消しにされた可能性が高いと言える。すなわち、ハヤテくんの恋愛観を縛る鎖のようなものがなくなったのだ。けれども、今の彼には住む場所も帰る家もない。そんな状況で、彼が誰かと付き合おうなどと考えるかどうかと問われれば、答えは火を見るより明らかだ。仮に私の家に住まうよう勧めたとしても、それをあっさり受け入れてしまうほどの図太さを彼は持ち合わせていない。 だからきっと、もし返事を聞くことができたとしても、彼は私との交際を断るに違いない。けれど、それは私の気持ちと向き合って決めたことじゃない。彼を取り巻く状況が彼からノー以外の選択肢を奪っている。 都合のいい解釈かもしれないけれど、私はそんな風に捉えてしまう。もしハヤテくんが本当に私と付き合うのが嫌で断ったのだとしても、どんなに口汚い言葉で私のことを罵ったとしても私はその解釈に辿り着くだろう。むしろ私のためを思って、心を傷めてまで罵声を浴びせてくるのではとすら思う。そんなことはさせたくない。 それでも、万が一を――私の思いもよらない方法で現状を打破して告白を受けてくれるという可能性を考えると、やっぱり返事を聞きたいとも思ってしまう。 困らせるようなことはしたくないけれど、一縷の望みに懸けたい気持ちもあって、拮抗している。だから、自分が本当はどうしたいのか、自分でもよく分からない。
「そうですか」
私の話を黙って聴いていたマリアさんは短く頷いて、紅茶を一口呷る。
「振られるのを怖がってるだけって言われたら、何も言い返せないんですけどね。今まで散々逃げ回ってたんですし」
長々と語ってしまったことが照れ臭くなってきて、頭を掻きながら自虐して誤魔化す。 私の強がりを見透かしてか、マリアさんはくすりと笑ってからティーカップを戻す。柔らかな笑みは優雅な仕草と相まって、危うく見惚れてしまうくらいに楚々としていて、凄く綺麗な人だなと、改めて思った。 そんな密やかな私からの称賛を彼女が知る由も無く。唐突と言うには十分すぎるくらいに間を空けてから、マリアさんは言った。
「さっきの質問ですけど。三分の一、正解です」
理解するのに、少々時間を要した。さっきの質問というのは、マリアさんがメイド服でない理由についてのことだろうと数秒掛かって思い当たる。 何かあったのか、その何かとはハヤテくんの解雇のことを指しているのかと、私は訊ねた。それに対しての答えが今、ようやく帰ってきたという訳だ。 マリアさん曰く、私の考えは正解ではあるけれども、満点ではないということらしい。当たらずとも遠からず、いや、半分にも満たないのだから外れずとも近からずと言った方が適切だろうか。
「残りの三分の二は…?」 「そうですね、どう話せばいいやら」
正解を催促する私に、マリアさんはすぐには答えない。窓の外をぼんやり眺めながら、考えをまとめているようだった。 遠い思い出を見つめるような面差しが夕日に照らされて、それがすごく絵になっていたからだろうか。 あるいはその様子から、彼女の心境をなんとなしでも感じ取っていたからかもしれない。 私は急かすことなく、彼女の口が開くのをじっと待つ。時間にしてどれほどかは分からないけれど、やがて彼女はゆっくりと語り出した。
「ヒナギクさんは先程『分からない』とおっしゃいましたね。自分がどうしたいのか分からない、と」 「はい」
多分だけれど。彼女は私の返答を求めてはいなかったと思う。だってその口調が、私に言って聞かせるためのそれじゃなく、自らの心の内を整理しようとしている風に聞こえたからだ。
「私も同じです。自分が何をしたいか、自分は何をすればいいかが分からないんですよ」
マリアさんは笑ってそう言う。道に迷ったというのはそういうことか、と合点が行った。そしてその面持ちが今日、初めに見せた笑顔と同じものだと気が付く。
「あの子が…ナギがハヤテくんをクビにするって言い出したとき、最初は只の気まぐれだと思ったんですよ。あーあ、またハヤテくんがナギを怒らせるようなことをしたんだろうなって」
紅茶を一口啜る。随分とぬるくなっていて苦味が強い。
「でも、違いました。ナギは本当にハヤテくんを辞めさせるつもりで、正当な――という言い方が正しいのかは分かりませんけど理由もちゃんとあって。それで本当に、ハヤテくんは執事を辞めることになってしまって。私はすごく、すごく、」
自身の感情を表す言葉が上手く見つからないのか、話はそこで一度途切れる。数秒間掛けて探し当てた彼女の言葉は、極々ありふれたものだった。
「そう、ショックで。一年にも満たない短い期間ですけれど、殆んど毎日顔を合わせて、一緒に仕事をして、笑ったり怒ったりナギのわがままに手を焼かされたりして、そんな日常が慌しくも楽しくて、私はそんな日々が大好きで、ずっと続くと思ってて、でもそんなことはなくてハヤテくんは執事を辞めることになって、しかもそれは私のせいで、訳が分からなくって、今も分からなくって、」
