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対象スレッド 件名: #11
名前: 春樹咲良
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#11
日時: 2014/11/29 12:41
名前: 春樹咲良

◆◆◆


11時47分


「そうですね、どの辺からお話ししましょうか――」

時刻は正午前。昔懐かしい雰囲気の漂う喫茶店で、美希と明智はテーブルを挟んで向かい合っていた。
明智の通っていた高校の近くにあるこの店は、その頃からの馴染みだそうだ。
開店の直前だったらしい店主は、久々に顔を見せた明智を喜んで迎えると、「臨時休業」というプレートをドアの前に掲げた。
平日に現職の大臣がこんな喫茶店に居ることが知れると、下手をすればちょっとした騒ぎになりかねない。
店主の配慮は美希としても正直大変助かった。

明智の前にアイスコーヒーが、美希の前にカフェラテが置かれてから、明智はゆっくり、淡々と語り始めた。
先ほどの墓地には、若松円(わかまつまどか)という女性が眠っている。
明智とは高校の同級生であり、その頃から付き合っていたのだという。
「ちょうどこの席に、よく座っていました。今、花菱さんの座っている席に円が座って、コーヒーを飲みながら話したり、勉強したり、ご飯を食べたり――」
どこにでもいる、ごく普通のカップルは、明智の方が一年浪人したものの、地元の同じ大学に進学し、交際を続けた。
明智は政治を、円は美術史を学び、一年先に卒業した彼女は念願叶って博物館の学芸員として働きはじめた。
「その年の九月のことです。円は博物館の展示の打ち合わせで、ウィーンに二週間ほど行くことになりました。
 僕の誕生日に二人で居られないので、出発の前日に、一緒にこの店でケーキを食べました。
 ……それが、円に会った最後です」
「……」
「――そう。七年前の今日が、帰国予定日でした。
 時差の関係で、成田に着くのは朝だとメールで聞いていたので、起きた頃には、帰って来た連絡が入っているかも、なんて暢気に思っていました」

……どうして今まで気づかなかったのか、不思議なくらいだ。
美希は自分の鈍さを呪いながら、当時のことを思い出していた。
2018年9月29日、ウィーン発成田行き、エステライヒ航空45便――


◆◆◆


エステライヒ航空機、墜落か
2018.9.29 12:11
国土交通省に入った連絡によると、9月29日未明、エステライヒ航空45便(ウィーン発成田空港行き)が日本海海上で消息を絶った。同便には乗客乗員あわせて179人が搭乗しており、29日7時30分には成田に到着する予定だった。国交相は11時過ぎに開いた会見で、墜落の可能性が高いという見解を示した。


◆◆◆


当時の報道を、美希は今でもよく覚えている。
国内では数十年ぶりの大きな航空事故だったので、メディアの取り扱いもそれに伴って非常に大きくなった。
事故の原因を探るだけでなく、犠牲者の遺族への取材攻勢など、過熱する報道にうんざりした記憶がある。
様々な調査が行われたが、結局、今もって事故の正確な原因は分かっていない。

「……まるで現実感がありませんでした」
静かに明智が話を続ける。
「テレビの前に座って固まったまま、何時間そうしていたか分かりません。
 そこからの日々を、どうやって過ごしていたかも、ほとんど覚えていません。
 世界が何事もなかったかのように回る中で、円だけがぽっかりと居なくなってしまったみたいでした。
 そんな中で、ただゆっくりと、少しずつ、円は死んでしまったのだという事実が自分の中に染み込んでくるのを感じました」
表情を変えないまま話す明智の心の動きを、美希の方からはうかがい知ることができない。
「本当に、信じられないほど現実感がないんですよ。長い夢の中に今もまだ居るのだと言われた方が、よほど信じられるくらいです」
そんな、縋りつきたくなるような願いを抱く気持ちを想像して、美希は胸が締めつけられる思いがした。
目の前に座る明智は、じっと一点を見つめながら語り続けた。
「……円のご家族とは、葬儀の時にお会いしました。
 大変な時期だったでしょうに、僕のことまで心配していただいて――」
そこで一度言葉を切った明智を、美希は静かに見つめる。
――それは、どんな気持ちだったのだろう。
美希には想像できないほどの、今、美希が感じている以上に押し潰されそうな気持ちだっただろうか。
それを想像することすら、美希には烏滸がましいことのように感じた。
顔を上げないまま、テーブルの上に置かれたアイスコーヒーのグラスを見つめて明智が言った。

