Re: 迷走! 闇鍋劇場!(完結・ひなゆめより再掲) |
- 日時: 2013/06/02 17:49
- 名前: 餅ぬ。
【もしも、あのときこんな冒険をしていなければ】
カレー色に染まり、人参やらジャガイモやら中途半端に生に戻っているスルメの足が浮かぶ鍋を見つめながら、僕たちは沈黙していた。 気まずい雰囲気。瀬川さんのような明るい盛り上げ役の人間がいるというのに、この雰囲気。多分それを作ったのは僕だろう。 一時のテンションに身を任せ、らしくもなくみんなを怒鳴りつけてしまったせいで、一気にこの場の雰囲気を悪くしてしまったんだ。 例えるなら、修学旅行のときにみんなが恋バナに花を咲かせている真っ最中に怒鳴り散らしながら乱入してくる教師のような所業を、僕はしてしまったわけだ。 ここは、どうにか責任をとってそれなりにテンションを戻さなくてはいけない。 お嬢様が楽しみにしていた闇鍋、こんな残念なテンションで行うわけにはいかない!
「あの、さっきは怒鳴ったりしてすいませんでした……。それに、よくよく考えてみれば、カレー鍋なんていうのもなかなか美味しそうですし、 お酒だって調味料によく使われているんですから問題なさそうですし、昆布だって鍋にはよくある具材のひとつです。 それにこれは闇鍋という名のスリリングな鍋。普通の鍋じゃないんです。これくらいおかしいほうが、かえって楽しいですよ、絶対に!」
フォローできそうにないスルメについては触れないようにして、僕は落ち込むお嬢様たちを慰めた。 僕の声を聞いたお嬢様たちが、心配そうに顔をあげ僕を見つめる。三匹の子犬に見つめられている気分だった。
「本当に……大丈夫なの?」 「大丈夫です。絶対大丈夫です」
そう力説すると、やっとお嬢様たちは安心したようで自然と笑顔が浮かび始めた。
「そ、そうだよな! カレー鍋も確かにおいしそうだしな!」 「だよねっ! ありがと、ハヤ太君、ナギちゃん、なんだか元気でてきたよ!」
安心したように笑う瀬川さんとお嬢様。それにつられて僕も先ほどまでの作り笑顔ではない、普段の笑顔を浮かべる。 なんだか、お嬢様のこんな笑顔久しぶりに見た気がするなぁ。それに、その笑い合っている相手が、伊澄さんにや咲夜さん以外のクラスメイト。 このままお嬢様と瀬川さんが交友を深めてくれれば、お嬢様が学校へ普通に通ってくれる日も近くなるかもしれない。 闇鍋を開いてよかった、と僕はしみじみと思っていた。
「ねぇ、綾崎君……。このスルメは……?」 今まで黙りこんでいた桂先生が、鍋を指さしながら心配そうに尋ねてきた。 スルメは水分を多量に含んだせいで、ぶよぶよに膨らんだ足を鍋の淵に乗せていた。正直に言おう。すごく気持ち悪い。 絵本の悪い魔女のかき混ぜている大釜……まさしくそんな感じだ。ボコボコと沸騰していれば、完璧だろう。
「これは、ヤバイんじゃないかしら。綾崎君……?」
まさかの桂先生からのまともなツッコミ。先ほどまで笑い合っていたお嬢様と瀬川さんの顔にも、少し不安の色が戻りつつある。 これはまずい。せっかく穏やかな雰囲気に戻りつつあったのに、このままでは振り出しに戻ってしまう。どうにかせねば、執事として!(?)