昂奮してるのか、マリアさんは声に湿り気を帯びさせて、段々と早口になっていく。やがて加速する感情に舌が追いつけなくなったのか、はたまた溢れる言葉で気道が埋め尽くされたのか、マリアさんは話すのを止める。そのまま幾秒かが経って、肩を上下させながら大きく息を吸って、吐いて。
「本当に、どうすればいいんでしょうね」
自嘲気味な笑みを浮かべて、そう言った。なんて返していいか分からなかった。 だから一つだけ、私からの感想を伝えることにした。
「マリアさんは、ハヤテくんのことが好きなんですね」
つまりは、そういうことだった。好きな人が目の前からいなくなってしまって、途方にくれている。たったそれだけの、シンプルな話だった。
「はい、大好きです」
想いを吐き出したことで、憑き物でも取れたのだろうか。そう言って笑うマリアさんの笑顔は、今までのそれとは違って豪く無邪気で、ひどく可愛らしかった。年長者に対して可愛いと思うのは、これが初めてだ。
「でも、この気持ちがヒナギクさんの言うようなものなのかは、よく分かりません。ハヤテくんはナギと同じで、私にとって家族みたいなものでしたから」 「なんでもいいじゃないですか、そんなの。好きなものは好きなんだから」
そんな言葉がポンと出てくることに、自分で驚いた。 投遣りにも聞こえる私の意見に、マリアさんは「そうですね」と笑う。彼女としてはそんなつもりは毛ほどもないんだろうけれど、表現の稚拙さを笑われてるような気になって、もっとマシな檄の飛ばし方はないものかと思考の歯車を回す。
―――お前に、私たちの、何が分かる―――
八割方が空回りだったけれど、残り二割が上手く噛み合って、記憶の欠片をどうにかこうにか釣り上げる。ガッコンガッコン、粉々に砕いて、再構築。それまで曖昧で不透明だった部分までもが、鮮明に甦る。
「その、ナギがハヤテくんをクビにした理由は分からないですけど、多分それはハヤテくんのためを思ってのことだと思うんです。今日ナギと、少しだけ揉めましたけど、話をしてそう思いました」
本質は崩さず、けれどフェイクを入れるのも忘れない。家族を剣道でボコボコにしたなんてことが彼女に知られようものなら、その後の私の未来がヤバイ。
「ナギが言ってたんです、自分がいたらダメなんだって」
今なら分かる。あのとき、ナギはこう言っていたのだ。
―――お前に私の何が分かる、お前にハヤテの何が分かる、お前にマリアの何が分かる、お前にあいつらの何が分かるって言うんだ―――
―――私がいたら、ダメなんだよ、私がいたら―――
記憶の中で叫ぶナギに被せるように、言う。
「『私がいたら、あいつらは幸せになれないんだ』って」
マリアさんの目が俄に見開かれる。驚きを隠せない、というのはこんなときに使う言葉なんだなと隅っこの方で考える。
「どういうことか、私にはよく分からないですけど、でも“あいつら”っていうのはきっと」 「ヒナギクさん」
最後まで聞かずに、マリアさんはガタンと音を立ててながら、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がる。じっと私を見据えるブロンドの瞳に宿っているのは、強い決意。
「何をすればいいか、分かりましたわ。ありがとうございます」
深々と頭を下げてから、マリアさんは店を後にした。と思ったらぱたぱた戻ってきて、
「お礼と言ってはなんですけど、ここは私がご馳走しますね。それからナギのこと、よろしくお願いします」
と言って伝票を掻っ攫って会計を済ませてもう一度こちらにお辞儀をしてから、今度こそ店を後にした。何がなんだかよく分からないけれど、どうやら私の言葉が彼女の背中を押したらしい。 それはそれでいいとして、ナギをよろしくとは一体どういうことだろう。今回のことで不快な思いをさせたかもしれないけれど今後とも、とかそういうことだろうか。 どうせナギのことは今も昔も、そしてこれからも気に掛けていくつもりだから、どのような意図があったとしても私にはそれほど重要ではないのだけれど。
せっかくご馳走してもらったのだし、今はケーキを楽しむことにしよう。遠慮する暇も隙も与えてはくれなかったけれど、お礼だと言うのだから気にはしない。 マリアさんお勧めのチョコレートケーキは仄かに苦くて、すっかり冷めてしまったぬるい紅茶はやっぱり苦くて。 失恋の味ってこんなものかと、窓の外の、殆んど沈み掛けの夕日を見て思った。
「あれ。そういえば、なんでマリアさん、ナギが学校に来たこと知らなかったんだろ」
それを私が知るのはもう少し後のことになるのだけれど、それはまた別のお話。
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