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- 日時: 2014/07/08 16:13
- 名前: 春樹咲良
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9月20日1時23分
事前に「何時になってもいいから」とメールをもらっていたとはいえ、この時間に電話をかけるのはいささか気が引ける。 『もしもしー?』 そう思いながら明智は携帯の発信ボタンを押したのだが、相手は待ち構えていたかのように即座に電話に出た。 「もしもし、瀬川さんですか? 夜分遅くにすみません。明智です」 『明智くーん。お疲れさまだったねぇ。お仕事いま終わったの?』 「ええ、まぁそんなところです。さっき花菱さんを送ったところで」 あれだけ言っても最後までケーキにこだわる美希に、結局明日買ってくるという約束をする羽目になったが。 仕事以外の点ではどこまでも子供っぽさを感じさせる雇い主である。 「それで、今日は本当にすみませんでした。せっかく色々と準備していただいたのに」 『ううん、大丈夫だよー。大事な仕事だものね、えーと、あの……なんだっけ』 相変わらず美希の役職名を覚えていないらしい泉のために、明智が続きを引き取る。 「何とか大臣です」 『そう、それ……って違うでしょー?』 ここ数日間、電話のやりとりをしながら、明智も少しずつ遠慮のない発言をするようになってきた。 「実は僕もよく分かってなくてですね」 美希と同じように、泉の扱い方も覚え始めた明智に、泉が笑って言う。 『もー、二人して私を馬鹿にするぅ』
『パーティーは主役が欠けちゃって残念だったけど、まぁ元々二次会だったからねー。 私たちだけで楽しませてもらったから、また今度、ちゃんとお祝いしようね』 「何から何までお世話になって、本当にありがとうございます」 『いいってば。そーれーよーりー。ふふーん、プレゼントの受け渡しはうまくできたのかにゃ? お・た・が・い・に』 多少お酒が入っているからなのか、いつもよりややテンションが高めの泉の質問に、明智は歯切れの悪い返事をする。 「あー、ええ。まぁその、はい。帰りがけに花菱さんの方からいただいて。 僕の方は、もうタイミングがなければ今日じゃなくてもいいかと思ってたんですけど」 慣れないことをするものではなかった、という気持ちも若干にじませながらした明智の答えに、泉は少し意外そうな声を上げる。 『へえー、ミキちゃんの方から。まぁ、明智君の驚く顔が見たかったんだろうね、きっと』 「まぁ、その点に関しては見事にしてやられました。 ていうか瀬川さん、全部知っててやってたんですね。そのことの方にまずは驚きですよ」 『にはははは。いやー、似た者同士なんだなぁって思ったよ。面白いからそのまま黙っておこうって、思いついちゃって』 思いついても、二人相手に口裏を合わせるのは、実際には相当大変なことだっただろう。明智も素直に感嘆の言葉しか出ない。 「自分で言うのも何ですが、今回ばかりは完全に意表を突かれました」 『きっと、明智君の驚く顔を見られたってだけで、お腹いっぱいだったんじゃないかな。ミキちゃん的に言うと』 先日美希に電話でからかわれた時の物言いを引き合いに出しながら、泉はそう分析した。 「そんなもんですかね。僕の方からのプレゼントを受け取った時は、何かちょっと悔しそうでしたけど。『おあいこか』とか何とか」 『負けず嫌いだなぁ、ミキちゃんは』 誰に似たんだかねぇ、と泉が小さく呟くのが電話の向こうから聞こえた。 『ちょっと違う形になっちゃったけど、これは私からお二人さんへのサプライズプレゼントということで』 「お二人さんだなんて、そんな、よしてくださいよ。でも本当に、重ね重ねになりますが、色々とありがとうございました。 この件はまた、必ず機会を作ってお返しをします。ドタキャンした埋め合わせも必要ですし」 先程来ずっと恐縮してばかりの明智に、泉は笑いながら答える。 『えへへー、私は、仲のいい二人の様子が見られただけで、お腹いっぱいだったけどねー』 「……参ったな。瀬川さんにはかないませんね」 『またまたー。