「そぉい!」 「綾崎くーん!?」
どこぞの笛吹き男の有名な掛け声と共に、僕は煮えたぎる鍋の中にスルメの足を箸で押しこんだ。押しこんだ衝撃てスルメの頭が飛び出してきたので、それも無理やり押し込める。 この大きな土鍋から飛び出すほどのスルメのサイズに疑問を抱きながら、僕は呆然とするお嬢様たちの方に爽やかな笑顔を向けて、こう言った。
「僕たちは何も見てませんよ! ねっ!?」
これが漫画であれば、薔薇が僕の周りに咲き乱れているであろうほどの笑顔を浮かべながら、僕は元気よく親指を立てた。 そんな僕のさわやかさに誤魔化されて、お嬢様も瀬川さんも桂先生も安堵の表情を浮かべた。 そして声をそろえて、こう言った。
「だよねー!」
こうして、この時点で一番の問題児だったスルメは僕の手によってカレーの海に沈んだ。 カレー色に濁っているため底が見えない鍋に感謝しつつ、僕たちは何事もなかったかのように他の人たちの到着を待つことにした。 今から到着する彼女たちは幸せだ。このカレー鍋に、巨大なスルメが沈んでいるなんて知る由もないのだから……。
しょっぱなから波乱の連続だった闇鍋だけど、なんだかんだでお嬢様は楽しそうだし、鍋もまだ救いようのない状態とまではいっていない。スルメ? そんなことはもう忘れました。 それに、まだ希望のふたりが残っている。 数少ない常識人である、マリアさんとヒナギクさんだ。 マリアさんが帰ってきてくれれば、安全でおいしい野菜を鍋の中に入れることができるだろうし、ヒナギクさんはあの性格からして、きっと変なものは持ってこないはず。 むしろ、運が良ければ魚とかお肉とか、まともで美味しい常識的なものを持ってきてくれるかもしれない。 だが、希望の裏には絶望もある。 そう。生徒会三人衆の中でリーダー格の花菱さんと、最もわけのわからないものを持ってきそうな朝風さんだ。 瀬川さんの話からすると二人ともかなりテンションが高かったとのことなので、本当に何をしでかすか、そして何を持ってくるのか見当のつかない状態だ。 せめて、甘いもの好きな花菱さんがお菓子系、朝風さんはイメージ的に和菓子やちょっとしたゲテモノ系を持ってくることを祈ろう。
そんな心配ごとを密かに増大させていると、誰かの到着を告げるチャイムが鳴り響いた。 全員の視線が僕にそそがれる。やっぱり、僕一人で出迎えに行けと言っているようだ。
「……じゃあ、お迎えしてきますね」 「グッドラックだよ、ハヤ太君。美希ちゃんたちでないことを祈るよ!」 「綾崎君、もし朝風さんとか朝風さんとか朝風さんとかが何か変なものを持っていたら、かまわず突き返せばいいからね」 「何言ってるんだ先生! 朝風は迷鍋の中盤に出てくるキーキャラ、暗黒豆腐の巫女をイメージして呼んだんだから、返しちゃダメだぞ!」
まだ迷鍋の設定にこだわるのかこの人は、などと心の中で軽くツッコミの役割を果たしながら、僕は早足で玄関へと向かう。 ああ、どうか! どうかヒナギクさんかマリアさんでありますように!
胸に手を当て、祈るような気持ちで玄関のドアに手をかける。 もし、このドアを開けた瞬間、嬉々とした笑顔を蓄え、両手に不可解なものを大量に持った二人組が立っていたら……ああ、考えるだけでも恐ろしい。 しかし、桂先生の時同様、ドアを開けないわけにはいかないのだ。それに、もしかしたら希望のふたりの到着を告げているのかもしれない。 僕はとうとう決心を固め、運命のドアを開けた。
「あ……は、ハヤテ君……。お久しぶりね」
ドアの前にいたのは、なぜか少し顔を赤らめているヒナギクさんだった。 そして、その手にぶら下がっているのは、どう見ても魚や豆腐の入った袋。まともな食材だったのだ!
「ヒナギクさんっ……」 「なっ!? なんで泣きそうになってるのよ!?」 「ありがとうございます、ありがとうございます……。これで鍋も救われます……。あなたは闇鍋の救世主です……!」 「救世主って、そんな……。私はただあの三人組が来るから、変なものは控えただけで……。 でも、そっちのほうが結果的によかったみたいで安心したわ。闇鍋にこんな普通の具材持ってくるなんて、なんだかおもしろくない気がして心配だったのよ」
そう言ってヒナギクさんは微笑んだ。そのどこかはにかんだ微笑みが、今の僕には天使の微笑みのように思えた。 僕はもう一度ヒナギクさんに感謝に意をこめて、深々と頭を下げた。それを見て、ヒナギクさんは困ったように笑う。そして、「どういたしまして」と照れくさそうに返事をした。
「あ、すいません。こんなところで立ち話なんか……。どうぞ、こちらへ」
僕はそう言ってヒナギクさんを招き入れようとした。しかし、ヒナギクさんの足は玄関に散らばっている靴の前で止まった。 なにかあったのかと、僕はヒナギクさんの顔を見る。ヒナギクさんの瞳は、驚きの色があからさまに浮かんでいた。その視線の先には、桂先生の赤いハイヒール。
「……この靴は?」 「ご察しの通りです……」 「…………なんか、ごめんね。お姉ちゃんが、その……。絶対、なんかしでかしたでしょ?」
ヒナギクさんの心配そうな瞳に見つめられて、僕は思わず口ごもった。 こんな状態で、桂先生が巨大なスルメを丸々鍋にぶち込んだなんて話そうものなら、絶対に雰囲気が悪くなる。 それに、今スルメはカレーの海に沈んで全く見えない状態。味だってカレーの味でかき消されてあんまりわからない。 ……言わなければ、絶対にばれないのだ。
「……大丈夫です! ちょっと鍋にお酒を入れたくらいで、それ以外何もしてませんよ。 お酒も逆に良い味付けになったようですし、それにこれは闇鍋ですからちょっとおかしなものを入れたぐらい、罪にはなりません」
微笑みながらヒナギクさんのそう言うと、ヒナギクさんは「そっか」と言ってすまなそうに笑顔を浮かべた。 闇鍋の時、ヒナギクさんが……むしろ全員がスルメをつままないまま終了することを願いつつ、僕は立ち止まっているヒナギクさんをこちらに来るよう促した。 お邪魔します、と言ってヒナギクさんが靴を脱いで玄関をあがる。そのとき、背後の閉まりかけのドアに、何者かの影が映った。 背中まである水色の髪に、夏の日差しで光るおでこ。そしてその隣を走る黒髪の長身。ヤツラだ!
