Re: Bitter Milk(短編集) |
- 日時: 2014/10/01 23:08
- 名前: 明日の明後日
窓の外。寒風が悠々とアスファルトの上を駆け巡り、一切の熱を奪い去る。“木枯らし”とはよく言ったものだ。 こう寒くちゃ、自力で体温調節をすることが出来ない植物なんざ、あっという間にその生涯を終えてしまうだろう。
「んっ……つッ」
小ぢんまりとしたアパートの一室で、私―――――花菱美希は呻き声を漏らしながら、寝返りを打った。 その際、頭の中の奥の方がキリキリ、ガンガン、ズキズキとやかましく悲鳴を上げる。
「あ゛〜〜〜…呑み過ぎたかな、昨日は」
上半身を起こしながら、独りごつ。ズキズキ。またかよ、嫌になる。昨日の酒が響いたのか、胸焼けもするし、吐き気も酷い。 俗に言う、二日酔いってやつですかコレは。だるい、超だるい、めっちゃだるい。
しかも今日は平日である。その事実が、これより上があるのかってくらいのだるさに拍車を掛ける。 時計を見ると、七時二〇分を少し過ぎたところ。最寄駅まで徒歩二十分弱、普段乗ってる電車は七時五十三分発。 自転車に跨り、尚且つ化粧と朝食を諦めれば、寝癖を直し、顔を洗い、歯を磨いてからでもなんとか間に合うだろうか。 職場には八時三〇分までに到着すれば問題ない。電車に乗っているのは二十分強と少し長いけれど、降車駅から職場までは歩いて五分掛からない。
要するに、今からでも朝礼には充分間に合うということだ。いや、化粧と朝食を犠牲にしている辺り、充分とは言えないかもしれないけど。 しかし。しかしだ。二日酔いで体調が優れない中、通勤ラッシュ・満員電車という窮屈で息苦しい空間に二十分間も晒されるというのは正直勘弁願いたい。 それに、自転車を漕いだり、電車に揺られたりと、何かしらの形で身体が揺すられれば、体内でアルコールがシェイクされて余計に体調が悪くなるかもしれないし、 周りの人にも酒の匂いだとかで害を与えないとも限らない。もしアルコール臭が誰かの服やら鞄やらに付着して、その人までもが飲んだくれ呼ばわりされたりしたら、私としても実に不本意である。 だからと言って遅刻が許されるかというと、そこはまぁ、普段の勤勉さを盾にどうにか許しを乞おうじゃないか。許してもらえるかはまた別のお話ということで。 人間、年中無休でフル稼働してたら身が持たない。適度にサボタージュするのも、自己管理の内と言えるだろう。多分。きっと。おそらくは。
「よし」
誰にともない言い訳をこねくりあげ、自己正当化を完了した私は、布団から這い出て、軽く歯を磨いてからコップ一杯、水を飲む。 もう一度軽くうがいをしてから、私は再び布団に潜り込んだ。
〜 酔いが覚めるまで 〜
“平成○○年度白皇学院卒業生主催・社会人のための21世紀生存競争討論会々場”なんていう仰々しい文句が書き連ねられた横断幕を掲げた、とある居酒屋の宴会席。 かつてのクラスメイト達がそれぞれに、友人とグラスを傾けながら語らっている。勿論、『21世紀をどう生き抜くか』だなんて議題はどこにも上がっていなくて、 同窓生の大半は互いの近況報告の後、思い出話に花を咲かせている。
ふざけているんだか真面目にやっているんだか些か判断に迷う題目だけれども、大方、“真面目に”“ふざけている”んだろう。方向性がずれているという気はしないでもないが。 幹事が幹事だから、ある程度のおふざけは仕方がないと呆れる反面、社会人になってもこんなノリで物事を進められる不変っぷりが、羨ましく思ったりもした。
ここで断っておくが私は別に特別酒が好きな訳でも酒に強い訳でもない。飽くまでも“人並み”であると自分では思っているし、周囲からもそう評されているという自負もある。 酒の席特有の浮ついた雰囲気は嫌いではないし、最近はお酒の味も少し分かるようになってきた。友人から誘われれば特に理由がない限りは相伴するようにもしている。 しかし、自分から進んで呑もうとは思わないし、その場のノリで所謂“イッキ飲み”をするようなことは間違ってもしない。あれをしていいのは自他共に認めるような酒豪か或いは馬鹿のどちらかだ。 馬鹿の私に馬鹿と言われるのだから、よっぽどの救い難い馬鹿なんだろうな、まったく可哀想に。しかし驚いたことに、世の中には更に救い難い馬鹿がいるようで、 嫌がっている人間や酒の弱い人間に無理矢理イッキ飲みをさせる馬鹿がときたま見受けられる。何ハラだったか忘れたが、そういう連中は自分が如何に埒外な存在であるかを自覚すべきだと思う。 今度面と向かって言ってやろうかあのバカ野郎め。
