secret nightmare【10】 |
- 日時: 2014/04/18 22:52
- 名前: 春樹咲良
- forecast
一歩踏み出しただけでも,崩れてしまいそうな危ういバランス。 そうやってまた,あなたとの距離感を間違えてしまう。 そうやってまた,あなたとの距離感に甘えてしまう。 あなたがいても,あなたがいなくても,私は駄目になりそうです。
*
「……ギ…さん,ヒナギクさん」
誰かが私を呼んでいる声が,遠くから聞こえる。 誰だろう,この声は。そう,とても――
「ヒナギクさん,起きてください」 「――はっ,な,何?」 いけない。縁側に腰掛けていたら,うたた寝をしてしまっていたみたいだ。 ふと顔を上げると,声の主が上から覗き込んでいるのと目が合った。 「……お目覚めですか?」 いつもの笑顔で,そんな風に微笑みかけられると,わけもなく気恥ずかしくなる。
夏の日の昼下がり。ちょうどよく雲が差して気温がそこまで上がらず,わずかな風の心地よさについ眠気を感じてしまったらしい。 庭掃除の途中だったのか,箒を片手に持ったハヤテ君は,目が覚めた私を認めると,庭の方に向き直って空を見上げた。私に背を向けて,遠くを見つめるポーズをとる。 今のうちに,恥ずかしさで赤くなった顔が元に戻るように,気持ちを落ち着かせなければ。 ――いや,落ち着いて考えると,無防備な寝顔を見られてしまった時点で既に相当恥ずかしいことに気づく。口が半開きのままで寝てたりしたらどうしよう。
「いくら天気がいいといっても,こんなところでうたた寝してると,また風邪引いちゃいますよ? 夏風邪は,なかなかに厄介ですからね」 ハヤテ君はそこまで意識していなかったのだろうが,彼のセリフの「また」という部分が,私には深く突き刺さる思いがした。 「……そうね。このあいだは本当に,酷い目に遭ったわ」 必死で取り繕おうとしているところに先日のことまで思い出されると,積み重なった恥ずかしさのあまり死にたくなるので本当にやめて欲しい。 夏風邪は馬鹿が引くと昔からよく言うらしいが,あの時の自分は全体的に馬鹿だったとしか思えないので,恐らくある程度は真実なのだろう。 それにしても,こちらにしてみれば人生で一番恥ずかしかったと言えるような経験も,ハヤテ君にとっては何でもない日常の一コマだったということだろうか。 何事もなかったかのように話題に出してくる辺りが,天然無神経たるこの人らしい。
「いやぁ,今日は天気もいいし,何より風が気持ちいいですね。 夏にしては陽射しもそんなに強くないですし,縁側に座っていたりしたら,僕もつい居眠りしてしまいそうです」 そんな私の様子は目に入らないのか,冗談のように爽やかな笑顔で,ハヤテ君は両腕を横に広げ,空を見上げる。 いつ寝ているのか分からないような人が,よく言ったものだ。本当に睡眠を必要としているのだろうか。サイボーグか何かなのではないかと真剣に疑いたくなる人が居眠りしているところなんて……見てみたい気がするが。 居眠り……そうだ,どれくらい寝てしまっていたのだろう。 つけっ放しになっていた居間のテレビからは,高校野球の中継が聞こえている。 夏の甲子園……私たちと歳の変わらない男の子たちが,目指してやまない夢舞台。その夢をかなえられるのは,ほんの一握りしかいない。 夢……そう,あれは―― 「――ゆ,め」 「ん? 何ですか?」 私のつぶやきに気づいて,ハヤテ君がこちらを振り返る。 「夢をね,見てたの。変な夢だったわ」 「夢,ですか」 「うん……なんだか分からないけど,みんなが大人になってて,白皇の教室で同窓会をしてる夢」 妙に現実感のあるような,しかしやはり現実とは思えないような,不思議な夢だった。眠ってしまっていたのはほんのわずかの時間だったはずなのに,随分長い時間夢を見ていたようにも感じる。 この前,タイムマシンがどうこうという話をしたせいだろうか。