Re: 迷走! 闇鍋劇場!(完結・ひなゆめより再掲) |
- 日時: 2013/06/02 17:47
- 名前: 餅ぬ。
【もしも、あのときあんなことをしていなければ】 【もしも、あのときあんなものを入れなければ】
「やっと準備終了だな」
満足げにそう言って、お嬢様は額に浮き出た汗を手の甲で拭う。 ほとんど僕が準備をしたのに、なぜお嬢様が汗をかいているのか不思議でならなかったが、あえてこの疑問は心のうちに秘めておくことにした。 闇鍋、ということで今鍋に入っている具はほとんどない。出汁が入っているだけの寂しい状態だ。 だが、闇鍋が始まった瞬間、この一見寂しげな鍋は一瞬にして混沌の世界へと変貌するだろう。……そういえば、具を何にするか考えてなかったな。
「お嬢様、具はどうしますか? 屋敷にあるものを適当に入れます?」 「いや、その必要はない。さっきヒナギクたちに連絡してそれぞれ闇鍋の具を持ってくるように頼んだ。 それぞれ、得体のしれないものを持ち寄った方が、スリルが増すだろう?」
そう僕に告げるお嬢様の目は、それはもう美しく輝いていた。これは、冒険者の目だ。 さすがお嬢様。闇鍋程度でここまで勇者っぽい瞳になれるなんて。あなたこそ、真のナベリストだ!! ……とまぁ、脳内暴走もほどほどに、とりあえずヒナギクさんたちを待つことにした。どうやら、こんなわけのわからないことを考えてしまう僕は、なんだかんだで闇鍋が楽しみなんだろう。 お嬢様曰く、ヒナギクさんは準備があるからと言ってあと三十分くらいかかるらしい。 問題の生徒会三人衆は、闇鍋と聞いた瞬間、それはもうテンションが上がりに上がりまくっていたらしく、あと十分以内に参上するとのことだった。 テンションのあがったあの三人組ほど恐ろしいものはない。今までの学校生活で、僕はそのことを学んでいる。 闇鍋を穏便にかつ平和に楽しむためにも、彼女たちの言動には目を光らせなくてはいけない。
そんなことを考えていると、唐突に訪問者の到着を告げるチャイムが鳴り響いた。どうやら、問題児さんたちのお出ましらしい。
「何を持ってきたんでしょうねぇ」 「あいつらのことだ、きっとすごいものを持ってきてるはずだぞ。特に朝風とか花菱とか」 「あ〜、朝風さんとか羊羹とか持ってきそうですよね」 「はっはっは……。なんだかリアルで笑えないぞ、ハヤテ……。羊羹が入ってる鍋なんて食べたくない」 「それを入れるのが闇鍋なんですよ。スリルです、スリル」
眉をしかめるお嬢様を見て笑っていると、またもやけたたましくチャイムが鳴り響いてきた。恐ろしいほど連打されている。 これ以上放置していたら扉を破壊しかねない勢いなので、僕は玄関にむかって走り出した。 だが、少々遅かったらしく、待ちくたびれた訪問者は勝手に扉をこじ開けて中にいる僕たちに向かって呼びかけてきた。
「ちょっとぉ! お出迎えが遅いわよー! 先生が来たんだぞーっ!」
……この声はまぎれもなく桂先生のもの。呼んだはずのない、桂先生の声。 思わず、お嬢様に視線を配ると、お嬢様は何も知らないといったように首を横に振った。確かに、お嬢様が先生を呼ぶはずがない。 だったら、なぜ先生はここに来たのか。 ……正直に言おう。すごく帰っていただきたい。
「こらぁ! 先生を待たせるとはなにごとかー!」
このテンション、この声のトーン。絶対にお酒が入っている。生徒会三人衆以上に、問題を起こしまくりそうな人物が来てしまった。 だが、相手は担任。追い返すわけにはいかない。とりあえず、玄関へ向かわなくては始まらない。 僕は覚悟をきめて、和室から飛び出した。 お嬢様は座布団に座ったまま全く動かなかった。どうやら、ともにお出迎えに行こうという気はさらさらないらしい。
玄関に立つと、そこには当然のように派手な格好をした桂先生の姿があった。先生の後ろには、気まずそうな瀬川さんの姿。 その瀬川さんの姿を見て、なぜ桂先生がこの場に降臨したのか、だいたい察しがついた。
「闇鍋なんて面白そうなことするじゃない。ちょうどお酒のつまみが欲しかったところだし、混ぜてもらうわよ」 「ごめんね、ハヤ太君……。私たちの情報管理が甘かったばかりに……」