さて、そんな“酒は呑んでも呑まれるな”を体現するかのごときスタンスで酒の席に臨むことにしている私は、この日も甘めのカクテルを中心に、味のしない清酒を半合だけ頂いて 適当に酔いを回しつつ、適度におどけるようにして、時折部活仲間の友人を弄りながら、飲み会の雰囲気を楽しむつもりでいた。
のだけれども。
「美希、ちょっといい?」
凛とした、透き通るような、けれども聞き慣れた声。そういえば随分とご無沙汰していた割には、今日はまだ話してなかったな、なんて思いながら顔を向けてみれば、 馴染み深い顔が何やらはにかんでいる様が目に映る。久し振りだな、と返事を返しつつ、もう一言。
「どうした、にやにやして」
口角の上がっているのを指摘してやる。「にやにやなんてしてないわよ!」と語気を強めて否定する彼女の頬が赤く染まっているのはアルコールのせいだろうか。
「ちょっと話したいことがあるの」
ここじゃ少しあれだから、と続けて彼女は席を立つ。積もる話もあるのだろう。どうやら、あまり人に聞かれたくないような内容らしい。
「ちょっと風に当たってくる」
同席の友人たちには、そんな言い訳を残して、私も立ち上がり彼女の背を追った。
「なぁ」
トントントン、と包丁がまな板を叩く音が響く中。私は酔い覚ましの牛乳をグラスに注ぎながら、台所で葱を刻むバカに声を掛ける。 「まだできねーよ、もう少し待ってろ」 「そうじゃなくて」
昼過ぎに鳴ったインターホンの音で目を覚ました私は、時計を見て愕然とした。 十一時四〇分。遅刻どころの騒ぎではない。軽いパニックに陥った私は、遅刻云々よりも誰とも知れない来客を出迎えるべく、 着替えもせずに玄関のドアを開け放った。その先にいたのが職場の同期であるこの男というわけなのだが、
「な、なぜお前がここにいる!?飲みすぎてお前は遅刻で出社してて本当は間に合ったけどお昼で主任が怒ってるから今はお前の相手をしている暇なんてないんだ!!」
とっくに始業してもうじき昼食のことを考え始めるであろうこの時間に、どうしてか職場の人間がここにいるという事実に更に頭が混乱して訳の分からないことを口走る。
「今日、祝日だぞ?」
パニクる私を見て、或いはその言動から事態を察したのか、バカは「落ち着け!」と一喝し、その後その事実を私に告げた。 その言葉で体中の力を抜かれ、更には
「飯、作ってやっから!」
という言葉に屈服した私は、致し方なくこのバカを部屋へ上げることにした。 昨日の酒が抜けきらない状態でこのバカと顔を合わせるのは正直勘弁願いたかったが、 この男、なかなかどうして料理が上手いのである。
「じゃなんだ」
片手間に答えを返すバカに、
「お前さ、結婚とか考えたことあるか?」
ゴト、と。鈍い音が響く。二秒くらい経った後、大仰に痛がるバカの様子から察するに、鍋だかフライパンだかを足の上にでも落としたんだろう、きっと。 怪我をする分には構わないけれども、床に傷が付くような真似はやめて欲しい。実家が金持ちとは言え、修繕費だって安くないのだ。
ひとしきり痛がり終えた後、バカは何やらボソボソごにょごにょと呟いていたが、私はそんなバカの様子を特に意に介さず天井の染みの数を数えていた。別に意味はない。 そんな調子だったから、バカが何を言っていたかなんて何一つ分からなかったけれど、これといった答えを期待していたわけではないので問題はなかった。 あえて問題を挙げるとするならば、特に意味も意図も問いを人様に投げ掛けてしまったことだけれども、相手がこのバカならそれも特段構わないだろう。 相手がバカでなかったなら問題になるかと言われたらそれはよく分からないけれども、意味も意図もない問いを誰かに投げたくなる程度には、私は動揺していたらしい。
昨晩、彼女から受けた報告は私を揺り動かすくらいの衝撃は持っていたようで、一度それを自覚すれば、頭の中はぐるぐる回り始める。
「なぁ」
それが静止するまでにどれだけ掛かるかはよく分からないけれども、いつまでもこのままという訳にもいかないだろうから、
「今夜、呑みに行かないか」
いっそのこと、バカになってみるのも一つの手というものだろう。
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