よく分からない。 「へぇ,それはなかなか面白い夢ですね。みんなの未来の姿ってことですか」 「まぁ,そんなところ。もうほとんど忘れちゃったけどね」 「いやぁ,ついにヒナギクさんに予知能力まで身についてしまったかと思いましたよ」 ハヤテ君も少し興味を持ったようだ。わずかに残る夢の記憶を手繰り寄せる。 「うーん,あ,でも何か覚えてるのもあるの」 「ん,例えば?」 「そう,美希が政治家になってたわ」 何故かは分からないが,これだけは鮮明に覚えているような気がする。何故かは分からない。 「まぁ,彼女は何と言っても元総理の孫ですからね。政界進出も,あながちあり得ない夢とは言えなさそうですが」 「うーん……まぁ,どうなのかしらね。 傍から見ている限り,本人にそんな気があるようには見えないけど」 そうは言ってみるものの,実際にやらせてみたら,それはそれで案外うまくやりそうな気もする。 あの子は……美希は,成績は悪いが,決して根っから馬鹿というわけではないと思うのだ。 ちゃんと頑張ればきっと誰にも負けないスペックを発揮できるだろうに,今のところ本人にそのつもりが無いだけのように,私には見える。 それが何か思うところあってのことなのか,何も考えてないだけなのか―― 「そこのところは,本人に聞いてみないと分かりませんね」 「聞いたところで答えてくれない気がするけどね」 まぁ,本人の問題なので私からうるさく口を出すことではないかもしれない。 ――いや,補習を言い渡された時に働くことになるのはどうせ自分なのだ。やはり適度に尻を叩いておいた方がいい気もしてきた。
「そうですねぇ。 まぁでも,花菱さんもそういうことを,まったく考えたことがないわけじゃないと思うんですよね。いや,どうかは分かんないですけど」 私の隣に腰を下ろして,ハヤテ君は続ける。 「やっぱり身近な家族のしている職業って,自分がそうなる将来をイメージしやすい,みたいなことはあるんじゃないですか。 子供に対して親の意向がどう働いているのかにもよりますけど」 「そうね……まぁ,そうやって政治家の子は政治家に,医者の子は医者になっていくものなのかも知れないわね」 「何か悟りきったみたいな言い方しますね,ヒナギクさん」 「一般論よ,一般論」 実際には,政治家とか医者とかいった職業は,家庭の経済的な後ろ盾なしに簡単に目指せるものではない。 世の中,子供の未来の選択肢の幅というのは,どんな家庭に生まれるかである程度決まってしまうのだ。 こればかりは,厳然たる事実である。 「んー……ヒナギクさんはどうですか? 例えば,教師になろうって考えたりとか,したことありますか?」 ハヤテ君の投げかけた質問は,私の身近な家族の職業として,お姉ちゃんを想定したものだ。 言われてみれば確かに,私にとってそれに該当するのは,教師なのかもしれない。 「そうねぇ……。まぁ,既にお姉ちゃんよりも教師的な仕事をしている気がするんだけど」 今までに一体何度補習を受け持たされたことか。ていうか,教師のやるべき仕事を一般生徒にやらせて本当に大丈夫なんだろうか。こう,法的に問題になったりしないのか,時々不安になる。 「あははは,確かにそうですね。今度白皇に手当を請求したらどうです」 「お姉ちゃんの給料から天引き,ということにすれば理事会も通りそうな話ね」 「桂先生は泣きそうですけどね」 冗談とはいえ,本人の居ないところで言いたい放題だ。 別にお姉ちゃんが全く働いていないと言うつもりもないし,お姉ちゃんなりに,教師としての働き方をしているのだろうと理解はしている。 まぁ,これくらい言われても仕方ないくらい,関係各方面に迷惑をかけているのも事実なのだが。