「まずい……!」
僕の本能が、彼女たちを入れるなと告げた。ドアを閉めようと、ヒナギクさんの隣を横切り、ドアに駆け寄った瞬間――。
「閉めようとするなんて……酷いなあ、ハヤ太君……」 「うわぁぁぁぁああっ!?」
一歩出遅れたようだった。僕がドアに手をかけたころには、朝風さんの両手がドアが閉まるのを阻止していた。 そして少し遅れて花菱さんが到着すると、二人は息切れをしながらも楽しそうな笑顔を浮かべながらヒナギクさんへと寄っていった。 そして僕は見た。 その二人の手に握られている、異様に大きな手提げ袋を。 特に朝風さんのなんか、禍々しささえ感じられるようなオーラを放っている。はたして、あの袋の中身は食べ物なのか。
「ヒナ、何持ってきたんだ?」 「あなたたちが変なものばっかり持ってくると思ったから、普通のばっかりよ」
ヒナギクさんが呆れたように二人に言う。呆れられた二人は、変わらず楽しそうな笑みを浮かべている。 そして花菱さんが僕を手招きして、言った。
「さあ、ハヤ太君! 闇鍋の会場に案内してくれ!」
いつもよりテンションが上がっていることが明白な口調で、僕に案内を促してくる。僕は観念して、二人を和室へ案内することにした。 和室へ向かう途中、一番後ろを歩いている朝風さんが「おっと……」などと言いながら、袋の中をのぞいているのを目撃して、僕の不安は和室についたころには頂点に達していた。 そして、中にいるお嬢様たちに心の中で謝りながら和室のドアを開けた。
「ヒナギクさんと、問題の二人が同時に到着しました」 「問題とはなんだ問題とは」 「そうだぞ、ハヤ太君。私と美希はこの闇鍋で一番の盛り上げ役となるべき……というか、なんだ? このカレーのにおいは」
そう言って朝風さんは鍋に向かっていく。そして、鍋の現状を確認した瞬間、爆笑し始めた。
「あっはっはっは! すごいな、私が来る前からこの状態か! うん、すごく楽しみになってきたぞ!」 「カレー……? まさか、泉が入れたの?」 「うん、ごめんね。ヒナちゃん。でも、カレー鍋っていうのも美味しいよ!」
瀬川さんが必死にそう言い訳すると、ヒナギクさんも渋々納得したようで、自分の持ってきたものを確認しながらぶつぶつと何か呟き始めた。
「ヒナー! いらっしゃい! そして他のふたりは帰れ!」 「自分の生徒に酷い言いぐさだな!」 「うるさいうるさーい! 私はある程度安全を認められた闇鍋がしたいの! あなたたちが具材入れたら、安全性が一気に減るじゃない!」 「その台詞、ナギや泉が言うならわかるけど、雪路が言うと説得力無いわね」
先生VS花菱さんと朝風さんの戦いを冷ややかな目で眺めていると、ヒナギクさんがいきなり僕の肩を叩いた。 そして、お嬢様も呼びつけて、一つの提案を持ち出してきた。
「あのね、みんなの前で自分の持ってきた具材を入れるんじゃ楽しくないと思うの。 だからね、具材を入れる時はその具材を入れる人一人を部屋に残して、他の人は退室するっていうのはどうかしら? もちろん、具材を入れる人が前の人が何を入れたかわからないように、部屋を真っ暗にして入れるの」
どうかしら? と首を傾げてくるヒナギクさん。 もし、この場にいるのが既に具材を入れてしまった瀬川さんたちを除いて、ヒナギクさんとマリアさんだけだったなら、僕はこの提案に大賛成しているだろう。 だが、ここには問題児が二人いる。 特に朝風さんのなんか危なすぎると、僕の長年培ってきた野生の勘が告げている。 どうにか、やんわりと断らなくては、ここにいるみんなの胃がヤバイ。
「えっと……良い案だと思うんですけど……なんで、いきなり?」
僕がそう問うと、ヒナギクさんは少し恥ずかしそうにしながら話し始めた。
「実はね、私もひとつだけまともな食材以外に、ちょっと変なもの持ってきちゃってるのよ。あ、もちろん食べられないような危ないものじゃないわよ!? だけどさっき、和室に来る途中、美希たちに『変なものなんて一つも持ってきてない』って言っちゃったから入れにくて……。 だがら、スリル増しもできるし、こういうことしたらどうかなぁって思ったのよ」
断りにくい。実に断りにくい。相手がヒナギクさんな分、彼女のささやかな遊び心を積むようなことはしたくない。 だが、断らなくては。安全のためにも。心を鬼に! ごめんなさい、ヒナギクさん……!
