secret nightmare【3】 |
- 日時: 2013/07/01 16:45
- 名前: 春樹咲良
- anniversary
夢が幸せであればあるほど,目覚めた時の現実との落差が鮮明になる。 あなたと過ごす時間も,ある意味では夢のようなものなのかもしれない。 微睡みのようにぼやけた頭で,伝えたいはずの想いが,どんどん形を失っていく。 あなたの気持ちを確かめる勇気が,どうしても持てないままでいる。
*
放課後。生徒会関連の残務整理のために時計塔に向かう途中,大きな笹が昇降口のそばに括りつけられているのが目に止まった。そういえば, 「そういえば,明日は七夕でしたね」 思っていた言葉が突然背後から聞こえてきたので,驚きのあまりよく考えずに裏拳を飛ばしていた。 「次に私の背後に立ったら命がないわよ」 上体を大きく反らせて私の攻撃をかわしたハヤテ君が,何事もなかったかのように笑って立っていたので,何故か悔しくなって脅し文句のような言葉がつい飛び出てしまった。 「ヒナギクさん,殺し屋でも始めたんですか」 それすらも軽く受け流され,後にはただ恥ずかしさだけが残る。 気を取り直して,目の前でさらさらと揺れる笹の葉にもう一度向き直った。笹には色とりどりの短冊が結び付けられている。 「いつの間に飾ってあったのかしら。随分たくさん短冊も結んであるけど」 「昼休み頃にはあったみたいですよ。みんなどんな願い事をしてるんですかね」 どうせ他愛のない願い事ばかりだろうと思いながら,手近な短冊に書いてある願い事を読み取る。
《世界征服》
いきなりスケールの大きなものが来た。短冊からはみ出かねない大きな字で書いてある。他のものを見ていくと,
《数学の成績があがりますように》
《億万長者になれますように》
《無病息災》
《変革と調和》
《カド番脱出》
《ここに書かれた全ての願い事が叶いませんように》
こんな調子で,まともな願い事の方が少ない。 「七夕の短冊はいつから大喜利大会になったのよ」 と思わずツッコミを入れていると,隣で同じように願い事を見ていたハヤテ君が,笑いながら短冊のひとつを指さして言った。 「ヒナギクさん,見てくださいあの短冊。あれ,ヒナギクさんが書いたんですか?」 どれ,と思ってハヤテ君が指さす先にある短冊に書かれた願い事を見ると,
《ハンバーグが食べたい》
「次に背後に立った時と言わず,今死にたいみたいね」 「じょ,冗談ですってば」 ハヤテ君は両手を挙げて,「どうどう」のポーズをとっている。馬じゃない。 「私の頭の中がそんなにハンバーグでいっぱいだと思っているわけ?」 「いやぁ,日頃からハンバーグへの愛は溢れていますよ」 「日頃の私のどの辺を見てそういうことを言ってるのよ」 まったく,人のことを何だと思っているのだ。私だって四六時中ハンバーグのことを考えているわけがない。毎日ハンバーグが食べたいわけではないし,七夕の願い事にしたいほどでもない。 「ははは,まぁ,すみません。あ,ところで,ハンバーグで思い出しましたけど」 短冊を見るのにも飽きたので,時計塔の方へ歩き出した私に並んでハヤテ君が話を続けた。 「今日の晩ごはん,何かリクエストありますか?」 この調子だとハンバーグにされかねない。いや,もちろん好物なので嬉しいが,ここでハンバーグをリクエストすると,私のキャラクター性がハンバーグに固定されかねない。 「そうね……」 しかし,一度ハンバーグのことに話が及ぶと,それ以外の料理を思い浮かべるのはなかなか困難な話だ。何とかハンバーグから離れなければならない。短冊に書いてあった願い事のせいで,私のキャラクター性に危機が訪れている気がする。 ――そうだ,明日が七夕ということは, 「今日って,7月6日よね」 「ええ,明日が七夕ですからね。それがどうかしましたか?」 「じゃあ,サラダが食べたいわ」 「サラダですか? それは,今日が7月6日ということと関係があるんですか?」 あれ,知らないのか。今日が何の日なのか。 「誰かの誕生日とか……あ,シルベスター・スタローンの誕生日ですね,そういえば」 「だから何だって言うのよ。生卵でも飲めっていうの?」 「違いますか……」 わずかでも正解の可能性があると思って言っているのだろうか。 「うーん,何かの記念日? ん,記念日? あ,もしかして」 どうやら思い当たったようなので,頷いて正解の旨を示した。 そう,7月6日は『サラダ記念日』だ。 だからサラダが食べたい,というのも少し安直過ぎる気がするが,ハンバーグから離れられれば何でもいいと必死で考えていたらふと思い浮かんだのだった。 「あれ,7月6日だったんですね。流石に短歌が元になっているのは知ってましたけど,日付を意識して記憶していませんでした。ヒナギクさん,よくご存知ですね」 案外,そんなものかも知れない。そういえば,何で7月6日なのかは私も知らない。 「わかりました。今晩は腕によりをかけて美味しいサラダを作りますよ」 「でも,サラダはメインにはならないんじゃない?」 「ん,それもそうですね」 ハヤテ君は立ち止まって少し考える素振りを見せてから,優しい笑顔でこう言った。 「では,メインには美味しいハンバーグを作りましょうかね」
『サラダ記念日』の短歌は,随分前に見かけて気に入ったので,ずっと覚えていた。何気なく送っていた日常の中にこそ,大事な瞬間があるということを言っている気がしたのだ。 きっと,こうして何気なく送っている日々も,後になって思い返してみれば全部,大事な記念日になるんだろうと思う。それが実感できるのは,もう少し先のことなのかも知れないけれど。
------------------------------- 少しずつ作風が横滑りし始めている気がしています。 そのうち最初の方にも加筆修正をしていくかも知れない。
あ,ちなみに「ハンバーグの日」もちゃんとあって,8月9日がそうです(8と9でハンバーグって語呂合わせですかね)。 世の中には色々な記念日がありますが,その元祖はこの『サラダ記念日』にあるみたいですね。
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