すまなそうに謝る瀬川さんを、視線で慰めつつ、僕はどうにかして桂先生を追い返す手段はないかと脳みそをフル回転させていた。 人数は多い方が楽しい。だが、桂先生となると話は別だ。それも、酔っ払いとなると。なぜ昼間から酔ってるんだ、という疑問は「休日の桂先生だから」の一言で晴れる。
「あの、桂先生……。闇鍋に入れる材料は何か持ってきましたか? 持ってきてないのなら、その……」 「何よぉ? 帰れっていうの? ……でも、心配はいらないわ。持ってきたわよ、とっておきのやつ」 「とっておき?」 「うふふ、闇鍋開始まで秘密よ。それじゃ、材料持ってきたということで、あがらせてもらうわよー!」 「あ、ちょっと……!」
先生は人の話を最後まで聞かないまま、靴を脱ぎ散らかして和室の方に向かって走り去って行った。 和室の方向が分かるのか心配だったけど、ここは桂先生に備わっている金目のもの察知センサーに任せていれば問題ないだろう。 走り去っていく先生の背中を、冷ややかな視線で見送った後、僕は瀬川さんの方に目をやった。
「……喋っちゃったんですか?」 「んーん……。喋ってないよ。でも、ちょうどナギちゃんからお誘いのメールが来たとき、桂ちゃんに勉強教えてもらってて……。 それで、テンションあがりまくって善悪の区別がつかなくなった理沙ちんが桂ちゃんに……。 ごめんね、ハヤ太君……」
しょんぼりとうなだれてそう言う瀬川さんを攻めるなんて、僕にできるわけもなく、「いいんですよ」とすべてを許して、瀬川さんを中に招き入れた。 和室へ向かっている途中、朝風さんたちはどうしたのかと尋ねた。 瀬川さんが言うには、二人とも材料をとりに家に帰ると言って桂先生を瀬川さんに押し付け、去って行ったという。
「……災難でしたね……」 「にはは……」
笑う瀬川さんにいつもの元気はない。どうやら先生を連れてきてしまった責任を感じているようだ。ここらへんの責任感の強さは、いいんちょさんらしい。 瀬川さんを元気づけるためにも、僕はわざと話題をそらせた。
「あ、それで瀬川さんは材料、何を持ってきたんですか?」 「え? 私? ふっふっふ〜、それはねぇー……」
話題そらし成功。先ほどまでの暗い表情は消え、いつもの笑顔が瀬川さんの顔に浮かぶ。やっぱり瀬川さんはこうでなくちゃ。
「内緒、ですか?」 「うん! あとからのお楽しみだよ!」
そう言って、瀬川さんは胸に抱いている袋を僕に見せた。それほど大きくないその袋のサイズから、野菜ではないだろうと推測される。 まともなものならお肉、変なものならお菓子、といったところか。 お菓子はちょっときついな、と思いながらも僕は瀬川さんと肩を並べて和室へ向かった。
和室に入ると、そこには青ざめたお嬢様と桂先生がいた。
「……ハヤテ……」 「……綾崎君……」
懇願するような瞳で、二人は僕を見てくる。絶対何かしでかした、と僕の不幸センサーが警報を鳴らしている。 まだメンバーが半分もそろっていない時点で、この懇願するような瞳をされる。全くの予想外だった。 僕はおそるおそる、尋ねたくもないことを尋ねた。
「……何か、したんですか?」
頷いてほしくない。頷いてほしくなかったのだが、僕の期待に二人が答えることはなく、二人の首は無情にも縦に振られた。 『材料を勝手にぶち込んだ』。理由はこれ以外に考えられない。 きっと、二人にとって予想以上にカオスなものが出来上がってしまったのだろう。でも、それならプラス志向に考えられないこともない。 二人とも闇鍋初心者。僕みたいな庶民の考える闇鍋の普通の状態が、彼女たちにとっては恐るべき事態に見えているということもある。 きっと、桂先生がおつまみをぶち込んだのだろう。サラミとか、さきいかとか。これくらいなら、多分大丈夫……なはず。 その程度の状態であってほしい、と願いながら、僕は鍋の蓋を開けた。
「うっ」
二度目の期待、脆くも崩れる。 なんだろう、この色は。それに、異様に酒くさい。赤茶色? 最初の澄み渡っていた美味しそうなお出しの色はどこへ? 濁って底が見えないその鍋をよくよく除いてみると、何か底に沈殿物がある。 黒くて、でかい、その何か。 その大きさからして、サラミとかさきいかとか可愛らしいものではないことは明らかだった。