「あの、ヒナギ……」 「うん、いいぞ! 良い案じゃないか! ヒナギク!」
お嬢様ぁぁぁぁっ!! あなたの胃を心配して断ろうとしてるのに、なに了解しちゃってるんですかぁぁぁ!
「いや、でも!」 「なんだ、ハヤテ? この闇鍋パーティの主催者である私の決定にケチをつける気か?」 「いいえ、そういうわけでは……! でも」 「……そんなに、私の案が気に食わないの? 綾崎君……?」
ああ……ヒナギクさんの背後に、大きな虎が見える。タマがちゃっちく見えるような、巨大かつ畏怖のオーラを纏った百獣の王が僕を睨んでるよ……。 無理だ、この負けず嫌いのふたりが結託した今、非力な僕になせることはない。 大人しく、指をくわえて花菱さんたちの暴挙を見つめるしかないのだ……。いや、隔離されてしまうのだから、見つめることさえできないか……。 僕は、無力だ。
「ヒナギク。わからずやのハヤテなんて気にしないで、花菱たちにも相談してこい。先生たちには、私が言っておくから」 「ありがとう、ナギ」
ヒナギクさんは嬉しそうな笑顔をお嬢様に向けた後、鍋を覗き込んでいる花菱さんたちのもとへ駆け寄っていった。 遠目から見た、あの花菱さんと朝風さんの表情から、彼女たちがヒナギクさんの案を承諾したことがわかった。 お嬢様の方も、先生の大反対を無視し、テンションが上がった瀬川さんと結託した結果無理やり先生を承諾させていた。まともに思えた瀬川さんも、やっぱり三人組の一人というわけか……!
「それじゃ、私から具材入れてくるわね」
弾んだ声でそう言い残し、ヒナギクさんは一人和室に残った。 和室の外に追いやられた僕たちは、ただただヒナギクさんが出てくるのを待つことしかできなかった。 そして五分後。笑顔のヒナギクさんが、持って入っていた袋をぺったんこにして和室から出てきた。どうやら全部鍋に突っ込んだようだ。 ヒナギクさんの持ってきたのは、僕の確認しただけでもかなりまともなものばかりだった。豆腐、魚、それからたしかえのき……だったかな。 そんなまともな具材が入った後に、花菱さんと朝風さんが何か分からぬものを突っ込むわけだ。 さようなら、ヒナギクさんのまともな具材たち……。こんにちは、混沌の具材共……。
「じゃ、私から入れてくるぞー!」 「行ってこい! 勇者・ミキサスよ!」 「美希ちゃん! レッツ☆ぶち込みだよ!」
暖かな一部の声援を背中に受けながら、足取り軽く花菱さんが和室へと入っていった。 花菱さんの、ヒナギクさんより少し小さめの袋の中に入っている材料が気になったが、今となって知るすべはない。 ……お菓子。せめてお菓子であることを祈ろう。 甘いお菓子なら、きっと瀬川さんのカレーがどうにかしてくれるに違いない。クッキーとかだったら、溶けて少し気持ち悪いことになりそうだけど……。 僕は不安な気持ちとキリキリ痛む胃を抱えたまま、和室のドアを見つめていた。見つめることしかできなかった。
――この恐怖の具材投入が終了した後、僕はヒナギクさんのオーラの虎にかじられようとも、この案を却下すべきだったと後悔する。
――そして、ヒナギクさんも後にこう言う。
『もしも、私がこの時、一人ずつ具材を入れていこうなんていう冒険心を起こさなければ』
|
|