お上手なんだからぁ』 「いやいや、本当に。今日はこの辺で勘弁してください」 この手のことでからかわれ続けると妙に居心地の悪い気持ちになるので、そろそろ切り上げようとする明智に、泉は打って変わって真剣な声で言った。 『あのね……ミキちゃんには、明智君みたいな人が必要だと思うよ』 「……そんなもんですかね」 『そうだよ。そうに決まってる。だから、そばにいてあげてね』 断言する泉とは対照的に、明智は先程とは違う理由で、歯切れの悪い返答をするしかなかった。 「……僕に出来る限りのことは、させてもらうつもりです」 本当は、「秘書として」という一言を入れるべきだと思った。今の自分の心境を正確に表現するなら、そう言うべきだっただろう。 『うん、頼んだよ。私の親友を』 そしてそれは、恐らく泉の求めている答えとは違うのだろうということも、明智には分かっていた。
◇◇◇
1時53分
電話を切ってから、ソファに寝転んで天井を見つめる。 泉との電話の最後で、答えを濁したことが、自分の中でぐるぐると渦を巻いていた。 自分が美希のそばに、秘書としての立場以上に近づくことは、許されるのだろうか。 たとえ周りの多くがそれを望んでいるのだとしても、周りからどのように見えているとしても、美希と自分の間には、未だに縮まらない距離が確かにあるのだ。 それは、お互いに原因があることなのだと明智は分析していた。
この距離を縮めないままでいる方が、お互いに幸せなのかも知れない。 美希のことは大切に思っている。それは、雇い主として以上の感情でそう思っているだろうことを、自分の中では認めなければならない。 ただの雇い主のためにサプライズパーティーを用意してやるほど、自分はお人好しではない。 客観的に見れば、何らかの下心があると考えるのが普通であろうと自分でも思う。 しかし、実際に自分が考えていることは、そう簡単なものではないのだ。 今の自分は、秘書という立場があって美希と関われている一方で、秘書という立場に縛られることで美希に近づき過ぎないでいられる。 近づき過ぎてはいけないのだ。他人に、近づき過ぎてはいけない。 それが、この数年間自分に課してきた戒めだった。 今、美希を相手にその壁を越えるべきか、越えざるべきか? この問いにぶつかったとき、明智の中でそれに答えを出すことは極めて困難だった。
これ以上近づいても、遠ざかってもいけない、そんな身動きの取れない気持ち。 明智は漠然と、美希も同じことを考えているような気がしていた。 美希は美希で、自分との距離を測りかねている。この距離感にまごついている。 こんな言い方をするのも何だが、自分が美希を必要としているのと同じように、美希は自分を必要としているだろう。 泉の言う通り、自分たちは「似た者同士」なのかも知れない。二人とも口に出さないだけで、同じ感覚を共有している。そんな気がする。 しかし、磁石の同じ極同士のように、近づこうとするほど、離れようとする力が働くようにも感じられるのだ。 求めるほどに遠ざかる。あるいは、これ以上近づくと全てを失う気さえする。
二人の間のこんな距離感にも、いつか何らかの形で終わりが来るのかも知れない。 いつか突然来るのかも知れない終わりの瞬間を、なるべくいつも通りに、早くやり過ごせるように―― そうやって、誰かと深く関わり過ぎるのを避けるようになって、もう何年経つだろうか。 そう、自分の抱えている秘密も、いつかは打ち明けなければならない。 恐らく美希は、薄々勘付いている。分かっていて、踏み込めないでいるのだ。 深みにはまったら、後戻りはできない。それをお互いに恐れている。 それでも、そう遠くないうちに―― カレンダーを見つめながら、ざわつき始めた心を静めるために、コーヒーを淹れようと腰を上げた。
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体調不良などもあって少し間隔が空いてしまいましたが、その分だけ長めの更新です。
内容的にはここまでが前編といったところ。後編は少し更新のペースが落ちると思います。
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