Re: 大切なヒト (9/19更新) |
- 日時: 2013/09/19 11:44
- 名前: サタン
- 「お、お嬢さま、あの、これは…」
慌てて弁解を始めようとするハヤテ君を手を上げて制し、 ゆっくりと振り返ります。
そこにいたナギ。 廊下の角を曲がったところで、雑誌を取り落としたままでいました。 怒りよりも、目の当たりにした状況が信じられない、という顔で…そこに立ち尽くしていました。 私が歩み寄ると、“悪い冗談だろう?”とでも言いたげな引きつった笑みを浮かべ、 近付いた私の表情と泣きはらした目を見て、 その笑みは凍りついて…
「全て、説明します」 「あ、ああ…説明、してくれ」 「あの、お嬢さま! これは僕が!」
きっと、私をかばおうとしてくれているのでしょう。 そんなハヤテ君に振り返り、
「いえ、ハヤテ君にも説明しなくてはならないことがあるのです」 「僕にも?」 「はい…」
怪訝な顔のハヤテ君に、心のなかで謝りながら、 「では初めから…一年前、ハヤテ君とナギが出会った、その時に遡らなくてはなりません。 長くなります…部屋に行きましょう」
あれだけ泣いたからでしょうか。 それとも…もう、決定してしまった、覆せない結末に全てを諦めてしまったのかもしれません。 私は自分でも不思議なくらい冷静に、ナギとハヤテ君を自分の部屋へと誘い、
全てを、話しました。
二人の出会い、まさにその時に生じた致命的なあの誤解のこと、 私だけがそれを知りながら何も出できなかったこと、 そして、それを知っていながらハヤテ君に恋心を抱き、 想いを秘めたままにできなかったことを。
全てを知って、ナギは愕然とし、怒り、泣き…そのまま俯いて顔を上げませんでした。
ハヤテ君はただただ呆然として、その表情は徐々に、自分を責めるように苦々しく歪み、 そして、その顔に最後に残ったのは諦感。 全てが明らかになって、ハヤテ君に残された道は、一つしかないのです。 私が全てを話し終えた後、誰も口を開こうとはしませんでした。 ハヤテ君も私も、そしてナギも、 誰もが、この話の結末を知っていました。 知っているからこそ、慌ただしくも楽しかったこの一年の思い出を惜しんでいたのかもしれません。 誤解という危うい支えの上で、奇跡とも言えるバランスを保ち続けていた…魔法のような日々を。 そしてこの魔法は今、
「なあ、ハヤテ」 「…はい、お嬢さま」
ナギの顔には、いかなる表情も浮かんではいませんでした。 怒りと悲しみと、恐れ…そして、微かな期待。 そんな感情がせめぎあって、どんな顔をすればいいのかわからない…といったところでしょうか。 それでも、ナギは続けます。 夢を終わらせる、魔法を解いてしまう…その言葉を。
「ハヤテ…今からでも、私のことを…」
テーブル手をついて乗り出したナギの顔に、 僅かな一縷の望みにすがるような色が浮かびます。 そしてハヤテ君は…
「…すみません」
ただ一言、搾り出すようにして、言いました。
ぎゅっと握り締められたナギの手は小さく震えて、
「わかった…」
それだけ言うと、顔を伏せて、
「今までご苦労だった。 もういい…出ていけ」
必死で涙を堪えていることがすぐにわかる…そんな声で、ナギはそう、言いました。 ハヤテ君は俯くことなく、ですが悲痛な顔でナギの言葉を受け止めて、
「…わかりました」
低い声ではっきりと、そう答え、
「借金は、必ずお返し――」 「いらん! そんなの知らん! もう関係ない! だから、もう二度と私の前に現れるなっ! とっとと…出て行け!」
最後まで顔を伏せたまま、テーブルに、涙の雫を落としながら、 ナギはそれだけ叫ぶように言い切って、あとはただ声にならない嗚咽を漏らすばかりでした。
「それではお嬢さま…」
ハヤテ君は立ち上がると泣き咽ぶナギに申し訳なさそうな顔を向け、
「お世話になりました…このご恩は一生忘れません。 そして…本当に、すみませんでした」
そして私には、済まなそうな今にも泣き出してしまいそうな悲しい笑みを向けてくれて、
「マリアさん、最後まで、ご迷惑をおかけしました。 一年間、ありがとうございました。 どうか、いつまでもお元気で…」 「ハヤテ君…」
これは、わかっていた結末です。 だから今更、私には何を言う資格もありません。 これで、もう最後なのに名前を呼ぶことしかできないなんて…
ハヤテ君は扉へと向かい、そこで、最後にもう一度こちらを振り返り、 悲痛な陰の差す、でも、それでも魅力的な笑顔を浮かべ――
「…お世話になりました!」
深々と頭を下げて、 そして部屋を出て行きました。
私の…私たちの前から、綾崎ハヤテ君という少年は去ってゆきました。
ナギも私もその場から動こうとせず、ただ俯いたまま、時間を過ごしました。 やがて、屋敷の門が開き、閉じる音が、ハヤテ君が本当に出て行ったことを私たちに実感させた、その後。
「マリア」 「はい…なんでしょう」
俯いたまま、涙声のナギがぼそり、と声をかけてきました。
「ハヤテと一緒に行きたかったんじゃないのか?」
…それは考えました。 いえ、今だって、そうしたいって、そう言えばよかったって…思っています。 でも…
「いいえ…」
無理です。 そんなことはできません。 それは、ナギを一人にするということ。 この子を見捨てることなんて…絶対にできません。 何よりハヤテ君が、許してはくれないでしょう。 ハヤテ君は自分がナギを酷く傷つけたと思っています。 その上、ナギから私を奪うような真似など…できるはずがありません。
「…ナギを一人にするわけには、参りませんわ」
そう答える私に、ナギは俯きっ放しだった顔を向けると、泣き腫らした目で睨みつけて、
「ウソツキ」
ただ一言、それだけ言って席を立ち、
バタン!
と叩き付けるように扉を閉めて、部屋を出て行きました。
この結末は予想通りのことでした。
私が抱いてしまった恋心は、あの人を傷つけました。
抑えきれなかったこの想いで、あの子を裏切りました。
そして私には何も、残りませんでした。
すべてを失って、独りになって泣き崩れること。 それが、今の私にできる全てでした。
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