「そうね,人にものを教えるのは,確かに楽しいし,やり甲斐も感じるわ。 将来の選択肢として強く意識したことはないけれど……」 気を取り直して,ハヤテ君の質問に対する答えを考えてみる。 改めて考えてみると,そうでなくても教師という職業は,学校に通っている全ての人が,大人になるまでの間ずっと関わり続けるものだ。 だから,身近な家族の職業としてのイメージのしやすさとは,また少し違うものであるのかも知れない。 「ヒナギクさんなら,なろうと思えばそれこそ,政治家でも医者でも,何にでもなれそうですけどね」 「無責任なこと言ってくれるわね。 そういうハヤテ君はどう……いや,まぁ,そっか……」 そうだった。 目の前にいるこの男の子は16歳にして既に,あり得ないほど様々な職業を経験している。 だいたい,私と同じ歳の男の子がアパートで執事をやっているなんて,俄かには信じがたい話である。 大きな借金を背負っている今,執事の仕事以外のことを考えている余裕なんて本来無いはずなのに。この人はそんな深刻さを微塵も感じさせず,超人的に働き続けている。いつ寝ているのかも分からないほどに。 普通の高校生と同じ尺度で将来のことなど考えられるような状況にはないのだ。 「……」 そして,そういう状況に彼を追い込んだのは,彼の一番身近にいたはずであろう家族,他ならぬ彼の両親だというのだから,まったく世の中ひどい話もあったものである。 どんな家庭に生まれるかで人生ここまで変わるものなのか,という言い方を私がするのは幾分おこがましいことのように思えるけれど,そう感じずにはいられない事例が,今まさに私の隣に座っているのだった。 続きを言い澱んでいる私の思考を見透かしたような笑顔で,ハヤテ君が口を開いた。 「いやぁ,バイトの経験だけなら相当多岐に渡る業種を取り揃えていますからね。 頭脳労働はちょっと自信がないですが,ある意味何にでもなれそうですね,僕は僕で」 「そっか……そうよね」 強い人だなと思う。 私には想像できないような,筆舌に尽くしがたいほど凄絶な人生を送ってきたはずである。 それなのに,そんな様子を普段は微塵も感じさせないのだから,この人はそれだけで,私の周りの誰よりも強い人だと思える。
「……なんか喉渇いちゃったわ」 自分で重くしてしまった空気を打破するきっかけが見つからず,結局平凡な話題のそらし方をしてしまった。 「口開けて寝てましたもんね」 「なっ! そ,そんなことないもん!」 思わず両手で口を押さえてしまう。そんな私の様子を見て,ハヤテ君はまた爽やかに笑う。 「冗談ですよ。何か冷たい飲み物でも用意しましょうか」 相変わらず,この人のペースに飲まれがちの私だ。 「じゃあ……アイスコーヒーをお願いしてもいいかしら」
------------------------------- 随分と長く休止していましたが,久しぶりの更新です。 休止している間に一話完結を書いたりもしていましたが,それを含めても結構久しぶりですね。 こちらの連載は半年以上ぶりになるのですが,再開していきなり過去最大の分量になっています。 文字数を数えてみたら今までの平均のほぼ倍くらいありました。 どうしてこうなった。
内容について改めてコメントすることもそんなに無いのですが,皆さんの子供のころの将来の夢は,何でしたか? 私は幼稚園の頃の文集に「しょうらいのゆめ:ばるたんせいじん」と書かれていたのを小4の時に発見し,何とも言えない気持ちになったのを覚えています。 ヒナギクにとって,家族の職業と言われて最初に思いつくのは雪路の教員かも知れないですが,実の両親は喫茶店を経営していたそうですし,そういうことも考えたのではないかなぁと個人的には思います。 だから喫茶店でバイトしているわけではないにせよ,ちょっと思うところはあるんじゃないかなぁ,などと。
久しぶり過ぎてどうも勝手が思い出せません。 連載と呼べるほどのペースでは更新できないと思いますが,ぼちぼちと新しい話を書いていけたらと思っています。 今後ともよろしくお願いいたします。
|
|