「お嬢様、桂先生……この底にある、巨大な沈殿物は?」 「私のマイ・フェイバリットおつまみのスルメ&チーズ……」 「あと、私がそのスルメ臭さを中和するために入れた、昆布……さっき、ハヤテが出汁を出すのにつかってたやつ丸々……」
なんてことだ、すごいことになってしまった。 そしてこの酒臭さの正体は話さずともわかる。桂先生の隣に置かれている、お高そうなワインの瓶。 とっておきとは、このワインのことだったに違いない。なぜ、鍋にワインを入れようと思ったんだこの人は。 でも、今はこうやって脳内でツッコミをいれつつ呆れている場合ではない。火をかけて沸騰させたりして、味が出切ってしまう前に取り出さなくては。
「お嬢様、お箸は?」 「昆布と共に鍋に落ちました……」 「……台所まで取りに行ってきます……。 いいですか、絶対に火をかけたりしないでくださいよ!」
僕はそう言い残して、和室を飛び出した。 このとき、桂先生の少しむっとした顔に気が付いていればこんな惨事にはならなかっただろうと、後々に後悔することになる。
台所から菜箸を新たに持ってきた僕を出迎えたのは、三人のどんよりとした顔と雰囲気だった。 鍋に素早く視線を送る。 火が、ついていました。
「なぜつけたぁぁぁぁっ!」 「ごめんハヤ太君―っ!!」 「先生が! 先生が付ければいいって! わ、私は悪くないぞ!」 「だってだって、綾崎君が命令っぽい口調で言うんだもん! 十歳以上年下のヤツ、しかも生徒に命令されたらムカつくじゃない! だから腹いせに火をつけて……それで……うん……」
なぜか後半にいくにつれて元気がなくなっていく桂先生の口調を聞いて、火をつけた上、何かとんでもないことをまたしやがったと直感した。 まずお嬢様を見る。懸命に自分は何もしていないと主張しているだけで、なにか行動を起こした様子は見当たらない。 次に桂先生。手元にあるワインの量は減っていないし、スルメとチーズ以外、何も持ってきていないようだ。 ということは……瀬川さんか!
「瀬川さん……。何か、しましたか?」
僕が問いかけると、瀬川さんは恐る恐る何かを僕の前に差し出した。 それは先ほど大事そうに抱えていた、袋。と、なにか茶色い汚れがついている四角い透明のパック。 そして、鍋から酒の匂いに混ざって漂ってくるスパイシーな香り。
「カレーですか!?」 「うん、カレー……。だって、私の家ではカレー鍋するんだもん! 激辛カレーはすべてに勝るんだよっ!? だからきっとこのお酒くささとか打ち消せると思って入れてみたら……こんな結果に……なんか、うん。 ごめんなさい」
鍋の中の惨状を見て、瀬川さんは言い訳をやめ素直に謝った。 カレーをいれたことによって、底が全く見えなくなった鍋から昆布やスルメを取り出すのは至難の技だろう。 ついでに、チーズなんかは溶けてしまっているに違いない。
「……ここにまだ、朝風と花菱と、ヒナギクの持ってきたものが混ざるんだな……」 「恐ろしいね……闇鍋」 「こんなにスリリングだとは思わなかったわ。私、闇鍋舐めてたわ」
スリリングで恐ろしいのはあんたらの行動力だ、と心の中で突っ込みながら、僕はカレー鍋をかき混ぜていた。 昆布を引きずり出そうにも滑ってつかめない。 なので諦めた。もう、闇鍋で誰か当たってしまえばいいさ、と半ば自暴自棄に陥っていた。 というか、その気になれば食べられない鍋の味でもない。お酒が混じっているとはいえ、カレーとワインは結構合うもので、昆布の味もほとんどしない。 お酒の混じったイカとか昆布の入っているカレースープだと思えば、食べれないことはないだろう。 プラス思考! プラス思考だ! 僕! きっと、意外に花菱さんやヒナギクさんがいいものをもってきてくれるはずだ! 朝風さんが暴走しそうだけど、それをどうにか食い止めればなんとかなる! 大丈夫! まだ、闇鍋は始まったばかりなんだから!
――しかし、結果的にはこの僕のプラス思考と、大丈夫だと思っていた瀬川さんのカレーが仇となってしまうわけで。
――後に瀬川さんと先生は言う。
『もし、私がこのとき火なんかつけていなければ』 『もし、私がこのときカレーなんて入れていなければ』
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