「僕には何もできませんでした。――本当に、何も」

今日一番静かな、ひっそりとした言葉だった。
グラスの表面を、雫が滑り落ちて行くのが見えた。
それがテーブルに小さな水溜りを作っていることに気づいて、明智は淡いオレンジ色のハンカチを取り出し、テーブルとグラスの底を拭った。
ハンカチをポケットにしまうと、しばしの沈黙を挟んで、明智が話を再開する。

事故の後、抜け殻のように過ごしていた明智は、就職が決まっていた会社の内定式を無断欠席して内定取り消しになっていた。周囲の手助けもあって、何とか大学院に進学したという。
「とりあえず研究の真似事をしながら、少しずつ、働くことを考えはじめていました。
 その頃本当に苦痛だったのが、大学が空港のそばにあるせいで、頻繁に飛行機の音が聞こえることでした。
 事故の前は気にしたこともありませんでしたけど、その頃はもう、建物の外を歩くときには耳栓が手離せないくらいで。
 そんな馬鹿みたいな生活から、一刻も早く抜け出す必要があったんです」
普段の飄々とした明智の姿からは想像もできないような話だ。
スウェーデンに行く途中に見せた明智の表情を、美希はもう一度思い出す。思えばあの時、明智は飛行機に一瞥もくれなかった。
「花菱さんのもとで働くようになってからは、正直に言って、救われたような気持ちでした。
 忙しさが、自分を全てから解放してくれるような、そんな感じがしていました。
 そうしている間に、この喪失感も忘れてしまえたらいい。そう思って、働いてきました……」
本人にそのつもりは無いのかもしれないが、わずかに顔を上げた明智は、やはり自嘲的な微笑みを浮かべていて――
「でもまぁ、そう簡単な話でもないことは、分かっていて気づかないふりをしてきたんですね」
今となっては、それは明智の深い悲しみの表現にしか見えないのだった。

「……馬鹿だな、君は」
それまで黙って明智の話に耳を傾けていた美希が、初めて言葉を挟んだ。
「まったく、そんな気持ちで私の秘書を何年も続けていたなんて、君は本当に……本当に……」
「ええ、本当に……馬鹿ですよねぇ。すみません」
「いや……謝って欲しいんじゃない。
 私が言いたいのは――どうして忘れようとしてるんだ、ってことだ」
明智が、静かに美希を見つめる。
「忘れられるはずなんてないだろう。忘れてしまっていいものでもない。
 だから、ちゃんと足を運んで、思い出してあげないとだめなんだよ。
 毎日少しずつでも、生活の一部にして行かないといけないんだよ。
 考え続けるのも辛いが、目を逸らし続けるのは、もっと辛いはずじゃないか?」
きっと、美希に指摘されずとも、明智はそこまで気づいている。
分かっていても、そうせずには自分を守れなかったのだ。
だって、あまりにも深い、深い悲しみを背負ってしまったのだ。
どれだけ自分を責めても、誰かに許されるわけではない。
そんな、突然の別離だったのだから。

それでも、明智に今のままでいて欲しくはないと思ったのだ。
頭の中で明智にかける言葉を探し続けて、美希は高校時代のある日のことをふと思い出した。
「なぁ、明智君。君は、離れていても働く力を知っているか?」
「離れていても、働く力……? 重力や磁力のことですか?」
出し抜けに発せられた美希からの問いにやや面食らいながらも、明智は適切な答えを返した。
「その通りだ。もう随分昔だけど、愛はその中に入るか、という話を友人としていたことがあってな」
「え、何です?」
「愛だよ、愛」
何の話をしているのか分からないという表情で、明智が再度聞き返す。
「アルファベットじゃなくて愛情の愛ですか?
 ――いや、真面目な顔して何を言っているのかと思って」
「私は至って真面目だ。それで、君はどう思う?」
「……物理の問題に、そんな不確かなものを持ち出したら大変なことになりますよ?」
「あいつと同じことを言うんだな、君は。無粋な奴だ」
もう20年も前のことを思い出しながら、懐かしい顔が、声が、美希の中で蘇る。
「不確かなもの、か。……そうかも知れないな」
ぬるくなったカフェラテを一口だけ含んでから、美希が言った。
「私が思うに、愛は、そばにいて初めて伝わる力だ。
 ちゃんと触れて確かめないと、あるかどうか分からない力なんだよ」
両手で包んだカップを見つめながら、確信を持ったような口ぶりで続ける。
「離れていても、働きはするのかも知れない。
 でも、それだけで済ませられるものじゃないから、愛なんだと思わないか?」
美希は顔を上げて、こちらを見つめている明智と目を合わせた。

「君は彼女を愛していたんだろう?」

黙ったまま、明智は美希を見つめ返す。その目の奥は、今もなお深い悲しみをたたえながら、今日の空のように澄んでいた。
「愛は、離れていても勝手に伝わるものじゃない。
 だけど、距離が障害になって伝わらなくなるものでもない。
 だったら、そばに置いて、伝え続ければいいのさ」
美希は最後にそう言うと、思いついたように、店を出たら花屋に行きたいと言った。


◇◇◇


「なぁ、その、若松君だったか。彼女は、どんなものが好きだった?」
「そうですね、強いて挙げるなら……オレンジ色が好きでしたね」
花の種の並んでいる棚の前で尋ねた美希に答えながら、明智は美希の考えを何となく察していた。
「なるほど、オレンジね……」
種の入った袋に印刷された花の写真を見ながら、美希がオレンジの花を見繕う。
「ああ、これがいい。これにしようか」
「どれです? えーと、『カリフォルニアポピー』?」
美希から小袋を受け取って確認する。
「今蒔いたら、いつ頃咲くのかな」
「来年の春頃らしいですよ……ん、えっ」
裏に書かれた栽培方法を読みながら答えた明智が、おかしな声を上げたので美希が聞き返す。
「どうかしたか?」
「いえ……。ちなみに花菱さん、花には詳しい人ですか?」
「いや、全く。……それで、どうかしたのか?」
「あー……いえ、後でお話ししますよ」
相変わらず何かを秘密にしようとする秘書だが、後で話してくれると言うのでその場は流した。

「よし、じゃあ二人でこの花を買おう。そばに置いて、忘れてしまわないために。
 そして、またここに戻って来るために。
 二人で育てて、この花が咲いたら、それを持って、ここに戻って来よう」
「……分かりました」
そう答える明智の声は、今までにないほど穏やかな響きを伴っていた。


◆◆◆


次で最終回となります。
それほどお待たせせずに投稿できると思います。

美希が言っている「20年前の話」は、第6回合同本(http://soukensi.net/perch/sp/quiz06/jointnovel06.pdf)に書いた話のことです。
読まなくても特に支障はありませんが、もしよろしければそちらもどうぞ。
相当昔の、何気ない日常の会話が何故か記憶に残り続けること、たまにありませんか。

それから、名前だけ登場の2人目のオリジナルキャラクターについて簡単なプロフィールです。

若松円(わかまつまどか)
1996年1月5日生まれ(山羊座)
2018年9月29日没(享年22)
身長160cm、体重48kg、AB型
高2から明智と同じクラス。付き合ったきっかけは修学旅行でちょっといい感じになったことから。
地味で目立たず、グループの中心になるようなタイプではないですが、好きなことにはとことん打ち込める性格です。
学芸員の仕事にもやり甲斐を感じていたみたいです。
高校時代は美術部でした。

生前の彼女と明智君とのお話に関しては、ここの小説板の趣旨から完全に離れるので割愛します。
そのうち、どこか別の場で書ければいいかなとは思っていますが。
クリスマス合同…いや、ちょっとそこまでの余裕は無さげです。

ところで、実は「若松円」という名前のキャラクターが種村有菜の漫画にも登場するのですが、これは特に名前を拝借したわけではなく、ただの偶然です。
しかもよく調べてみるとこの漫画、本作と結構重要な部分で類似性が…どうしてこうなった。
まぁここでネタバレしても何なので、気になる方はWikipediaでも調べてみて下さい。
あちらの方が初出(12年前の漫画)ですし、私自身も昔少しだけ読んだことがある気がするので、もしかしたら頭に残っていて影響されたところはあったかも知れません。
基本的に偶然の一致だと認識してはいますが。

それでは、また次回。